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元佐倉藩・藩主の明治の邸宅 堀田邸 [千葉]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

佐倉藩の第5代藩主である堀田正睦の四男で第6代(最後の)藩主の堀田正倫は明治維新で17歳で藩知事となり、廃藩置県(明治4年7月14日 / 1871年8月29日)後は東京に移住し明治17年(1884年)に伯爵に叙されたあと、この堀田邸を建て明治23年(1890年)の38歳の時にに佐倉に戻りました。
堀田正倫が佐倉藩の藩主であったのが6歳~17歳であったのにも驚かされました。上の写真が堀田邸の門です。堀田邸が立派な建物であり元藩主の邸宅であったことから2006年に国の重要文化財に指定されました。

こちらは門の横に建っている門番所です。通常は非公開ですが特定の日に公開されるそうです。


こちらは門番所とは反対側に建っている土蔵です。


下は堀田邸の一階のは配置図です。
堀田邸は玄関棟、居間棟、台所棟、書斎棟、座敷棟、湯殿で成り立っています。クリックすると拡大居間棟のみ二階建てで右が居間棟の二階の配置図です。この配置図では上が南方向で下が北方向です。配置図の中に雪隠(せっちん)が6箇所書かれていました。雪隠はトイレ(厠/便所)のことです。トイレが6ケ所もあるだけの広さでした。このままでは文字が読みにくいけれども、下の図も右の図もクリックすると拡大します。クリックして雪隠を探してみてください。
クリックすると拡大します。

昔の堀田邸の模型があったので掲載いたします。この堀田邸は堀田正倫が東京深川佐賀町から旧領地である佐倉に居を移すために明治20年頃に約二万坪の用地を購入して明治21年に屋敷の建設に着手し、明治23年に完成いたしました。その後も明治27年ごろまで継続して工事がおこなわれました。


広大な敷地の中に堀田邸だけでなく農業試験場がありました。堀田正倫は私財を使って農業と教育の発展に尽くしたことは有名です。堀田家農業試験場は明治時代の千葉県を代表する農業研究機関でした。奨学金を作ったり学校建設への多額の寄付も行ないました。


この写真が堀田正倫で、左が幕末期の写真です。第15代将軍・徳川慶喜に対して朝廷から討伐令が下ると、上洛して徳川慶喜の助命と徳川氏の存続を嘆願しましたが、明治新政府から拒絶されただけでなく、京都に軟禁状態とされてしまったことにより、佐倉藩の家臣たちは新政府に逆らうことが出来なくなってしまいました。そのことにより佐倉藩は官軍側と判断されて政府軍に攻められることもなく改易も免れることになりました。その時が16歳でした。
右が明治11年(1872年)の写真で、この時21歳でした。明治に入ってから佐倉に住んだのは38歳の明治23年(1890年)でした。



玄関棟
堀田邸は123年前の明治23年(1890年)に完成しました。ここが玄関にあたる玄関棟です。玄関棟は「玄関」、「中の口」、「応接の間」、「六畳の間」、「家丁詰所」、「対面所」、「家従詰所」、「家令詰所」、「畳廊下」で成り立っています。


玄関の棟の「応接の間」です。甲冑が飾られていました。左側に写真と色紙が飾られていました。
クリックすると拡大

その色紙は大沢たかおさんと、綾瀬はるかさんの色紙でした。実はドラマ「JIN-仁}が、この堀田邸で撮影されたのでした。


写真も紹介いたします。これはドラマ「JIN-仁」で使われた場面です。下関の長州藩邸の玄関前との設定です。坂本龍馬(内野聖陽)と東修介(佐藤隆太)です。
龍馬「何ちゅう正直な男じゃ! ワシャ、そういうヤツが大好きじゃき」
これは堀田邸の玄関前で撮られたものと思います。


こちらが畳廊下です。障子の外側の廊下に赤いじゅうたんがひかれているために全体に赤く見えます。


玄関棟の部分の南側の廊下です。前に見えているのは座敷棟です。



居間棟
こちらの部屋が居間棟のメインとなる「居間」です。


この部屋は居間棟の「役女詰所」で奥に見える部屋が「寝の間」です。これ以外に「次の間」と「台笥」の部屋が居間棟の1階にありました。


こちらが「寝の間」です。ことらには入ることが出来ないので「役女詰所」からの入口側から撮りました。


居間棟には2階があります。2階に上がる階段ですが、驚くほどに急な階段でした。武士時代の名残があるのかもしれません。


居間棟の2階は非公開で上がれないので飾ってあった写真を紹介します。2階には「上の間」と3つの「次の間」の計4部屋で構成されています。


居間棟の南側の長い廊下です。



書院棟
書院棟と書院棟に行く渡り廊下です。


書院棟への渡り廊です。右の建物のように見えるのが渡り廊下です。
クリックすると拡大書院棟あたりで、南方仁(大沢たかお)と橘咲(綾瀬はるか)が撮影された場面が右の写真です。クリックすると拡大します。設定場所は川越藩・別邸の池のほとりです。
 仁「・・・・・あ、ありがとうございます。!」
 咲(その仁の姿を優しい目で見つめ)「・・・・・・・」



座敷棟
こちらが座敷棟の「客座敷」と「次の間」です。
クリックすると拡大手前が「客座敷」で、その向こう側が「次の間」でその向こうが「入側」です。ここでは「入側」が3部屋ある上に、仏壇を置かれる祠堂にも「上の間」と「次の間」がありました。
ここでも「JIN-仁」の撮影が行われました。京都の薩摩藩邸で坂本龍馬と西郷隆盛が会った場面です。


下の写真は桐をあしらった釘隠しです。堀田邸では桐と橘と楓の3種類の釘隠しが使われていました。
右の釘隠しは橘です。


下の写真は座敷棟の廊下です。
クリックすると拡大ここで右の薩摩藩の京都の藩邸の縁側を想定して撮影された場所です。ガラス戸は外して撮影されたようです。ガラスはひずみがあることから古いもののようでした。現在はこのようにひずんだガラスを作るのは難しいと思うので貴重なガラスが使われているようです。
クリックすると拡大

座敷棟を庭側から撮りました。
クリックすると拡大

手が込んだ造りになっていました。


玄関棟と座敷棟を結ぶ渡廊下です。畳の廊下になっていました。重要な客人が客座敷に行くときに通る廊下です。
玄関を入って客座敷まですべて畳の上を歩いて行ける配慮でした。


テレビドラマ「坂の上の雲」も座敷棟で撮影されたようです。
「坂の上の雲」は、2009年11月29日から2011年12月25日まで足掛け3年に亘ってNHKで放送されたテレビドラマの特別番組です。



湯殿
これは「化粧の間」から見た「湯殿」です。


こちらが湯殿の横にある「化粧の間」です。左の入口を入ると「湯殿」です。



庭など
堀田邸の南側は広い庭園が広がっていました。建物は国指定重要文化財で庭園は千葉県指定文化財名勝です。庭園は無料で入れます。
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庭からの堀田邸も趣がありました。
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松の景観は見事でした。
クリックすると拡大

左は庭の正面からの堀田邸の写真です。近代的な大きな病院(佐倉厚生園)の建物が堀田邸の後ろにあります。写真を撮る人にとっては、もう少し離して建ててほしかった気がします。でも無料で庭園が散策できるのはすばらしいです。
クリックすると拡大クリックすると拡大

庭園側から見た書院棟(手前)と座敷棟(奥側)です。


クリックすると拡大他にも撮影が行われたようで沢山の色紙がありました。不思議な組み合わせですが侍戦隊シンケンキジャーも、ここで撮影されたことがあるそうです。侍戦隊シンケンキジャーは2009年2月15日~2010年2月7日までテレビ朝日系列で毎週日曜7時30分~ 8時00分に放送された東映制作の特撮テレビドラマです。これは居間棟の前の庭で撮られたようです。
色紙を残された人は「大沢たかおさ」「綾瀬はるか」「石原さとみ」「本木雅弘」「片岡鶴太郎」「高梨臨」「相葉弘樹」「松坂桃李」「鈴木勝吾」「森田涼花」「相馬圭祐」「伊吹吾郎」が写真に残っている範囲で確認できました。
クリックすると別の色紙

場所を紹介します。
 住所 千葉県佐倉市鏑木町274
 電話 043-483-2390
 開館 10:00~16:30
 休館 月曜日(祝日の場合は翌日) 12月28日~1月4日
 料金 一般 310円 児童・学生 150円 (小中学生は土曜日無料)

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TOQ

約束通り、こんなにも早く堀田邸の記事を掲載
されるなんて素晴らしいサービス精神ですね!
前日の記事をもう1回見返して、続きを読むと
佐倉藩主の業績の凄さがよく伝わってきます☆
by TOQ (2013-04-13 22:07) 

Huck_Finn

ブログにしておくのが、もったいないです。
by Huck_Finn (2013-04-13 22:16) 

SORI

TOQさん こんばんは
さっそく見ていただけたのですね。うれしいです。
この堀田邸もすばらしかったです。さすが国が文化財として指定するだけのことがありました。
by SORI (2013-04-13 22:40) 

SORI

Huck_Finnさん こんばんは
皆さんに知ってもらえてうれしいです。掲載した甲斐がありました。
by SORI (2013-04-13 22:42) 

まほ

掘田邸は、隣にある病院にお見舞いに行った時に寄りました。
その友人は、結核で亡くなってしまいました。。。
旧邸は、趣のある大きなお屋敷だったと記憶しております。
お写真を拝見して、懐かしいです。
by まほ (2013-04-14 02:33) 

moto_mach

これは佐倉の名所ですね
機会があったら見に行きたいです
by moto_mach (2013-04-14 04:48) 

SORI

まほさん おはようございます。
ご友人が亡くなられた場所とは因縁が深い場所ですね。堀田邸の庭はすばらしい環境なので病院の方や老人ホームの方の散歩によい場所となっていました。
by SORI (2013-04-14 05:38) 

SORI

moto_machさん おはようございます。
近くにお住まいのmoto_machさんもまだ行かれたことがないのですね。私も始めていきました。佐倉にこんな場所があるのかと再認識いたしました。
by SORI (2013-04-14 05:41) 

kazu

SORIさん、おはようございます。

旧堀田邸は本当に素晴らしいですよね。私も数十年前に行きましたが、その時は書院でビデオの放映で説明を受けました。
色々と撮影が行われているんですね。色紙が沢山あったとは知りませんでした。

佐倉藩の最後の殿様「堀田正倫(まさとも)」は農業のほか学問にも力を注いで、今の佐倉高校記念館は、堀田正倫により寄贈された明治期の木造洋風建築ですね。
by kazu (2013-04-14 07:45) 

なんだかなぁ〜。横 濱男です。

ご立派な屋敷ですね。
こういうところに住んでみたいです。
しかし、掃除が大変そう。。
お女中を沢山、雇わなくては。。。(笑)



by なんだかなぁ〜。横 濱男です。 (2013-04-14 09:25) 

PATA

佐倉には歴史的な建物がいっぱいあるんですね。
この堀田邸も立派ですね。
見てみたいです。
by PATA (2013-04-14 10:59) 

kazu-kun2626

流石に佐倉藩主の邸宅だけあって
立派な佇まいと業績ですね
by kazu-kun2626 (2013-04-14 11:19) 

SORI

kazuさん こんにちは
この時は居間棟の台笥でビデオを見ました。確かに素晴らしい内容でした。残念ながら書院には入れませんでした。
国の重要文化財に指定されたのは7年前の2006年で、比較的新しい指定です。多少の制限があるにしても国指定重要文化財の中を自由に歩けるのはいいですね。一度は佐倉高校の建物を見に行きたいものです。
by SORI (2013-04-14 18:11) 

SORI

なんだかなぁ〜。横 濱男です。さん こんにちは
純和風建築というのも憧れます。いろんな棟に分かれているのもいいですね。堀田正倫は7歳で藩主になり、16歳の時に明治になり、その時に藩主から藩知事になり廃藩置県となる19歳まで藩知事を務めた若さには驚かされます。
by SORI (2013-04-14 18:29) 

SORI

PATAさん こんにちは
ここを知ったのは今年、佐倉の武家屋敷を見たことがきっかけでした。佐倉では堀田邸と佐倉順天堂と武家屋敷が三点セットのような関係なのです。
by SORI (2013-04-14 18:48) 

SORI

kazu-kun2626さん こんにちは
父、堀田正睦の功績は西洋医学の普及で堀田正倫の功績は教育と農業と言えるのでしょう。特に明治になって佐倉の発展に力を尽くした人でした。
by SORI (2013-04-14 18:52) 

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