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丹波篠山の御徒士町と武家屋敷 第80回ハイク [兵庫県]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大少し前の記事で紹介したデカンショ館の次は右の共通券の左上の武家屋敷(安間家住宅)を見に行きました。安間家住宅は下の航空写真で分るように篠山城の西側に南北に走る紫色ライン(━━)の御徒士町(おかちまち)通りにあります。江戸時代の篠山城の周囲には沢山の武家屋敷がありましたが、明治の廃藩置県によって、江戸詰めの家臣の多くは丹波篠山から引き払いましたが、安間家があった御徒士町の武士のほとんどは丹波篠山に留まったそうです。その後も御徒士町の人達は屋敷の手入れを怠らなかったことから、当時「御徒士町」と呼ばれた今の「御徒士町通り」には武家屋敷の面影を残す建物だ沢山残っています。

航空写真です。青紫マークのデカンショ館から紫色マークの安間家までを順番に紹介したいと思います。安間家の敷地の部分を赤枠で囲んでいます。御徒士町の武家屋敷の敷地の間口は平均で8間であったそうです。1間は6尺なので8間は14.545mになります。Google地図で安間家の間口を計ってみると21mなので平均より少し広い間口であったようです。1間が6尺と定義されたのは明治24年(1891年)で、織田信長の時代は6尺5寸で、豊臣秀吉の太閤検地で6尺3寸となり、江戸時代は6尺1分でした。橙色(━━)のラインは今回の第80回ハイキング(2020年2月15日)での散策したルートです。


クリックすると拡大天保8年(1837年)に描かれ丹州篠山城郭之絵図から上の航空写真の部分を切り取りました。この絵図は明治2年に写された丹州篠山城郭之絵図です。紫色ライン(━━)が武家屋敷が並んでいる御徒士町通りです。赤枠の部分が安間家(あんまけ)の敷地です。クリックすると絵図全体を表示します。拡大すると安間の文字が読み取れます。クリックすると拡大安間の下に名前と思われる5文字が書かれていますが、そこまでは読み取れませんでした。拡大した全体図を見ると篠山城は沢山の武家屋敷で囲まれていたことも判ります。絵図を見ているとタイムスリップして、この時代を見てみたいと思ってしまいます。
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デカンショ館があった青山歴史村から武家屋敷の安間家住宅までを順番に紹介していきたいと思います。この写真は青山歴史村の入口となっている長屋門です。この長屋門は篠山藩藩士であった澤井家の門でした。
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青山歴史村から武家屋敷の方向である西方向に向かうと左側に篠山城の堀が見えます。石垣の上には大書院が見えます。ようこくんさんが篠山城の桜の記事を掲載されていました。篠山城に桜開花基準木があったのです。→ポチッ
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クリックすると拡大篠山城を撮った写真の中から桜開花基準木の表示板が写った写真を探して表示板の部分を拡大しました。写真をクリックすると周囲が写った写真を表示します。右の写真が下の写真を切り取ったオリジナルの写真です。
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篠山城の大書院の辺りを拡大いたしました。新型コロナの感染も小規模であった2月15日だったので観光バスも沢山駐車していました。
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案内標識が建てられていました。標識が建てられていたのは右下の絵図の橙色の丸印()のところです。篠山城跡や大手門跡方向から武家屋敷群や安間家資料館方向に歩きました。クリックすると拡大
上で紹介の丹州篠山城郭之絵図を見ると、武家屋敷長屋門と書かれている方向は現在の住所で西新町で、当時は郡代などの高五十石~高百五十石の武士が住んでいた西堀端で、その西堀端の通りの入口に左番小屋があり御徒士町の通りの入口には右番小屋(左番小屋とも読める)がありました。ちなみに大手馬出しの前あたりは大目付などの高百七十石~高二百石の武士が住んでいました。
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上で紹介した右番小屋(または左番小屋)があった場所に、御徒士町武家屋敷群(Okachimachi Samurai Residences)の大きな看板が建てられていました。ここから左に方向の道が御徒士町通りで、道の両側に武家屋敷や武家屋敷であった面影が残った今でも使われている住宅が沢山並んでいます。御徒士町通りは重要伝統的建造物群保存地区となっているようです。
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上の写真の看板の所を所を左に曲がって見える御徒士町通りの景観です。ここから武家屋敷の安間家住宅に到着するまでの間は御徒士町武家屋敷群を紹介したいと思います。
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萱葺の建物がいくつか見えます。江戸時代はこの道の両側は全て武家屋敷でした。その子孫の方々の住んでおられるのだと思います。
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古さが伝わってくる建物が並んでいました。
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御徒士町武家屋敷に関する説明板が立てられていました。慶長14年(1609年)に篠山城が徳川家康によって築かれて、その翌年から10年ほどかけて城下町の整備が行われたそうです。ちなみに江戸時代は417年前の1603年から1868年でした。武士と町人の住む場所は区分されて、城を取り囲むように武家町が配置されたそうです。武家町でも武士の身分によって住む場所が決められていたそうです。御徒士町は、戦時は徒歩で戦う徒士(かち)という身分の武士(下級武士)が住んだ武家町だあったそうです。平時は役人として藩に仕えたとのことです。2004年に御徒士町を含む篠山城下町の一部が国の重要伝統建造物郡保存地区に選定されて街並みの保存が行われているそうです。下級武士の徒士(かち)の人が住む町だから御徒士町(おかちまち)と名付けられたのでしょうか。下級武士と言えども屋敷を見る限り、庶民とは別格であったと思われます。馬上の資格がある武士が士官に相当し、徒士は下士官に相当します。徒士は士分に含まれ、士分格を持たない足軽とは峻別されていたそうです。徒士は藩や地域によっては小組(越後長岡藩)や歩行(飫肥藩)や御徒(柳河藩、江戸)とも呼ばれていて東京の御徒町(おかちまち)の地名の由来になっているそうです。調べ切れていませんが江戸(東京)以外の地方の城下町では御徒士町(おかちまち)が多く使われているように感じます。
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武家屋敷として残っている鈴木家の門です。
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上の写真の右上に写っている茅葺の屋根をです。
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天保元年(1830年)に大火があり御徒士町の大部分の武家屋敷も焼失したと伝えられています。復興に際して屋敷は道路より6尺後退させ、火徐地をつくって火災に備えたと言われています。今でも道路と土塀の間に犬走し(いぬばしり)の空き地があるのは、その時の火徐地に由来するそうです。犬走りは、垣と溝の間や土手の斜面に設けられた細長い通路や平地部分で、犬が通れるくらいの幅しかない道という意味合いから呼ばれるようになったようです。
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古い建物も活用して今も使っている家もありました。手前が昔のままの屋敷で奥が新しい住居だと思いますが、昔の雰囲気を壊さないような配慮がうかがえるすばらしい住居です。
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立派な塀の屋敷も沢山ありました。
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武家屋敷が続いていました。
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門の前の説明板には「西07雄山家住宅主屋保存修理工事」と書かれています。
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ここに篠山城を中心とした城下町の地図がありました。ここから安間家の武家屋敷まで徒歩で2分と書かれていました。
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三社之宮跡の石碑が建てられた空間がありました。
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進んでいく方向の御徒士町通りの景色です。
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昔からの建物と住居ですが、武家屋敷通りの雰囲気を壊さない努力が伝わってきます。
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安間家武家屋敷(Anma-Family Samurai House)に到着到着しました。武家屋敷の建物は資料館(Samurai House Anma Historical Museum)にもなっています。ここからは武家屋敷の安間家住宅を紹介したいと思います。
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入口の門を正面から撮った写真です。
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敷地の内側から門を撮りました。井戸も印象的でした。
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屋敷の全景です。武家屋敷として多くみられる曲屋形式(L字型配置)の建物です。下級武士(徒士)の一家が住む標準的な武家屋敷です。
安間家の禄高は天保8年(1837年)時点で「高十ニ石三人扶持(ふち)」であったそうです。「高十ニ石三人扶持」が、どの程度の収入かは分かりませんが、あるネットでの記載では「三十石二人扶持」の年収が14両に相当すると書かれていたことから「高十ニ石三人扶持」の価値が想像されます。
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建物の間取り図を紹介します。上方向が北で書かれています。母屋は正面を東に向け、間口6間半(約13m)、奥行7間半( 約15m)あり、部屋割りは正面に向かって左に玄関、右奥に庭園に面した8畳の座敷を配置し、玄関奥には台所、座敷の奥には仏間、居間が続いています。建設当初の姿を今によく残していることから1994年に町指定文化財(:現市指定文化財)となり、半年かけて全面改修して公開したそうです。
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航空写真でも建物の形を紹介します。
安間家武家屋敷をGoogle地図でも紹介します。→GoogleのSV 拡大航空写真
現在の住所:兵庫県丹波篠山市西新町95


玄関から靴を脱いで「次の間」に上がって台所方向を撮った写真です。
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萱葺屋根の裏側です。
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「次の間」の隣りの「座敷」です。広さは8畳です。床の間には甲冑が飾られていました。
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訪れたのが2月15日だったためか雛人形が飾られていました。
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弓や槍や長刀も座敷に飾られていました。
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仏間で奥の部屋が居間です。
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仏間には漆器などが展示されていました。資料館になっているのです。
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仏間から見た庭の景色です。
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庭から見た縁側です。左側が仏間で奥に座敷があり、右側が台所です。
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天保8年(1837年)に描かれ丹州篠山城郭之絵図が飾られていました。もっと鮮明な写真を撮るチャンスでしたがその時は気が付きませんでした。鮮明な写真であれば安間家の所に書かれている文字も正確に分かったと思います。
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それでも何とか読みたくて90度回転して鮮明化を行ってみました。名前は「安間熊五郎重明」のように読み取れます。その横の文字は「???石三人扶持」と読み取れます。ネット内の説明資料には「高十ニ石三人扶持」と書かれているので「???」は「高十ニ」になるはずですが、文字の感じでは「高」ではなく「米」のように感じます。右隣の家には「米八石三人扶持」と書かれていることから「米?二石三人扶持」のように読み取れます。参考ですがクリックすると堀沿いの家も含めて表示しますが、その中では、郡代には「高百五十石」、表御用人には「高七十石三人扶持」、教導方の小林三郎次宋福には「十人扶持」の表現が使われています。教導方の小林家の場所には今でも古い茅葺の建物が建っています。→GoogleのSV 航空写真
禄高の「高」と「米」の違いは分かりませんが十二石相当の現金と三人扶持の玄米が支給されていたと読み取れます。一人扶持は1日にあたり玄米5合なので三人扶持は年間で一石七斗七升×3倍となります。安間家は禄高は十二石ですが、御徒士町の武家屋敷の禄高は絵図を見る限りでは四石~八石がほとんどなので、この辺りの下級武士の中では裕福だったのかもしれません。
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貴重な資料も展示されていました。上が鍵槍皆伝目録(かぎやり・かいでんもくろく)で、下が槍術皆伝目録(そうじゅつ・かいでんもくろく)です。
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こちらは松に折鶴亀甲蒔絵の四段重箱です。
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台所と書かれた部屋台所の間()には戸棚がありました。
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戸棚を拡大いたしました。
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別の角度から見た台所の間です。障子の向こう側が土間になっていて、竈(かまど)が見えます。
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こちらが土間で竈(かまど)などがあることから炊事場になっていたようです。
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こちらが竈(かまど)です。
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土間の所にはお土産用の丹波焼が並べられていました。比較的新しいものだと思いましたが、写真を見て売られていたお土産であることに気が付きました。じっくり見ればよかったと後悔しています。興味がある方は写真をクリックしてみてください。特別に大きく拡大いたします。
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右端の出入口が土間から庭に出る場所です。そこから庭に出てみました。石燈籠が置かれているところが水琴窟と呼ばれる仕掛けがあるところです。
建物自体は天保元年(1830年)の大火の後に建てられたそうなので、その前の建物は残念ながら大火によって焼失したと想像されます。
 1603年 江戸幕府の誕生
 1609年 篠山城の築城(徳川家康が大阪城の包囲網として築城)
 1610年 城下町の整備 ~1620年ごろまで
 1614年 大阪冬の陣
 1615年 大阪夏の陣
 1830年 篠山城下町で大火
      大火の後に安間家の現在の建物が建てられた
 1837年 丹州篠山城郭之絵図が描かれる(安間熊五郎重明 米十ニ石三人扶持)
 1868年 王政復古 江戸幕府終了
 1995年 安間家建物の全面的な改修(1994年10月~1995年3月)
 1995年 安間家建物が篠山市指定文化財に指定される(1995年5月20日)
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丹波・水琴窟と書かれています。水琴窟(すいきんくつ)は江戸時代に考案されたと言われている日本独特の庭園の仕掛けです。手水鉢の近くの地中に空洞を作り、そこにしたたり落ちる水の音色を楽しむものです。
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水琴窟の音を竹筒で聞いているところです。金属音がしました。
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ここの水琴窟の音を聞いていただきたくてネット内の動画を掲載いたしました。プレーボタン( )をクリックすると水琴窟の音が出る部分から開始するように設定いたしました。動画が終わると頭から表示し停止ボタンをクリックするまでは繰り返し永遠に表示し続けます。


武家屋敷を背景に10名全員で記念写真を撮りました。一番左が私です。
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庭には瓦葺の土蔵があり展示室になっていました。この土蔵も昔からのものだそうです。
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土蔵の中の展示室に飾ってあった丹波焼の大壺です。
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入口でもらった武家屋敷の説明書を掲載いたします。クリックすると面積で16倍に拡大いたします。クリックすると拡大
私の住んでいる千葉県佐倉市にも右の写真の武家屋敷があります。その中で建物の内部が公開されている武家屋敷が3つあるので見学したことがあります。その時の記事も書きました。右の写真をクリックするとその時の記事を表示いたします。
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裏側には沢山の説明が書かれていました。こちらもクリックすると面積で16倍に拡大するので、興味のある方はクリックしてみてください。
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コメント 28

ラック

立派な武家屋敷ですね!保存も大変だと思います。
まだ住んでいる家もあるんですね~。
見ているほうは昔の建物の美しさに感激しますが
住んでいる方は不便な事もあるのでしょうね?
by ラック (2020-04-19 17:04) 

JUNKO

立派なお屋敷ですね。今の建物に比べると深い趣がありますね。
by JUNKO (2020-04-19 19:49) 

リンさん

そのまま残っているなんて素晴らしい。
歩いてみたいです。
by リンさん (2020-04-19 20:20) 

SORI

ラックさん こんばんは
確かに昔の建物は住む上では不便があるかもしれません。きっと150年以上の歴史のある建物だからこそ誇りもあったので歯ないでしょうか。
by SORI (2020-04-19 20:42) 

*ピカチュウ*

こんばんは
子供の頃住んでいた家にへっついさん(三連カマド)が有りました。懐かしいです。
水琴窟の音風情が有りますね♪

by *ピカチュウ* (2020-04-19 20:43) 

SORI

JUNKOさん こんばんは
武家屋敷は不思議とロマンを感じてしまいます。どのような生活をしていたのか、興味は尽きません。
by SORI (2020-04-19 20:44) 

夏炉冬扇

かやぶきの家。
途方もないおおきさです。
維持は行政でしょうか。
by 夏炉冬扇 (2020-04-19 20:44) 

SORI

リンさんさん こんばんは
昔のままの姿が見れるのはすばらしいです。武家屋敷通りの景観もいつまでも残ってほしいものです。
by SORI (2020-04-19 20:47) 

SORI

夏炉冬扇さん こんばんは
安間家の保存や修理に関しては行政で行われていて、他の武家屋敷は補助で、そこに住んでいる人が行っているのだと思います。
by SORI (2020-04-19 20:50) 

SORI

*ピカチュウ* さん こんばんは
三連かまどを覚えておられるのですね。
私は3歳から小学校4年まで広島で住んで家は元は旅館だったので大きな台所があった記憶があります。きっとカマドもあったのだと思います。ただし実際の料理はガスだったのだと思います。こんど実家に行った時に母に聞いてみます。五右衛門風呂はありました。
by SORI (2020-04-19 21:11) 

Boss365

こんにちは。
諸事情あり、押逃げします。スミマセン!?(=^・ェ・^=)
by Boss365 (2020-04-19 22:05) 

SORI

Boss365さん こんばんは
すももちゃんのお顔が見れただけで嬉しいです。ありがとうございます。丹波篠山を堪能いたしました。
by SORI (2020-04-19 22:20) 

Rinko

まるでタイムスリップしたような町並みですね~!!
茅葺の屋根、風情があります^^
by Rinko (2020-04-20 08:27) 

kazu-kun2626

武家屋敷の風情がいいですね
茅葺の維持が大変ですが何時までも
残してほしい風情ですね。
by kazu-kun2626 (2020-04-20 08:33) 

SORI

Rinkoさん おはようございます。
商家の古い町並みに比べて茅葺の江戸時代の武家屋敷の街並みは少ないように感じます。それだけに貴重な景観だと思います。
by SORI (2020-04-20 08:58) 

SORI

kazu-kun2626さん おはようございます。
武家屋敷の街並みは良かったです。さらに江戸時代の武家屋敷が完全な形で保存されているのはすばらしいと思います。
by SORI (2020-04-20 09:02) 

tarou

SORIさん お早うございます
南禅寺にコメントを有難うございました。
山門からの眺めが好きで、何度か訪れています。

武家屋敷や古民家は大好きです。
by tarou (2020-04-20 09:10) 

SORI

tarouさん おはようございます。
こんなに見事な武家屋敷が見れるとは思っていなかったので感激しました。街並みが保存されているのにも感心させられました。
南禅寺に行ったのは小学校か中学校の遠足です。高野山の総門(山門)の記事を書いた時に南禅寺や知恩院や東大寺の山門を調べて気になっていました。
https://makkurokurosk.blog.ss-blog.jp/2010-12-26
by SORI (2020-04-20 09:25) 

リス太郎

「犬走り」というのが面白いなと思いました。東京にも「御徒町」がありますが、あんなとこ武家屋敷だったのかなあ。
by リス太郎 (2020-04-20 11:06) 

ようこくん

見慣れた風景をありがとうございます。
犬走りは知りませんでした。今度じっくり見てみます。

お城の周辺や河原町は電線を地中に埋める工事をしているようで
ますます、景観を損ねずきれいな景色を楽しめるものと思います。
by ようこくん (2020-04-20 12:54) 

SORI

リス太郎さん こんにちは
ご推察の通り東京(江戸)の御徒町(おかちまち)の由来は同じ武家の住む町でした。Wikipediaには「江戸時代、江戸城や将軍の護衛を行う下級武士、つまり騎乗が許可されない武士である御徒(徒士)が多く住んでいたことに由来する。」と書かれていました。ただし、江戸では庭のある一戸建の屋敷ではなく長屋住いだったそうなので、今回のような武家屋敷ではなく「武士が住む長屋」が集まったところのようです。
犬走しはいいネーミングです。昔から人と犬の関りが深かったしょうこなのでしょう。
by SORI (2020-04-20 12:54) 

SORI

ようこくんさん こんにちは
電線の無い景色はいいですね。特に写真を撮るときは邪魔なので工事が終われば、さらに見事な景色を見ることができることでしよう。
おかげさまで桜開花基準木が篠山城にあることを知って追加掲載させていただきました。篠山城の記事にも追加させていただきました。
by SORI (2020-04-20 12:59) 

いろは

こんにちは^^
武家屋敷は興味深いです♪
お庭も素敵ですね。
by いろは (2020-04-20 17:49) 

SORI

いろはさん こんばんは
武士が沢山住んでいる城下町であったとの実感が湧きました。やはり大阪城の豊臣を封じるための町であったことが分かりました。
by SORI (2020-04-20 19:39) 

サンダーソニア

かやぶき屋根の趣はいいものですね。
地元では見かけなくなりました。
by サンダーソニア (2020-04-22 08:58) 

coco030705

こんにちは。
武家屋敷跡の町並み、素敵ですね。家が簡素ですが、住みやすそうな感じがします。私もこんな家を目指しているのですが、なかなか物が捨てられません。(^_^;)





by coco030705 (2020-04-22 15:09) 

SORI

サンダーソニアさん こんにちは
茅葺屋根の葺き替え費用は大変だとTVで聞いたことがあります。そんな中で見ることができるのは皆さんの努力のお陰だと思います。
by SORI (2020-04-22 16:24) 

SORI

coco030705さん こんにちは
長い間の経験で作られた住いなのだと思います。城下町が出来てからの年月でも400年を越えています。天保元年に大火で焼失した経験も生かされているのかもしれません。
by SORI (2020-04-22 16:30) 

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