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錦帯橋 [山口県]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大本記事は2018年の新年の挨拶で使わさせていただきましたが、周防久保(前記事)や岩徳線(前々記事)の記事を掲載したのを機会に、マイカテゴリーを「新年」から「山口県」に変更して再掲載させていただきました。
錦帯橋は日本三名橋や日本三大奇橋に数えられる山口県岩国にある木造の5連のアーチ橋です。初代の5連のアーチ橋は1673年に岩国藩主であった吉川広嘉によって建造されました。それ以前にも岩国城が出来て以来、城と城下町をつなぐ重要な橋であったことから橋が架けられましたが洪水で何度も流されたことから吉川広嘉が洪水に耐えうる橋を目指した結果、明の杭州の6連の橋を参考に橋台を強固な石垣にして洪水に耐えうる現在の形の橋を作ったそうです。翌年の1674年の洪水で流失しましたが橋台を強化して再建した結果、定期的な架け替えを行いながら1950年のキジア台風で被害を受けるまでの276年間は流失することはなかったのは驚異的なことです。1950年のキジア台風ですべて流失したため、現在の橋は1953年に、277年前の当時のままに復元された橋だそうです。2005年にも台風14号により第一橋の橋脚2基が流される被害がありましたがすぐに復旧されたそうです。この時に撮った写真は、すべて錦川の右岸から撮った写真です。したがって、撮った時期を書いていない写真の川は全て左から右に水が流れています。
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 川名 錦川
 完成 1673年(初代落成) 347年前
 形式 5径間木造アーチ橋
 全長 193.3m
 幅  5m

この記事の写真は2017年12月26日に周防久保に墓参りに来た時に撮った写真です。錦帯橋にはソフトクリームを食べるためだけに寄ったので、時間がなかったことから錦帯橋から一番離れて撮ったのがこちらの写真になります。
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こちらは右岸側(岩国城側)の錦帯橋への入口です。時間があれば橋を渡って橋の上からの写真や左岸からの写真も撮れたと思うので、2020年12月の墓参りが晴れていたら錦帯橋に寄ってじっくりと散策してみたいと思います。
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橋の一番中央の山の部分の写真です。江戸期には中央の3つのアーチ橋(第二、第三、第四橋)は定期的に約20年ごと、両端の桁橋(第一、第五橋)は約40年ごとに架け替えらたそうです。その結果、9回~16回の架け替えが行われ、具体的な現在までの架け替え工事回数は次の通りですが、数値を見ると大切にされてきた橋であることと、長い歴史を感じます。錦帯橋は創建時から現在までの修復記録が、歴代の大工棟梁の人物名も含めて完全に残ってことにも驚かされます。南東(左岸/岩国市岩国)側から北西(右岸/岩国市横山)側に第一橋、第二橋、第三橋、第四橋、第五橋です。北西(右岸/岩国市横山)側が岩国城がある方向です。右の小さな写真はネットから転用させていただいた架け換え工事等の写真です。
クリックすると錦帯橋の拡大写真を表示         架け替え
 第一橋  約40年ごと 10回
 第二橋  約20年ごと 14回
 第三橋  約20年ごと 14回
 第四橋  約20年ごと 16回
 第五橋  約40年ごと  9回
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上の写真を拡大いたしました。クリックするとさらに拡大いたします。
錦帯橋が完成した当初は大橋、凌雲橋、五竜橋、帯雲橋、算盤橋などの、いろいろな呼び名があり、後に錦帯橋(きんたいきょう)になったそうです。錦帯橋の名で呼ばれるようになったのは、中国・杭州・西湖の錦帯橋(きんたいばし)をモデルにしたことに由来しているという説が有力です。錦帯橋の下を流れる錦川(にしきがわ)の名は錦帯橋に由来していることから、錦川の名が使われるより先に錦帯橋の名が使われ始めたことになります。
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クリックすると拡大橋の上からの写真は撮れなかったのでGoogleのストリートビューでの橋の上からの景色を紹介します。水平に回転すると360°見ることが出来て、前後に進めることも出来ます。錦帯橋は徒歩でしか渡れないのでストリートビュー(Street View)の撮影には右の写真のトレッカー(Trekker)が使われたものと思われます。今までに軽トラック(1998年)とバイク(2020年)で渡った人がいますが、いずれも文化財保護法により逮捕されています。同様な行為があれば、逮捕だけでなく傷の修復費用も請求されます。


川沿いには桜の古木が沢山植わっており、花が咲くころは見事な景色を見せてくれるそうです。ここの桜は日本さくら名所100選でもあります。
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ここまでは川下(かわしも)から撮った錦帯橋ですが、川上(かわかみ)から撮った写真も紹介します。
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ここは桜の木が多く植わっていましたが、柳の木も植わっていました。柳の木の由来に関しての説明板が立てられていました。
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説明板の内容を紹介します。
巌流ゆかりの柳
クリックすると拡大佐々木巌流小次郎は宮本武蔵との勝負には敗れましたが、小次郎の『つばめ返し』の剣法は天下無双であったということです。
吉川英治氏は小説『宮本武蔵』のなかで、岩国で生まれた小次郎は、母から家伝の長光の刀(一名物干し竿)を授かり、この辺りの柳とつばめを相手に独りで工夫し、努力を重ね、遂に『つばめ返し』の術を編み出したと記しています。
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錦帯橋の脇には槍倒し松(やりこかしまつ)と呼ばれる由緒ありそうな松もありました。左の方向の山の上に岩国城があります。
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説明によると他藩の大名行列で、槍を立てたまま歩けないように植えられた松だそうです。昭和29年(1954年)の時点で樹齢300年なので、2020年の現在であれば、樹齢366年になることになります。
槍倒し松(やりこかしまつ)
この松は、岩国武士の負けず嫌いを表徴する有名な槍倒し松です。昔諸国の大名が他藩の城下を通るときは行列の槍を倒すのが、大藩が小藩の城下を通るときは、儀礼を守らず槍を立てたまま威風堂々と通ったものです。岩国藩が六万石の小藩であるため岩国の武士達はこれを見て憤慨し、そこでかなり成長した横枝のはった松の木をわざと橋の頭に植え、大藩といえどもどうしても槍を倒さなければ通るこのが出来ないようにしたものです。今では昭和十年(1935年)の河川改修工事により道路や人家が堤防の上に移りましたが元は川辺りにあって、ここの石段が坂道になっていましたから大名が槍を倒して坂道を登るのを見て岩国武士達は溜飲を下げていたということです。昭和十九年(1944年)頃、この地方に発生した松喰虫によって、この松も昭和二十七年(1952年)八月残念ながら枯れてしまいました。この松は初代の松の実から自生した直系の松を昭和四十三年(1967年)二月十五日三代目槍倒し松として吉香公園から移したものです。
 樹齢   300年     樹の高さ  14.5メートル
 幹の周囲 3.7メートル   樹冠の面積 323平方メートル
昭和二十九年一月 岩国保勝会
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木材で作られた錦帯橋の橋げたの下側を紹介したいと思います。クリックすると拡大橋に使われている木材は特性によりアカマツ、ヒノキ、ケヤキ、クリ、カシ、ヒバを使い分けているそうです。平成の架け替えの際は全国から約7年かけて木材が 集められ、全て国産材で造られたそうです。その時は、桁橋の橋杭には本来のマツに代え、腐り にくい青森産のヒバが初めて使われたそうです。
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木の柱の一番下の色が違うことに気が付かれると思います。実は一番下は石の柱になっていて木の柱と一体となるように接合されています。
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石の柱の部分を拡大いたします。この石は橋杭受石と呼ばれています。
そして橋杭と受石(根継石)を相欠きで継いでいる部分を巻いている金物を橋杭巻金(きょうぐいまきがね)と呼びます。詳しい説明→ポチッ
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2013年以降に山口県の周防久保に24回ほど墓参りに行きましたが、その内でソフトクリームを食べるのを目的で14回も錦帯橋に来ることになりました。クリックすると拡大しかしながら14回とも錦川の右岸(上流から見て右側)だけの訪問で錦帯橋を渡ることもなく、左岸から錦帯橋を見ることがありませんでした。そこで2003年9月と2007年4月に左岸側にある岩国国際観光ホテルで食事をした時の写真を6秒間隔で4枚紹介します。写真をクリックすると拡大した4枚の写真を右のように同時に表示します。2007年4月の写真では桜の花を確認出来ると思います。2003年9月の時はホテルに泊まりました。錦帯橋の正面の写真(2003年9月13日 17時48分)は上流の錦城橋(きんじょうばし)から撮った写真です。
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クリックすると拡大大学1年の3月にサイクリング部の九州合宿に参加するために錦帯橋の横を通った時の写真も紹介します。関門海峡を3月10日に通った通行券が残っていて周防久保の祖母・祖父の家に泊まったので、錦帯橋の写真を撮ったのは私が19歳の3月9日と思われます。
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私が3歳の時の錦帯橋の前で撮った記念写真です。1番右が周防久保の墓参りで車で送ってくれた叔父さんです。1番左が母方の祖母です。
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葛飾北斎が描いた錦帯橋の浮世絵をWikipediaから転用させていただきました。全国の珍しい橋を画題とした全11図の諸国名橋奇覧の中の1枚で、名前は「すいほうの国 きんたいばし」です。諸国名橋奇覧は187年前の天保2年(1831年)に刊行されました。
 生誕  宝暦10年09月23日(1760年10月31日)
 死没  嘉永02年04月18日(1849年05月10日) 88歳
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歌川広重(本名:安藤重右衛門)も錦帯橋を描いていました。ただし右側は二代目歌川広重の作品です。
 初代  寛政9年(1797年)~安政5年9月06日(1858年10月12日)
 二代目 文政9年(1826年)~明治2年9月17日(1869年10月21日) 
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ソフトクリームと錦帯橋の写真です。実は錦帯橋と言えばソフトクリームなのです。
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こちらがソフトクリームが売られている佐々木屋小次郎商店です。こちらのお店に昼食後にソフトクリームを14回食べに行きました。
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沢山の種類のソフトクリームが食べれることで有名になりました。一度、記事にしたことがあります。→ポチッ
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いろんな場所から撮った錦帯橋とソフトクリームの写真を紹介します。
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墓参りに来た2017年12月26日は帰省ラッシュ前でしたが、新大阪を出発したころには満席に近かったですが、終点駅の広島に着くころには席は空きました。広島からはこだまに乗り換えて新岩国まで行きました。その後、叔父さんの車で周防久保までを往復しました。
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墓参りも無事に終えた後は墓参りの後は恒例の山賊村で昼食でした。これは山女(やまめ)の塩焼きです。
山女は塩焼き以外に刺身や蕎麦でもいただきました。→ポチッ
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いつもは叔父さんがすべて運転してもらっていましたが、今回、初めて昼食を食べる山賊までは、私が運転いたしました。山賊から新岩国までは叔父さんが運転してもらえたので、私はビールを飲むことが出来ました。この後にソフトクリームを食べるために錦帯橋に移動しました。
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24回の墓参りで、山賊村で昼食を食べたのは16回でした。山賊村以外は錦帯橋周辺にまとまっているので一枚の航空写真( )で場所を紹介します。マイナスのアイコンを3回クリックすると山賊村のマークが表示されます。2回クリックして画面を右上方向に移動させても見つけることが出来ると思います。ソフトクリームを14回食べに行った佐々木屋小次郎商店もマークしています。岩国国際観光ホテルでの食事は2003年9月と2007年4月を加えると4回食べたことになります。
 山賊村         16回
 岩国国際観光ホテル  2回 2018年03月 2019年03月 下の2枚の写真
クリックすると拡大クリックすると拡大 錦果楼        1回 2013年09月
 よ志だ新館      1回 2018年08月
 わたぼうし      1回 2018年09月
 アリス        1回 2019年09月 新岩国駅前
 レストハウスたんぽぽ 1回 2019年12月
 岩国→広島 車内   1回 2020年09月 JR山陽本線(在来線)


いつも叔父さんからは岩国寿司をいただきました。実家に戻って夕食でビールと一緒にいただきました。
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この時の墓参りは母と一緒に行きました。下の写真は私が丁度1歳になったころの写真です。左に写っている建造物は旧・西宮球場です。
私は結婚するまでは宝塚の実家で両親と一緒に暮らしていましたが、今回の墓参りで初めて知ったことがありました。それは母も含めてその兄弟たちは岩国市内から、この錦帯橋の近くの男子校と女学校に歩いて通っていたことでした。それも叔父さんたちは通学のために毎日錦帯橋を渡ったとのことでした。驚いたことにGoogle地図で調べると毎日通学のために男子校10km(往復)、女学校8km(往復)を歩いていたことになります。
   0歳 兵庫県伊丹市に生まれる
   1歳 兵庫県西宮市夙川に引越
   2歳 広島県広島市平野町に引越
   3歳 広島県広島市井口に引越 → 記事
  10歳 兵庫県神戸市東灘区岡本に引越
  14歳 兵庫県神戸市東灘区本山に引越
  16歳 兵庫県宝塚市に引越 (今の実家)
  28歳 結婚して大阪府茨木市に引越
  29歳 家を買って神戸市須磨区に引越
1988年 転勤で千葉県船橋市に引越
1993年 家を買って千葉県佐倉市に引越
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叔父さん(母の弟)の車を使って墓参りをした時のルート図です。青の太い線が墓参りのために車で走ったルートです。ただし墓の場所だけは特定されないように少しずらしております。走行距離は、行きは墓まで直行なので32kmで、帰りは錦帯橋経由となるため38kmで、往復で70kmになります。2019年9月21日の墓参りを最後に叔父さんは運転免許を返納したので、2019年12月22日の墓参りは新岩国駅でレンタカーを借りてほぼ同じルートで墓参りをしました。ただし山賊(昼食)や錦帯橋(ソフトクリーム)には寄らないで、岩国駅から歩いて5分のところにある伯父さんの家(母の実家)に寄ってから新岩国駅に戻りました。クリックすると記事を表示私が墓参りに同行するようになったのは2013年3月19日からです。最初の頃は、全て伯父さんが運転していましたが、2017年頃から長距離となる新岩国→周防久保→山賊(昼食)は私が運転するようになりました。
  新岩国駅( 9:24着) → 墓( ) → いろり山賊( 昼食) →
  → 錦帯橋( ソフトクリーム) → 新岩国駅( 13:34発)

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コメント 39

あーちゃ

結構何度もお引越しされているのですね。
関西から関東への引っ越しは、文化がだいぶ違って大変だったのではないでしょうか?
 たまたま我が家は、妹たちも含めて、旦那さんの転勤も(もちろん自分の転勤も)なく実家から、電車で日帰りできる距離に住んでいるので、みんなで集まりやすくて幸せだと思っています。これで、甥っ子たちもみんな将来近くにいてくれるといいなあ(我が家には子供がいないので)と思ったりしています。
by あーちゃ (2020-10-07 16:57) 

SORI

あーちゃさん おはようございます。
お子様たちや甥っ子たちが集まれるのはいいですね。にぎやかなことでしょう。
関西から関東の引っ越しは数百人の組織ごとでの引越しでした。新しい事務所の我々の階は関西弁で溢れていました。関東一円の社宅や独身寮に振り分けられ各所に関西弁村が出来たそうです。
by SORI (2020-10-07 17:10) 

*ピカチュウ*

引越し何度も大変でしたね。
兵庫県西宮市夙川におられたそうで
私の家内の実家も西宮市夙川相生町でした。

by *ピカチュウ* (2020-10-07 17:45) 

SORI

*ピカチュウ*さん こんにちは
私が住んでいたのは若松町でした。夙川駅は高校時代の通学経路にあったので懐かしいです。中学時代も岡本から苦楽園口の塾に通っていたので夙川を通りました。
もしかしたら奥様は西宮高校出身でしょうか。西宮高校は和手氏の高校と定期戦をやっていました。
by SORI (2020-10-07 18:07) 

夏炉冬扇

ここのソフトクリームは何回かテレビでみました。
もうかってますね。
by 夏炉冬扇 (2020-10-07 18:10) 

みぃにゃん

錦帯橋10年以上前に行ったきりです。ソフトクリームのお店無かったなぁ~
by みぃにゃん (2020-10-07 18:24) 

溺愛猫的女人

相方の実家が大竹市で親戚は山口県に住む方も多く、帰省する度に錦帯橋を観に行きました。台風が来る度に錦帯橋が流されないか心配で心配で(^^; 近頃は錦帯橋をバイクで渡った不届き者がいた知り、とても悲しいです。末永く愛されて欲しい素晴らしい橋ですね。
by 溺愛猫的女人 (2020-10-07 18:53) 

SORI

夏炉冬扇さん こんばんは
私が行った時は、いつも行列が出来るほどの繁昌振りでした。新型コロナで客は減っていると思います。早く終息することを願っていると思います。
by SORI (2020-10-07 20:02) 

SORI

みぃにゃんさん こんばんは
錦帯橋に行かれてことがあるのですね。今は定番となったソフトクリームがなかったのは残念でしょう。
錦帯橋初のソフトクリーム店の佐々木屋小次郎商店は1995年に開店したそうです。その後に「むさし」が開店いたしました。つまり小次郎と武蔵がソフトクリームで戦っているそうなのです。
by SORI (2020-10-07 20:20) 

SORI

溺愛猫的女人さん こんばんは
バイクのニュースはよく覚えています。文化財は大切にしてほしいものです。奥様の実家は隣の大竹なのですね。大竹は縁が深いです。
by SORI (2020-10-07 20:34) 

*ピカチュウ*

大社中学~市立西宮高校(当時建石町に有りました)何方も通うのに遠いと言っていました。
それと家内の田舎は周防大島(三蒲)だったので前の記事には懐かしいでした。
私も随分前に2度ほど行きその時錦帯橋とか見学しました。
by *ピカチュウ* (2020-10-07 20:56) 

SORI

*ピカチュウ*さん こんばんは
は縁が深いですね。西宮で周防ですから。私の実家は西宮の隣りの宝塚です。夙川のエルベランやミッシェルバッハにはケーキやクッキーを良く買いに行っています。夙川から出ている甲陽線の終点の甲陽にあるツマガリにもケーキやクッキーをよく買いに行きます。
私の前コメントで「和手氏」と書いているのは「私」の書き間違いでした。
by SORI (2020-10-07 21:22) 

そら

錦帯橋のストリートビューの迫力凄いですね!アップダウンが凄すぎです。造形美ある橋だなと改めて思いました。ソフトクリームもまた良いw
お引越しの多さにも驚きましたけど、パッパと替わるお写真にも驚きです。お母様でしょうか?ものすごくとてもお美しいですね。
by そら (2020-10-07 22:11) 

SORI

そらさん こんばんは
ほんとストリートビューの威力はすごいですね。この次に錦帯橋に行った時は動画で紹介してみたいと思います。
切り替わる写真に興味を持っていただけてうれしいです。クリックして出てくるのは母の写真です。見てもらえたのですね。
切り替わり画面は掲載できる容量の関係で1辺150ピクセルですが、それを拡大して1辺210ピクセルで表示させているので、すこしボケています。
by SORI (2020-10-07 22:23) 

ニッキー

錦帯橋、素晴らしい橋ですよねぇ*\(^o^)/*
初めて行った時に雨が降った後だったので
めちゃくちゃ足元に気をつけた記憶がw
私もかなり昔に行ったので、ソフトクリーム屋さんはなかったなぁ(⌒-⌒; )
こんなに種類の多いソフトクリーム屋さんだとどれを買うか迷います( ^ω^ )
by ニッキー (2020-10-08 07:44) 

Rinko

ストリートビューは行った事のない場所でも、まるでそこにいるかのように体感できるのがいいですよね~(^。^)
錦帯橋は行ってみたい場所のひとつです♪
もしかして出張で行けるチャンスがあるかも・・・と狙っていますが、自分で訪れる方が早いかもしれません^^;
by Rinko (2020-10-08 07:46) 

tarou

SORIさん お早うございます
長者ヶ崎散歩にコメントを有難うございました。
海に行くのが、一番好きな季節がやって来ました(^^♪

錦帯橋へは二度ほど行ったことが有りますが
素晴らしい橋ですね。下から見上げると木組みの
技が良く分かりました。

by tarou (2020-10-08 08:06) 

kazu-kun2626

錦帯橋は高校の時修学旅行で
立ち寄りました~
車で行くと飲めないのが残念ですが
良かったですね
by kazu-kun2626 (2020-10-08 08:39) 

SORI

ニッキーさん おはようございます。
確かに急な坂になっているので濡れていると気を使いますね。お店は2軒+αありますが、我々はいつも佐々木屋小次郎商店で食べています。ソフトクリーム店としても元祖だし、佐々木小次郎は岩国とは縁が深く一説では錦帯橋で燕返しの剣法を編み出したと言われているほどなので、地元の人は小次郎店になるのかもしれません。
by SORI (2020-10-08 09:10) 

SORI

Rinkoさん おはようございます。
出張で早く錦帯橋に行けるといいですね。岩国の町中に母の実家あるので、錦帯橋に泊まることはことはありませんが、1度だけ法事絡みで錦帯橋が見える岩国国際観光ホテルに泊まったことがあります。
by SORI (2020-10-08 09:15) 

SORI

tarouさん おはようございます。
錦帯橋に2度も行かれたとはすばらしいです。ほんと木組みは美しいし、橋全体の形も美しいです。
by SORI (2020-10-08 09:18) 

SORI

kazu-kun2626さん おはようございます。
修学旅行で錦帯橋に行かれたということは秋吉台の秋芳洞も見られたので省ね。もしかしたら宮島も、思ってしまいました。
次の墓参りの時はどこかで1泊していろいろと廻ってみたくなりました。
by SORI (2020-10-08 09:21) 

リス太郎

眼鏡橋すきです。それはともかく「佐々木巌流小次郎」?「佐々木小次郎」ではなく。「巌流」は小次郎のミドルネーム?で、巌流島?
by リス太郎 (2020-10-08 14:50) 

リス太郎

明治8年だっけ?太政官だかのお触れで苗字を名乗れと。平民も田中でも中田でもなんでもいいからファミリーネームを持てと。あるいは許すと。「苗字帯刀を許す」なんちゃって武士と公家しか苗字をもてなかったわけで。…(中略。この話しだすと止まらない)…
たとえば四十七士に「神崎与五郎則安」という人がいます。芝居や講談、音頭で有名ですが、「神崎」は姓です。「与五郎」は幼名?「則安」ってなによ?
世界中のパスポートを見てますが、日本人も昔はややこしかった。
パスポートに「治右衛門」だけとか。
by リス太郎 (2020-10-08 14:56) 

SORI

リス太郎さん こんにちは
きっちりと文章を読まれていますね。さすがです。
宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島(舟島)での決闘時時、武蔵は29歳(説によれば19歳)に対して、小次郎は出生年が不明のため定かではないそうですが、小次郎の年齢は武蔵よりもおよそ40歳も年上であったそうです。同じ年齢であれば、小次郎が勝っていたのかもしれません。大きな年齢差での決闘は剣豪としての宿命のようです。
佐々木小次郎は剣豪として巖流(岩流、岸流、岸柳、岩龍とも)と名乗っていましたが、本人が佐々木巌流小次郎と名乗ったかは不明のようです。いずれにしても後の人が表現したものと推察します。
by SORI (2020-10-08 16:23) 

いろは

こんにちは^^
錦帯橋、素晴らしいですね♪
見事な木組み、日本の宝です。
色々なソフトクリーム、食べ比べてみたいです^^
お美しいお母様ですね。
by いろは (2020-10-08 18:22) 

サンダーソニア

ソフトクリームでこれだけのバラエティって
ほかには絶対にありませんね。
行ってみたい理由の一つです^m^
by サンダーソニア (2020-10-08 18:26) 

リンさん

素敵な橋ですね。
山口県は行ったことがないので、行ってみたくなりました。
ストリートビューで、ちょっとお散歩気分になれました。
by リンさん (2020-10-08 18:49) 

SORI

いろはさん こんばんは
ほんと錦帯橋は日本の宝だと思います。347年前にこれほどのものを作る技術が日本にあったのにも驚かされました。
by SORI (2020-10-08 19:45) 

SORI

サンダーソニアさん こんばんは
100種類あるとソフトクリームの機械も半端な数ではないし、ソフトクリームのストック量もすごいと思います。沢山のお客さんが来るからこそ維持できるのだと思います。
by SORI (2020-10-08 19:50) 

SORI

リンさんさん こんばんは
錦帯橋を紹介出来て良かったです。散歩した気分になってもらえてうれしいです。
by SORI (2020-10-08 19:52) 

coco030705

錦帯橋は、浮世絵に描かれるほど有名な橋なのですね。きれいな橋だと思います。ここをバイクなどで通るとは、なんと罰当たりな!!
それにしても、ソフトクリーム、種類が多いですね。おいしそう。
by coco030705 (2020-10-09 21:11) 

SORI

coco030705さん こんばんは
木造で、これほど大規模で美しい橋に驚かされます。定期的に何度も架け替えて、美しい姿を維持してきた知恵にも驚かされます。
ソフトクリームは墓参りの楽しみの一つです。
by SORI (2020-10-09 21:33) 

トモミ

錦帯橋、行ったことないんです。
いつか、絶対に行きたいとは思ってます。
ソフトクリーム、実に旨そう、じゅるる(笑)…

by トモミ (2020-10-10 12:58) 

SORI

トモミさん こんにちは
錦帯橋とソフトクリームをセットでどうぞ。
爬虫類が嫌いでなかったら岩国だからこそ人々と共存している白ヘビも見てください。お土産に岩国寿司もいいかもしれません。
https://makkurokurosk.blog.ss-blog.jp/2013-03-22
by SORI (2020-10-10 15:16) 

横 濱男

錦帯橋は、中学の修学旅行で行きました。
50年以上前の話ですが。。。(;゚ロ゚)
by 横 濱男 (2020-10-11 14:40) 

SORI

横 濱男さん こんにちは
錦帯橋に行かれて経験があるのですね。
中学校の修学旅行は思い出が沢山残っていることでしょう。
by SORI (2020-10-11 15:35) 

yokomi

叔父さんとはいつになっても良いものですね。よーく、写真を撮ってもらいました。私の叔父叔母は4年ほど前に全て居なくなり、父母の兄弟で残るは我が老母だけ(>_<)
by yokomi (2020-10-15 18:38) 

SORI

yokomiさん こんばんは
叔父さんには一番かわいがってもらったと思います。それだけに思い出深いです。2019年3月23日には私の姉も一緒に墓参りに行き、昼食には岩国国際観光ホテルで、叔父さん夫婦と私と姉と母の5人で四川料理を食べました。やはり話が弾みました。
https://blog-imgs-137.fc2.com/m/a/k/makurokurosk/DSCN0608-990.jpg
by SORI (2020-10-15 18:48) 

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