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鮮やかさゆえの悲しい花 [植物]

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6月に六甲山の麓でこばん草を探しているときに、広い空地に鮮やかな花が沢山、咲いているのに気がつきました。独特の雰囲気のある不思議な花に感じられました。

広い空地に、忽然と鮮やかな沢山の花が咲いているのが不思議で名前が判れば掲載するつもりでしたが、調べきれないままに今まで経ってしまいました。
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最近、テレビでこの花のことを知りました。鮮やかな花であるがゆえに、悲しい花であることを知りました。花にまつわる青年たちの青春があったようです。名前が判ったことをきっかけに掲載させてもらいました。
中央の赤い部分の大きさが悲しみの大きさを表しているような気がしてなりません。
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名前は特攻花です。もちろん特攻花 (とっこうばな)は通称で天人菊(テンニンギク)あるいはガイラルディアという名前があります。鹿児島県の喜界島の飛行場跡に毎年咲き続ける花でした。その飛行場跡地とは太平洋戦争中に多くの特攻機が飛び立って行った飛行場でした。特攻に飛び立っていった同世代の若い女性写真家仲田千穂さんの写真集「「特攻花」って知ってる? 」で知られるようになったそうです。神風特攻隊員の平均年齢が17歳と聞くと、いつまでも覚えていて欲しいと思います。
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              名  前: ガイラルディア(Gaillardia)
              別  名: 天人菊(テンニンギク)
              通  称: 特攻花
              学  名: Gaillardia pulchella
              英  名: Branket flower
              科  名: キク科
              属  名: テンニンギク属
              原産地: 北米
              花  期: 6~10月
              花言葉: 生きなさい
              渡  来: 明治時代
仲田千穂さんの特攻花の動画が掲載されていたので紹介いたします。


特攻隊の戦死者数<ネット より>2008年9月
 空からの特攻   3,948名(海軍2,531名 陸軍1,417名)
 水上の特攻    1,344名(海軍1,081名 陸軍 263名)
 水中からの特攻   544名
 陸上(戦車)      9名
 合計       5,845名(海軍4,156名 陸軍1,689名)

 移動中など    8,164名
 両合計      14,009名

有名な写真です。終戦の日(1945年8月15日)の3ケ月前の写真です。左の写真のあどけない笑顔が印象的ですね。この写真から右の有名な絵も作られていました。比べてみてください。
写真はネットから拝借 1945年5月26日
こちらは終戦の日(1945年8月15日)の4ケ月前の写真で、見送っている特攻隊員と同年代の女子学生が持っている花が特攻花かどうかは判りませんが、悲しい別れには違いなかったと思います。
喜界島の特攻花は天人菊(テンニンギク)ですが、本土では大金鶏菊 (オオキンケイギク)が特攻花と呼ばれる地域もあるようです。

                      写真はネットから拝借 1945年4月12日
喜界島は沖縄と鹿児島の中間に位置する小さな島です。
TBさせていただいたよかにせふくちゃんの紬出張日記より
 喜界島
 亡き父と、母の故郷である。私のルーツである。
 特攻隊が出発した知覧は有名な場所となっている。
 飛び立った攻撃機は、喜界島で給油等をして沖縄へ向かった。
 幼い頃の母も、ずい分と兵隊さんたちに手を振り見送ったらしい。
 この花の束を握り締め飛び立っていったり、上空から落としていったり・・・。
 そんな事から、島では「特攻花」と読んでいたという。
 母もそれは覚えていた。

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飛行場の衛星写真です。この周りに天人菊(テンニンギク)が沢山咲いているそうです。拡大してよく見ると飛行場の海側はゴルフ場になっています。平和を感じてしまいました。


広島ピアノさんの再考・太平洋戦争。にトラックバックしています。

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