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お気に入りのボールペン [土産]


みんこさんのボールペンの記事を見て急遽、写真を撮って掲載させてもらいました。実は同じメーカーのポールペンを長く使っていたのです。比較的的最近までJALの機内販売で5本(カラフル5色)一組で売られていました。残念ながら今は売られていません。
買った時期のはっきりしとした記憶はないのですが15年よりさらに前に5本組を3回買って何本かはプレゼントしましたが半分は自分で使いました。

みんこさんが紹介している通りメーカー名はCARAN d'ACHEと書かれていました。ボールペンは古くなってくるとインクが残っていても書けなくなってしまうことがよくありますが、このボールペンは今でもきれいにかけます。やわらかい感触の書き味がとても気に入っています。金属のボディーで重量感があるのも気に入っている理由の一つです。
ボールペンの起源を枠内に転記いたしました。
ユダヤ系ハンガリー人のジャーナリストのビーロー・ラースロー(László Bíró)が世界初の近代的ボールペンを考案し、1938年にイギリスで特許を取得。1941年にドイツを逃れてアルゼンチンに移住すると同国で会社を設立し1943年に同国での特許を取得してBiromeというブランド名で販売。イギリス空軍がこのペンのライセンス品(Biro)を採用し、高い高度を飛行中の使用に際してボールペンは万年筆よりも液漏れしにくいことが知られることとなった。

異国のお祭り [リヨン]

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フランスのリヨン(LYON)に行ったときに偶然ですが、お祭りに出会いました。ここはリヨンのサン・ジャン大司教教会前の広場です。このはフールヴィエールの丘の麓にあり、ここの古い町並みは世界遺産なのです。そこでお祭りをしていました。昔の雰囲気で物を売るバザーのような感じです。丘の上の白い建物はノートル・ダム・フールヴィエール寺院! この日は朝日にあたりきれいに見えました。

別の角度からです。右端にチラリと写っている建物がサン・ジャン大司教教会です。
Googleのビューで下の写真と、ほぼ同じ角度の画像を探してみました。見つかりました。→ポチッ
ちょっとビックリの機能です。画面は360度まわせるので試してください。右上の全画面ボタンをクリックしてから、からまわすと迫力があります。お祭りは、やっていないけれども街の雰囲気は感じられるかもしれません。
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休憩所 兼 売店で沢山の人が休憩していました。


試食をどうぞ! 


これは!? 占いかな??? お祭りに参加している人たちの服装が印象的でした。


白いのはパンにクリームチーズを塗った物です。茶色の方はジャムかな? この白い方は買って食べてみました。


白い方が3っになっているのは私が1個、買ったからです。1.5ユーロ


チーズを売っているのかな?


何かを書いているのです。


羽ペンを使って手紙を書いているのかな。子供たちに教えています。


ひまそうにしている人も


いろんな楽器を売っています。


見たこともないような巨大なパン つい撮ってしまいました。


同じお店でハムも売っていたので同じくパチリ


変ったお人形を売っていました。手作りですね。


こんなものも売っていました。買う人いるのかな。
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ここの街並みを紹介します。代表的な景観です。こちらではリヨンと呼ばしていますがリオンとも呼ばれることがありますね。パリからTGVで結ばれたフランスの南東部に位置する都市で、ローヌ=アルプ地域圏の首府、ローヌ県の県庁所在地でもあります。リヨンの近郊にはリヨン市の人口を含め、165万人が住み、都市圏としてはフランス第二の規模を持ちます。
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このあたりは世界遺産の街並みです。この場所での食事は雰囲気を盛り上げます。早朝の景色なので人通りは少ないけれど夕方は大変な人通りになります。
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中央の広場でお祭りが行われていました。マイナスのボタンをクリックし続けるとリヨンの場所が判ると思います。


MOTO GUZZI製の白バイ [イタリア]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
ヨーロッパはイタリアも含めての白バイと言えばドイツ製のBMWばかりですが、イタリアのミラノでBMW以外の白バイを見つけました。それも珍しそうなバイクだったのでさっそく写真を撮りました。Polizia Stradale(交通警察)のマークが印象的です。お巡りさんも、ちょっと渋い感じの方でした。
有名なサッカー選手に似た人がいそうな感じです。怖そうにも感じますが、おばあちゃんに親切に話していました。
写真でネームプレートと見るとMOTO GUZZIの文字! このメーカの白バイは初めて見ました。と言うかこのバイクそのもの見るのがはじめてでした。
バイクは詳しくないけれどネットで見ると、どうもイタリア製らしくて、なかなか通なバイクって気がしてきました。もしかしてめずらしいバイクの写真を撮ったのでは? と思い投稿いたしました。
誰か知っている人が見てくれるといいんだけれど!
型番は850-T5 1983年~1984年モデルか1984年~1987年モデルクリックすると拡大のV型エンジンのバイクのようです。と言うことは29年~25年前の白バイということになります。この人が二十数年間愛用してきたバイクのような気がします。ネットで型番は850-T5を検索すると
 ずばり出てきます。→ポチッ 1段目の右側

別の角度からもう一枚
ヨーロッパでは白バイはいつも2台一緒に行動しています。なぜかこの白バイだけは1台なのです。このお巡りさんの雰囲気からなんとなく1人が似合っていると思いませんか。特別な人なのかもしれません。
場所はミラノのドゥオモの前です。写真のバックにドゥオモが写っています。
ネットで調べると、モト・グッツィ(Moto Guzzi )は、現存するイタリア最古のメーカーで1921年に設立された、イタリア・ロンバルディア州、コモ湖畔の村マンデッロ・デル・ラーリオに所在するオートバイメーカーで、ピアジオ社傘下だそうです。空冷縦置き90°Vツインエンジンとシャフトドライブの採用が同社のアイデンティティとなっているそうです。


ミラノの白バイで一番多いのは、この色合いのBMW製のこのバイクです。前々回の時に撮った写真も同じでした。バイクの横に、町の名前MILANOと書かれています。
クリックすると拡大

クリックするとローマのバイク色の違うのも走っていました。でもBMW製です。写真をクリックするとローマで撮った写真と同じバイクということが判ります。

学生時代の思い出の一品 [思いで]


もうすぐ新しい自転車を買って4年目になります。→ポチッ
そこで、自転車に関しての思い出の一品を紹介いたします。学生時代にクラブの後輩から送られたものです。クラブはサイクリング部でした。西暦XXXX年のことでした。その学生時代4年間の自転車の走行距離は6万kmになりました。夏休みの時など一人で走るときの一日の走行距離は平均260km程度で長いときは350kmでした。たくさんの思い出があります。それにしても寄せ書きは、もらった時よりも時代が経つと値打ちが出てくるものだと実感いたしました。

夏休みと春休みにクラブの合宿として走ったコースを紹介します。基本的にすべての合宿の待ち合わせ場所へは1人で走っていき、帰りも合宿の解散場所から一人で走って帰りますが、3年の夏だけは広島の因島で実習があって時間的な理由から列車(大阪→猪苗代湖 青森→大阪)を利用しました。ただし宝塚から因島へも自転車で行きました。
<1年生の夏> http://goo.gl/maps/qA1az 
宝塚(家)→京都→大津→敦賀→小浜→天橋立→丹後半島一周→久美浜→豊岡→和田山→福知山→宝塚(家)
<1年生の春> http://goo.gl/maps/SSV9J 
宝塚(家)→岡山→笠岡→広島→岩国→下関→行橋→平尾台→飯塚→福岡→唐津→長崎→諫早→雲仙道路→雲仙→島原道路→島原→(フェリー)→天草王橋→熊本→阿蘇→大観峰→日田→羅漢寺→下関→広島→笠岡→岡山→宝塚(家)
<2年生の夏> http://goo.gl/maps/JolKf 
宝塚(家)→敦賀→福井→高岡→白川郷→御母衣ダム→高山→朝日ダム→野麦峠→奈川温泉→白樺峠→乗鞍岳山頂→前川渡→松本→武石峠→美ヶ原→和田→小諸→松原湖→甲府→(車)→東京→静岡→名古屋→宝塚(家)
<2年生の春> http://goo.gl/maps/2ibxZ 
宝塚(家)→京都→名古屋→寝覚ノ床→諏訪湖→杖突峠→駒ヶ根→権兵衛峠→駒ヶ根→飯田→温田→新野峠→渋沢温泉→木ノ実峠→保古ノ湖→馬篭峠→保古ノ湖→名古屋→宝塚(家)
<3年生の夏> http://goo.gl/maps/0LV3f 
猪苗代湖→檜原湖→白布峠→南陽→蔵王→名取→仙台→鳴子→鬼首峠→横手→田沢湖→玉川温泉→十和田湖→八甲田山→青森
<3年生の春> http://goo.gl/maps/XXZqN 
宝塚(家)→彦根→中津川→塩尻→軽井沢→和美峠→内山峠→下仁田→塩ノ沢峠→十石峠→小海→馬越峠→信州峠→甲府→裂石→柳沢峠→青梅→静岡→宝塚(家)
<4年生の夏> http://goo.gl/maps/xX1MM 
宝塚(家)→敦賀→金沢→羽咋→七尾→糸魚川→白馬→長野→志賀高原→渋峠→新鹿沢→地蔵峠→車坂峠→青木峠→松本→乗鞍岳山頂→白樺峠→野麦峠→高山→岐阜→宝塚(家)

下の写真は乗鞍山頂を目指して松本近くの奈川渡ダムあたりの急坂道を登っているところでした。通常は体力の低い人のペースに合わせて隊列を組んで走りますが峠が近づくとフリーランとなります。自分が撮っているため自分自身が写っていないのは残念です。青いユニホームは私の次の学年までで、その後の年代からは黄色のユニホームになりました。4年生の夏の合宿でした。
クリックすると拡大

クリックすると拡大乗鞍岳山頂 3026m 学生時代に2度行きました。
乗鞍岳を下りるところの写真です。
このときのコースは次の通りでした。
宝塚→大津→敦賀→福井→金沢→羽咋→七尾→糸魚川→白馬→長野→志賀高原→渋峠→新鹿沢→地蔵峠→車坂峠→青木峠→松本→乗鞍岳→白樺峠→野麦峠→高山→岐阜→彦根→草津→宝塚 
左端に私が小さく写っています。右端の建物が2800mのところにある山小屋です。ここまでは車で登れます。この時代は舗装していない道もありました。わざわざ舗装していない方の道を登り降りしたのでした。その下りですがあまりの振動で一人の自転車のフレームが真っ二つになってしまいました。その後、その1年生の西野さんはバスと電車で帰りました。


この時の記念写真を6枚ほど掲載します。
左上から順番に長野 渋峠 車坂峠 地蔵峠 乗鞍岳山頂(剣ヶ峰) 野麦峠です。最後の1枚は乗鞍岳山頂に全員が揃う前の記念写真です。 
上で紹介の奈川渡ダムあたりの急坂道の写真もこの時に撮りました。
     

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こちらは2年生の時の乗鞍岳山頂(標高3026m)での記念写真です。


この写真は権兵衛街道です。卒業の年である4年生の春です。単独で走りましたが、3月15日でもこんなに雪が残っていました。雪崩の跡もありました。今は車が通れる道になっています。2003年には標高1162mの位置にトンネルも開通してさらに便利になりました。しかし、このときはまだ舗装すらされておららず車は通れない昔のままの道でした。有名な野麦峠もこの時代は車は通れませんでした。

クリックすると拡大権兵衛街道を登りつめると権兵衛峠(標高1522m)があります。上りだけでなく下りも大変です。
今は写真のような景観も見れないかもしれません。右の写真のように私は左側の雪の上に座って記念撮影いたしました。その写真から切り取ったのが下の写真です。


8月12日~14日の2泊3日写真は蓼科のあたりです。
走ったコースは八千穂→麦草峠→蓼科→すずらん峠→白樺湖→霧が峰(霧ケ峰)→諏訪→島々→徳本峠→上高地→安房峠→平湯峠→高山でした。


3年生の春です。写真は信州峠です。 下の写真のように南側の下り道は、雪が解けた後の泥に悪戦苦闘でした。北斜面の登り道は右の写真のようにようにアイスバーンで、こちらも大変でした。
宝塚→彦根→中津川→塩尻→軽井沢→和美峠→内山峠→下仁田→塩ノ沢峠→十石峠→小海→馬越峠→信州峠→甲府→裂石→柳沢峠→青梅→静岡→宝塚


私は信州峠の下り坂で車輪のシャフトを折ってしまいました。麓の鉄工所のおじさんに溶接でつないでもらいました。写真は修理したシャフトです。今となってはいい思い出です。


2年生の時の夏休みに行った白川郷もいいところでした。コースは下記で(甲府→東京)だけ友達の車で後は自走でした。
宝塚→敦賀→福井→高岡→白川郷→御母衣ダム→高山→朝日ダム→野麦峠→奈川温泉→白樺峠→乗鞍山頂→前川渡→松本→武石峠→美ヶ原→和田→小諸→松原湖→甲府→(車)→東京→小田原→静岡→浜松→名古屋→鈴鹿峠→大津→宝塚
東京からは、その友達と自転車で伊豆を走りました。

3年生の夏です。
猪苗代湖→檜原湖→白布峠→南陽→蔵王→名取→仙台→鳴子→鬼首峠→横手→田沢湖→玉川温泉→十和田湖→八甲田山→青森
写真は玉川温泉です。雨と霧の中で玉川温泉に着いて、この露天風呂に入りました。実は、この露天風呂は地獄めぐりのコースの中にあることが霧が晴れて判りました。霧が晴れてしばらくすると沢山の観光客の人が見て廻っていたため露天風呂から出れなくなりました。長時間の入浴になりました。
青森からは夜行列車で家に帰ったあと、家から因島まで自転車で走りましたが250kmを食事やトイレや信号待ちの時間も入れて8時間で走ったのは長距離単独走行の中では私の記録です。今のようにスピードメーターがないのですが、国道なので沢山の信号で停まらなければならないため、実際には、かなりのスピードで走ったことが想像できます。

今までに通った峠で記憶に残っている名前を掲載します。 宮城県と秋田県の県境にある鬼首峠での、むさい鬼首ばかりの記念写真です。少し洒落たつもりでした。徳本峠は上高地に入る昔の登山道にある峠です。     ( )内数値は標高です。
鬼首峠(820) 西峠(460) 野麦峠(1672) 小笠峠(419) 三本峠(239) 切詰峠(245) 大阪峠 白川峠(190) 木見峠(250) 小部峠 鈴鹿峠(357) 水越峠(517) 紀見峠(400) 竹ノ内峠 蔵王峠(550) 鍋谷峠(670) 河梨峠 和田峠(1531) 宇津ノ木峠 吉坂峠 武石峠(1830) 己斐峠 松本峠(1087) 小鳥峠(1002) 鯰峠 船坂峠 中山峠(310) 山中峠 古々山峠 武平峠(820) 吸上峠 山伏峠 風速峠 中峠 美女峠 天田峠 白樺峠(1640) 鳥尾峠 日見峠 椿峠 塩津峠 新軽岡峠 古坂峠(470) 関峠 佐夜ノ中山峠 平尾峠 万ノ峠 人形峠(583) 新小屋峠 蒲生峠 春来峠 八木谷峠 遠坂峠 鹿食峠 鳥居峠 塩尻峠(1055) 新野峠 杖突峠(1267) 十曲峠(500) 木ノ実峠(768) 馬篭峠(801) 内津峠 白布峠(1094) 船坂峠 発荷峠(631) 清滝峠 花背峠(750) 江文峠 鍵掛峠 穴虫峠(129) 大土峠 猪ノ子峠 坂井峠 浮峠 名月峠(270) 仏坂峠 逢坂峠 暮坂峠 堀越峠 野間峠 高見峠(899) 棒峠 小坂峠 荷坂峠(241) 榎峠(340) 添谷峠 長谷峠 仁科峠(900) 洞ケ峠 和美峠(984) 内山峠(1170) 塩ノ沢峠(1061) 十石峠(1356) 馬越峠(1650) 信州峠(1464) 柳沢峠(1472) 宮峠(782) 地蔵峠(1733) 車坂峠(1968) 渋峠(2172) 青木峠 笠取峠 桜峠 暗峠(455) 花折峠(591) 坂坂峠 桃観峠 比治山峠(230) はらいがため峠(580) 天王峠 夜久野峠(190) 徳本峠(2135) 水坂峠 姥神峠(1280) 権兵衛峠(1522) 河合峠(458) 麦草峠(2185) すずらん峠(175) 安房峠(1812) 平湯峠(1684) 百井峠(730) 旧花背峠(837) 御経坂峠(216) 笠峠(447) 栗尾峠 深見峠 堀越峠 地蔵峠 長峰峠(1503) 大門峠(1442) 八草峠(74) ホハレ峠(814) 冠峠(1050) 駒止峠(1135) 沼山峠(1784) 三平峠(1762) 金精峠(1843) 武石峠(1780) 評評峠 女寄峠(380) 傘松峠(1020)
地図にプロット中  http://goo.gl/maps/zlWof

あのころは西日本大学サンクリング連盟(略して西サ蓮)では各学校のサイクリング部から数百人が集まるラリーが年一回、各学校の持ち回りで行われていました。全体でも行動しますが小グループに分かれて行動もするのですが、そのメンバーで書いた寄せ書きも思い出のものとなりました。偶然ですが私が1年生の時に我々の学校が主催となりラリーが行われました。下記の写真は、その時の寄せ書きです。


その西サ蓮ラリーの小グループのメンバーでの記念写真です。いろんな学校のメンバーと一緒に走るのも楽しかったです。


西サ蓮ラリーで全体で並んでいるところの写真です。


西サ蓮ラリーでは気に入ったどうしで個別に写真を撮ることもありました。


一年間の主なイベントを思い出しながら記載しました。(公式レースは省略) 
なんと言っても夏合宿と春合宿がメインイベントです。
  新入生歓迎サイクリング        高野山サイクリング
  東京の学校との対抗戦とサイクリング  夏合宿サイクリング
  西サ蓮ラリー参加           秋の公開サイクリング
  学園祭のぜんざい模擬店        500km耐久レース
  他校との合同サイクリング       近隣地域の月例サイクリング
  伊勢神宮初詣サンクリング       春合宿サイクリング

自転車などの倉庫前          倉庫前で記念撮影

西サ蓮ラリー             西サ蓮ラリー整列

西サ蓮ラリー行進           他校との合同サイクリング

一年夏合宿 海上自衛隊舞鶴基地にて  高野山の裏道 他校と

学校前で 二年            合同ハイキング

秋の公開サイクリング         近隣地域の月例サイクリング

東京の学校との合同サイクリング    一年春合宿 島原

三年夏合宿 檜原湖にて        近隣地域の月例サイクリング

ビール・ジョッキ [土産]

写真の上のカーソルがはクリックすると拡大します。
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以前にドイツで買ってきたジョッキを紹介いたします。上はドイツで買って来たジョツキの中で一番の、お気に入りです。底には錫を巻いてあり実用的で落ち着いたデザインが気に入っています。

同じくドイツで買って来たジョッキを3っ紹介いたします。
最初は錫製です。
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次がガラス製です。このガラス製ジョッキと一番上のジョッキは飾り用ではなく実用的な食器と一緒に売っていたものです。
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別の陶器製のものです。これは主に飾り用ですね。でも家では時々使います。
なぜジョッキに蓋が付いているのかとドイツ人に聞くと「虫が中に入るの防ぐため」と答えられました。気が抜けないようにとの説も聞いたことがあります。
蓋があっても気は抜けるし、今は必要なさそうですが昔はハエが多かったのかも!屋外で飲む機会も多いし本当かも!
いづれにしても昔の話、今はレストランで蓋付きジョッキは出てきません。
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これはジョッキではありません。中国には蓋付きの湯飲みがありますがこれは冷めないようにするためだと思います。
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マレーシアのジョッキも錫製ですが蓋はありませんでした。
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