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私、生れも育ちも葛飾柴又です 帝釈天で産湯使いました 根っからの江戸っ子 姓名の儀は車寅次郎 人呼んでフーテンの寅と発します   寅さん記念館 [東京]



IMG_0893-127.jpg日曜日2013年2月24日は天気がよかったので東京都葛飾区柴又に行ってきました。葛飾柴又と言えば下記の言葉で第1作ポスター クリックすると全体を表示有名な寅さんですね。
 私、生れも育ちも葛飾柴又です
 帝釈天で産湯使いました
 根っからの江戸っ子
 姓名の儀は車寅次郎
 人呼んでフーテンの寅と発します

上の写真の左端に黄緑色のジャケットを着ている人はボランティアの「かつしか語り隊」で、柴又の名所を無償で案内してくれます。地元のためにボランティアで頑張っておられるのだと思います。各所で活躍されている方を沢山見かけました。

ここに来れば、やっぱり「寅さん記念館」です。
帝釈天を見て山本亭を抜けると、小高い丘があります。この丘の中(地中)に「寅さん記念館」があります。頂上の建物からエレベーターで降りると「寅さん記念館」です。


エレベターで降りると土産物屋さんの寅さん人形が迎えてくれます。トイレのマークも寅さんの帽子をイメージしていました。


エレベーターを使わないで丘を回り込んでも記念館に行けます。これが記念館の入口です。エレベーターの場合は奥からここに出てきます。


丘の中は吹き抜けの中庭(光庭)があります。正面のトンネルの途中の右側から記念館に入ります。トンネルをぬけると上の写真の場所です。この中庭には全ロケ地を焼き付けたタイルが日本列島の地図状に配置されています。写真から九州、四国、本州と北海道の一部が判ると思います。


入口を入ったところです。こちらでは渥美清主演の映画「男はつらいよ」の山田洋次監督をはじめ、撮影、照明、録音、メイクなどスタッフを紹介しています。監督が使った椅子やメガホンも紹介されていました。


寅さんの少年時代から放浪の末に故郷柴又へ戻るまでの物語を妹さくら(倍賞千恵子)さんのナレーションと共に可動式のジオラマでたどることが出来ました。家内は全て見ていました。


大船撮影所から移設した実際の撮影に使用した草だんご屋さんのセットがありました。


草だんご屋さんの名前は「くるま菓子舗」です。もちろんこれも撮影セットの本物です。ここで撮影された映画のおかげか、帝釈天の参道でも名物の草団子が大人気でした。


こちらが団子屋さんの店内です。ここのセットは第1作から第48作の撮影で使用されました。数々の名場面が生まれた場所なのです。


こちらが「くるま菓子舗」のダンゴを造る場所です。まさに映画の世界でした。


だんご屋さんの居間です。撮影セットとは思えないほど全体になじんでいます。


「くるま菓子舗」の撮影セットから次のエリアへは大変な人でした。


そのエリアは撮影スタジオ「朝日印刷所」です。本物の活版印刷機も置かれていました。沢山の活字も並べられており映画の世界に入り込んだような錯覚となりました。
左の椅子に座っているのは人形やエキストラではありません。見学に来られている本物のお客さんです。服装からエキストラの人かと思ってしまいました。


昭和30年代の帝釈天参道が再現されていました。「わたくし生まれも育ちも葛飾柴又」コーナーです。映画「男はつらいよ」には人情豊かな下町の情緒が必要でした。
山田洋次監督とスタッフはピッタリの場所もとめて東京近郊の候補地をロケハンで廻りましたがイメージ通りの場所が見つからずに諦めかけていた時に辿り着いたのが葛飾柴又だったそうです。


銘茶店の「井筒園茶舗」に古美術店の「永古堂」です。


酒屋の「山本酒店」に仏具の「法華堂」です。一番奥は、せんべい屋さんです。


上の3枚の写真とは反対から撮りました。一番手前は手焼せんべい屋さんです。


実は帝釈天参道はミニチュアだったのです。小さくでも精密に再現されているのには驚かされました。人間が巨人のように見えます。


最初の構図の写真の少し左側を入れると、こうなります。


上の写真の真ん中のテーブルの上の模型です。


映画のポスターも沢山紹介されていました。その中から2枚を紹介いたします。
左側が記念すべき第一作目のポスターでキャッチフレーズ「私、生れも育ちも葛飾柴又・・・・・」が書かれています。右側が第二作目のポスターです。
記念館に来られた時は、是非とも第48作までのポスターを探してみてください。


その昔、柴又に子宝に恵まれなぬ夫婦がいたそうな。これを哀れに思い召した産土の神は「汝らの篤き信仰心に愛でて、その子をさずく。かしこき男子なれば名を寅次郎と命名す。善きかな善きかな」
このような写真も沢山飾られていました。これは第14作「男はつらいよ 寅次郎子守唄」の中の一場面です。


左は第 1 作で、20年ぶりに妹のさくらに再開される場面です。「あの・・・もしかして」「うん?」「そうよ、お兄ちゃんよ」
右は第12作の場面で、絵をこころざす、りつ子と知り合う寅次郎です。


台本も置かれていました。


映画の名場面に使われた重要なアイテムです。トイレットペーパーには「さくら心配するな。おれは生きている。寅」と書かれていました。そのほかとして履歴書、診療録、祝儀袋、パスポート、旅先からの葉書が写っています。


寅さんのトレードマークのカバンや帽子なども展示されていました。


最後には全48作の歴代のマドンナ全員が見送ってくれます。ここでは登場シーンも映像(左側の出っ張り部分)で紹介されていました。男はつらいよの映画シリーズは、松竹によって1969年から1995年までに全48作がつくられました。


男はつらいよ全シリーズを紹介いたします。
作数    公開         タイトル                 マドンナ
第 1 作 1969年08月27日 男はつらいよ               光本幸子
第 2 作 1969年11月15日 続・男はつらいよ             佐藤オリエ
第 3 作 1970年01月15日 男はつらいよ フーテンの寅      新珠三千代
第 4 作 1970年02月27日 新・男はつらいよ             栗原小巻
第 5 作 1970年08月25日 男はつらいよ 望郷篇          長山藍子
第 6 作 1971年01月15日 男はつらいよ 純情篇          若尾文子
第 7 作 1971年04月28日 男はつらいよ 奮闘篇          榊原るみ
第 8 作 1971年12月29日 男はつらいよ 寅次郎恋歌       池内淳子
第 9 作 1972年08月05日 男はつらいよ 柴又慕情         吉永小百合
第10作 1972年12月29日 男はつらいよ 寅次郎夢枕       八千草薫
第11作 1973年08月04日 男はつらいよ 寅次郎忘れな草     浅丘ルリ子
第12作 1973年12月26日 男はつらいよ 私の寅さん        岸惠子
第13作 1974年08月03日 男はつらいよ 寅次郎恋やつれ    吉永小百合
第14作 1974年12月28日 男はつらいよ 寅次郎子守唄      十朱幸代
第15作 1975年08月02日 男はつらいよ 寅次郎相合い傘    浅丘ルリ子
第16作 1975年12月27日 男はつらいよ 葛飾立志篇       樫山文枝
第17作 1976年07月24日 男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け 太地喜和子
第18作 1976年12月25日 男はつらいよ 寅次郎純情詩集    京マチ子
第19作 1977年08月06日 男はつらいよ 寅次郎と殿様      真野響子
第20作 1977年12月24日 男はつらいよ 寅次郎頑張れ!     藤村志保
第21作 1978年08月05日 男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく 木の実ナナ
第22作 1978年12月27日 男はつらいよ 噂の寅次郎       大原麗子
第23作 1979年08月04日 男はつらいよ 翔んでる寅次郎    桃井かおり
第24作 1979年12月28日 男はつらいよ 寅次郎春の夢     香川京子
第25作 1980年08月02日 男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 浅丘ルリ子
第26作 1980年12月27日 男はつらいよ 寅次郎かもめ歌    伊藤蘭
第27作 1981年08月08日 男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎  松坂慶子
第28作 1981年12月28日 男はつらいよ 寅次郎紙風船     音無美紀子
第29作 1982年08月07日 男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋 いしだあゆみ
第30作 1982年12月28日 男はつらいよ 花も嵐も寅次郎    田中裕子
第31作 1983年08月06日 男はつらいよ 旅と女と寅次郎    都はるみ
第32作 1983年12月28日 男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎   竹下景子
第33作 1984年08月04日 男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎 中原理恵
第34作 1984年12月28日 男はつらいよ 寅次郎真実一路    大原麗子
第35作 1985年08月03日 男はつらいよ 寅次郎恋愛塾     樋口可南子
第36作 1985年12月28日 男はつらいよ 柴又より愛をこめて  栗原小巻
第37作 1986年12月20日 男はつらいよ 幸福の青い鳥     志穂美悦子
第38作 1987年08月05日 男はつらいよ 知床慕情        竹下景子
第39作 1987年12月26日 男はつらいよ 寅次郎物語       秋吉久美子
第40作 1988年12月24日 男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日 三田佳子
第41作 1989年08月05日 男はつらいよ 寅次郎心の旅路   竹下景子
第42作 1989年12月27日 男はつらいよ ぼくの伯父さん    檀ふみ +※
第43作 1990年12月22日 男はつらいよ 寅次郎の休日    夏木マリ +※
第44作 1991年12月23日 男はつらいよ 寅次郎の告白    吉田日出子 +※
第45作 1992年12月26日 男はつらいよ 寅次郎の青春    風吹ジュン +※
第46作 1993年12月25日 男はつらいよ 寅次郎の縁談    松坂慶子
第47作 1994年12月23日 男はつらいよ 拝啓車寅次郎様   かたせ梨乃
第48作 1995年12月23日 男はつらいよ 寅次郎紅の花    浅丘ルリ子
特別編  1997年11月22日 男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇
浅丘ルリ子
※:後藤久美子(満男のマドンナ)
渥美清さんが亡くなったのは1996年8月4日(68歳没)
初代マドンナの光本幸子さんが2013年2月22日18時10分に亡くなられました。69歳の若さでした。ご冥福をお祈りいたします。
シリーズのパターンは寅次郎が旅先や柴又で出会うマドンナに惚れてしまい、マドンナも寅次郎に対して好意を抱くが、それは多くの場合恋愛感情ではなく、最後にはマドンナの恋人が現れて寅次郎は振られてしまうのです。

ラウンジの一番人気メニューは? [機内 CY]

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成田空港の某航空会社のラウンジではいろんな料理が食べれますが、一番人気の料理と言えばズバリ! 
                        カレーライスです。
カレーライスと言うよりはビーフカレーと呼んだ方がいいかもしれません。これが出てくると皆さんが並ぶほどの人気です。カレーだけは写真を見ただけでは、簡単には美味しさの判断がつかないと思いますが、レベルの高い味です。もしかしたら写真をクリックすると美味しさを感じてもらえるかもしれません。
外国人にも人気で肉だけ選んで持っていくので困っているとの話を聞かされました。柔らかくて大きな肉が沢山入っているのが特徴です。
ただし、この料理は11時から出されるため、午前中の便の人は食べれません。この日のフライトは11時のパリ行きで搭乗口には30分前に行く必要があるため当然、お目にかかることはなかったはずですが、幸い(?)にもフライトが1時間遅れたおかげで、この人気のカレーライス(ビーフカレー)を食べることが出来ました。

本場の南翔小籠包を食べてきました。 南翔饅頭店 豫園 [豫園]



こちらが上海/豫園にある南翔饅頭店/本店の蟹みそ入り小籠包です。
小龍包では台湾の鼎泰豊が日本全国にお店を出していることが有名ですが、実は南翔饅頭店も2003年に日本の六本木ヒルズにお店を出したことで日本でも知名度が上がってきたようです。2010年には渋谷の西武にもお店をだしました。上海市内や中国全土に沢山のお店を出していますが、その本店が今回のお店なのです。
観光案内に使用されている一つの説ですが、小籠包の起源は1871年に中国の嘉定県南翔鎮の菓子屋「古猗園」の店主黄明賢が売り出した「南翔大肉饅頭」にあるといわれています。南翔大肉饅頭は好評を博したため同業者からすぐに真似されたそうです。その後、皮を薄くしするなどの工夫して「古猗園南翔小籠」を販売したそうです。それが「南翔小籠包」と呼ばれ、これが今日の「小籠包」という名称となっているそうです。世に小龍包が知られるようになったのは「古猗園」店主黄明賢の弟子である呉翔升が1900年に上海に開店した「長興樓」が1920年ごろに小籠包を売り出したところ人気を呼び上海の名物点心となってそうです。「長興樓」はのちに「南翔饅頭店」に改名しました。

旧正月前の2013年1月26日に上海の豫園(よえん)に行ってきました。豫園は正月の準備真っ最中で楽しく散策となりました。そこで長い行列が出来ているお店がありました。そこは南翔饅頭店という名の有名な小龍包(小籠包)のお店でした。建物に南翔饅頭店と書かれているのがわかると思います。


常時50人くらいの人が並んでいたと思います。この行列の先がさらに左に曲がって、さらに右に曲がって続いているのです。


その先の行列です。少し先頭が見えてきました。


ここが売場です。外売部と書かれているところで買います。


ここはガラス張りになっており沢山の人が小龍包を作っていました。


紙のパックに入れてくれます。一見して小龍包らしくないように見えます、実は底の部分が上になっており、ひっくり返って入れられているのです。無造作に入れられたために、このようになっているのかと写真を撮った時には思いましたが、後で3階でレストランで小龍包を食べてみて、この入れ方は意識的にしているのだと感じました。小龍包の底の皮は非常に薄いため破れた時にスープが出てしまわないようにとの配慮のように思えました。確かに他の人のパックを見ても同じような感じでした。このパックに16個入っています。このとき10時45分でした。


10時~11時のみに売られる普通の小龍包が16個で12元(180円)で、11時以降に売られる蟹入りが16個で20元(300円)でした。他にも皮で包まれたスープが売られていました。でも皆さんのお目当ては小龍包です。


並んで立って食べるのは大変ですね。ゆったりと食べたい方のために3階がレストランになっていました。ここでもレストランに入るために列が出来ていました。この先に右と左にレストランがありました。ここに並んでいるお客さんは右のレストランに入るために並んでいるのです。


レストランはそれぞれにランク付けされているのです。左の方がハイランクで、並んでいる人が少ないので、そちらに進みました。


こちらは右側のお店です。1900年に開店した当初の名前「長興樓(長興楼)」が使われていました。2階にもレストランのような部屋がありました。そこは1階で小龍包を買った人が食べる部屋だと思いますが、とてもテーブルをキープ出来る状況ではなかったので、ほとんどの人が外で食べるのだと思います。


こちらが我々が入った左側のお店です。名前は鼎興樓(鼎興楼)でしょうか。個室は瑞鑫樓(瑞鑫楼)のようです。
確認したわけではないけれども3け所のレストランの料理の値段は同じだと思います。実は最低食べる料理の量の違いだけのようです。我々が入ったレストラン鼎興樓の規定は1人あたり80元以上を注文することでした。個室を頼むと一人最低150元を食べる必要がありました。それから想像すると右側のレストラン長興樓は最低が設定されていないか、あるいは60元が最低に設定されているのだと思います。
こちらのレストランでも並びましたが、我々の前は3人だけだったので、すぐにテーブルにつくことが出来ました。九州の団体のお客さんがスルーで個室に入って行ったので個室の場合は予約しておけば待ち時間は無いようでした。


レストランの中を紹介いたします。小籠包屋さんとしてはきれいです。


テーブルのセッティングです。大きな取り皿とレンゲの入った椀に小皿が乗っていました。真中の小皿に乗っているのは生姜の千切りです。


店員さんが注文に来ます。注文は電子化されていました。


お茶は鳥龍茶を頼みました。


最初の小籠包が出てきました。これは海老入り豚肉小籠包です。海老の味がいきた美味しい小龍包でした。


美味しさを感じていただくために拡大いたしました。この小龍包の底の部分の皮が驚くほど薄いのです。中のスープが透き通って見えるのがわかってもらえると思います。静かに持ち上げると皮は破れることなく取ることが出来ました。蒸籠の底に工夫がされているのだと思いました。これを見て一階の小籠包は少し皮を厚くしているのだと思いました。


次に出てきたのがお店の一番人気の「蟹みそ入り小籠包」です。これはさらに美味しかったです。


スープが本当にたっぷりと入っていました。


こちらが標準的な豚肉の小籠包です。これでも十分に美味しかったです。


これは自分の小皿に生姜の千切りと黒酢をいれたものです。
小籠包は、そのまま食べても美味しいけれども、生姜の千切りが入った黒酢に、つけるのが本場の食べ方です。確かに、この食べ方は小籠包にあいました。


野菜も頼みました。これは茎の部分の食感が何ともいえない美味しい野菜でした。
追伸 2013年2月24日
ペタッキさんに野菜の名前をコメントで教えていただきました。
野菜はカイランというとそうです。調べてみるとカイランは漢字では芥藍と書き、カイランサイ(芥藍菜)とも呼ぶそうです。別名はチャイニーズブロッコリー(Chinese broccoli)あるいはチャイニーズケール(Chinese Kale)でアブラナ科の緑黄色野菜でキャベツやブロッコリーの仲間ですが結球はしないそうです。


お隣の席の食事風景です。皆さん80元にはこだわらずに結構な量を食べられていました。親子3代での食事ですね。


我々のレストランにも専用の小龍包を作る部屋がありました。すごい人数と量でした。ということはこちらの本店では少なくとも3ケ所で小龍包が作られていることになります。


2人合計で179元(2685円)で一人80元はクリヤーいたしました。日本のお店の小龍包や一階の小龍包の値段の差が気になると思いますので比較してみました。豫園店にも上海蟹みそ入りふかひれ小籠包はありましたが値段を控えるのを忘れました。 
豫園店1階の普通の小龍包一個あたり値段を基準にすると豫園店3階は7.8倍で日本の六本木店は12.1倍でした。
日本の値段は豫園店3階の2倍くらいと高いけれども豫園店1階の値段から見れば豫園店3階は日本並みの値段と言ってもいいかもしれません。
日本店(6ヶ) 豫園3階(6ヶ)豫園1階(16ヶ)
豚肉入り小籠包          819円  35元(525円)  12元(180円)
海老入り豚肉小籠包      1134円  40元(600円)    -
上海蟹肉入り小籠包      1449円  35元(525元)  20元(300円)
上海蟹みそ入り小籠包     1764円  55元(825円)    -
上海蟹みそ入りふかひれ小籠包 1974円    ?