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ユキヒョウの肉球 [旭山動物園]

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クリックすると拡大上の写真はユキヒョウの肉球です。ユキヒョウは寒いところでも歩けるように肉球以外の足の裏にまでふさふさと毛が生えています。
下の写真のように金網の上に丸まって寝ていました。いつまでも起きてこないのでネットからユキヒョウの写真(左)を拝借いたしました。
ユキヒョウ(雪豹)は、ネコ目(食肉目)ネコ科に属する哺乳動物。分類学上の位置づけは明確でなく、独立した属に分類し、学名 Uncia uncia とする考えられているそうです。中央アジアの高原や高山地帯に生息し非常に珍しい動物です。全身は灰白色の長い毛で密に覆われ、黒い斑紋や縞模様があります。雪山の過酷な環境に適応し、独自の進化を遂げたそうです。
   界 : 動物界 Animalia
   門 : 脊索動物門 Chordata
 亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
   綱 : 哺乳綱 Mammalia
   目 : ネコ目 Carnivora
   科 : ネコ科 Felidae
 亜科 : ヒョウ亜科 Pantherinae
   属 : ヒョウ属 Panthera
   種 : ユキヒョウ Panthera uncia

これは金網の下から撮ったユキヒョウです。場所は旭川の旭山動物園でした。


あざらしの赤ちゃんを見つけました。 [旭山動物園]

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北海道の旭川にある旭山動物園の「あざらし館」の中にはアザラシが通れる円筒の通路が作られており、アザラシが頻繁に下から上に通り抜けており、すごい人気でした。

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もぐもぐタイムです。屋外放飼場でアザラシについての解説や、飼育係から直接エサを食べる姿などが見られました。

もぐもぐタイムの後も屋外放飼場でアザラシさんたちが少しの間、居残っていました。
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アザラシ赤ちゃんがいるとは聞いていましたが、なかなか見つかりませんでしたが、奥の方にいるのがわかりました。


拡大してみました。


別の角度も拡大しました。

お土産はダッフィー(Duffy)クッキー [土産]



姪っ子が2013年3月2日に来てくれましたときにお土産をいただきました。それが写真の手前の方に写っているDuffyクッキーでした。
クリックすると拡大写真の中のDuffy人形とDuffy(ダッフィー)の恋人であるシェリーメイ(Shellie May) のポシェットは自分用に買われたのを、一緒に撮らせてもらったものでした。ダッフィーの足の裏の肉球がミッキーのシルエットになっていました。足の裏の写真をクリックすると拡大写真を掲載するので是非とも見てください。
ディズニーランドとディズニーシーでは、この人形が大人気で、みんなが抱えて歩いているそうです。姪っ子に「え! 知らないの」と言われてしまいました。長くディズニーランドやデッスニーシーに行ってなかったので、恥ずかしながら知りませんでした。抱えて歩いているのはミッキー人形かと思っていましたが時代が変わりました。
もともとはDuffy(ダッフィー)はミッキーが持っていた人形なのですが、それが大人気となったそうです。もちろん、この日にディズニーシーに行って買ってきたものでした。

こちらがダッフィー・クッキーです。左がダッフィーで右がシェリーメイです。ケースには販売元しかかかれておらず、製造元という表現では書かれていませんが、小さくYuchheimの文字が書かれていたので、クッキー自体は神戸の有名な洋菓子店のユーハイムが作っていると思われます。


クッキーを入れている缶がなかなかのものでした。ふたの部分は単なる印刷ではなく文字やマークやダッフィーやシェリーメイの部分は凹凸がつけられているのです。


その凹凸をわかってもらうために蓋を裏面から撮りました。これからも肉球のミッキーのシルエットがわかってもらえると思います。
この日は2人の姪っ子が来てくれて、一人からは、すでに紹介したとおり有名なパンとバターをいただきました。→ポチッ
二人ともにすばらしいお土産でした。ありがとうございました。


クリックすると拡大熊のぬいぐるみとして有名なのはドイツで1880年に初めて発売された熊のぬいぐるみで、アメリカで名づけられたテディベアです。現在、一般的に販売されている代表的なテディベアが右の写真です。
実はダッフィーは東京ディズニーシーで生まれたのです。ダッフィーが出来た経緯は次の通りです。
ミッキーが7つの海にまつわる物語を探しに長い航海に出ている間、クリックすると拡大一人になっても、 さみしくないようにと、ミニーがミッキーのために心を込めてテディベアを作ってくれたんです。そのテディベアをダッフルバッグに入っていたことからミッキーは「ダッフィー」と名前をつけ、いつもこのテディベアといっしょに、航海をしているのです。したがってテディベアは全体の総称で、ダッフィーはミニーが作ったティディーベアと言えるのだそうです。左の写真は初期のティディーベアです。

珍百景 ? [話題]



この日は水戸に行くために柏で常磐線のフレッシュひたちに乗り換えました。クリックすると拡大取手駅を少し過ぎてからの窓からの光景です。大きなカップ麺から多量の湯気が出ていました。フレッシュひたちの窓から見える、右の写真のような古い民家を撮るために、カメラを手元に置いていたので、この珍百景をとらえることが出来ました。

拡大してみると日清食品のカップヌードルでした。煙突にカップヌードルの飾り付けをするとは、すごいアイデアです。検索してみると、巷では「カップヌードル煙突」と呼ばれているようでした。珍百景ではありませんでした。煙突からから出ているのは想像するに、ボイラなどの燃焼排気を特殊な水で洗浄した排気+製造過程から発生する蒸気で、多量の水蒸気を含んだ気体だと思われます。本来、気体の水蒸気は透明ですが冷えると液体の小さな水滴(湯気)に変わるので、この日のように寒い日には沢山の湯気(白煙)がでているのです。夏の暑いときは湯気が少ないか、ほとんど見えない時もあると思います。家が近い方がおられたら、真冬の寒い朝方と真夏の暑い時間帯を比べてもらいたいと思います。
国内では煙突から白煙が多量に出るのを嫌うために、洗浄した排気をわざわざ貴重なエネルギーを使って加熱してから排気するところがほとんどです。それをしなくても済むことでも、いいアイデアなのです。


カップヌードル煙突の場所を航空写真で探してみました。拡大してみてみるとこちらの工場では別にもう一本煙突(白煙なし)があり煙突以外に2ケ所で湯気を見ることが出来ました。
  場所  日清食品 関東工場
  住所  茨城県取手市清水667
  JR線  取手駅と藤代駅の間で水戸向きで左側

カップヌードルが初めて販売されたのは1971年11月21日だそうです。
発売から3ケ月後(1972年2月)の「あさま山荘事件」で機動隊員たちがカップヌードルを食べる場面が全国に生中継されて、カップヌードルの認知度が飛躍的に高まったそうです。ちなみにカップヌードルが食事に使われた理由は気温がマイナス15℃のために普通の弁当は凍ってしまうためだそうです。カップヌードルが食べてみたくなって、家に一つだけあったカップヌードルをいただきました。


こちらがお湯を入れる前です。普通は蓋を半開きですが、今回は中を写すために大きく開きました。あまり見かけない光景だと思います。


函館の「うに丼」 [函館]

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この写真は函館で是非食べてみたかった製造直営店の雲丹丼です。函館に行って食べてきました。新鮮でした。一つ一つが完璧な雲丹が乗せられたすばらしいウニ丼でした。これ以上の説明は不要ですね。上の写真は是非ともクリックしてみてください。

クリックするのが面倒な方のために部分拡大の写真を掲載させていただきました。ウニに隠れた白いご飯もおいしそうです。


メニューの丼物のページです。読みづらい場合は写真をクリックしてみてください。
どんぶりは4種類です。こちらのお薦めはなんと言っても無添加の生うにを使ったウニ丼なので私は思い切って、うに丼にしました。
 うに丼  2625円
 イクラ丼 1680円 
 三色丼  2100円
 海鮮丼  1890円
今まで売られているウニは無添加と思っていましたが、市場に出ている殆どの『生うに』は形崩れを防ぐために明礬(ミョウバン)が使われていることを知りました。函館に来たおかげて自然のままのウニを味わうことが出来ました。
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これは、別の人が食べた三色丼です。
こちらもいろんな味が楽しめる一品だと思います。
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お店の外観です。うにの加工を行っている中村商店の直営店で函館駅前の朝市仲通にあります。隣は蟹を沢山置いているお店でした。これらのウニは函館の隣の北斗市の中村商店の本社工場で加工されているようです。クリックすると刺身メニューを表示いたします。

                       
新鮮な美味しい"うに丼"でした。お店を紹介しておきます。
 店名 うにむらかみ 函館店
 住所 北海道函館市大手町22-1
 電話 0138-26-8821
 HP  http://www.uni-murakami.com/hakodate/index.html
 加工 村上商店 北海道北斗市七重浜1-8-10


ネット上で「うにむらかみ」の動画がありましたので拝借いたします。


加工場の中村商店(赤マーク)から、うに丼が食べれる、うになかむら函館店(緑のマーク)まで6.2km、車で6分だから、無添加の美味しい雲丹丼が食べれるのだと思います。これだけの好条件のところは少ないと思います。

より大きな地図で うに丼ルート を表示

旧水海道小学校本館 [水戸]



水戸の偕楽園の近くに132年前の1881年(明治14年)に建てられた小学校の建物がありました。この小学校が建てられたのは茨城県常総市(旧 水海道市)ですが江戸時代は下総国豊田郡水海道村と言いました。 明治10年代における県下唯一の洋風建築でもあったことを考えると明治維新とともに新しい文化が浸透していったのだと思います。当時としては画期的なことだったのだと思います。
下総国豊田郡水海道村は明治から茨城県豊田郡水海道村となり1871年に茨城県豊田郡水海道駅になり1889年に茨城県豊田郡水海道町となったことから水海道駅という地名が使われた時代に建てられたことになります。

水海道市立水海道小学校から茨城県立歴史館に寄贈され1973年に移設されるときに建設当初の設計図を元に当初の姿に復元したそうです。茨城県指定文化財です。すばらしい建物なので紹介いたしました。


創設当時は、この天井に太鼓を吊し授業開始の合図などの時刻を報じたことから鼓楼と呼ばれています。
  場所  茨城県立歴史館の敷地内
  住所  茨城県水戸市緑町2-1-15
  電話  029-225-4425
  時間  9:30~17:00
  休館  月曜日(祝日の場合はその翌日)
  料金  無料
  HP   http://www.rekishikan.museum.ibk.ed.jp/mitsukaido.htm
  移設前 茨城県常総市水海道天満町2516番地1 ←1973年以前の位置


室内の撮影は禁止されているので、ここから下は頂いたパンフレットの写真で紹介いたします。一部、茨城県立歴史館のHPの写真も使わさせていただいています。こちらが展示室で沢山の資料に加えて全国的に活躍した人などを紹介していました。


当時の机や椅子やオルガンで教室を再現していました。さらに給食も再現されていました。こちらのみHPの写真を使わさせていただきました。


明治14年当時としては高価で貴重な輸入品であった板ガラスや色ガラスを使ってステンドグラスや窓ガラスが作られました。2階には上がることが出来ないのでバルコニーからの写真を紹介いたします。


この校舎を設計・建築したのは地元の宮大工で棟梁の羽田甚蔵(はだ じんぞう)氏です。左の写真が羽田甚蔵氏で、水海道の一言主神社・天満宮などの造営も行なったといわれている方です。西洋風の校舎を建てるために横浜まで見学に行ったといわれています。右の写真のように一階の梁に見られる運形の彫刻は、宮大工の技との和洋混交の建築のの特徴を示しているといえます。


1932年12月に講堂の完成を記念して東京の楽器店から同校後援会の寄付金と町の予算を合わせ1,200円で購入したピアノが実はすごい歴史的なものでした。この時はピアノの存在を知らなかったことからピアノの展示室には入らなかったのでピアノを見たい方は電話でピアノの見学が可能かどうかを確認してから行かれたらよいと思います。
このピアノは今から148年前の1865(慶応元)年にアメリカ・ニューヨーク市のスタインウェイ・アンド・サンズ(Steinway & Sons)社で製造された製造番号が11013番のピアノです。製造当時にはローズウッド木地仕上でした。
長さは203cmで、鍵盤は85鍵(白鍵:象牙製、黒鍵:黒檀製)です。このピアノ にはヘルツ式スプリング採用・ダブルエスケープメント・レペ ティションアクションという素早い連打を可能にするメカニックがあり、これは現代のピアノアクションの原形といえます。
ハーパー夫人によって1871(明治4)年に、このピアノが購入さ れて横浜に向けて送られました。日本に洋楽が導入された幕末・ 明治維新期のピアノのうちの1台で、文明開化を象徴する楽器でもあります。
これを購入した、この小学校では音楽の授業 や各種の儀式,音楽会などにこのピアノを活用してきたそうです。また同年に片野次郎平先生が音楽教育の一環として「金の鈴合唱 団」を作ったり、その後、同校が各種の音楽コンクール等におい て素晴らしい成績をあげたりしたことも、このピアノの存在によ るということだそうです。

水戸城にあった藩校 弘道館 [水戸]



江戸時代には、この橋の場所には三の丸と二の丸を結ぶ橋がありました。橋の手前が二の丸で橋のすぐ近くに大手門がありました。橋の向こう側が三の丸でした。江戸時代後期に三の丸の中に常陸国水戸藩の藩校である弘道館が作られたのです。橋の向こうに現存する弘道館(こうどうかん)を見ることが出来ます。
水戸城は本丸、二の丸、三の丸を含んだ城郭内の施設で弘道館は数少ない現存設備なのです。その弘道館を訪問いたしました。
橋の名前は大手橋ですが、なぜか橋の欄干にはひらがなで「たほてはし」と書かれていました。この橋の竣功日は左の欄干に昭和10年12月と書かれており、1935年と見た目よりは古いことがわかりました。

こちらが弘道館側から見た昔の大手門です。


こちらは二の丸側から見た昔の弘道館です。服装や人力車が走ってる風景から時期は明治と思われます。


そして、これが2013年3月7日の弘道館です。大手橋から撮りました。


こちらが弘道館の正門と弘道館を囲む塀です。弘道館は国の特別史跡に指定されており、その中でも正門と正庁と至善堂は国の重要文化財に指定されています。つまりこの正門は国の重要文化財なのです。


正門を拡大いたしました。この門には水戸藩内の改革派(天狗党)と保守派(諸生党)が争った弘道館戦争の傷跡が残っています。


それが鉄砲の痕です。扉には四角い板で穴を塞いでいるのが、鉄砲の弾が貫通した跡です。門の右の柱にも弾が食い込んだ跡が見受けられました。保守派(諸生党)が弘道館に立てこもり大手門側から改革派(天狗党)が撃った弾痕なのです。


弘道館境内に入って驚かされました。なんと正庁と至善堂は補修工事のために白い塀で囲まれていたのでした。2010年3月11日の東日本大震災により弘道館も大きな被害を受けたのですが国の重要文化財であることから補修の許可に時間がかかり最近補修工事が始まったとのことでした。


こちらが正面から見た正庁です。部分的に透明のプラスチックの壁になっていることから一部を見ることが出来ました。


瓦の被害は少なくて健在に見えました。


こちらが裏庭から見た正庁と至善堂です。正面が正庁で左の方が至善堂です。


昔の弘道館の図面です。赤枠で囲まれている部分が現存している弘道館です。天文台、③武館、⑤医学館のあたりは水戸市三の丸小学校となり、調錬場は県庁と図書館と水戸警察が建っていました。水戸市三の丸小学校はレトロナ雰囲気に作られているので必見です。多くの藩士たちが学んだ②文館のあたりは弘道館公園となっており建物は残っていませんでした。


現在の航空写真に昔の弘道館の範囲と現在の弘道館の範囲を記載いたしました。
  今の弘道館     ピンクの枠ので囲まれた範囲
  昔の弘道館     緑の枠で囲まれた範囲
  散策ルート      赤い線
  正庁          ピンクの枠の緑のマーク
  本丸&二の丸    橙色で囲まれた範囲
  現在の三の丸地名 空色の枠で囲まれた範囲 

本丸や二の丸を含めた範囲の航空写真

より大きな地図で 弘道館 を表示
震災前の正庁の写真が工事現場の壁に掲載されていたので紹介いたします。これが正庁です。正庁は学校御殿とも呼ばれる弘道館の中心的な建物です。特に正席の間は藩主が臨席して文武の試験や諸儀式が行われた重要な場所です。正庁は玄関から板廊下をへて上手の3室(正席の間、二の間、三の間)とこれに付属する湯殿・便所があり、下手には来館者の控の間である諸役会所などが置かれていました。内部は、高い天井に畳敷きの床の間や違い棚、付属院を備えた格調高い書院造です。また、屋根にも大棟に青海波文様を施すなど、御殿建築にふさわしい意匠(工夫)が凝らされています。


正庁に飾られている扁額で「游於藝」と書かれています。游於藝は論語の一節です。


こちらが上で書いている藩主も臨席する最も格式の高い「正席の間」です。


ここでは葵の紋が入った畳縁が使われています。


井戸がありました。藩校当時、この近くに御台所があり、この井戸が使われていたそうです。


こちらが孔子廟です。孔子廟には,学問の祖である孔子が祀られています。創設者徳川斉昭は,弘道館の聖域に鹿島神社と孔子廟を併設することにより,神儒一致の精神をあらわしました。
孔子廟も震災で被害を受けましたが復旧工事が完了したそうです。


孔子廟の門になる戟門はまだ補修は行われていませんでした。


八卦堂(はっれどう)も補修工事中でした。八卦堂は「弘道とは何ぞ」で始まる弘道館建学の精神を記した「弘道館記」の石碑が納めています。


学生警鐘の鐘楼は完全に倒壊しており補修は決まっているようでしたが工事は始まっていませんでした。学生警鐘は鐘楼につるされて江戸時代の後期に弘道館で学ぶ学生たちに時を告げていた青銅製の鐘いた鐘です。


これは要石歌碑で、書かれている歌は烈公の自選・自筆によるものです。碑には「行末毛富美奈太賀幣曽蜻島大和乃道存要那里家流」と書かれていました。意味は「大和の道は万古不易の大道で、日本人の実践すべきものであることを示された。」とのことです。


八卦堂の近くにも江戸時代に使われていた井戸がありました。


この碑は徳川斉昭(烈公)が天保4年(1833年)に就藩した時に領内に梅が少ないことを知り江戸屋敷の梅の実を集め水戸に送って育苗し偕楽園や弘道館、さらには領民の家々まで植えさせた由来記してあります。また、梅の花を鑑賞するばかりでなく、その実は、戦いのときの副食としても役立つので蓄えておくようにといった梅の効用についても述べてあります。碑文は烈公の自選で天保12年(1841年)に建てられたそうです。碑の名前は種梅記碑です。


弘道館の神殿として創祀された鹿島神社です。安政4年(1857年)5月9日に鹿島神宮の御分霊を遷祀したのが始まりだといわれています。その時に烈公が自ら鍛えた太刀を奉納して御神体に擬え、弘道館に魂を入れましたと伝えられています。その太刀は現在、水戸市指定重要文化財になっています。社殿は戦災にあい、しばらくは仮ででしたが1972年に伊勢神宮の別宮の一つ「風日祈宮」の旧殿一式を移築したそうです。


鹿島神社の前に立った景観です。奥に本殿があります。これは神社特有ですね。裏に回れば見ることが出来ます。


水戸の偕楽園の梅園を紹介しましたが弘道館にも沢山の梅がありました。こちらも梅の開花は限られていました。


こちらにも梅の古木がありました。こちらは臥竜梅(がりゅうばい)です。花が咲いていました。


こちらが臥竜梅の花です。


これ以外の咲いていた花を紹介いたします。こちらが実生野梅(みしょうやばい)です。


偕楽園でも沢山咲いていた早生種の八重寒紅(やえかんこう)です。


こちらの梅は白難波(しろなにわ)です。これ以外はこれから咲いていきそうです。この時(2012年3月7日)から15日後が見ごろではないかと言われていました。


黄色の服の方は市民観光ボランティア「歴史アドバイザー」の方で無料で弘道館や梅のことを案内してもらえます。私は六名木と正門の銃弾痕のことを教えてもらいました。写真は文明夫人(第9代藩主 徳川斉昭の夫人)の歌碑に関して説明されているところです。

水戸と言えば水戸黄門 [水戸]



日本三大庭園の偕楽園に梅を見るために水戸に行ってきました。水戸と言えば水戸黄門で有名な常陸国水戸藩の第2代藩主の徳川光圀(1628年7月11日~1701年1月14日 水戸光圀)です。隠居後に水戸藩領内を巡視した話などから諸国漫遊がイメージされていると考えられていますが、実際の光圀は日光、鎌倉、金沢八景、房総などしか訪れたことがなく関東地方の範囲から出た記録は無いそうです。とは言え徳川家康の孫に当たり、徳川一門の長老として将軍綱吉期には幕政にも影響力を持ったことは史実です。上の写真は水戸駅の前にある水戸黄門の像ですが、テレビカメラで撮影されている方がおられました。カメラマン以外にスタッフらしい方も2人おられました。

水戸には家の最寄駅から船橋と柏を経由していきました。柏からは特急「フレッシュひたち9号」の自由席に乗りました。こちらが「フレッシュひたち」の車内です。


常磐線沿いには古い建物が沢山ありました。古い立派な建物を、これだけまとまって見たは久しぶりでした。


水戸到着寸前の偕楽園あたりの景色です。見えている湖は千波湖です。


水戸駅に着きました。この先に改札機があります。


水戸駅前です。冒頭の写真の水戸黄門と助さんと格さんの像は水戸駅前にありました。写真の真ん中あたりに「水戸黄門 助さん 格さん」の背中側からの像が小さく見えると思います。


光圀(義公)の生誕の地が駅の近くにあるらしいので、駅の近くを探していると「水戸黄門神社 義公生誕の地」の看板を見つけました。義公というのは死後に奉る名前である諡号(しごう)です。


義公生誕の地が水戸市指定文化財であるとの説明がありました。内容は下の枠内の通りです。
水戸市指定文化財  義公生誕の地
水戸が生んだ不朽の傑人「水戸黄門光圀」(義公)は 初代水戸藩主頼房(徳川家康の第11子)の第3子で寛永 5年(1628)6月10日家老三木仁兵衛之次の邸に生ま れた。
母は谷氏(靖定夫人)といい義公の生誕を前にこの屋敷に 一粒の梅の実をまいた。義公生誕とともに芽生え、成長と ともに育ち、寛文7年(1667)義公40才の春 ここに賞花の 宴を催し「朽残る 老木の梅も 此宿のはるにふたたび あふぞ嬉しき」と詠んだ。歌に生母への思慕の情がうかがわれる。
水戸市教育委員会


光圀が三木亭で生まれた経緯は、光圀の母である久子は奥付きの老女の娘で、正式な側室ではなかった。久子は母につき従って奥に出入りするうちに頼房の寵を得て、光圀の兄である頼重を懐妊したが、久子の母はこのことに憤慨し、正式な側室であったお勝も機嫌を損ねたため、頼房は堕胎を命じた。同じく奥付老女として仕えていた三木仁兵衛之次の妻・武佐が頼房の准母である英勝院と相談し、密かに江戸の三木邸で頼重を出産したという。光圀を久子が懐妊ときも同様に堕胎の命令が出されたが、三木夫妻は主命に背いて密かに光圀を水戸の三木邸で出産させたそうです。「義公遺事による」
今は、町の中で昔の面影のものは残っていませんが、このあたり一帯が家老であった三木仁兵衛之次の屋敷であったのだと思います。とりあえず水戸黄門に関わる場所に来ることが出来ました。ちなみに水戸黄門は物語の題名でもありますが、徳川光圀が権中納言であったころの別称でもあります。

365日、にぎわう名物橋 [トルコ]


写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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何が名物かというと、橋の欄干から沢山の人が釣り糸たれていることなのです。
イスタンブールでは沢山の人たちが橋で釣りをしていることは前回トルコに来たときに聞いていました。夕方に、その橋に散歩で来てみました。確かに沢山の人が魚を釣っていました。橋の名前は金角湾の入口にかかっているガラタ(Galata)橋だそうです。丘に建つ気になる塔はガラタ塔(Galata Kulesi)です。

西に太陽が沈む時間帯でした。遠くにイスタンブール最大のスレイマニエ・モスクも見れました。そのモスクを見に行くために急いでいました。せめて日が沈む前に着きたかったのです。


魚を釣り上げたところです。小さな小魚です。


釣ってその場で売っている人も見かけました。並べられた魚を撮りました。小アジでした。拡大してみてほしいです。新鮮さが伝わってくると思います。おいしそうです。
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拡大すると釣り上げられている小アジを見つけられると思います。
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海面からはかなり高さです。船も頻繁に通るため油断していると船を釣り上げてしまうかもしれないですね。

夕日に沈むイスタンブール最大のモスク [トルコ]

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イスタンブールの観光地と言えばブルー・モスク(Sultan Ahmet Camii)に地下宮殿とトプカプ宮殿が有名です。
時間の関係でこれらを訪問することが出来ませんでしたが夕方の散歩の時に上の写真のスレイマニエ・モスクを訪れました。スュレイマニエ・ジャミィとも言われています。
モスクと言えば世界的にブルー・モスク(スルタンアフメット・ジャミイ)が有名ですがスレイマニエ・モスクはブルー・モスクより大きく、イスタンブールで最大のモスクです。この写真は魚市場から撮りました。すでに日が沈んでいます。時間は16:56でした。

この写真は魚釣りで賑わっていた橋から撮ったものです。もうすぐ日が沈む時間帯(16:04)のモスクの姿です。スレイマニエ・モスクの手前にあるモスクはリュステム・バシャ・ジャミィ(モスク)です。
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なんとか日が沈む前にモスクに着きました。ところが、このモスクの周りにはモスクに付随した学校、病院、給食所、宿泊所、商業施設、公衆浴場などの多くの付属施設があることから近くからはモスクの全景を撮る事が出来ませんでした。この時の時間は16:20でした。
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すこし角度を変えた撮ってみました。
スレイマニエ・モスクをネットで検索 してみました。456年前に完成したと記載されていました。詳細は下記の通りです。
スレイマニエ・モスク (Süleymaniye Camii) はオスマン帝国の旧都イスタンブルにあるモスク。1557年完成で、オスマン建築(トルコ建築)の最高傑作のひとつと言われる。イスタンブルの旧市街にある7つの丘のひとつの頂上に位置する。
オスマン帝国の第10代君主スレイマン1世の命により、当時の宮廷建築家頭で、トルコ史上最高の建築家と呼ばれるミマール・スィナンが設計、1550年に着工し、7年の歳月をかけて完成した。
主礼拝堂(トルコ語 : ジャーミー cami)の建物は前後59m、左右58mで、直径27.5m、頂点の高さは地上53mに達する大ドームを中心としたドーム群と4本の長いミナレットを持つ。大モスクの立ち並ぶイスタンブル旧市街の中でもひときわ大きく、丘の頂上よりやや北側の斜面に位置するため、旧市街北の金角湾方面から見て特に印象に残るモスクのひとつである。礼拝堂内部は大ドームを支える小ドームや柱の工夫によって広く明るい空間を実現しており、イズニク製タイルやステンドグラスで飾られている。



全景を撮りたい方は午前中に金角湾を挟んだ場所に行くことをお薦めします。私の場合は一番上の写真のように日が沈むころだったのでシルエットのような写真となりました。

これもモスクの付属設備の一部です。


SULEYMANIYE CAMIIと書かれた看板が門の近くの塀に取り付けてありました。書かれている数字から見て1550年に着工して1557年に完成したと書かれているのだと思います。


モスクの廻りは石畳です。このような風景を見ると歴史の深さを感じてしまいます。


モスクの入口近くには沢山のレストランなどのお店がありました。


こさらもモスクの付属設備の一部です。


スレイマニエ・モスクの空からの映像です。大きさが判ってもらえると思います。

                            大きな地図で見る
映画「オリエント急行殺人事件」の話題が出ていたのでネットからOrient-Expressの地図を拝借いたしました。


                         が表示された写真はクリックすると拡大します。

子供のころに住んでいた町 [神戸]



子供のころに住んでいた場所に行ってみました。実家から電車で20分なのですが18年ぶりの訪問でした。思い出の記憶として写真をスライドショーにして掲載いたしました。小学校4先生の時に広島の井口から引っ越してきました。住んでいたのは保久良神社の境外末社である鷺宮八幡神社の近くでした。阪急岡本駅から町を廻ってまた駅に戻ってきました。小学校から中学校まで住んでいた場所です。

通っていた神戸市立本山第一小学校も建物はすっかり変わっていました。通った阪急電車ガード下は印象に残っています。


中学校から高校2年まで住んでいた町です。

鹿島臨海鉄道 大洗鹿島線 [話題]



水戸の偕楽園や大洗に行った後、家に帰るルートを携帯で検索すると非常に稀なことですが鹿島臨海鉄道を使って鹿島神宮駅で乗り換えると水戸経由で特急を使って帰るよりも20分以上も早かったのです。これは14時18分という時間帯が偶然を生んだのだと思います。水戸経由だとフレッシュひたちの特急料金900円もかかることから、迷わず鹿島臨海鉄道を使って鹿島神宮駅で乗り換えて変えることにいたしました。成田たからは京成電鉄に乗って帰りました。

こちらの写真が大洗から鹿島神宮に乗った車両で、水戸から大洗駅に入ってきたところです。見ての通り1両の車両でした。この車両は6000形で1985年から日本車輌製造および新潟鐵工所のライセンス生産で製造された鋼製車体、両運転台式の大洗鹿島線用気動車です。開業時に6両製造され、以後1993年までに合計19両(6001 - 6019)が製造されたそうです。全長は20.5mで、トイレや冷房装置を装備し定員は120名(うち座席56名)です。日本の気動車で唯一、縦形直噴のディーゼルエンジンを搭載した車両でもあります。


今回乗った鹿島臨海鉄道は鹿島臨海工業地帯への原料および生産品の輸送のため、1969年に国鉄(現:JR)や茨城県や進出企業の出資により設立された貨物専業鉄道でした。
正式会社名は鹿島臨海鉄道株式会社(Kashima Rinkai Tetsudo Co., Ltd. 略称:KRT)で、第三セクター方式の鉄道事業を行っています。最初は北鹿島(鹿島サッカースタジアム)~奥野谷浜の間である今の鹿島臨港線で主に貨物営業をしていましたが、1984年に現在の大洗鹿島線を国鉄から鹿島臨海鉄道が引き受けたことで現在に近い形になりました。したがって現在は大洗鹿島線と鹿島臨港線の2路線を有しています。今回乗った大洗鹿島線はOarai-Kashima Lineの頭文字を取った「OKL」のシンボルマークがあります。
1969年04月01日:鹿島臨海鉄道株式会社設立。
1970年07月21日:鹿島臨港線北鹿島~ 奥野谷浜 開業(貨物専業)
1978年07月25日:鹿島港南~北鹿島~国鉄・鹿島神宮(乗入) 旅客営業開始
1983年12月01日:鹿島港南~北鹿島~国鉄・鹿島神宮(乗入) 旅客営業廃止
1984年03月22日:水戸~北鹿島を国鉄から鹿島臨海鉄道が引受決定*1
1984年09月11日:水戸~北鹿島 免許取得
1985年03月14日:水戸~北鹿島~国鉄・鹿島神宮(乗入) 営業開始 大洗鹿島線
*1 株主である茨城県の議会決議日 1984年3月22日
  鹿島臨港線 19.2km 鹿島サッカースタジアム(旧 北鹿島)~奥野谷浜
  大洗鹿島線 53.0km 鹿島サッカースタジアム(旧 北鹿島)~水戸
こちらは大洗駅の写真です。大洗駅は車両保管や整備を行う車両基地でもあります。鹿島臨海鉄道の本社もここにあるそうです。


こちらが運転席越しに見た前の景色です。鹿島神宮駅へ到着寸前で建物が沢山写ってが、大洗を出発してから鹿島神宮駅まで56分間のタイムスリップしたような景色を楽しむことが出来ます。


こちらが後側です。見ての通り車掌の方はおられません。こちらの列車は基本的にワンマンカーですが、ほとんどの駅が無人駅であることから一時的に車掌の方が乗られてきて検札と切符の販売をいたします。車掌の方がおられるときは前後のドアが開きますが、ワンマンカーになったときは運転席側のドアしか開かないので、乗られるときは社内放送に注意してください。


こちらが社内です。この時は検札と切符の販売のために車掌の方が乗られていました。ちょっとした旅行気分が味わえる雰囲気でした。我々はベンチシートの部分に座り、そのベンチシートのあたりから撮った写真です。


鹿島神宮駅でJRに乗り換えました。JRの車内から乗ってきた鹿島臨海鉄道の車両を撮ったものです。同じホームで乗り換えられる上に乗り換え時間も2分と短いため効率的です。


2両編成の車両も走っていました。これは大洗駅から水戸に向かう列車です。我々より2分後の2時20分発でした。鹿島臨海鉄道も2011年3月11日の東日本大震災により被害を受け大洗鹿島線が全線復旧したのは4ケ月後の2011年7月12日でした。


この2枚の写真はフリー百科事典のWikipedia(ウッキペディア)から拝借いたしました。今でも鹿島臨海工業地帯の貨物輸送を行っており左の写真のようなディーゼル機関車を4両所有しています。
右の写真は茨城県が所有している7000形(2両 7001,7002)で毎年6月のアヤメの開花時期や正月のように多客輸送に合わせて臨時的に運転されるそうです。
クリックすると拡大クリックすると拡大

こちらが今回のルートです。到着駅は私の最寄駅ではないのですが、仮に京成佐倉駅といたしました。クリックするとルートを表示左の上側が鹿島神宮駅経由の今回のルートで、左の下側がフレッシュひたち40号を使った水戸と柏と船橋を経由するルートです。値段も時間も今回のルートが得なことがわかってもらえると思います。
鹿島臨海鉄道→JR鹿島線→JR成田線→京成本線のルートでした。


軍鶏(しゃも)の親子丼 五鐵 夢境庵 [水戸]



すでに紹介の通り水戸の偕楽園に梅を見に行きましたが、水戸の名物をネットで検索して、家を出るときから軍鶏(しゃも)の親子丼を食べることを決めていました。同じ軍鶏親子丼を食べるのであれば軍鶏親子丼で有名な「五鐵 夢境庵」で食べることも決めていました。
軍鶏(シャモ)はタイ原産の闘鶏用、観賞用、食肉用のニワトリの一種でシャモの名は当時のタイの呼称シャムに由来するそうで、日本では闘鶏用として輸入されたため「軍鶏」の字が当てられたそうです。江戸時代初期に伝わったとされており、なんと1941年に国の天然記念物に指定されているとのことでした。
軍鶏肉の特徴は味と歯ごたえで、ここでは茨城県の名産である奥久慈シャモ(おくくじしゃも)が使われているとのことでした。シャモは闘鶏用ニワトリであるため、気性が荒く、群れで飼うのは難しい種ですが、肉・卵ともに味がよいため、闘争心を抑え、繁殖力があるよう茨城県養鶏試験場で改良を加え、できたのが奥久慈シャモだそうです。奥久慈シャモは全国特種鶏(地鶏)味の求評会で第1位に選ばれたそうです。ちなみに日本三大軍鶏は奥久慈軍鶏、薩摩軍鶏、東京軍鶏です。そして日本三大地鶏は秋田県の比内地鶏、茨城県の奥久慈しゃも(奥久慈軍鶏)、愛知県の名古屋コーチンです。一般のニワトリは飼育期間約50日で3kgほどに育つのに対して、奥久慈シャモは雄が120日で2.6kg、雌が150日で2.1kgと地鶏の中でも格段に手間ひまがかかる品種だそうです。

家の最寄駅を7時42分に乗って船橋と柏を経由して水戸に着いたのが9時49分でした。水戸について義公生誕の地(水戸黄門神社)、水戸城址、弘道館、八掛堂をゆっくりと見て五鐵夢境庵に着いたのが11時15分でした。少し早いけれども「商い中」の札が下がっていたので、さっそく入ってみました。入口の塀の裏に「山月草木悉有仏性」と書かれた石碑が建てられていました。これは漢詩で「さんせんそうもく ことごとく ぶっしょうもあり」と読み、「自然界の全てには仏性が有る。」という意味だそうです。ここに来られた時には、是非とも塀の裏に目をやってみてください。


細長い建物で通路の左側が個室になっていました。細長い通路も趣がありました。


一人でしたが、早かったおかげで一番奥の個室に案内されました。下の写真は帰るときに撮ったもので、こちらの個室で親子丼をいただきました。右の写真は隣の個室で、予約が入っているようでした。
 店名 五鐵 夢境庵
 住所 茨城県水戸市南町1-3-27
 電話 029-225-6073
 営業 11:00~14:00 17:00~22:00
 定休 11~4月 無休  5~10月 日曜
 HP  http://www.gotetsu.co.jp/


さっそく親子丼を頼みました。
「並」と「上」があるとのことなので、迷わず「上」を頼みました。「並」は990円で、「上」は1360円です。「上」と「並」の違いは、しゃも肉の量だそうです。


こちらが奥久慈軍鶏の親子丼です。さすが評判の親子丼でした。奥久慈とは茨城県久慈郡太子町のあたりの地域です。袋田の滝が近いです。


味わいを感じてもらうために、どんぶりだけの写真を紹介いたします。


さらに拡大いたしました。食べてみてもっとも印象的だったのが歯ごたえでした。ベトナムやインドで美味しい鶏肉を何度か食べていましたが、これだけ歯ごたえのある肉は初めてでした。やっぱりランチを親子丼にしたのは大正解でした。


コーヒーもついていました。早く来たおかげで個室でゆっくりとさせてもらいました。帰るころ(11時45分)には個室は満席になっていました。


地鶏の定義(日本農林規格)
日本在来種(明治までに日本に定着)の血液百分率が50%以上
生後28日以降は1㎡あたり10羽以下で平飼し、飼育期間が80日以上
農林水産省の日本農林規格(特定JAS規格)で地鶏認定

日本農林規格に適合した地鶏  着色地鶏名は日本三大地鶏
(北海道) 北海地鶏
(青森県) 青森シャモロック
(岩手県) 南部かしわ
(秋田県) 比内地鶏
(山形県) やまがた地鶏
(福島県) 川俣しゃも 会津地鶏
(新潟県) にいがた地鶏
(栃木県) 栃木しゃも
茨城県) 奥久慈しゃも やさとしゃも 筑波地鶏
(群馬県) 上州地鶏
(埼玉県) タマシャモ
(千葉県) 房総地どり
(山梨県) 甲州地どり
(岐阜県) 美濃地鶏 奥美濃古地鶏
(静岡県) 一黒シャモ 駿河シャモ
(愛知県) 名古屋種 純系名古屋コーチン
(三重県) 熊野地どり 松坂地どり 伊勢二見ヶ浦夫婦地鶏
(滋賀県) 近江しゃも
(京都府) 京地どり 地鶏丹波黒どり 京赤地どり
(大阪府) 葵之地鶏
(兵庫県) 丹波地どり 松風地どり 播州地どり 但馬地どり
(奈良県) 大和肉鶏
(和歌山県)紀州鶏
(鳥取県) 大山シャモ
(岡山県) おかやま地どり 岡山桃太郎地どり
(徳島県) 阿波尾鶏
(香川県) 讃岐コーチン 地鶏瀬戸赤どり
(愛媛県) 伊予赤どり 伊予路しゃも 媛っこ地鶏 奥伊予地鶏 道後地鶏
(高知県) 土佐はちきん地鶏 土佐ジロー
(福岡県) はかた地どり
(長崎県) つしま地どり
(熊本県) 天草大王 熊本コーチン
(大分県) 豊のしゃも
(宮崎県) 宮崎地頭鶏
(鹿児島県)さつま地鶏 さつま若しゃも

水戸の偕楽園 開花が遅れていました。 [水戸]



そろそろ梅が見ごろになっているのではないかと2013年3月7日に茨城県の水戸市にある偕楽園(かいらくえん)に行きました。偕楽園は初めての経験でした。実は一泊で水戸の近くで3月8日にゴルフをすることも兼ねて来たのでした。こちらが偕楽園の北東方向にある御成門です。
梅園が門から奥に続いているので雰囲気のある門となっていました。
水戸駅から水戸城址や弘道館などを地図を見ながら散策して歩いてきたら、こちらの御成門(おなりもん)に着きました。

偕楽園の地図で右上の門が御成門です。御成門から梅園に放射状に道がのびており梅園に入るには一番雰囲気がある気がしました。偕楽園にはいくつかの門があります。私は水戸駅から散策を兼ねて歩いてきたので偶然に御成門から入ることになりました。
地図でピンクに塗られている道は日没から21時まで梅がライアップされるところなのです。茶色に塗られたところも同時刻にライトアップされます。残念ながら夕食の時間が迫っていたのでライトアップを見ることはできませんでした。ライトアップは3月10日までの予定でしたが開花が遅れていることから3月24日まで延長されたとホームページに記載されていました。


上の地図と同じ範囲の航空写真を紹介します。写真をクリックするとオリジナルの航空写真を表示します。
クリックするとGoogle航空写真

御成門を入ってまっすぐな道がのびでいました。
梅が満開になっていることを期待してきたのですが、写真のような状況でした。


ほとんどの梅の木は、このようなつぼみの状態で、つぼみからは花弁が覗いており、もうすぐすると花が開く状態でした。



沢山の花が咲いている木もありました。不思議なことに満開にに近い木と花が咲いていない木に分かれていました。沢山の花が咲いている木は20本に1本あるいはそれよりも少ない状態でした。ただし全体で約3000本(3072本)の梅の木があるわけなので150本近い木は咲いていることになります。公式的には469本が開花して開花率は15.3%(3月6日)でした。
桜の場合はすべての木が同時に同じ率で花を咲かせるのに対して梅の場合は木によって大きく違うことから開花率の定義も違うようです。イメージ的には花が咲いている木の本数の率が開花率という印象でした。


上の梅の木の花です。この木に関しては満開に近い状態と言えました。名前は八重寒紅です。八重という名が付いた品種が多かったです。


白い花も紹介いたします。こちらで30%程度咲いているでしょうか。沢山の花を付けている方の木でした。こちらの名前は月宮殿です。


ほとんどの梅の木には名札がつけられていました。おかげで花の名前がわかりました。こちらでは新しい名札と古い名札がつけられていました。名札には高砂枝垂(高砂しだれ)とかかれていました。


梅の木は古木で、花を付けていなくてもすばらしい景観でした。これに花が満開になるとさらにすばらしい景観を見せてくれることが想像で来ました。


古い木は支柱で支えられて大切にそだてられていました。花もちらほら咲いていました。


六角形の柵に囲われている梅の木が六名木です。1934年に園内にあるすべての品種を調査・研究し、その中でも、花の形・香り・色などが特に優れているものを6品種選び、水戸の六名木としました。六名木は烈公梅(れっこうばい)、白難波(しろなにわ)、月影(つきかげ)、江南所無(こうなんしょむ)、柳川枝垂(やながわしだれ)、虎の尾(とらのお)の6種類です。
こちらの梅は虎の尾です。花はまだ先のようです。


こちらも六角形の柵に囲われています。六名木の柳川枝垂です。こちらは少し花が咲いていました。


沢山の方が来られていました。こちらでも少し赤いものが見えていました。
水戸駅近くにある弘道館の中の梅林も同じような開花状況で、そこのボランティアで説明をされている方に見ごろの時期を聞くと、あと10日~15日程度ではないかと言われていました。それからすると3月16、17日ごろと思われますが気温次第だと思います。偕楽園の梅園の最新情報を掲載されている方のブログを見つけました。これで最高の時期が判断できそうです。→ポチッ ポチッ


つぼみばかりではなく咲いていた花も紹介いたします。咲いている梅の花を探せば沢山、見つけられるはずです。




花が満開の木の前では記念写真を撮る方が沢山おられていました。


偕楽園の本来の正式な入口は、こちらの好文亭表門で、敷地の北西側に位置しています。そして表門は松材が多く使用され松煙色(黒色)となっているために「黒門」とも呼ばれています。表門から園内に入り、「一の木戸」と呼ばれる門を潜ると、偕楽園に入ります。表門は偕楽園駅や主要な駐車場から遠く離れていることから、この門から入園する観光客は少ない場所で、現在は梅林へと直接通じる「東門」が主要な出入口として利用されています。


こちらが東門です。確かに最もにぎわっている場所でした。沢山のお店に加えて沢山の屋台が出ていました。偕楽園の広さは13万㎡(4万坪)で約100種3000本のウメ(梅)が植えられており、岡山市の後楽園や金沢市の兼六園と並んで、「日本三名園」の一つに数えられいます。偕楽園は天保13年(1842年)に水戸藩第九代藩主徳川斉昭によって造園されました。斉昭は、千波湖に臨む七面山を切り開き、領内の民と偕(とも)に楽しむ場にしたいと願い、「偕楽園」をつくりました。今年は2月20日~3月31日に第117回雌の水戸の梅まつりが行われています。黄色の服の方は市民観光ボランティア「歴史アドバイザー」の方で無料で園内を案内してもらえます。弘道館にもおられて、気楽に質問が出来るので、お世話になりました。


梅林の南西方向は広い開放的な芝生のスペースになっており、松の木が植えられていました。遠くに見える建物は好文亭です。偕楽園は入園無料で、好文亭のみが有料施設ですが190円(大人)で内部に入ることが出来ます。


皆さん芝生のうえに座られてのんびりとされていました。


1999年7月に隣接する千波湖の周りの千波公園などとあわせて名称を「偕楽園公園」となり、面積は合計300万㎡であり、都市公園としてはニューヨーク市のセントラルパークに次いで世界第2位の広さで、現在は茨城県の県営公園となっています。好文亭から見た偕楽園公園です。正面に見える湖が千波湖で梅園は、こちらの写真には写っておらず左に広がってます。写真の中で、ひときわ大きな木が有名な「左近の桜」です。


トルコの陶器 [トルコ]



キャビアカラスミを買いに行ったお店は写真のような焼き物のお土産を売っていました。カラフルな模様です。モスクの内側に張られているタイルと質的には似ています。

せっかくここまで来たのだからと、この中からこのお店の中で一番有名な作家と言われたSaim Kolhanさんの作品を2点買いました。ここから下の写真はクリックするとかくだいします。


これが買った唐辛子のデザインのお皿です。
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もう一枚の魚のデザインのお皿です。
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皿の裏側です。クリックして拡大するとSaim Kolhanのサインがわかると思います。
クリックすると拡大Saim Collection (サイム コレクション)を調べた結果、ネットで「オーナーはSaim Kolhan (サイム コルハン)で、キュタフヤの多くの工房の中でも実に芸術性の高い作品を生み出している。Minyatur(細密画)は特に素晴らしい。作品のレイアウトも斬新で現代的である。個人的には、これからますますこのような個性的かつクラシカルなものを取り入れたこちらのような工房がトルコで増えてもらいたい。」と書かれていました。
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Saim Kolhanで検索するといくつか見つかりました。→ポチッ
さらに動画もいくつか見つけることが出来ました。

パリの牡蠣 [パリのレストラン]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
パリで食べてみたかったのが牡蠣(Oyster)!!
さっそく「Gillardeau 3」、「Poget 2」、「Claires No 2」の3種類を注文!
と書きましたがフランス語にも牡蠣(Huître)の銘柄も知らないのでこれ以上の説明は無理!
お皿には6個づつ3種類が乗っておりレモンで仕切っているので形の違いが判ると思います。味も微妙に違います。やっぱり、おいしですね!!!
試しに「ムール貝」も一個のみ注文してみました。やはり牡蠣がいいですね。
値段(19.6%の税金含む)は下記
  「Gillardeau 3」____16.8ユーロ / 6コ
  「Poget 2」_______17.8ユーロ / 6コ
  「Claires No 2」____15.0ユーロ / 6コ
  「ムール貝」________ 1.0ユーロ / 1コ

地元の人が行く人気のお店Le Vaudevilleです。この時も満員で30分待たされてしまいました。その間、カウンターでワインを一杯!
女性の服装もドイツやスイスとチョット違い、華やかな雰囲気!! やはりパリ!!
テーブルで食べている人はほとんどが牡蠣がスターターでスープ、サラダ、メイン、デザートとフルコースを頼んでいましたが我々は牡蠣(+ムール貝1個)とワインのみ!
お店の人は「え!日本人なのにメインデッシュは注文しないのか」て感じでした。

レストランの帰りにこんな光景に会えました。クリスマスの出し物の準備かな!
我々の泊まったのはオペラ座の近くの路地に面したワンフロアーに部屋が5つの小さなホテルです。
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追伸
念願の丸牡蠣を食べました。
土曜日の18時20分ごろ前回と同じお店に行ったところ「食事は19時からです。」と言われてしまいました。
一旦ホテルに戻って19時5分に出直してきたところ「予約されてますか? 本日は予約で席がすべて満席です。」と言われてしまいました。

予約もしないで来るなんて!!!そんな感じでしたが、結局20時30分までならばOKとなり、さっそく牡蠣を3種類注文。 たぶん、メニューの中で最も安いのが丸牡蠣ではないかと思い注文! ずばり当たり!!!!

写真の中で外側の丸っこい牡蠣がそれ!名前は「Belondines」
内側に並んでいる小ぶりの牡蠣がお店一番のお勧め「Gillardeau 3」
外側で丸牡蠣の間の長細い牡蠣が「Belon No.1」
結局、「Gillardeau 3」を追加で注文して一人15個食べてしまいました。
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牡蠣を開いてお皿に並べるのは店の外!専門の人がやっています。
良く見ると上の段に大きな蟹や海老が! これも良かったなと帰る時に気が付いても後の祭り。
  名前 Le Vaudeville
  住所 29 Rue Vivienne, Paris, France
  電話 +33 (0)1-4020-0462
  営業 12:00~15:00 19:00~24:00
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パリは寒くても屋外が人気 [パリ]



パリは1月の後半なのに、こんな2階建のオープンなバスが走っていました。驚いたことに風が当たるオープンの2階に乗られている方が5人もおられました。
日本より寒いパリで信じられない光景でした。カフェでも外が人気なのがわかる気がします。ただし今の時期のカフェでは屋外の人はほとんど見ませんでした。バスの2階は景色がいいので寒くても乗られているのかもしれません。

ビーチでシーフード料理 [ベトナム]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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この写真クリックすると拡大は船を借り切って食事を持ち込んだもの。シーフードはビーチで料理してもらいました。すべて活きた素材です。  
クリックすると拡大→
一人50円x20人乗りの海の鍾乳洞の観光船。だから借り切って1000円。もちろん料理代は別ですが70%はビール代かな!
シャコ、蟹、海老、魚をシンプルに焼くか蒸したものを胡椒の入ったライム(レモンのようなもの)で食べます。一度試してみてください。いけてますよ。

船の上からこんな景色を見ながらの食事です。 緩やかな岩礁の方は天辺まで登ることができます。別の日に登りました。
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有名な巨大シャコ                    蟹はこん棒で割って!

チャーハンや魚も頼みました。
生簀の前で記念写真
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ビーチのシーフード店の、さわやかなお姉さんと記念撮影をさせてもらいました。後ろの地面の青いものが、魚介類が入った生簀です。美味しいシーフードを選んで料理してくれました。写真をクリックすると拡大するので生簀であることがわかると思います。

船は、この3人が操作してくれました。そのうち2人は子供たちでしたが、その子供たちも楽しそうでした。


ビーチの近くのホテル(Milan Hotel) に泊まりました。
写真のような平屋の建物が沢山並んだリゾートホテル。一つの建物に6部屋があり、その建物が10棟程度ありました。
こちらのホテルでも新鮮なシーフードを食べることが出来ます。生牡蠣も食べました。
クリックすると拡大

ホテルの前は写真のビーチです。
遠くに見える岩のところで船に乗って食事をしたわけです。場所はカンボジアとの国境の町ハティエン(ベトナム側)の近くのビーチです。水のきれいさには驚かされました。
クリックすると拡大

上の写真のビーチから撮った動画です。MP4Quick Timeの動画も登録しています。


航空写真です。このあたりの海に船を出して船上でシーフード料理を食べました。航空写真上のアイコンマイナスを数回クリックすると場所がわかってくると思います。


ベトナム・カントーのリゾートホテル [ベトナム]



ここはベトナムのカントーにあるリゾートホテルです。
今回の沖縄旅行で沖縄のリゾートホテルに泊まったことで、昔、ベトナムで不思議なリゾートホテルに泊まったことを思い出しました。さっそく、記事を掲載いたしました。フランスの雰囲気のあるホテルでした。

ここは不思議な場所でした。
ベトナムの南の地域は暑いところですがなぜかホテルの廻りは涼しいのです。


ホテルは沢山の緑に囲まれていました。


普通ならばとても屋外で食事をする気にならないはずですが写真の通りです。沢山の人が泊まられていました。


大きな川のほとりで沢山の水と沢山の緑に囲まれていることが涼しい環境を作り出しているのだと思いました。


カントーの町の中心からは少し離れた場所にありました。川の向こうに見やるのがカントーの町です。


窓からの景色もきれいでした。木の窓に花が飾られたベランダはいいですね。


夕方の窓からの景色です。昔のフランスの雰囲気が残ったリゾートホテルの雰囲気を満喫いたしました。


ホテルの航空写真を紹介いたします。
 名前 Victoria Can Tho Resort
 住所 92 Cai Khe Ward, Can Tho, Vietnam
 電話 +84 (0)710-381-0111
 地図 http://goo.gl/maps/OV9T8
 HP  http://www.victoriahotels.asia/en/our-hotels-in-viet-nam/can-tho-resort


3月4日の朝食はMAISON KAYSERのパンでした。 [話題]



3月3日はLA BOUTIQUE de Joël Robuchonのパンを食べましたが、翌日の3月4日はMAISON KAYSERのパンを食べました。2013年3月3日に家内が神楽坂に行った時に評判のパン屋さんがあると聞いて写真のパンを買ってきました。美味しいフランス・エリレのバターが家にあることが頭にあったのかもしれません。お店はフランスに本店があるMAISON KAYSERです。
 店名 メゾンカイザー 神楽坂店                       
 住所 東京都新宿区箪笥町41 大崎ビル1F
 電話 03-6457-5678
 本店 8 ET 15 RUE MONGE 5E 75005 Paris
 HP  http://www.maison-kayser.com/
 日本 19店舗展開 東京中央区 高輪本店
 創設 ERIC KAYSER(パリ店創設者)
天才的なパン職人であるERIC KAYSER(エリック・カイザー)が作ったお店であるメゾンカイザーの名が世界に広がったきっかけはパリの新聞フィガロ紙でメゾンカイザーのクロワッサンが 「パリNo.1クロワッサン」に輝いたからです。
Eric Kayser氏はパン屋の4代目の息子として生まれた。数々のコンテストで優勝し、フランス国立製パン学校で10年間指導を行った後、1996年にメゾンカイザー第1店舗目をパリにオープンさせたそうです。その後フランスはもちろん、ポルトガル、モロッコ、ロシア、ウクライナ、レバノン、UAE、セネガル、コンゴ、日本、韓国、中国、シンガポール、台湾、アメリカなど多くの国に出店しました。
メゾンカイザーはパリ市内に18店ありますが 5区が本店で、ERIC KAYSERの名前も使われているようです。レシートの一番上のMAISON KAYSERのロゴはKEなのがわかってもらえると思います。韓国では店名にERIC KAYSERが使われています。

パリ5区のMAISON KAYSERERIC KAYSERの本店の場所です。

食べたパンを紹介いたします。
サヴォアヤール 見た目と違いしっとりとしていました。


クロワッサン CROISSANT これがパリ一番のクロワッサンです。


バケット モンジュ BAGUETTE MONGE 私は、これが一番気に入りました。


ブリオッシュ グランデ 形がかわいかったです。


クリックすると拡大本来、ブリオッシュ グランデは焼かないで食べるものだと思いますが、違う食感を試してみたくてを焼いて食べてみました。焼くとすごく軽い食感になりました。バターがぴったりでした。もちろんエシレの発酵バターです。
エシレの発酵バターの原料は周辺地域で24時間以内に搾乳された生乳と塩のみです。しかも作りたてを日本に空輸して来るのです。


エシレの発酵バターの工場であるエシレ酪農共同組合(Coopérative Laitière d'Échiré)をGoogle地図のストリートビューから紹介いたします。毎週、シャルル・ド・ゴール空港から航空便で日本に届けられるそうです。右の建物が酪農協同組合で、クリックするとエシレ酪農共同組合の場所を表示左の建物は近くの教会だと思います。写真をクリックするとストリートビューを表示いたします。ストリートビューを表示せて右のアイコンで360度回転させると雰囲気がわかる思います。
クリックするとエシレ酪農共同組合の場所を表示

3月3日の朝食はLA BOUTIQUEのパン と ÉCHIRÉのバター [話題]



ひな祭りの前日の2013年3月2日の夜に姪っ子(娘の従姉妹)たちが家に来てくれました。お土産として姪っ子が選んでくれたのが巷では有名なブランドのパンとバターでした。3月3日の朝食のために持ってきてくれたのでした。ただし支払いは姪っ子のお母さん(家内の妹)でした。 この日は姪っ子家族全員がそろいました。
パンは「ラ ブティック ドゥ ジェエル・ロブシェン(LA BOUTIQUE de Joël Robuchon)」というお店の丸の内店で買ってきたものだそうです。
クリックすると記事を表示右の写真のJoël Robuchonという方のお店ですがJoël Robuchon氏は日本のメディアでは「フレンチの神様」と称されている方なのです。28歳で「コンコルド・ラファエットホテル」の総料理長に就任し、1976年にフランスの国家最優秀職人章の資格を取得し、1981年には独立して史上最短でミシュラン3つ星を獲得することになるレストラン・ジャマン(Restaurant Jamin)を開店いたしました。最近は海外、とりわけ日本での活動をされており、その一つのお店のパンをお土産に持ってきていただいたのでした。
レシートはブログに掲載したいので頼んで撮らしてもらいました。パンとは思えないリッチな気分を味わえるものでした。レシートから読み取ったパンの名前は
 「ヴィエノア」
 「ブリオッシュ ブール サレ」
 「ブリオッシュ ア ラ クレーム」
 「クイニアマンポム」
 「塩キャラメルのクロワッサン」
 「クロワッサン」
 「クラフティスリーズ」のカット
 「クルミ食パン」 です。

パンが大好きな家のワンコも気になっている様子でした。油断していると美味しいパンを食べられてしまうことが何度もありました。


左がLA BOUTIQUE de Joël Robuchonのネームカードです。購入したラ・ブティックの丸の内店を紹介します。
  住所 東京都千代田区丸の内2-6-1 丸の内ブリックスクエア 1F
  電話 03-3217-2877
  営業 11:00~21:00
  HP  http://www.robuchon.jp/
右がバター専門店ÉCHIRÉ MAISON DU BEURREのネームカードです。こちらは後で紹介いたします。


それでは8種類のパンの写真を紹介いたします。
・ 塩キャラメルのクロワッサン


・ ブリオッシュ ア ラ クレーム


・ ブリオッシュ ブール サレ


・ クロワッサン


・ ヴィエノア


・ クイニアマンポム


・ クラフティスリーズ


・ クルミ食パン


バターを紹介いたします。こちらはフランス中西部、大西洋に面するポワトゥー・シャラント地方のエシレ(Échiré)という人口3,185人(2006年)ほどの小さな村で作られている発酵バターで毎週、シャルル・ド・ゴール空港から航空便で運ばれてくるバターなのです。このバターを作っているエシレ酪農共同組合(Coopérative Laitière d'Échiré)は1894年からバター作りをはじめ、フランスはもとより多くの国々の家庭、レストラン、パティスリー、ホテルなどで愛用される優れた発酵バターを、昔ながらの製法で作り続けています。2種類のバターをいただきました。有塩バター(緑 Demi-sel)と食塩不使用のバター(青 Doux)です。有塩バターの原料は生乳と塩のみで、食塩不使用のバターは生乳のみが原料なのです。生乳は周辺地域で24時間以内に搾乳されたものだけを使っているそうです。両方ともに100gが942円なので結構リッチなバターです。空輸してくるので当然かもしれません。


こちらがエシレバターです。
発酵バターはクリームを乳酸発酵させてから作るバターで、ヨーグルトのような軽い酸味があり香り高いのが特長だそうです。
遠心分離機が無かった時代、牛乳から生クリームを分離するのに2〜3日かかったため、この間に自然に生クリームが発酵して発酵バターができたからとも言われ、ヨーロッパではバターと言えば発酵バターが一般的だそうです。 現在では乳酸菌を加えて発酵させ、発酵バターを作る製法が普及しています。エシレでは、代々伝わる乳酸菌を大事に使いながら、変わらぬ味を今に伝えているそうです。


さっそくラ ブティックのクルミ食パンに有塩の方のバターをつけていただきました。確かに美味しかったです。味を比べるために無塩バーターも食べてみました。味が薄いけれどもバターの素材の味が生きていることがわかりました。


緑のマークがエシレ村の位置です。エシレは新石器時代より定住地があったと推測されており、古代の墓地からは子供と一緒に埋葬された女性が発見された。20世紀に入ってからは、町の中心部にある教会の隣からガロ=ロマン時代の神殿跡が見つかっている。
エシレ酪農共同組合(Coopérative Laitière d'Échiré)の場所にマークを入れています。+のアイコンを押し続けると詳細の場所がわかると思います。
  住所 76 place de l'Église 79410 ÉCHIRÉ
  電話 +33 (0)5-4932-8909
  Fax  +33 (0)5-4932-8900
  HP  http://www.echirelebeurredefrance.fr/
パリにあるマークはJoël Robuchonが開店したレストランRestaurant Jaminです。
  住所 32 Rue de Longchamp, 75116 Paris, France
  電話 +33 (0)1-4553-0007

より大きな地図で エシレ(Échiré) を表示
エシレ(ÉCHIRÉ)の町の航空写真を紹介します。航空写真でなく地図の場合は地図内のアイコン写真をクリックしてください。
エシレ市全体を見たい場合はこちらです。→エシレの境界を表示


クリックするとエシレ酪農共同組合の場所を表示こちらはGoogle地図のストリートビューからエシレ酪農共同組合(Coopérative Laitière d'Échiré)の写真を拝借いたしました。右の建物が酪農協同組合で、左の建物は近くの教会だと思います。写真をクリックするとストリートビューを表示いたします。ストリートビューを表示せて360度回転させると雰囲気がわかる思います。

世界遺産になった駅 [インド]


写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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世界遺産になった駅があるのをご存知ですか。それも現在も現役で使われている駅です。それが写真のムンバイの駅でインドで最も利用者の多い駅でもあります。
その駅舎の中央部分を出来る限り遠くから撮りました。地上からではこれ以上遠くから撮ることはできません。残念ながら精一杯、遠くから撮っても全景が見せられないのです。全ての建物の写真はクリックすると拡大します。

全体もすばらしいけれども細部もすばらしい建物です。中央の部分です。特にこの写真はクリックして拡大して見てもらいたい写真です。
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斜めから全景をなんとか撮りました。でも真中の部分が写っていないのが残念です。この駅は1887年~1888年にイギリスの建築家フレデリック・ウィリアム・スティーヴンスによって設計され、完成には10年かかったそうです。建物はベネチアゴシック建築様式で、壮麗で豪奢な建築物でヴィクトリア朝のゴシック・リヴァイヴァル建築とインドの伝統的建築の融合した傑作と思います。
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ここはムンバイ駅でチャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅(マラーティー語:छत्रपती शिवाजी टर्मिनस、英語:Chhatrapati Shivaji Terminus)と呼ばれています。旧名は「ヴィクトリア・ターミナス駅」(Victoria Terminus)。世界遺産には2004年に登録されました。
駅の前にもすばらしい建物がある場所でした。
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CENTRAL RAILWAY(中央鉄道)と書かれています。これがライオン門です。この写真を撮るのに時間がかかりました。人通りが多いので人の切れ目が簡単には出来ませんでした。
当然ですが現役の建物なので、他の観光施設のように入場料を取られることはありません。
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                     クリックすると拡大
上の写真を撮っている反対側が多くの人が出入りする通路になっています。表側からも出入りできますが入口が狭いので、この写真の場所から出入りしています。


中央駅だけのことはあって沢山のホームがあります。ここがすべての終点であり出発点なのです。


駅の中は沢山の人がいます。 あっ!ターバンの人がいました。長距離列車の近くでは、いろんな民族の人を見かけました。


キップ売り場です。 こちらで地元の人に入場券を買ってもらいました。ヨーロッパのように改札はないのですが、マナーとして買わせていただきました。


食べ物の値段も庶民的な価格です。3倍すると日本円なので安いもので15円で高くても45円です。紹介したマクドナルドの値段とはかなり違います。


長距離列車です。長距離列車用ホーム群と近郊列車用ホーム群は完全に分かれていました。ヨーロッパのように改札がないため、ホームには自由に入れますがキップなしが見つかると罰金を払わされるので入場券を買いました。


近郊列車が入ってきたところです。まだ動いていますが、すでにドアは開いています。手動のようであけたまま走っているのかもしれません。


近郊列車が停車して、沢山人が降りて来たところです。


女性専用車があります。これは日本の満員電車の迷惑行為防止のための女性専用車ではないようです。必ずしもイスラムの服装の人ではないので宗教的なものだけではなさそうです。インドはレストランの給仕係も女性はほとんど見ないように習慣が我々とは違うようです。男性専用車はありません。一般車両は男性も女性も両方が乗れます。


車内も見せてもらいました。こちらに注目しているのはカメラではなく東洋人(日本人や中国人)が珍しいのです。自動車に乗っていても隣の車の人は必ずと言っていいほどこちらを覗き込みます。いつも注目されてしまいます。
青い袋を持って立っている人は髭剃りを売っているようです。なぜ髭剃りかは、判りませんが、なかなかいいものみたいです。
注目は天井の扇風機の数です。それに3人掛けの椅子が2列ゆったりとおかれています。こちらはクリックすると拡大します。
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運転席の写真も撮らせてもらいました。想像を超える古さです。建物だけでなく車両も世界遺産ものです。

ムンバイの街並み [インド]


                    世界遺産となったムンバイの駅舎もすばらしいけれど、ムンバイの街の中には沢山の昔の建物が残っています。車の中から撮った景色をいくつか紹介します。この建物はムンバイ市の建物で世界遺産のチャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅と道を挟んで建っています。

これはボンベイ大学かあるいはその近くの建物です。特にこのあたりは古くて綺麗な建物が立ち並んでいました。


これもボンベイ大学の近くのオフィス街です。緑がきれいです。


通りの雰囲気が出ていると思います。


名のある建物かどうかはわかりませんが、立派な大きな建物でした。


このあたりは大きな建物が多かったです。


プライベートビーチ [バハマ]


写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
ここはホテルのプライベートビーチです。日曜日の午後6時の風景です。日曜日は人は少なかったけれど火曜日は沢山の人でにぎわっていました。すべて欧米人でハンモックやビーチチェアーに寝そべって、のんびりとリゾート気分を味わっているようでした。今回の写真のほとんどはクリックすると拡大いたします。

このプライベートビーチのビーチチェアからの景色です。一日中ここで座ってバハマビールを飲みながら寝そべっていたい気分です。ただし、こんなに遠くに観光に来て、一日中のんびりと過ごすことは日本から来た観光客の人には、なかなか出来ないかもしれませんね。私も水着持って来てないし、ビーチを散歩するだけでした。この記事の写真の多くは、その時に撮ったものです。波打ち際の黒いものは海草です。砂は珊瑚です。
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ホテルの窓からの景色です。海で泳いでいる人は見かけませんでした。ビーチから少しホテル側にあるプールで皆さん泳いでいました。目の前の島はカジノと「007 カジノ・ロワイヤル」で有名となったホテル「アトランティス・パラダイス・アイランド」のあるパラダイス島です。この前の海を港に入る大型のクルーズ船がすべて通って行きます。丁度そのタイミングには遭遇しませんでしたが入港する船は左から右に出港する船は右から左に通っていきます。
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二枚の写真を合成しました。これで港とビーチの関係が、わかってもらえると思います。つなぎ目はすぐに判ってしまいますがご勘弁を!
この船の名前はディズニーワンダー号 (Disney WONDER)といいディズーニーのキャラクターがいっぱいの有名なクルーズ船でした。煙突の白いミッキーのシルエットが印象的です。ミッキーの白いシルエットは写真をクリックするとわかると思います。
クリックすると拡大

パラダイス島の西の端です。なかなかすばらしい景色ですが、バハマは約700の数の島で構成されており、もっともっとすばらしい珊瑚礁の島が沢山あるそうです。
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ホテルの地上からのビーチの景色です。緑が沢山あります。


ビーチの前はパラダイス島です。ヨットが風景に溶け込んでいます。
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パラダイス島の西の端に灯台がありヨットもいくつか停泊していました。
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プライベートビーチに隣接するビーチでは地元の子供たちが泳いでいました。
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ビーチはホテルBritish Colonial Hilton Nassauの名前をとってBritish Colonial Beach と呼ばれています。
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バハマの場所をわかってもらうために地図を追加いたしました。フロリダ半島のマイアミから東に250km程度の位置にあります。ナッソーと書かれているところです。


今回、訪れたニュープロビデンス島です。


プライベートビーチBritish Colonial Beach を空から見ました。

                             大きな地図で見る

今度は白焼きでいただきました。 岡野川魚店 [鰻]



2013年3月5日追伸 タイトル : 今度は白焼きでいただきました。

家の近くには鰻の白焼き専門店が2軒あります。すでに紹介したように、こちらのお店では白焼きを買ってきてタラをつけて鰻丼にして食べましたが、白焼きをニンニク醤油で食べるとすごくおいしかった経験があったので昨日(2013年3月4日)は、岡野川魚店の白焼きをニンニク醤油とワサビ醤油で食べたくなって3匹ほど買ってきました。上の写真は家で表面を焼いて盛り付けた白焼きの写真です。売れきれてしまう可能性があるので13時すぎに買いに行きました。

表面をカリッと焼きたいので煙が出ることを覚悟で金網で焼きました。脂がのっており脂が落ちるごとに煙が上がりました。


焼き具合を見ながら何度が裏返しながら焼きました。こちらは皮がわです。


大きなお皿にドーンと盛り付けました。この日は一人一匹です。


右がニンニク醤油で左がワサビ醤油です。もちろんビールを飲みながら白焼きをいただきました。イクラ丼と味噌汁も用意いたしました。


ニンニク醤油を拡大いたしました。生のニンニクをおろしたものを醤油に入れただけのシンプルなものです。見た目はショウガ醤油ですが、匂いが独特です。


再び冒頭の写真に戻ります。美味しそうに見えるでしょうか。



2012年11月21日掲載 
タイトル : うなぎの白焼き専門店 岡野川魚店

この鰻丼は買ってきたうなぎを乗せたものです。ちょっと贅沢するときは評判のうなぎ屋(川ばた園 )から蒲焼を買ってきてごはんに乗せるのですが、今回はうなぎ屋さんではなく、口コミで聞いた焼き専門店から白焼きを買ってきてタレをつけて乗せました。

これが、そのお店で焼いてもらった白焼4匹です。活きたウナギをさばいてその場で焼いてくれます。人に教えられて12時10分に買いに行きました。このときも午前中に焼いたのがすべて売れきれたので5分待って欲しいと言われて目の前で焼いてくれました。その場で焼いた白焼きを持ち帰って食べるのです。
焼きたて新鮮なためか、あるいは女将の焼具合が絶妙なのか有名店からネットで取り寄せた物より美味しかったです。


お店を紹介しておきます。川魚専門店です。ネットで調べると
県道64号線の船戸大橋の佐倉側を、印旛沼沿いに竜神橋に向かって車で2分ほど行くと道路わきに見えてくるのが、創業50余年を数える川魚専門店の「岡野川魚店」。「ざっこ」(雑魚)や川海老など、今や貴重となってしまった、川魚の加工品を買うことが出来る。さらに、こちらのお店で、うれしいのが良心的なお値段で売られいてることなのです。
 店名 岡野川魚店   
 住所 佐倉市臼井台505-2
 場所 http://goo.gl/maps/JsQo4
 電話 043-487-3878(FAX)
 営業 9:00~20:00
 休日 毎週水曜日
 HP  http://okanokawauo.web.fc2.com/index.html


この仕事場で鰻を捌きます。鰻を入れている桶が沢山並んでいます。


白焼きはファン付のオーブントースターで暖めてた上で、このタレをつけてさらに焼きました。

すでに紹介した熊本県の益城町(ましき町)から送ってもらっている「ましきの米」の炊きたての御飯に乗せます。30kgの袋です。有名ではないけれど、おいしいお米です。

岡野川魚店は魚の佃煮も有名なのでワカサギの佃煮も買いました。


鰻丼以外は黒ゴマ豆腐とオカヒジキと白ナスの味噌汁でした。鰻は色が薄めですが美味しくいただきました。
別の日には岡野川魚店の白焼きとい志ばしのうなぎのたれの組み合わせをやってみました。そのタレは右の写真のように他よりも濃い目なので見た目もよくなりました。

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保久良山(ほくらさん) [神戸]



先日、関西の実家に帰った時に私の小学校から中学校時代に住んでいた町を訪れてみました。住んでいたのは阪急岡本駅の北東方向で今の地名は神戸市東灘区本山北町で、住んでいたころは北畑という地名だったと思います。そこからは保久良神社( )がある保久良山が目の前に見えました。その総氏神保久良神社の御旅所にして、境外末社の前社にし後社の境外末社である鷺宮八幡神社( )が昔住んでいた家から1分くらいところにありました。上の写真が鷺宮八幡神社とその鳥居です。
右は航空写真です。
  保久良神社の拝殿
  住宅地にある鷺宮八幡神社
  梅林
  夢ひろば
  金鳥山、ロックガーデン(風吹岩)
  横池(雄池 西)、横池(雌池 東)   
 ━━ 阪急岡本駅から保久良神社へのルート
 ━━ 保久良神社への別ルート(天上川ルート)
 ━━ 保久良神社から金鳥山へのルート
保久良神社の住所
  現在 神戸市東灘区本山北町680番地
  過去 神戸市東灘区本山町北畑680番地   より大きな地図で保久良山を表示

鷺宮八幡宮は古くより鷺宮八幡宮・鷺宮・産宮と親しまれ、大和・貞享・元禄5年(1692)の寺社改帳に記載され、熊野・古山・山・塞の神々を合祀し、北畑を中心に崇敬されているそうです。神社の屋根の上に保久良山(ほくらさん)が見えます。山の頂上近くに見える白い点が保久良神社の鳥居です。私が住んでいたのは鷺宮八幡宮の道路を挟んだ北に住んでいたので庭から鷺宮八幡宮の屋根にクリックすると拡大手が届くと思われる距離の場所でした。ちなみに通った小学校と中学校は神戸市立本山第一小学校と神戸市立中学校は本山中学校でした。右の写真は小学校の修学旅行で伊勢に行った時の記念写真です。


その白い点の付近を拡大してみました。鳥居の上の部分だけが見えていますが、私が住んでいたころは鳥居全体が見えました。手前の木が大きくなったのだと思います。保久良山の奥にも金鳥山という山が広がっています。保久良山は独立した山ではなく金鳥山への登山道の途中にある少し平らな場所(金鳥山中腹)でもあります。


せっかく、ここまで来たので保久良山に登ってみることにしました。住宅街を抜けると道が急になってきます。


これが保久良山への道で何度か折り返しながら登っていくます。


最後の折り返しが近づくと山頂の石灯龍が見えてきます。この石灯籠は文政8年(1825年)のもので、往古は、かがり火を燃やし、中世の昔より、油で千古不滅の御神火を点じつづけ、最初の灯台として『灘のひとつ火』と呼ばれ、海上の船人の目標にされたそうです。古くから、麓の北畑村の天王講の人々が、海上平安を願う祖神の意志を継承し、交替で点灯を守り続けてきたという由緒あるものだそうです。


こちらが石燈籠からの景色です。高校時代には月に1回以上登っていました。目的の場所は保久良山(189m)の奥の金鳥山(346m)の奥のロックガーデン(434m)の奥の横池でした。その頃は横池まで休まないで駆け足で登っていました。小学校や中学校の時代も金鳥山(346m)までは一気に登るので保久良神社(185m)の拝殿に寄ることはありませんでした。ただし保久良山(189m)には虫とりに、よく来たので保久良山の森の中の印象は深いです。今回は保久良神社をじっくりとみることにいたしました。


こちらが山の下の鷺宮八幡神社や住宅地から見えていた正面の鳥居です。
保久良山の標高(海抜)は189mです。鳥居の場所の標高は185mなので地元の方が健康とコミュニケーションのために、ここまで毎日、山登りをされているようです。
大きな石の鳥居なので阪神淡路大震災では倒壊して脚の部分が折れたそうです。その2本の脚は鳥居の東側の林の中に建てられています。先代の結晶を復旧し、阪神淡路大震災の鎮魂を祈り、次代に承継する記念石としているそうです。


鳥居から拝殿までまっすぐに道が伸びています。


奥に進むと拝殿が見えてきました。拝殿の裏側に本殿があります。
創立に関する詳細は不明ですが境内外に多数の磐座群が見られ古代祭祀の場であったと考えられ、境内外地より石器時代、青銅器時代、弥生時代後期の弥生式土器や石斧、石剣など種々の遺物、特に有名な物として儀礼的用途に使われたと考えられている約20cmの銅戈(重要文化財)が出土していることからも紀元前3世紀以前の非常に古い時代の創立と考えられています。祝部土器、玻璃性勾玉も発見され祭祀も行われていたようです。


拝殿から鳥居の方をみた景色です。


手水舎(ちょうずや or てみずや)で参拝者が身を浄めるために手水を使う施設で水盤舎(すいばんしゃ)とも呼ばれています。不思議なことに神社でも寺院でもあり作法も基本的に同じです。一般的な作法は枠内の通りです。
右手で柄杓を取り、手水を掬う。最初に左手を清め、柄杓を左手に持ち替えて右手を清める。もう一度右手にその柄杓を持ち替え、左の手のひらに少量の水を溜めて(柄杓に直接口をつけない)その水を口に含み、音を立てずにすすいで口を清めた後、左手で口元を隠してそっと吐き出す。そして、柄杓を両手で持ち、やや立てるように傾け、残った水が柄の部分を洗うように流す。柄杓を元の位置に静かに戻す。


拝殿です。拝殿の裏に本殿があります。
現在の社殿は阪神大震災で被災した社殿を1996年12月に修復したもので、それまでの社殿は1940年の紀元2600年を記念して、その前年の1939年に改築したものだそうです。その時に、それ以前(1766年造)の本殿を末社殿に、拝殿は絵馬堂に移設したそうです。


拝殿を別の角度から撮ったものです。


沢山のおみくじが結ばれていました。


こちらが1939年以前の本殿(1766年造)を移設した末社・祓御神社です。拝殿の右手にありました。


境内の全景です。紹介の建物以外にもいくつかの建物がありました。


境内各処に大きな岩が沢山点在していました。写真の岩は立岩(たていわ)といわれ、神様に祈るために人々が立て起こした祈願岩の一つだそうです。社務所の裏の大きな岩は神生岩(かみなりいわ)呼ばれています。神社の建物の裏の岩群を中心に境内にかけ、大きな円形状に大岩が配置されており、このように配置された岩群は磐座(いわくら)と呼ばれ磐境(いわさか)とも言われているそうです。
昔の人は大きな岩に常世(とこよ)の国より神様をお招きして、農業生産、諸業繁栄、村里安全を祈願したそうです。このように古代人が祈願した神聖な場所であることから現代では古代祭祈遺蹟地と呼ばれています。ここからは祈りに使用された「つぼ、かめ、さら」などの土器破片や「やじり、おの」の石器も多数出土しているそうです。それらは弥生式と認定されたことから紀元前200年頃より、ここで古代人が神様を祭祈していた証拠となっているそうです。


こちらが子供のころに虫取りに来た保久良神社全体を覆ってる鎮守の森です。いろんな鳥も沢山いました。ここに写っている岩群も磐座と思われます。


熱心に保久良神社の写真を撮られている方もおられました。この近くには梅林もあるので、今は見ごろになっていると思われます。


金鳥山への登山道です。ここからロックガーデン(風吹岩)や六甲山頂に登山道が続いています。


紹介の写真を大きなスライドショーで見れるようにYouTubeに登録いたしました。


上で航空写真を紹介しましたが地形図も掲載いたします。+のアイコンをクリックすると等高線がわかりやすくなると思います。

より大きな地図で 保久良山 を表示

登録有形文化財 佐倉市 [千葉]



上の地図は6軒の佐倉市登録有形文化財の場所を示したものです。ピンクの境界線で囲まれている範囲が佐倉市です。
従来、建物など有形の重要な文化財を保護するために文化財保護法や地方公共団体の条例で文化財を指定する制度があり指定されたものを指定文化財です。
しかし急激に消滅しつつある近代の建造物の保護にあたっては、重要なものを厳選する文化財指定制度のみでは不十分であり、より緩やかな規制のもとで、幅広く保護の網をかけることの必要性が議論されて文化財指定制度を補うものとして1996年に文化財保護法が改正されて創設されたのが、文化財登録制度であり、登録された物件を登録有形文化財といいます。
佐倉市指定文化財は66件ありますが、そのうち建物は「鷲神社本殿附宮殿」と「密蔵院薬師堂」と「旧但馬家住宅」の3軒だけです。それに対して佐倉市登録有形文化財は6件ですがすべて建物です。そのことからも建物の保存が目的であることが分かってもらえると思います。余談ですが、すでに紹介した伝統的な風習である「青菅のどんどれえ」も佐倉市指定の文化財でした。

それでは佐倉市が登録している有形文化財の6軒を紹介いたします。緑色の文字は佐倉市ホームページ記載内容です。
山口家 山口家住宅(新町) 袖蔵及び店蔵   
山口家は裏新町通りの北側に位置し、道路に面して東側の店蔵と、西側の袖蔵と二つの蔵が接続して並んでいます。袖蔵の創建は棟札により明治29年(1896)10月と判明し、店蔵は後の増築と考えられています。袖蔵は意匠に優れており、敷居の傾斜により自動的にしまるくぐり戸があるなど、当時の大工の創意工夫がかいま見られます。
〔2000年2月16日市登録〕 内部の見学はできません。

三谷家 三谷家住宅(弥勒町) 主屋・袖蔵・座敷屋   
三谷家は旧成田街道に面し、江戸時代からの呉服太物を扱う老舗として佐倉に唯一残っている商家です。袖蔵の創建は棟札により明治17年(1884)と判明し、主屋もその頃には建っていたと考えられます。また、座敷屋は昭和10年(1935)位頃に建てられています。いずれの建物も近代の佐倉における有力商家にふさわしく造形的に優れた建物であり、出桁造の主屋と並んで袖蔵が建つ当時の商家の構えが残されています。
〔2001年5月16日市登録〕 内部の見学はできません。

石渡家 石渡家住宅(弥勒町)  主屋及び蔵   
石渡家は旧成田街道に面した明治時代から続く商家です。主屋は「みせ」と「すまい」からなり、「みせ」は大正5年(1916)、「すまい」は明治40年(1907)に建てられたことが判明しています。蔵は明治38年(1905)以前に建てられたと推定されますが、詳しくは不明です。出桁造の「みせ」(外観は一部改装)の東西の壁を漆喰塗にするなど、佐倉の町屋の特徴が残されています。また、蔵は屋根のつうじ棟や軒先に優れた意匠が見られます。
〔2001年5月16日市登録〕 内部の見学はできません。

藤嵜家 藤嵜家住宅(大佐倉) 主屋・洋館・文庫蔵・味噌蔵・表門・米蔵・馬小屋   
藤嵜家は江戸時代には名主を務めていた旧家です。主屋は大規模な直屋(すごや)で、建築年代は明らかではありませんが、江戸時代から明治の初め頃と推定されています。また、この住宅は上層農家の屋敷構えをよく残していて、中庭を囲むように主屋と蔵や門が建てられ、優れた一群の景観を示しています。伝統的な和風の環境に近代的な洋館が点描となり、趣のある調和を生み出しています。
〔2005年7月1日市登録〕 見学はできません。
こちらも含めて3軒には説明書きの看板はありません。いずれも、高い生垣で敷地が囲まれているので、生活されているプライバシーの問題もあり敷地の中の建物を見ることはできません。ただし、この辺りは古い建物があるので周りの散策は価値があると思います。

蕨家 蕨家住宅(先崎) 長屋門  
蕨家は江戸時代に代々名主を務めていたと伝えられる旧家です。長屋門は江戸時代末期に建築され、明治期に改造されたと考えられますが、佐倉の農村部の旧観がよく残されています。また、桁行8間半、梁間2間半と長屋門としては比較的規模が大きく、丁寧な工作が施された見ごたえのある建物です。
〔2005年7月1日市登録〕 内部の見学はできません。
こちらも周りには古い建物がたくさんありました。この辺りでは長屋門も多くみることが出来ます。こちらの長屋門が最も大きかったです。

齋藤家 齋藤家住宅(太田) 主屋及び蔵  
齋藤家が所在する太田地区は根郷地域の西端に位置しています。江戸時代には太田村と呼ばれ、根郷地域においても最も早い機会に水田が開けたと考えられています。齋藤家は、太田地区の有力地主の一つで、農業の他、蚕業もおこなっていた豪農でした。 この住宅は大正末から昭和初期に建てられ、間取りは下総地方における近世以来の形式を引き継いでいますが、新しい要素(狭い土間、側回りが開放的で間仕切にガラス入り板戸を建てる)も加えられていて、近代から現代に移行する時期における農家の変化を示しています。
〔2009年2月23日市登録〕 見学はできません。
ここは同じような古い立派な建物が沢山ある地域でした。これだけすばらしい建物が沢山残っているのには驚かされました。

時々、香取市の佐原(緑マーク)や佐野市(黄マーク)と混同されることがあるので佐倉市の場所を紹介いたします。赤マークが佐倉市です。
近年ではプロ野球巨人軍元監督の長嶋茂雄さんの出身地で有名です。幕末のころは全国的に見ても蘭学が盛んな町でした。


これがトルコへの往復のフライトです。 [機内 F]


写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

トルコのキャビアを紹介いたしましたので、少し前のことですがトルコへのフライトを紹介いたします。今回は時間的に最も楽なルートにすることにしたため行きはパリ経由で帰りはフランクフルト経由となりました。

滅多にないことですが幸いにも席をアップグレートしてもらえたので最上級の席で旅行をすることが出来ましたので機内のことを紹介させてもらいます。やはり席はゆったりしていますね。これが一番の贅沢なのかもしれません。


いつもだったらビールにするところですが今回はビール以外を飲むことにいたしました。先ずは最初はシャンパーニュ(Champagne)にしました。


銘柄はと、聞かれたのでお薦めを頼むとこちらのシャンパーニュを出してもらえました。Champagne Salon 1997で単一品種(シャルドネ)で作られていることで有名なようです。これ以外にはChampagne Henriot Brut Millesime 1996も用意されていましたがSalonで統一いたしました。2021年3月23日の時点でネットでChampagne Salon 1997を検索すると、価格は122,840円/1本でした。
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シェンパーニュの肴には「フォアグラのぬた」と「烏賊和え」と「アサリ時雨煮と川雑魚山椒煮」を選びました。クリックすると料理がわかると思います。
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料理は和食の「秋たより」を選び料理に入ってからはワインに変えました。ワインもお薦めを頼むとこちらのフランスワインを選んでくれました。「Remoissenet Puligny Montrachet 1er Cru Les Garennes '98/'06/'07」という長い名前のワインでした。座付は焼松茸と法連草のお浸しでした。
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前菜は、かさね箱で出てきました。


箱を開けると沢山の料理が出てきました。クリックすると拡大するのでよく判ると思います。


メイン料理となる台の物は昆布で包まれた鱧と松茸でした。かなり厚肉の鱧でした。炊き立ての白い御飯もありましたが、松茸御飯を選択いたしました。
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クリックする拡大大吟醸もいただきました。「十四代 純米大吟醸 龍の落とし子」でした。淡麗辛口ではなく芳醇旨口でした。
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デザート(甘味)は紫芋のモンブランでした。


一旦はこれで食事は終了しますが、そこで羽毛布団をひいてくれるので映画を見ながら一眠りです。


このあとは好きな時に15種類の料理の中から好きなものを頼むことが出来ます。一眠りした後に聞かれたので、カレーライスを食べてみました。
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着陸前にも聞かれたのでニュー麺を頼みました。すると鱒と鯛と穴子の棒寿司も付けてもらったので満腹になってしまいました。


デザートを聞かれたのでアイスクリームを頼んでしまいました。


これらのメニューはこの中に入っていました。


フランクフルトから帰りのフライトの食事も紹介しておきます。やはり最初はシャンペーニュにしました。パリ便とはワインリストは違っていたためにChampagne Nicolas Feuillatte Palmes d'Or 1997を選択しました。飲まなかったもう一種類はChampagne Perrier-Jouet Brut Cuvee Belle Epoque 2000でした。


シャンペーニュの肴はトマトとモッツァレラチーズなどです。
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今回も白ワインにしました。カルフォルニアワインのClosdu Bois Chardonnay 2006です。


前菜は3種類から選ぶことが出来ました。私はキャビアを選びました。
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キャビアだけを拡大しました。これをパンにつけて食べました。実はキャビアは白い御飯に乗せて食べると美味しいですよ。
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メインデッシュは若鶏り胸肉にしました。
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赤ワインもいただきました。これはワインリストにはなかったけれど定評があるので積んでいたとのことでした。写真を見るとPomerol 2001と書かれていました。


デザートです。


到着前は鮭イクラ丼を食べました。


トルコの土産はキャビア [トルコ]

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トルコのカラスミ(唐墨)を紹介したので、今度はトルコのキャビアを紹介いたします。トルコは意外にも良いキャビアが手に入る国なのです。
早速、買いに行きました。何種類も良いキャビアを置いており、すべて量り売りでした。
このときはお店の人と長い付き合いの人に連れて行ってもらったのでお薦めを7種類ほど味見させていただきました。少しづつだけですが納得するまで何回も味見しので数千円ほど食べさせてもらったかも知れません。

7種類とも大きさも色も味も違うので驚きました。上の写真は下の写真の左下2っで、最高のもの2種類のGOLD(左)とSPECIAL(右)です。結局、この2種類のキャビアと味が最も特徴のあったCLASK GREYと言うキャビアの3種類を50グラムづつ買ってしまいました。上の写真は250グラムの入れ物です。
100グラムあたりの一般価格は下記ですがかなり安くしてもらいました。まっちゃんの商売に関係するので買値は秘密にしておきます。

前にモスクワで買って帰ったものはおいしく感じられなかったけれど今回のキャビアは味見してキャビアのイメージが変わりました。でもちょっと贅沢しすぎました。ほんとうはキャビアを買うつもりでなかったけれど味見した結果として買ってしまいました。
 GOLD       160ユーロ/100g
 SPECIAL     200ユーロ/100g
 CLASK GREY 120ユーロ/100g
 その他     約120ユーロ/100g


早速に帰国後、新米の白い炊き立てのご飯の上に乗せて食べました。GOLDの味はウニのような味わいで誰かに教えてもらいましたがおいしい食べ方です。写真はSPECIALのキャビアです。GOLDよりさらウニのような味でご飯にあいます。ご飯の粒と大きさを比べてみてください。大粒です。
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CLASK GREYは酸味がありキャビアを知っている人は違和感があるかもしれません。
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ここはCENNETと言うお店です。日本人の間では「まっちゃんのお店」と呼ばれる知る人ぞ知るお店で有名なタレントの人も訪れています。
空港では残念ながらキャビアは販売していないので、現地で買うのが一番です。


CENNETの前から撮った市場エジプシャンバザールの風景です。こんな風景になったらお店が近いですよ。

お雛さまを飾りました。 [雛祭り]

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もうすぐ3月3日のひな祭りです。我が家でも雛人形を飾りました。今までは和室でしたが、人があまり入らないので、今年はリビングあるいは玄関に飾ることにしました。寸法を測ってみると玄関の靴入れの上のスペースが、ぴったりだったので玄関にいたしました。今までリビングに飾ったことはあったのですが玄関は初めての経験でした。

こちらが、「ひな祭り」の歌でいうお内裏様(おだいりさま)です。
男雛は正式には天皇を表しているそうです。天皇に、のみ許されている立纓の冠を戴いていることからも、そのことがうかがえます。
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そして、こちらが主役のお姫様です。つまり正式には皇后にあたります。ちょっと珍しいおさげ髪のお姫様です。
飾るのは節分が終り、立春(2月4日)頃から、遅くても2月24日までに飾りつけるのが一般的なので、今回は少し遅くなってしまったようです。
ちなみに片づけは、節句が終ったらすぐに片付けた方が良いとされています。雛人形は子どもの災厄を身代わりとなって守ってくれるため、長い間身近においておかないで早くしまわなければ縁起が悪いと言われています。
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髪形を、もう少し見ていただくために斜めからも撮りました。今回の場合、ほとんどの写真はフラッシュを上向きに光らせて撮っています。いつの時代も髪はおしゃれの象徴なのかもしれません。
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後髪の形がわかる方向からも撮りました。黒い髪に露出を合わせたので全体が明るくなってしまいました。そのかわり髪の一本一本がわかると思います。
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水平から撮った写真も紹介いたします。
ひな祭りは別称「桃の節句」あるいは「雛の節句」で、正式には「上巳の節句」だそうです。節句として知られているのが5月5日の「端午の節句」に7月7日の「七夕の節句」です。あまり知られていませんが9月9日の「重陽の節句」と1月7日の「人日の節句」を加えて五節句だそうです。
でも節句と単に言うと3月3日の「桃の節句」の「ひな祭り」ですね。菱餅は用意いたしました。白酒はこれからです。
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先日、行った柴又帝釈天の大客殿に飾ってあった雛人形も紹介いたします。
さすがに立派でした。歌が出てきそうです。
   ・ あかりをつけましょ、ぼんぼりにお花をあげましょ、桃の花、
五人ばやしの笛太鼓、今日はたのしいひな祭り
   ・ お内裏様と おひな様、 二人ならんですまし顔、
お嫁にいらした ねえさまに、よく似た官女の白い顔
   ・ 金のびょうぶに うつる灯を、かすかにゆする春の風、
すこし白酒めされたか、赤いお顔の右大臣
   ・ 着物をきかえて帯しめて、今日はわたしも、はれ姿、
春のやよいの、このよき日、なによりうれしい、ひな祭り
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