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マカロンで出来た誕生日ケーキ Ispahan [話題]


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2013年4月14日は姪っ子の誕生日でした。誕生日会で娘が買ってきてくれたのがピエール・エルメ・パリ(PIERRE HERME PARIS)で買ってきてくれたケーキでした。ピエール・エルメ・パリのスイートで有名なのがマカロン(MACARON)です。そのマカロンが使われたケーキでした。今回、掲載したケーキの写真は全てクリックすると拡大するように設定しましたので是非とも拡大写真を見てください。

クリックすると拡大右の写真の普通のマカロンは、固く泡立てたメレンゲに砂糖、アーモンドプードル(パウダー)等を加えて混ぜて焼き上げた柔らかな2枚の生地にクリームやジャム、ガナッシュをはさんだパリ風マカロン(マカロン・パリジャン、macaron parisien)のことを指し、正式には柔らかいマカロンという意味のマカロン・ムー(macaron mou)と言われています。もともとはマカロンは16世紀にイタリアのカトリーヌ・ド・メディシスがフランス国王アンリ2世のもとに嫁ぐ時に、多くの料理人と菓子職人を引き連れて来て、その菓子職人によって、現在の元となったマカロンがイタリアからフランスに持ち込まれたそうです。イタリアではアマレッティと呼ばれていました。ただしフランス・ロワール地方のコルムリーの修道院では791年から現在までマカロンが作られていたそうです。現在のパリ風マカロンになったのは1930年にパリにあるラデュレという菓子店のピエール・デフォンテーヌが2枚の マカロンにジャムやクリームをサンドして売り出したのがはじまりだそうです。

クリックすると拡大新鮮なラズベリー(フランス語ではフランボワーズ)がたっぷりと使われているのを感じてもらうために横からの写真も掲載いたしました。誕生日祝い用の細いローソクももらってきたのですが、マカロンにローソクを立てるのはお薦めしないとのお店の人の話だったのでローソクは使いませんでした。ケーキーの上には真っ赤なバラの花弁が飾られているセンスの高いケーキでした。ケーキの名前はイスパハン(Ispahan)です。ピエール・エルメの代表作品でもあるようです。そしてイスパハンはバラの一品種の名前であるとともに、見事な庭園がある古都(古代ペルシア)の名称でもあるそうです。
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マカロン・ローズに挟まれたラズベリーを拡大いたしました。クリックするとさらに拡大いたします。お店ではフランス語のフランボワーズの名が使われているラズベリーの新鮮さが伝わってくると思います。
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ケーキの上に乗っていたバラの花びらも掲載いたします。小さな水滴のアクセントが印象的な傷一つない新鮮な花びらが使われていました。3枚の食用バラの花びらは娘と姪っ子たちが食べました。ピエール・エルメ・パリのマカロンを食べた方は、このケーキのすごさがわかってもらえると思います。お洒落な美味しいスイートでした。
お店の名前にもなっているピエール・エルメ(Pierre Hermé)はフランスの「パティスリー界のピカソ」といわれている人物であり、自らの名前を使用したPIERRE HERMÉ PARISというパティスリーショップを展開しています。彼はパリ風マカロンの発祥の菓子店であるラデュレの副社長にもなったことがあります。
その日本店でもあるピエール・エルメ・パリ・青山(PIERRE HERME PARIS Aoyama)はピエール・エルメの日本初の路面店として、2005年2月にオープンたお店です。ホテル内には1998年にニューオータニにオープンさせています。
  住所 東京都渋谷区神宮前5-51-8 ラ・ポルト青山1F・2F
  電話 03-5485-7766
  営業 1F 11:00~20:00  2Fカフェ 12:00~20:00
  定休 不定休
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娘と姪っ子たちで記念撮影です。今回は私と娘と家内と姪っ子と姪っ子の妹さんと姪っ子のお母さんの6人だったので、さっそく6等分に切りました。ラズベリーは周囲だけではなくて中にも沢山入っていました。さらに沢山のライチも入っていました。そしてローズ風味の生クリームが使われていました。フランボワーズ(ラズベリー)とライチとローズの味と香りが楽しめるケーキでもありました。
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これがマカロン・ローズです。マカロンの食感が伝わったでしょうか。
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クリックするとバックのHP下の写真がケーキを入れて帰った紙バックです。実は穴(リーフホール)の開いたクリックするとWikipediaデザインがピエール・エルメのデザインの特徴で左のようなバルバラリール(Barbara Rihl)デザインの革製のオリジナルバックも売られています。
スイーツ界の巨匠であるピエール・エルメ氏の写真も紹介しておきます。
アルザス・コルマールのパン屋の4代目として1961年11月20日に生まれ、現在、51歳です。

嵩山門(すうざんもん) [鎌倉]



鎌倉の記事をいくつか掲載していましたが中断していたので、残った記事を最近の記事の合間に入れさせていただきます。鎌倉の建長寺は開放的で観光客や参拝者はいろんな場所に入れるのですが、神聖な修行の場所だけは入ることが出来ません。
それが嵩山門(すうざんもん)の奥のエリアです。

右の写真のように門の左側に「これより奥は坐禅修行道場につき拝観おことわりします。」の看板が立てられていました。外人の観光客も多いためか英語でも「KEEP OUT!」と書かれていました。
下の写真が正面からの嵩山門です。修行の場にふさわしい入口の門構えです。


門の上の「嵩山」の文字が印象的でした。右の柱には「本派専門道場」と書かれており左には「四部録提唱」と書かれていました。四部録を調べてみると信心銘、証道歌、十牛図、坐禅儀のようですが、もう少し調べてみる必要がありそうです。


これが門の場所から見た奥の道です。


中に入れないとなると、奥がどのようになっているのか気になります。航空写真で紹介いたします。大きな建物がいくつもありました。写真の左上端に嵩山門があります。


建長寺の唐門 [鎌倉]



唐門建長寺の中で一際、輝いていたのが上の写真の唐門でした。実は一年半近くをかけて補修が行われ、昨年に完成(2011年5月30日 落慶法要)したばかりだったのです。右はネットから拝借した補修前の唐門の写真ですが、補修により建立時の唐門を、ほぼ再現できたそうです。
建長寺の唐門は、もとは1626年(寛永3年)から1628年の間に建立された東京の芝増上寺の徳川秀忠夫人崇源院御霊屋正殿(現在、仏殿)前の中門と考えられるとのことです。1647年(正保四年)に移築されて、現在は方丈(龍宝殿)の正面にあります。勅使門ともいわれています。

唐門の補修中の写真をGoogleのストリートビューから拝借いたしました。
Googleの撮影者が建長寺境内に入ってきたようで境内のいろんな場所を見ることが出来ます。非常に鮮明な映像です。
補修中のGoogleのストリート・ビューの画像です。→ポチッ
補修中の唐門

少し離れたところから見ると唐門と龍王殿がバランスのよい姿を見せてくれます。この写真を撮った位置は、龍王殿や塀や植え込みから補修中の写真を撮った場所に近いことが分かってもらえると思います。


門の飾りを拡大いたしました。


さらに拡大いたしました。


こちらが龍王殿側から見た唐門の内側です。正面の柱の間は4.1mで、前の丸い柱は42cmで後ろの角柱は36cmの堂々とした作りです。花紋や唐草の彫り物や漆塗りも再現されたようです。


こちらが方丈(龍宝殿)です。他の建物と違い、落ち着いた風情を見せてくれているような気がします。


龍宝殿の回廊の正面部分です。


これが龍宝殿の内部です。人がいるときは撮影を遠慮するようにとのことです。今回のように行事が行われていないときは自由に撮ることが出来ます。


龍宝殿の裏側は日本庭園になっており、休憩のための椅子が置かれています。そこに座ってゆっくりと景色を楽しむことが出来ます。


角度が変わると日本庭園も違った風情を見せてくれます。


龍宝殿の回廊は文字通り一周できます。最初の入口近くの回廊です。


タグ:鎌倉 建長寺

茅葺の鐘楼 [鎌倉]



樹齢750年のビャクシンを紹介した鎌倉の建長寺にはもう一つ趣のあるものがありました。それが写真の茅葺(かやぶき)の鐘楼(しょうろう)です。建長寺の境内には沢山の建物゛ありますが茅葺なのは、この鐘楼だけでした。

これだけの風情を見せる建長寺の鐘楼に関する記述はほとんどないのにも驚きました。そこに吊るされている今から757年前に造られた国宝の梵鐘が有名なために、鐘楼にに関する記述が少ないのではないかと思いました。鐘楼は新しいものかもしれませんが国宝の梵鐘にひけをとらない風情がありました。


それは周りの景色に溶け込んでいました。奥に見える禅道場の門である嵩山門です。これより奥は座禅修業道場で一般の拝観が出来ない神聖な場所で門の右側には「本派専門道場」と書かれていました。建長寺の正式名称は「巨福山 建長興国禅寺」で、臨済宗建長寺派の大本山です。
この写真をクリックすると、この場所のストリート・ビューを表示します。


その嵩山門から見た景色です。三門と鐘楼の素晴らしい景観だと思いませんか。


梵鐘に関する説明書きです。1255年(建長7年)に関東の鋳物師の筆頭であった物部重光によって鋳造されたものです。 


国宝の梵鐘の姿も紹介いたします。総高208.8cm、口径124.3cm、重さ2.7トンで、平安時代の作風を踏襲しているそうです。建長寺創建当時の貴重な遺品です。建長寺の梵鐘は関東一美しい梵鐘とされており、音色が人の泣き声に似ているということから「夜泣き鐘」とも呼ばれています。


建長寺は伽藍配置 [鎌倉]



2012年5月22日から中国に来ています。今回の中国の記事を本格的に掲載出来るのは帰国(5月29日)後になると思いますので、鎌倉の記事の掲載を続けさせていただきます。今回、紹介の建長寺は中国と縁の深いお寺でした。
上の写真は建長寺の入口にあたる総門です。ここを入ったところで拝観料(300円)を払って中に入ります。すでに建長寺の鐘楼の記事の中で紹介しましたが建長寺は759年前の1253年(建長5年)に鎌倉幕府第5代執権北条時頼によって、わが国最初の禅寺として創建されました。初代住職(開山)は宋からの渡来僧・蘭渓道隆でした。建長寺の正式名は「巨福山 建長興国禅寺」です。総門に山号である巨福山(こふくさん)の文字が書かれていました。

日本の伽藍配置は6世紀(西暦500年代)に始ったようで、鎌倉時代(12~14世紀)に禅宗の伝来によって整然とした伽藍配置が行われ、総門を入ると三門(山門)・仏殿・法堂(はっとう)が一直線に建つ伽藍配置が現れたそうです。まさに、その時代のように総門・三門・仏殿・法堂・方丈が一直線に並ぶ伽藍配置は素晴らしかったです。境内が「建長寺境内」として国の史跡に指定されていることが納得できました。鎌倉五山の第一位でもあるそうです。
これでも創建時に比べると規模が小さくなったと書かれてしました。創建当時の沢山の建物があった建長寺を見てみたいものです。


総門ごしに見た三門です。 建長寺の最初の総門は1275年(建治元年)頃に建てられたと考えられています。
1609年(慶長14年)に再興された総門は1923年(大正12年)の関東大震災で倒壊してしまいます。現在の総門は、1783年(天明3年)に建立されたとされている京都の般舟三昧院の門を1940年(昭和15年)に移築された建物だそうです。


総門をくぐったところの景色です。この日は本当に快晴ですばらしい景色でした。


こちらが三門です。一般的に山門に相当するのが、この三門と呼ばれている三解脱門です。三解脱門(さんげだつもん)とは、涅槃(悟り)に至るために通過しなければならない三つの関門(空・無作・無相)のことだそうです。楼上には、釈迦如来・五百羅漢・十六羅漢が安置され、その下を通ると心が清浄になるといわれています。
クリックすると記事を表示現在の三門は、江戸時代の1775年(安永4年)に二百一世万拙碩誼(ばんせつせきぎ)によって再建されたものだそうです。古狸が再建の勧進に活躍したことから「狸の三門」と呼ばれている国の重要文化財の門です。三門の横には、すでに紹介した茅葺の鐘楼がありました。


三門の奥に仏殿があります。建長寺創建当初の仏殿は、左右に土地堂(つちどう)と祖師堂を従えたものだったそうです。現在の仏殿は365年前の1647年(正保4年)に芝増上寺の徳川二代将軍秀忠夫人(崇源院)の御霊屋が移築されたものだそうです。崇源院は、織田信長の妹お市の方と浅井長政との間に生まれ、姉は豊臣秀吉の側室となった淀の方です。娘には豊臣秀頼に嫁いだ千姫がいます。千姫の養女は東慶寺二十世の天秀尼です。仏殿の他、方丈の正門であった唐門(勅使門)と西来庵の中門も崇源院の御霊屋にあったものが移築されています。建長寺の建物は全国の有名な場所から建物が移設されているのに驚きました。


仏殿の本尊は地蔵菩薩坐像です。1253年(建長5年)の吾妻鏡には、「丈六の地蔵菩薩をもって中尊となし、同像千體を安置す。」と記されています。現在安置されている地蔵像は室町期の作と考えられています。
本尊の他、土地堂に祀られていたと考えられる伽藍神像、千体地蔵、伝心平地蔵なども安置されています。
禅寺の本尊が地蔵菩薩というのは珍しい野ですが建長寺の建てられた場所は地獄谷と呼ばれ、もともとは、地蔵菩薩を本尊とする心平寺が建てられていた。その跡地に建てたことから、地蔵菩薩を本尊としたといわれているます。建長寺を調べていると気楽に訪れやすい感じがあると書かれていました。確かに写真撮影は催しなどの時以外は自由なのです。鎌倉の他の神社やお寺では撮影禁止の表示がありましたが、こちらではないのが、その表れなのかもしれません。


仏殿の奥には法堂(右側の建物)があり仏殿越しに見る景色は伽藍の雰囲気を伝えてくれます。遠くに唐門と龍王殿が見えます。法堂(はっとう)は、法を説くための堂のことだそうです。
当初の法堂は1275年(建治元年)に建長寺開基で五代執権の北条時頼十三回忌のときに創建されたそうです。 現在の法堂は1814年(文化11年)に再建(上棟)されたもので、関東一の大きさだそうです。
鎌倉の現存する法堂は建長寺だけだそうです。


左の建物が法堂 右の建物が仏殿です。


法堂の本尊は大悲閣にあったとされる千手観音像が祀られています。本尊の前にある釈迦苦行像は釈迦が極限の苦行・禁欲(断食)をしている姿を現しているそうです。ガンダーラ文明の遺産で、パキスタンのラホール中央博物館に安置されている像のレプリカで、2005年の愛知万博に陳列された後、パキスタン国より建長寺に寄贈されたそうです。


こちらが重要文化財の唐門(からもん)です。非常にきれいだと思ったら以前から補修されていて一年前に修理が終わって2011年5月30日に落慶法要が営まれました。
唐門は関しては別途掲載させてもらうつもりですので説明は省略いたします。


唐門側から総門方向を見た伽藍の景色です。驚いたことにGoogleのストリート・ビューで建長寺の境内を見ることが出来ることがわかりました。→ ポチッ
ストリート・ビューは唐門の補修工事の期間中に撮られたことがポチッをクリックして画面内で唐門に近づくとわかると思います。