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鎌倉大仏 [鎌倉]



初めて鎌倉を訪問した時に行きたい場所の一つが鎌倉大仏ではないでしょうか。
私も初めて鎌倉を訪れましたが、やっぱり鎌倉大仏を訪問いたしました。修学旅行生が沢山来られている時期でした。

私がはじめてだったのだから、まだ鎌倉を訪れていない人も沢山おられると思うので、いろんな角度の鎌倉大仏の写真を紹介いたします。鎌倉大仏は神奈川県鎌倉市長谷(はせ)にある浄土宗の高徳院(こうとくいん)の本尊である阿弥陀如来像(国宝)です。鎌倉大仏は「長谷の大仏」とも呼ばれる鎌倉を代表する銅製の大仏です。像高約11.39mで、台座を含めた高さ13.35mです。重量は地震対策を行った時にジャッキアップして計測した結果、約121トもあることがわかりました。
体部に比して頭部のプロポーションが大きい点などが鎌倉期に流行した「宋風」の仏像の特色を示しており、鎌倉時代を代表する仏教彫刻として国宝に指定されています。また、後世の補修が甚大な奈良・東大寺の大仏と比べ、ほぼ造像当初の姿を保っている点が特徴でもあります。


本像の金属組成の平均含有比率は銅68.7%、鉛19.6%、錫9.3%となっており銅が比較的少なく、鉛の含有量が多いことが特徴で本像の鋳造に際しては宋から輸入された中国銭が使用されたと推定されています。


鎌倉大仏の創建に関しては諸説があり、正式には不明となっていますが、それらの中で建長4年(1252年)から造立が開始された大仏が、現存する鎌倉大仏であるとするのが可能性の高い定説だそうです。
鎌倉大仏は、奈良の大仏のように、元来は大仏殿のなかに安置されていましたが大仏殿は地震と津波と大風(1335年)で何度か倒壊し、何度か再建されたと推定されていますが、こちらも正確な年代や倒壊理由は、判っていません。しかしながら、少なくとも応安2年(1369年)の倒壊以後に大仏殿が再建された形跡は見つかっていないことから643年間、露坐(屋外にむき出し)であったようです。そのために表面が腐食して現在の色合いになったようです。


これが創建当初大仏像を収めていた大仏殿(堂宇)を支えていた60基の礎石の一つです。現在、境内に56基の礎石が残されているそうです。いずれも神奈川県小田原市の根府川産の輝石安山岩だそうです。礎石に彫られている排水のためのカーブを描いた溝が印象的でした。上に乗っかる柱の底部が腐らないようにするための工夫だと思います。


こちらが大仏の後ろ姿です。よく見ると背中に窓らしきものがあります。


初めて鎌倉大仏に訪れる方のために見どころの一つ紹介します。実は大仏は内部が空洞になって人が入れるのです。


こちらが内部に入るための入口です。入るために小銭を用意しておいてください。
料金は一人20円で、名前は「胎内拝観料(Entrance Fee)」となっていました。時間は8時から16時半なので見たい方はこの時間帯を覚えておいてください。


大仏の鋳造は体部が7段、頭部は前面が5段、背面が6段に分けて行われましたが、像の内外に残る痕跡から、その鋳造方法を見ることが出来ます。写真は真上方向を撮ったもので穴の部分が首でその上の空間が頭の部分です。茶色っぽい色に見えるところは補強を行ったさいに塗布された繊維強化プラスチックです。


高徳院の正式名は「大異山 高徳院 清浄泉寺」です。
境内一帯が「鎌倉大仏殿跡」の名称で国の史跡に指定されておりIMG_6816-146.jpg鎌倉大仏以外では、目立って大きな建造物はありませんでした。入口の仁王門が一番の建物のような気がしました。開基(創立者)や開山(初代住職)はともに不詳なのです。そんな境内の中に下の写真の李氏王朝の月宮殿を1924年に移築した「観月堂」があります。
観月堂の内部には江戸幕府2代将軍の徳川秀忠が所持していたとされる聖観音像を安置しており、鎌倉三十三所観音霊場の第23番札所の本尊になっています。
それ以外で境内の見どころとしては右の写真の与謝野晶子の歌碑があります。歌碑には「かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな」の歌が刻まれています。つまり与謝野晶子が鎌倉大仏のことを「美男におはす 」と評した歌なのです。


こちらが高徳院の入口にある仁王門です。仁王門自体は江戸時代の作といわれています。1700年代の初頭に他の場所から移されてきたものと考えられており、安置されている吽形像と阿形像の仁王像も同時期のもの考えられています。仁王像に関しては2011年10月より調査・修復事業を実施しており別の場所に写されていることから約2年間は見ることが出来ません。


仁王像の門をくぐって拝観料を払って受付を通ったところに手水舎がありましました。ここから鎌倉大仏の頭の部分が見えてきます。


高徳院の入口の道路脇には5基の碑がありました。少なくとも3基は庚申塔でした。庚申供養塔の文字が読み取れました。


周りの駐車場は整備されており、歩いて2~3分の距離の駐車場にバスを置くことが出来ました。


タグ:日本 鎌倉 大仏

海をはさんで富士山が見えるはずでした。 [鎌倉]



すでに紹介した鎌倉には右のチャーターバスで行きました。そこで鎌倉からの帰りに海の向こうに富士山が見える景色が見たいと運転手さんに頼むと三浦半島の葉山に行ってくれました。残念ながら霞んでいて富士山を見ることが出来ませんでした。
正面の島が江の島です。空気が澄んでいたら江の島の少し左側に富士山が見えるのです。

富士山がどのような大きさで見えるのかが気になったので、同じような場所からの写真をネットで探しました。左が拝借した写真です。江ノ島と比べて大きく見えるのに驚きました。益々、見たくなりました。下の地図の紫のマークが葉山マリーナで、紫のラインが富士山の方向です。この場所から富士山までの直線距離は76.52kmです。紫のラインをクリックすると距離が表示されます。
緑のラインは稲村ガ崎から富士山を見た方向です。
kazu-kun2626さんの稲村ガ崎の夕景冨士トラックバックしています。
他のマークは、すでに紹介した場所でマークをクリックすると、名前を表示します。

沢山のヨットが集まっていました。ヨットの練習をしているのかもしれません。


ここは漁港でもありました。沢山の漁船を見ることが出来ました。鎌倉での午前中から3時ごろまでは散策の時は快晴で空気も澄んでいたのですが、帰るころは霞んでしまいました。


航空写真で葉山マリーナと漁港を見てみました。大きなチャーターバスですが9人だったのでゆったりと座ることが出来ました。


kazu-kun2626さんの稲村ケ崎からのダイヤモンド富士 不発にトラックバックしています。