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ミュシャ展に行ってきました。 [東京]



六本木ヒルズで2013年3月9日からおこなわれていたミュシャ展(Mucha展)も5月19日で終了するとのことから、急遽ミュシャ展に行ってみることにいたしました。そのきっかけは、偶然にもNHKの番組「日曜美術館」で2013年4月7日に放送されたアルフォンス・ミュシャを見たからでした。番組のタイトルは「パリをとりこにした女神の微笑み」でした。

ミュシャ展の場所は六本木ヒルズ・森タワー52階の森アーツセンターギャラリーでした。ミュシャ財団が秘蔵するコレクションの中から選りすぐりの240点の作品が展示されていました。私は、今回のような絵画の展示会には来たことがないので、比べられないのですが、作品点数や内容から充実していたと感じました。
沢山の方、特に女性の方が多く見に来られていました。展示会場内は写真撮影は禁止されているためにパンフレットやカタログから紹介いたします。
六本木ヒルズの雰囲気を味わってもらうために52階からの景色とシンボルオブジェ「巨大クモ・ママン」を紹介します。どちらの写真もクリックすると拡大します。
 名称 ミュシャ展 パリの夢 モラヴィアの祈り
             あなたが知らない本当のミュシャ
 場所 六本木ヒルズ・森タワー52階 森アーツセンターギャラリー
 住所 東京都港区六本木6-10-1
 電話 03-5777-8600
 期間 2013年3月9日(土)~5月19日(日)
 時間 10:00~20:00
 料金 大人1500円 大学生1200円 中高生800円 小学生以下無料
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左がアルフォンス・ミュシャ(Alfons Mucha フルネーム:Alfons Maria Mucha)の1907年ごろに描かれた47歳ごろの自画像です。正式名は「パレットを持った自画像」でアメリカに滞在していた1904年~1910年の作品ということになります。右側が入場券です。
クリックすると拡大アルフォンス・マリア・ミュシャ(Alfons Maria Mucha)は1860年7月24日にオーストリア帝国領モラヴィア(現代のチェコ)のイヴァンチツェで生まれて、78歳の1939年7月14日に亡くなりました。
19世紀末のパリに斬新なデザインでポスターに革命をもたらした。そのミュシャの伝説は、一枚のポスターから始まりました。ある時、ミュシャは、ひょんなことから、当時のフランスを代表する女優サラ・ベルナールの舞台公演のポスターを制作することになりました。それまでは全く無名の挿絵画家に過ぎなかったミュシャでした。
しかしそのポスターは、貼り出されるや、パリ中の話題をさらい公演は大成功で、一夜にして、ミュシャは時代の寵児(ちょうじ)と呼ばれるようになりました。


パンフレットの表紙に使われていた2枚の絵です。パリでの衝撃のデビューから10年、ミュシャはすべての名声を捨ててパリを去り、アメリカ(1904年~1910年)、そして祖国チェコへと向かい、そうした中で描かれた知られざる油絵の数々が展示されていました。
パリの華やかな時代の1897年作「夢想/Reverie」(左)と晩年の1927年~1935年ごろ製作の「ヤロスラヴァの肖像/Portrait of Jaroslava」(右)です。
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全く無名の挿絵画家が一夜にして不動の名声を手に入れたのが左側のポスターでした。ミュシャは、それまで名もない挿絵画家でしたが1894年、クリックすると拡大右の写真の舞台女優サラ・ベルナール(Sarah Bernhardt)の芝居のポスター製作の計画が持ち上がつたとき、年の瀬で主だった画家がクリスマス休暇をとっていたためミュシャにサラのポスター制作の仕事が回ってきたのです。その時代にとって作成されたポスターは革新的なものでした。この作品をサラ本人が見た時の感動は、すごかったそうです。一夜にして彼のアール・ヌーヴォーの旗手としての地位を得たのでした。この時、ミュシャ34歳ごろ、サラ50歳ごろのことでした。ポスターは威厳に満ちた人物と、細部にわたる繊細な装飾がなされており、当時のパリにおいて大好評を博したのでした。またサラ・ベルナールにとっても、この「ジスモンダ/Gismonda」が、フランス演劇界の女王として君臨するきっかけとなったそうです。この「ジスモンダ」より若い時の作品は、ミュシャ展内を見た限りでは1880年頃の「妹アンジェラの肖像」の1枚だけで、実質的に「ジスモンダ」がデビュー作品でもあり出世作品でもあったのです。
すぐにサラはポスターの専属契約をミュシャとしたそうで、その後も「椿姫」、「メデイア」、「ラ・プリュム」、「トスカ」など、サラ・ベルナールのポスターを制作しています。右が1898年作成のポスター「メデイア/Medee」です。38歳ころの作品ということになります。
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こちらは1917年作 「人形を抱くヤロスラヴァ/Jaroslava Holding a Doll」です。57歳ごろの作品です。1910年に故郷のチェコに帰国したのでチェコで描いた絵画です。ちなみにヤロスラヴァ(Jaroslava)は1909年に生まれたミュシャの娘です。さらに1915年にミュシャが55歳の時に生まれた息子のイージー(ジリ/Jiri) の2人の子供がいました。1920年に描いた「ジリの肖像/Portrait of Jiri」も有名です。息子のジリ・ミュシャは父のことを書いた本「アルフォンス・マリア・ミュシャ 生涯と芸術」を1989年に書いています。


こちらは1936年作 「民俗衣装を着た女性/Woman in Moravian Costume」です。76歳ごろの作品です。チェコは1910年から1939年に78歳で亡くなるまですごしました。