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佐原の町並み 小野川沿い [佐原 潮来]



すでに佐原の香取街道沿いの町並みの景観を紹介いたしましたが、やはり佐原の町並みは川沿いに残った古い建物の町並みが一番だと思います。不思議と水のある風景には惹かれるものがあります。そこで今回、小野川沿いの町並みを紹介したいと思います。寛政5年(1793)に建てられた伊能忠敬旧宅も川沿いにあります。
この写真のように小野川の両岸は道路になっておりその道路沿いに古い建物が並んでいるため見晴らしのよい景色になっています。
佐原は江戸徳川幕府の利根川の流れを東京湾から銚子へと変えた利根川東遷事業を契機に江戸への物資輸送の利根川舟運が発達し、一大物流拠点・河港商業都市として繁栄たそうです。市街地を流れる小野川沿いには水運で栄えた商家の町並みが今も残されており、平成8年12月に関東地方で初めて国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されたそうです。

柳の木のために建物が遮られている面はありますが、それも佐原の町並みの趣でもあります。


川沿いは景色もよく荷物の便もよかったので昔から人気の場所ではなかったでしょうか。高級商業地兼住宅地ではなかったかと想像してしまいます。


川には船着き場があります。昔はここから荷物を運びいれたのだと思います。


川と家は舟のある景色は趣があります。伊能忠敬旧宅辺りからは舟めぐりが行われていました。


平日でしたがお客さんが結構乗られていました。やっぱりお客さんが乗った船は絵になります。


昔はこちらの手漕ぎの舟が使われたのだと思います。この船着き場から荷物の出し入れを行ったのだと思います。
こちらの建物は正上と呼ばれるお店で、江戸時代より醤油の醸造をしていた老舗です。創業は寛政12年(1800年)5月で現在は10代目だそうです。戦後は佃煮の製造販売が主となり蔵の左の建物で今でも売られています。正面の土蔵は明治初期の建築で、江戸時代の店構が残る数少ない建築物であるそうです。当時の戸締りの方法である「よろい戸」方式が残っていて、店の奥には千本格子の障子戸が残り趣があるそうです。


趣のある舟の拡大写真を掲載させてもらいます。


昔、醤油を入れた陶器の壺が建物の前の川沿いに並べられていました。


かっこいい女性の方も写真を撮りに来られていました。 船着き場に降りたり、いろんな角度から写真を撮られておられたので、センスのいい写真を撮られている印象を受けました。


こちが正上の店舗の建物です。名物はワカサギの「いかだ焼」です。


川は橋のある景色も趣があります。橋は古いものではありませんが、車が通る橋以外は全て景観にやさしい木製の橋でした。この橋の両欄干から水が小野川に落ちているのがわかりますか。


水が落ちていている、この橋の名前は写真でもわかるように樋橋(とよはし)といいます。江戸時代に、この場所に小野川をまたいで農業用水を通すために大きな樋(とよ)が造られました。その樋の上に板を渡して人が渡るようになったのが始まりだそうです。昭和時代に一度コンクリート製になったそうですが、20年前の平成4年(1992年)に現在の木製の橋に建て替えたとのことです。その時に、かつての樋橋のイメージを再現するために現在の橋となりました。
樋橋の両側からあふれた水が川に落ちる「じゃーじゃー」という音から「ジャージャー橋」の愛称で呼ばれているそうです。このジャージャー橋は午前9時から午後5時まで30分間隔で水音を聞かせてくれるそうです。小江戸の町並みに映える風情ある水音は、環境省の「残したい日本の音風景100選」に選ばれていました。


やはり木製の橋と古い建物は似合います。


二階建ての高い建物が多い中で珍しい景観の建物でした。調べ見ると与倉屋で、この建物は明治初期のものだそうです。 明治初期に酒醸造業を営み、その後醤油醸造業を戦前までつづけ、昭和30年頃まで製粉業を営み、現在倉庫業をしているそうです。裏手にある与倉屋所有の大土蔵(1889年築)が有名で若手たちが佐原囃子の訓練に励んでおり、夜はお囃子の笛の音を伝建地区に響かせているそうです。
 追伸 こちらは与倉屋さんではありませんでした。 後日調べて掲載します。
  与倉屋の記事はこちらです。→ポチッ 



こちらも白い漆喰壁の趣のある建物がありました。


この写真は上の白い壁の建物を川を挟んで正面から撮ったものです。実はこちらは古い民家を改装したフランス料理店だったのです。建物の外観は昔のままなのがいいですね。


写真の中の看板を拡大してフランス料理店(仏蘭西料理店)であることがわかりました。お店の名前は夢時庵(ムージャン MOUGINS)です。調べてみると人気のお店のようです。次に佐原を訪れた時のランチを食べるお店の候補の一つになりました。


香取街道と小野川が交差する絶好の場所にある植田屋荒物店の小野川沿いの景観です。明治26年(1893年)築の古い建物です。佐原では明治26年築の建物が沢山ありました。実は明治25年に大火があったために翌年に建て替えられた建物が沢山あったようです。


すでに香取街道沿いの記事で紹介した中村屋商店ですが、こちらも香取街道と小野川が交差するの場所にあります。こちらの建物は安政2年(1855年)に建てられた有名な建物です。


和紙のお店の格子もきれいでした。並木仲之助商店の看板がと和紙の提灯も印象的でした。建物は明治25年(1892年)の建築で商店の創業は明治34年(1901年)で日用品雑貨荒物卸業を営み、平成10年より和紙とお香の商いをはじめたそうです。


木の下旅館です。こちらは建設の創業も明治34年(1901年)と書かれていました。映画やドラマの撮影に何度も使われたことがある有名な旅館です。


佐原の町並みの地図です。南北に流れているのが小野川です。地図をクリックすると大きな地図を表示いたします。
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与倉屋 [佐原 潮来]



千葉県の佐原地区にある昔ながらの町並みで二階建ての高い建物が多い中で珍しい景観だったので、小野川沿いの平屋建物を倉庫業を営んでいる与倉屋さんだと勘違いをして記事に書いてしまいましたが、こちらの写真が本物の与倉屋さんです。調べ見ると与倉屋で、この建物は明治初期のものだそうです。 明治初期に酒醸造業を営み、その後醤油醸造業を戦前までつづけ、昭和30年頃まで製粉業を営み、現在倉庫業をしているそうです。
クリックすると拡大右の写真が小野川沿いの間違えた建物です。クリックすると拡大するので比べてみてください。佐原の古い町並みは香取街道沿いと小野川沿いにだけではないことを、2度目の訪問で実感いたしました。小野川沿いの建物を与倉屋さんと間違えたのは2012年6月27日の1度目の訪問の時でした。今回の2度目の訪問で、こちらを見つけて間違いであることが分かったのです。

確かにネットで説明されていたように裏手には124年前の1889年に建てられた与倉屋所有の大土蔵がありました。これで与倉屋さんであることを完全に確信いたしました。1200棟の家屋を焼失させた1892年(明治25年)の佐原の大火以前の貴重な建物です。


こちらは上の写真の奥の方から撮った大土蔵の写真です。明治期には醤油醸造業に用いられていたそうです。戦時中は武器庫にもつかわれ、戦後は余剰米の倉庫として使われた時代もあったようです。


大きな倉庫で精いっぱい遠くから広角の24mmで撮っても全景を撮ることが出来ませんでした。現在はイベントスペースとしても用いられておりコンサートなどに使われています。夜は若手たちが佐原囃子(さわらばやし)の訓練に励んでおり、お囃子の笛の音を伝建地区に響かせているそうです。佐原囃子は江戸時代から続いているお囃子で、演奏する団体を「下座連」と呼んでいます。現在約70を超える下座連が活動しているそうです。国の重要無形民俗文化財指定されている佐原の山車行事で演奏されます。


倉庫の壁には赴くのある裸電線が張られているのが印象的でした。今時珍しい白熱電球の外灯(街灯)も印象的でした。


冒頭の与倉屋さんの写真の向かいにも趣のある建物がありました。こちらも与倉屋さんの所有の建物でした。


その建物の横の建物も与倉屋さんの所有の建物でした。この辺り一帯が与倉屋さんだったのです。


倉庫の大きさを実感してもらうために航空写真を紹介します。瓦葺の素晴らしい建物であることがわかりました。屋根の上にブルーシートが見受けられます。震災後の航空写真ですね。この地域の地震はひどかったようですが、大土蔵は大きな被害になっていないようでした。作業場を確保するため柱は最小限にする工夫が施されていて、そんな土蔵を支えるのは「小屋組み」という手法で何層にも張り巡らされた梁にあるそうです。大きな地震にも耐えられる構造だったようです。

佐原の町の地図です。赤い丸印のところが与倉屋さんです。この地図をクリックするとネットのオリジナルの地図を表示します。
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