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エア・ベルリンは格安航空会社 [機内 CY]



6月29日のベルリンからサンクトペテルブルグへのフライト名がAB8484であることは日本を出る時から判っていました。ベルリンからサンクトペテルブルグの便は1日に1便(AB8484)だけのため、航空会社の選択肢はなかったようです。ABはエア・ベルリン(AIR BERLIN)で、調べるとドイツの格安航空会社でした。
国際線ですがエコロミークラス(Yクラス)だけの設定の飛行機でもありました。ただしヨーロッパ近郊線はビジネスクラス(Cクラス)でも椅子はエコロミークラス(Yクラス)と同じで三人席の真ん中の席を空けているだけなので大差はありません。食事だけは違うようです。

これがエア・ベルリン(AIR BERLIN)の飛行機です。格安航空会社の筈でしたが航空券は意外と高かったです。ベルリンからサンクトペテルブルグへの路線は1日1便で競合先がまったくないので仕方がないかもしれません。
エア・ベルリン(Air Berlin)は、ベルリン、デュッセルドルフ、ミュンヘン、ニュルンベルク、ケルンなどを中心に、ヨーロッパ各都市に多く就航するほか、アフリカにも就航しているそうです。ネットで調べると思った以上に手広くやっていました。
  設立日     1978年
  ハブ空港    ベルリン・テーゲル空港 デュッセルドルフ空港など
  マイレージ   Top Bonus
  保有機材数  126機
  就航地     80都市
  本拠地     ドイツ ベルリン


そして、これがエア・ベルリン専用のターミナルですが、見ての通りの平屋建ての鉄骨むき出しの建物で、さすが格安航空会社のターミナルという感じでした。出国審査場を出た途端に免税店が並んでおり、その免税店の中を進むと、この写真の待合室に出るところもこだわりを感じました。写真の中央の奥が免税店でその奥に出国審査から出てくるガラス扉が見えると思います。


国際線にもかかわらず、ターミナルから歩いて飛行機に乗ります。黄色いテープに沿って歩いて乗ります。乗客がコースを外れないように係員が見張っていました。アメリカの国内線では経験がありますが、大きな国の国際線では初めての経験となりました。


クリックすると拡大格安航空会社なので食べ物や飲み物は有料ではないかと予想していましたが、予想通りメニューがポケットに入っていました。
右のメニューは読みにくいけれどクリックすると拡大するので内容がわかると思います。料理は6.5ユーロ~9.9ユーロでした。
あとスナックなども売られていました。
下はドリンクメニューの部分を表示したものです。
ワインが5ユーロでビールが3ユーロでした。シャンパンは4~9.5ユーロの表示がありました。他のアルコール類は4ユーロ前後でした。
思った以上に注文している人が多かったです。
私はサンクトペテルブルグに着いてからロシア料理を食べることにしていたので注文はしなかったです。下の画像をクリックするとメニュー全体が表示されるので他のドリンクや食べ物の価格がわかります。
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国際線だけのことはありソフトドリンクとジュースはさすがに無料でした。簡単なウエットサンドイッチも無料でした。ハムかチーズだけが挟まれたシンプルな食べ物でした。そこで活躍したのが、日本から持ってきたツマミです。前のポケットに入っているのがわかりますか。サンドイッチは味見だけに、させてもらいました。


ベルリンからサンクトペテルブルグへのルートです。直線距離で1322kmです。

より大きな地図で ベルリン→サンクトペテルブルグ を表示

ロシアに着いたことを実感させてくれる光景 [ロシア]


海外に行き、その国の空港に着陸した瞬間に着いたことを実感いたします。特に初めての国は気持ちも高まります。この時はドイツのベルリンからロシアのサンクトペテルブルクに初めてエア・ベルリンで着きました。ロシアは初めてでしたが、この機首の扉が開く飛行機を見た瞬間、ここはロシアだ!と実感させてくれました。
世界最大の輸送機であるアントノフ124のようです。通称An-124「ルスラーン」(ウクライナ語:Ан-124 «Руслан»アーン・ストー・ドヴァーッツャチ・チョトィールィ・ルスラーン;ロシア語:Ан-124 «Руслан»アーン・ストー・ドヴァーッツァチ・チトゥィーリェ・ルスラーン)はソ連のアントノフ設計局(ОКБ имени О.К.Антонова、現在はウクライナのO・K・アントーノウ記念航空科学技術複合体(ANTKアントーノウ))が開発したそうです。量産された機体としては、世界最大の輸送機とのことです。ウクライナやロシアでは、ルスラーン (Руслан) の愛称で親しまれている。一方、北大西洋条約機構 (NATO) のつけたNATOコードネームは「コンドル」(Condor) であったそうです。また、An-124の発展型にAn-225「ムリーヤ」があります。後ろの扉も大きいです。

飛行機の仕様は下記の通りです。右下の飛んでいる写真はWikipediaから拝借いたしました。
クリックすると拡大 全幅       : 73.3m
 全長       : 69.1m
 全高       : 21.1m
 空虚重量    : 175t
 最大離陸重量 : 405t
 最大積載量   : 150t
 運航乗務員   : 6名
 搭乗者      : 88名
 最大速度    : 865km/h 
 巡航速度    : 800km/h 
 上昇限界高度 : 12,000m
 エンジン     : イーウチェンコ=プロフレース製 D-18T
            ターボファン(23400kg)4基

荷物の積み込み光景もWikimediaから拝借いたしました。
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ソ連時代(1924 - 91年)はレニングラードと呼ばれたサンクトペテルブルクは大きな町で沢山の観光客訪れるところであるけれどもターミナルは意外と小さかったです。
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Baggage Claim(バッゲージクライム / 手荷物受取所)は3ケ所だけでした。


航空写真で見たサンクトペテルブルク空港です。青い線は飛んできたベルリン方向を示しています。

より大きな地図で サンクトペテルブルグ空港 を表示


2日連続 寝台列車に乗りました。 [ロシア]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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海外で初めて寝台列車に乗ったことを紹介いたしましたが、その翌日(4月27日)もモスクワに帰るために寝台列車に乗りました。その列車が上の写真です。モスクワからの機関車はディーゼルでしたがモスクワへの帰りは電気機関車が使われました。

寝台列車はスタールイ・オルコスを4月27日18時00分に出発し12時間かけて翌日(4月28日)の6時00分にモスクワへ戻ってきます。
帰りも 0号車(ファーストクラス)でした。


これはロシアの鉄道網の地図です。しかしスタールイ・オスコル(Stary Oskol / Старый Оскол)を通る線路は書かれていませんでした。
スタールイ・オスコルの場所と予想通過線路を地図に記載しました。Google地図を見るともっと沢山の線路があることから、この地図の鉄道網は幹線のみで実際には鉄道網が網の目のように走っており、おそらくこの数倍の線があると想像されました。
また路線図では線路はまっすぐのように描かれていますがGoogleの地図で確認するといろんな町を通っていくために曲がりくねりながら目的の場所に向かっていました。地図で見るよりも実際の走行距離は長そうです。
画像をクリックするとロシア全体を表示するので是非とも見てください。
クリックするとロシア全体を表示

来る時と同じように各車両の入口には車両の車掌の女性が立っていいてチケットとパスポートをチェックします。女性の車掌の人たちは終点のモスクワまで一緒に移動します。
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来る時とおなぐく約500mの列車編成でした。我々はちょうど真ん中の0号車でした。
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列車の中からのスタールイ・オルコス駅の風景です。
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列車の通路です。


クリックすると拡大寝台車の個室に関したはモスクワ→スタールイ・オルコスで紹介したので、こちらでは食堂車を紹介いたします。こちらが食堂車です。高級レストランの雰囲気の食堂車ではありませんが、きれいで清潔感がありました。


ファーストクラスはビールと夕食が付いています。部屋でも食べれるのですが、出発前に食堂車に準備するようにお願いして寝台列車が動きはじめたら、すぐに食堂車に向かいました。すでにビールは用意されテーブルに置かれていました。


最初は乗車券についている無料のビールで乾杯です。


ここで黒パンのビールに合う食べ方を教えてもらいました。パンの上に塩とレッドペッパーを振り掛けるのです。これが本当にビールに合うのに驚きました。不思議と胡椒ではなくレッドペッパーが置かれていたのがよかったです。


雰囲気が盛り上がるとやっぱりワインですね。ワインもいただきました。さらに持参していたウイスキー(山崎)も一本開けてしまいました。


乗車券についていた料理をつまみにビールやワインをいただきました。料理は決して高級感はありませんが、ロシアの味を堪能いたしました。ご飯が付いているのにも驚きました。これば鶏肉の料理です。
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料理は2種類からの選択です。付いているご飯はポテトに変更は出来ます。これはビーフのシンプルな料理でした。ビールには合いました。
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ここから下の料理が前日のモスクワ→スタールイ・オルコスの料理です。これはポークのフライです。これは一番料理らしい料理でした。
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こちらがポテトとビーフの組み合わせです。実は「ご飯」か「ポテト」のどちらかを選ぶのです。
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つまみとして頼んだタンとサラミとミートです。つまみに関しては、これ以外に沢山頼んでたっぷりとビールとワインとウイスキーと会話を楽しみました。


スタールイ・オルコスからモスクワへの帰りの寝台特急では、食事の後に近くの席で食事をされていた3人組みの女性の方に一緒に飲みませんかと声をかけた結果、気楽に応じてくれました。行きよりもより楽しく飲むことが出来た気がします。写真の右に少しだけ写っているのが私です。テーブルの上のカメラは彼女たちのものです。ちょっとリッチな人たちだったのかもしれません。女性たちはオルコスの人でした。


列車のルート検索をしてみると行きと帰りでは別のルートが出てきました。これ以外にも2種類の鉄道ルートが出てきたため、少なくとも4ルートがあることがわかりました。それぞれ縮小しているので画面をクリックすると見やすいと思います。
クリックすると拡大クリックすると拡大

ロシアの寝台特急 海外で初めて寝台列車に乗りました。 [ロシア]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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ロシアへ出発前に予告した通り4月26日にロシアの寝台特急(寝台列車)に乗りました。海外で寝台列車に乗るのは初めての経験となりました。4月26日19時27分にモスクワを出発してСтарый Оскол(発音 : Stary Oskol / スタールイ・オスコル)に4月27日7時00分に到着する11時間33分の列車の旅となりました。
上の写真はスタールイ・オスコルに到着した寝台列車です。巨大なディーゼル機関車2台で20両客車を引いて走ってきました。20両は、ほんとうに長い列車でした。一日に列車は昼間も含めてこの寝台列車だけなのでこれほどのロング列車になるのだと思いました。

出発30分前はこの機関車が接続されていました。スタールイ・オスコルに到着した時はこの機関車ではなく上の巨大な機関車が2台が連結されていたので、おそらく駅構内で列車編成を行うための車両だと思います。写真を撮った時は、長い列車を、この一台で引くのは大変だな感じていたのです。


下のキップは車内の検札時に半券を切り取った状態です。
半券を切り取る前は右のように飛行機の搭乗券と同じ寸法でした。
ロシア語読めませんが日付と時間と区間は読み取れます。黒塗のところには私の名前が書かれていました。青塗の部分はパスポート番号です。
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モスクワ駅の出発前のホームでの寝台列車の客車です。全ての乗車口には緑の制服の女性の車掌さんが立っていました。入口に立っている車掌さんがチケット(切符)とパスポート(ロシア人は身分証明書)を確認します。ただしチケットの半券はこの時点では切りません。中に入って検札に来た時に初めて半券を切ります。
モスクワ近郊のホームは客車の床と同じ高さですが地方に行くと冒頭の写真のように低いホームになります。


先頭が19号車で一番後ろが1号車でした。ところが列車の真ん中に0号車がありました。それが我々の乗ったファーストクラスの車両でした。車内で表示しているNo 00が車両番号です。20両編成(機関車を入れると22両編成)は本当に長いです。0号車を探してホームの端から端まで歩いたので実感しました。よく考えてみたら日本でもグリーン車は階段に近い真ん中でした。


電光表示板は時刻と外気温度の表示にも切り替わります。早朝ですが20℃と行く前の予想と違い暖かかったです。現地の人に聞くと数日前から異常に暖かくなったとのことでした。持っていったコートは結局スーツケースに入れっぱなしになってしまいました。
ちなみに表示板の左下の緑の丸い表示はおそらくトイレが空いていることを示しているのだと思います。使用中は赤い表示になると想像されますが確認する機会はありませんでした。


0号車の車掌さんだけは青い色の制服で帽子もかぶっていませんでした。沢山の車掌さんの中の上司のような感じでした。この方も緑の制服の車掌さんも全て寝台列車に乗って我々と一緒に移動します。我々の車両には車掌室が2部屋もありました。朝起こしてくれたりしてくれました。食堂車に行く時はドアにカギをかけてくれました。


これが車内のファーストクラスの個室です。ファーストクラスといっても部屋は広くなかったです。でも写真で感じるよりはベッドも部屋も広いと思います。車両の幅が大きいのでベッドの長さが十分にあるのはよかったです。


部屋の両側に鏡が取り付けてあったので、こんなイタズラな写真を撮ってみました。


部屋は個室には鍵のかかるドアがあるので我々外国人は安心して乗れます。個室でないと荷物が心配でしたが、これなら安心です。主要都市間を結ぶ寝台特急には豪華な寝台車も用意されているようです。


日本製のテレビも設置されていました。


スリッパや歯ブラシなどの洗面用具もついていました。


洗面用具袋の中身を確認してみました。歯ブラシ、くし、石鹸、手拭、テッシュ、靴べら、靴磨きが入っていました。


さらに水が一本とビールが一本も無料でした。デザートはこのようなパックで配られました。中にはフルーツゼリーやチョコレートに紅茶のパックが入っていました。驚いたことに夕食もついていました。
その夕食とビールは部屋でも食べれるのですが、ゆっくりとビールを飲みたいので食堂車の方に用意してもらうように頼み列車が出発と同時に食堂車に行きました。ビールやつまみを沢山追加して日本の居酒屋状態となってしまいました。(笑)
おかげで朝までグッスリと寝ることが出来ました。食堂車に関しては帰りの寝台列車を紹介する時にまとめて掲載させてもらいます。


各車両には給湯器が共通で付いているので紅茶を飲みました。


洗面用のタオルが2枚付いていました。いたれりつくせりですが、シャワー室はなかったです。唯一残念に思いました。もっと長距離の場合は必要な気がします。


気になるトイレでですが、写真のトイレが車両に2つ設置されていました。


洗面台はトイレの部屋の中にありました。中は結構広いので日本の列車のトイレの中という感じはなかったです。


モスクワを出た近郊の駅には高速列車と思われるものも停まっていました。時間は19時37分なので走り始めて10分経ったところです。
我々の寝台列車はモスクワを出てく数時間は停車することはなかったです。初めて停車したのことに気が付いたのはスタールイ・オスコルに到着する3時間前でした。


スタールイ・オスコルの一つ手前の駅です。時間は6時51分でした。


日が昇ってきました。時間は7時2分なので到着30分前の景色でした。


列車はほぼ定刻の7時39分に到着して30分停車後に最終目的地に出発します。途中の駅で10分近く停車していることがありましたが30分も停車するのはスタールイ・オスコルが大きな町だからだと思います。ホームは低いので大きな荷物があると降りるのが大変です。降り口に立っているのはモスクワのホームで入口に立っていた青い制服の車掌さんです。
ドアを開けたとき階段がなかったのでどうやって降りるのか心配しましたが、床を内側にスライドさせると床下に階段がありました。ホームがある場合とない場合の両方に対応した構造になっていました。


これがスタールイ・オスコル駅です。真中あたりから寝台列車の後ろ側を撮りました。


これは、真中あたりから前側を撮ったものです。後ろ側を撮った写真同様に列車の先が見えません。2枚の写真から列車の長さを実感してもらえると思います。
こちら側に駅の出口があるので皆さんこちらの方向に歩いています。


近くで機関車を見ると本当に大きかったです。
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今回訪問したスタールイ・オスコルはロシア連邦ベルゴロド州の都市です。モスクワから618km南のオスコル川流域にあります。 人口は215,898人(2002年の国勢調査)の都市だそうです。今から420年前の1593年、モスクワの南の防衛の為に要塞都市として作られ、17世紀にはクリミア・タタール人とウクライナ・コサックの略奪を受け、20世紀以降もロシア内戦、第二次世界大戦でも影響を蒙るが、戦後は工業の発展と共に人口が増加したそうです。右および下の写真はスタールイ・オスコルの紋章です。ここは世界で最も鉄鉱石の埋蔵量が多い場所の一つとされるクルスク磁気異常の境界に位置する重要な鉱業都市とされ、一年間に800万トン以上の鉄鉱石が採掘されているそうです。そのため市にはモスクワ連邦鋼合金研究所の支部が存在しているそうです。


スタールイ・オスコル駅の航空写真を掲載いたします。長い車両が停まれるだけあって駅も長いです。地方都市ではホームが低いのもわかる気がしました。一日に一回しか停まらない長距離列車のために高いホームを作るのは大変だと思います。(http→httpsへ変更済)

スタールイ・オスコル駅舎も紹介しておきます。降りるときは駅舎には寄らずに直接駐車場に向かいます。乗るときもキップを持っている場合は特に駅舎に寄る必要はなく駐車場から直接列車に乗ります。キップとパスポートのチェックは列車の乗り口ごとに立っている女性の車掌さんが行います。


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