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チェルノブイリ原子力発電所の場所 [ウクライナ]

福島第一原発の事故(2011年03月11日)から5ケ月目(8月27日)の報道で、事故で放出されたセシウム137が広島に投下された原子爆弾の168倍にあたるとのショッキングなニュースが流れました。そんなに多かったのかと改めて感じてしまいます。最近の最新情報はまだ調べていませんが、その時のニュースの内容は下記の枠内です。
保安院の試算によりますと、福島第一原発の事故で1号機・2号機・3号機から、これまでに放出されたセシウム137の量はあわせて1万5000テラベクレルに上ります。これは、1945年に広島に投下された原子爆弾の168倍にあたる量だということです。セシウム137は半減期がおよそ30年と長く、長期間の影響が心配されます。
原子爆弾と原発事故では、放射性物質の放出の状況は大きく違い、保安院は「単純に比較することは合理的ではない」としていますが、事故で放出された量が膨大であることが改めて示されました。(27日02:26)
2013年3月時点で福島第一原発から放出されたセシウム137総量はチェルノブイリ原子力発電所事故の4倍、広島原爆の約4023個分であると発表されました。
今、ウクライナの記事をいくつか書いています。→ポチッ
ウクライナと原発と言えば27年前に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故を思い出しますが、チェルノブイリ原子力発電所がウクライナに行っている間もはっきりしした場所のイメージがなかったために思い出す意味もあり場所を検索してみました。
左側のマークがチェルノブイリ原子力発電所です。事故が発生したのは4号炉(1883年竣工)ですが、2000年11月まで3号炉(1881年竣工)は運転をしていたそうです。ちなみに2号炉(1878年竣工)は1991年10月の火災をきっかけに停止し、1号炉(1877年竣工)は1996年11月まで運転していました。


ソ連崩壊に伴い1991年8月24日に独立したウクライナが事故処理を引き継いだそうです。放射能汚染はチェルノブイリ原子力発電所の北側が深刻な被害を受けたためにベラルーシの被害が文献などに多く取り上げられています。


ウクライナの首都キエフから直線で110kmですが風向き関係で放射能の影響は少なかったと記憶しています。


下の航空写真がチェルノブイリ地区です。チェルノブイリの町はこの航空写真より少し南にあります。大気に漏れた放射性物質(ヨウ素131とセシウム137の合計)と広島原爆を比較すると次の通りです。
  福島       37京ベクレルor 63京ベクレル
           セシウム137 広島の 168倍(2011年8月発表)
                  広島の4023倍(2013年3月発表)
           事故評価 レベル7
  チェルノブイリ  520京ベクレル
           合計放射能  広島の 400倍
           事故評価 レベル7
                         京=10000兆
福島原発からの放射能汚染はチェルノブイリ原発事故で放出された放射能汚染の数分の一から10分の一程度ですが、あのチェルノブイリと福島が同レベルになってきたことに驚いています。ただしチェルノブイリ原発事故で放出された放射能汚染でも20世紀中頃に行われた沢山の大気圏内核実験による合計汚染と比べた場合は、100分の1から1,000分の1に過ぎないそうです。


これがチェルノブイリ原子力発電所です。航空写真で見る限りは立派な発電所だったようです。ここで1986年4月26日1時23分(モスクワ時間)に事故が発生いたしました。


Google地図も掲載します。アイコンをクリックして拡大および縮小が出来るのでいろいろと活用できます。

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マークの位置が4号炉だと思います。下の写真の煙突がクリヤーに写っています。


これがネットから転用させていただいた地上から見た4号炉の写真です。煙突の奥が3号炉だと思います。
事故の初期にソ連当局が行った応急措置は次の通りです。
 ホウ素を混入させた砂5000tをヘリコプターで4号炉に投下
 水蒸気爆発を防ぐため下部水槽(高濃度汚染水)の排水
 減速材として炉心内へ鉛の大量投入
 液体窒素を投入して周囲から冷却、炉心温度を低下させる
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ネット上で掲載されていた三次元CGの画像です。向こう側の煙突の前後にあるのが2号炉と1号炉で手前の煙突の前後にあるのが4号炉と3号炉と思われます。
クリックすると別角度

チェルノブイリ原子力発電所の事故による放射能汚染の状況を紹介しておきます。この画像はセシウム137の汚染状況を説明したものです。画像をクリックすると各文字が読める画像が表示されます。距離の感覚がわからないと思いますが原子力発電所とキエフ(KIEV)は直線距離で110kmなので汚染は数百kmに、およぶことがわかってもらえると思います。
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ついでなので1979年3月28日にレベレ5の事故を起こしたアメリカ合衆国ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所の場所も掲載いたします。写真の中のアイコンを数回クリックすると、この位置が判ってくると思います。

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ウクライナ国内線 ドニプロアヴィア [機内 CY]



より大きな地図で ウクライナ国内 飛行ルート を表示
ウクライナの首都キエフとヒマワリ畑に近い地方都市ドニプロペトロウシクを往復したフライトを紹介します。カザフスタンのアルマトイ(アルマティー Almty)からウクライナの首都キエフについた日は空港からウクライナの目的地であるドニプロペトロウシクには、空港から直接、国内線に乗り換えて向かいました。黄色のマークがキエフ空港で緑色のマークがドニプロペトロウシク空港です。オレンジのラインが飛行ルートです。ちなみに左上の赤い炎のマークは、今から27年前の1986年4月26日1時23分に最悪のレベル7の事故を起こしたチェルノブイリ原子力発電所の場所です。
その時に乗った飛行機はウクライナの飛行機会社ドニプロアヴィアです。乗った飛行機は、この飛行機会社が所有している飛行機の中では一番小さいエンブラエル ERJ 145でした。
 ドニプロアヴィア(Z6 ウクライナ)
  ボーイング737-300 2機
  ボーイング737-400 1機
  ボーイング737-500 3機
  ボーイング767-300 1機
  エンブラエル145   11機

エンブラエル ERJ 145はブラジルの航空機メーカーであるエンブラエルが開発した、ターボファン双発のコミューター路線用ジェット旅客機(リージョナルジェット)だそうです。この市場の航空機としてはベストセラーを記録しているとのことでした。赤の矢印が今回の飛行機です。航空会社が2つあるのは共同運航便です。


首都キエフト第二あるいは第三の都市であるドニプロペトロウシクとの間の飛行機にしては小さいのに驚きました。でも一日に3つの航空会社(Z6 PS VV)が6便ほど飛ばしていることから、たまたま小さい飛行機だったのかもしれません。

飛行に乗る風景です。写真に写っている乗客は21名ですが、その内、12名が女性です。女性が活躍している国なのでしょうか。


飛行機からの窓の景色です。ウクライナは農業が盛んで田園風景が広がっていました。こちらの写真はクリックすると拡大します。
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一応、食事も付いていたので紹介します。サラダに鶏肉です。スポンジケーキもついていました。


目的地のドニプロペトロウシクに近づいた景色です。川が印象的でした。
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ドニプロペトロウシク空港です。
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先ずはタクシーでホテルに向かいました。
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ドニプロペトロウシク(Dnepropetrovsk または ドニプロゼルジンシク)からキエフへの帰りのフライトもドニプロアヴィア(Z6)でした。帰りの飛行機も小さい飛行機でした。これは偶然なのかそれとも全て小さい飛行機なのかは判りません。ドニプロペトロウシクの記事は下記の通りで今回で終了です。こちらの町でもいろんな記事が書けましたが一番印象的だったのは「ひまわり」でした。今後の掲載予定のドニプロペトロウシクの記事です。
 ウクライナと言えば! ひまわり畑 掲載済み
 ウクライナでドイツビール
 湖畔のレストランでウクライナ料理
 ドニプロペトロウシクの教会
 セレブなプライベート・パーティー
 パンタグラフ
 この円筒はなに?
 何気ない町の風景 Dnepropetrovsk
 ウクライナの地方都市のホテル
 レンガ造り
 リバーサイドレストラン
 レストランから見える列車の走る風景
将来ですが着色の文字をクリックすると、その記事を表示するようにいたします。
キエフへの帰りのフライト名はZ6 008(VV 4008)です。Z6は日本では航空券が買えなかったためにウクライナで買っていてもらいました。ちなみにVV(アエロスヴィット航空)やPS(ウクライナ国際航空)は日本で航空券を買うことが出来ます。出発は19時00分ですがまだ明るかったです。


キエフへの帰りの便の外の景色を紹介します。ウクライナの雲でした。


キエフ空港です。


キエフに着いたのは夕刻(20時)でした。20時になるとさすがに暗くなってきました。ホテルについた後、キエフの町を散策いたしました。