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新そばを食べました。 [阿蘇山]

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久しぶりに家族で2泊(阿蘇と湯布院)3日で九州に旅行に行ってまいりました。一日目の昼食にはガイドブックに載っていた南阿蘇にある御蕎麦屋さんに行ってみました。

そこに「新そば・北海道産(限定品)・十割そば 1,000円」の張り紙があり全員頼みました。ただし、全員分は無くて1は「山かけそば」になってしまいました。


これが「十割の新そば」です。お漬物と飾りつけが洒落ていました。
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お蕎麦だけ拡大いたしました。
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麦とろめしも頼みました。おいしかったです。「とろろ」もたっぷりとかかっていました。
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こちらが十割蕎麦(新そば)が食べれなかった人が頼んだ暖かい「山かけそば」です。とろろがおいしいことを、試食させてもらって感じてしまいました。
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メニューを紹介いたします。天婦羅をやっていません。おいしい蕎麦だけでけを提供している雰囲気でした。


お店の中の雰囲気です。


このあたりは阿蘇山の伏流水が湧き出る場所のようで、その伏流水が湧き出ている明神池の水で蕎麦を打っているそうです。その明神池の水も飲ませていただきました。有名な白川水源も近くにありました。それでは、お店を紹介いたします。
  店名 明神そば
  住所 熊本県阿蘇郡南阿蘇村吉田1394
  電話 0967-62-8308
  営業 11:00~16:00
  定休 毎週火曜日
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明神池の説明です。


地図で明神そばの場所を紹介します。

ジャカルタのショッピングモール [インドネシア]


ショッピングモールに行ってみました。3種類のショッピングモールを紹介いたします。


①大きなデパートです。

その中に1フロアーすべてがインドネシアの民芸品で埋め尽くされたフロアーがありました。これは圧巻です。1~4階は日本の近代的なデパートそっくりですが突然途中の階からイスラム風の雰囲気になりさらに上に行くとこの民芸品フロアーになりました。写真に写っているのはほんの一部です。ネットで調べると「インドネシアのお土産ならココがお勧め」だそうです。


地下はすべて食堂街でした。ものすごい広さです。この写真もほんの一部です。



②屋外式のショッピングモール(?)

いろんなものが安く手に入りそうです。


衣類が多いです。



③庶民的なショッピングモール

ここは屋内です。沢山のお店が入っていました。


ここはあらゆるものがありました。でも衣類が多かったです。ジーパンが45000ルピア(約450円)と日本と比べるとやっぱり格段に安い気がします。


この看板の意味はわかりますか?  70%+20%=90%引きで1000円の物が100円になるのではないですね。
たぶん1000円の物が先ず70%引きで300円になりさらに20%引くので240円になるのだと思います。



上の3種類のショッピング街は同じ場所にありました。この写真の場所です。左の建物が近代的デーパートPasaraya Grande (パサラヤ・グランデ)で
す。正面の蜂の看板の下をくぐっていくと他のショッピング街になります。


このあたりはなぜか三輪車が多い地域でした。

白川水源 [阿蘇山]

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南阿蘇村の明神そばを食べた後に、この白川水源に来て見ました。来るまではどんなところなのか、知りませんでした。上の写真は車を降りて白川水源まで歩いていく道の横の水の流れです。

ここが水が湧き出している池です。池のそこから水が湧き出しています。池全体は藻が茂っていますが水が湧き出しているところには藻が生えていません。灰色の部分が湧き出しているところです。毎分60トンもの水が湧き出ているこの湧水は、向こう側と手前側の両方に流れていき、一級河川「白川」となって熊本を通り有明海へと注いでます。
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持ってきたボトルに水を入れたり、ここで飲むことが出来ます。冷たく柔らかな感じの名水でした。環境庁選定「日本の名水百選」にも選ばれていて、つねに14℃に保たれます。この時期は冷たく感じました。その水は軟水で飲みごたえは軟らかくやはりおいしいと書かれていました。
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こちらが水の盛んに湧き出でる様子です。ここだけ見ていても量はわかりませんがこの池から名が出る水の量を見ると毎分60トンは納得でした。
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動画で、水が湧き上がってくる様子を紹介します。


水が湧き出ている周りには沢山の藻が生えていました。時々気泡が出ていました。気泡は光合成による酸素でしょうか。大昔から生えている藻だと思います。
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気泡がでるところを紹介するために動画で紹介いたします。画像の手前の方を見ていただいていると時々気泡が上がっていくのが判ってもらえるとおもいます。


この神社は水が湧き出ている池のそばに神社がありました。これは白川水源の守護神である罔象命(みずはのめのみこと)をお祭りしている白川吉見神社です。阿蘇神社の末社でもあります。湧水から発する白川は、肥後平野(熊本平野)の広い範囲の灌漑用水として利用されていることから、墾田の関係でも白川吉見神社は崇拝されていたそうです。元禄14年6月、第5代肥後藩主・細川綱利公が山狩りの際に、この白川吉見神社を参拝され、「当社は余が領地菱田の源神で、恩恵広大である。速やかに社殿を修造せよ。」と郡代に命じ造営されたとされています。
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こちらが白川吉見神社の参道が白川水源への道となっています。白川吉見神社の境内を覆う森(イチョウ、スギ)は、ふるさと熊本の樹木として登録されているそうです。
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白川水源は阿蘇山の伏流水でこのあたりには規模は小さいけれど沢山の湧き水があるそうです。たとえば「池の川水源」「小池水源」「寺坂水源」「湧沢津水源」「明神池」「塩井社水源」「妙見ケ池」「吉田城御献上汲場」「竹崎水源」です。

ファタヒラ広場 [インドネシア]



上の航空写真の青いマークのカフェバタビア(Cafe Batavia)の前には、見ての通り、大きな広場がありました。その広場には沢山の丸い石があったがあったことはことはすでに紹介いたしましたが、その広場の名前を検索した結果、その広場はFatahillah Square (Taman Fatahillah)であることが判りました。日本語で呼べばファタヒラ広場です。ここでは広場を散策した時の写真を紹介いたします。その広場の周りにはカフェバタビア以外にも黄色いマークの名だたる古い建物がありました。いずれも140年前、371年前、301年前に建てられたもので、今は博物館として使われているようでした。
ジャカルタは最初はスンダ・クラパと言う小さな港町でした。そのスンダ・クラパにやってきたポルトガル人と戦い、彼らを海岸から追い払った戦によって、ジャカルタ市の歴史の基点を作り出したファタヒラ将軍の名がファタヒラ広場という名で記念されているそうです。
ファタヒラ広場はオランダ植民地東インドの首都バタヴィア(Batavia)時代の旧市街地のほぼ中心にあります。バタヴィア(Batavia)時代の旧市街地は「コタ」(町)とよばれていました。ジャカルタ市やジャカルタの商業人たちはいま、これといった観光の目玉になる資源に乏しいジャカルタにあって、バタヴィア時代の古い町並み―煉瓦造りのオランダ商館や植民者の住宅などが残っているコタ一帯を手入れして保存し、ここでさまざまなイベントを行いジャカルタの目玉的な歴史的風致地区にしようとしているそうです。

それでは3つの黄色いマークの建物を紹介いたします。この建物はインドネシア語でMuseum Seni Rupa dan Keramikと書かれていました。右側のマークの建物です。
1870年1月12日に建設された政府関係の建物のようです。


こちらは左側の黄色いマークの建物です。インドネシア語でMuseum Wayangです。こちらは1640年に教会として建てられたそうです。その時はOude Kerk Hollandsche("オールドダッチ教会)で、1732年に修復されて名前もHollandse Nieuwe Kerkと変わったそうです。その後も何度か改装・建て替え行われたそうです。現在はインドネシアの伝統的な人形の博物館となっているようです。


おそらく、こちらの建物が最も有名だと思います。広場の名前にもなっているMuseum Fatahillahです。 1707年から1710年に建設されて総督府(市庁舎)して使われていました。つまりこの辺りがオランダ統治下での町の中枢部分だったことがうかがえます。この辺り全体が昔の雰囲気を残したものが沢山残っているそうです。


この場所の昔の絵をネットから探しました。正面が市庁舎、つまり今のMuseum Fatahillahで、右側が今のMuseum Wayangの場所で左側が今のMuseum Seni Rupa dan Keramikです。この絵の大きな広場が、今回紹介している広場なのです。
広場の真中に小さな建物があります。この建物のことを覚えておいて、下の記事を見ていただきたいと思います。


広場は観光客の人だけでなくジャカルタッコたちの憩いの場所で沢山の人がおられました。この写真はMuseum Fatahillahの正面入口前のあたりを撮ったものです。


若者たちも記念撮影をしていました。正面に見えている建物はすでに紹介しているカフェバタビア(Cafe Batavia)です。その位置関係から考えると、彼女たちが記念写真の背景に撮っているのはMuseum Wayangだと思います。


それぞれが自由な服装で広場につながる道を歩いていました。


広場の真中には不思議なモニュメントがありました。この日は何らかのイベントがあったようで、大きなテントが建てられていました。上の昔の広場の絵にも広場の真中にモニュメントに似た建物があります。このモニュメントは昔を再現したもののように思えました。冒頭の航空写真でも、このモニュメントが広場の真中にあることが分かると思います。


屋台も沢山ありました。本当に屋台が多かったです。


広場の中に、不思議な光景がありました。荷物が一列に並べられていました。場所取りのように感じました。夜にはここに沢山の屋台が並ぶのかもしれません。


広場で、もう一つの名物なのがレンタル自転車が並んだ景観です。この広場を中心にオランダ統治時代の街並みが沢山残っており、それらを廻るのに自転車が便利なのでしょうか、沢山のレンタル自転車が広場の中に並べられていました。帽子も一緒に貸してくれるのでしょうか。自転車に一つ一つ帽子がつけられていました。


近く(500mの距離)には1870年に作られたコタ駅があります。そのコタ駅を車の中から見ることが出来ました。インドネシア語の正式名はStasiun Jakarta KotaでKRLジャボタベック全線の列車とジャワ島各地への長距離列車の始発駅となっている鉄道駅です。
この駅は19世紀末までBatavia Zuid(南バタヴィア)と呼ばれていました。またBataviasche Ooster Spoorweg Maatschapijの略でBEOS駅と通称されていました。東バタヴィア鉄道輸送会社(英語:East Batavia's Train Transportation Company)だったそうです。
駅は西洋風であり現地風でもあります。現在の駅の建物は1926年にオランダ人の設計家Frans Johan Louwrens Ghijsels(1882年9月8日生まれ)によって設計された駅に改装された姿となっています。

また来ました。 パイプ椅子のシーフード店 でも木の椅子になっていました。 [インドネシア]


2010年1月30日に掲載したシーフード店にはもう一度行きたいと思っていたので、帰国の日の昼食をこちらのお店で食べることにしました。インドネシア語しか通じなくて料理を注文するのに苦労するのは前回と同じでした。写真を見て注文することになるので、ほとんどが前回と同じ料理になってしまいますが、少なくとも前回食べなかったのが、この蟹です。ぎっしりと入った味噌と身を見てください。

大きな爪を持った蟹でたっぷりの身とミソが美味し蟹でした。これはすばらしいかったです。美味しさが伝えられるでしょうか。


席に着くとこのバナナの葉に包まれた前菜が出されてきました。前回はなかったような気がします。


中は魚のすり身のような餅のような食べ物でした。一緒に出される甘辛いタレをつけて食べます。不思議なことにこの前菜だけがクレジットカードでは払えなくて現金払いでした。でも一つ数円の値段だったと思います。そして食べた分だけの支払いだったと思います。


もちろんビンタンビールです。


前回、食べて大満足だった大きな海老も頼みました。本当に大きな海老です。ライムと比べてもらうと大きさが分かってもらえると思います。


身をの拡大写真も掲載します。私以外は、こちらのお店には初めてだったので一緒に来た人は大満足でした。


このイカ料理も前回食べたものと同じです。何度食べても美味しいかったです。


好みに応じてこのタレをつけます。前回紹介したソースや魚醤もつけて食べます。


魚も前回同様に頼みました。魚の種類は違うかもしれません。おそらくマナガツオです。


これがレシートです。単位はルピアですが現在の為替レートは114ルピアが1円として計算してもらえるといいと思います。1番上が海老で2番目が蟹です。3番目がイカで4番目が魚です。一番下の欄がビールです。これに消費税が10%かかります。やっぱり海老が高いですね。一匹が789円相当です。蟹は2匹で1053円相当でした。


前回は「パイプ椅子のシーフード店」というタイトルでお店を紹介いたしましたが、なんと木の椅子に変わっていました。レストランの方は、言葉が通じませんでしたが、皆さんにこやかに楽しそうに対応していただけました。


お店の看板も変わっていました。下で紹介の看板と比べてみてください。


壁には新しいサインの色紙が貼られていました。前回の色紙と同じだと思い、真剣に撮りませんでしたが、比べてみると前回とは変わっていました。


こちらも前回のものとは違うようです。



2010年1月30日掲載 タイトル:パイプ椅子のシーフード店IMG_1634-50.jpg
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ジャカルタでは漁船や海岸を見た後はシーフードが食べたくなります。運転手さんに頼んで連れて行ってもらったのがこのお店です。知る人ぞ知る場所のようです。
これで2人前です。本当は4人以上で来るといい感じです。
大きな海老が4匹です。このお皿はすごく大きいのです。ちょっとした小ぶりの伊勢海老くらいのボリュウムでした。これを食べただけでも満腹になりました。

一匹だけで撮りました。焼き具合もよかったです。中のミソもおいしかったです。
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これは注文したけれどよく判らないです。ソフトシェルクラブ(脱皮直後の柔らかい蟹)の、から揚げのような感じでした。美味しかったです。


イカです。これもおいしいかったです。


なかなかおいしい焼き魚でした。新鮮なんですね。ライムをかけて食べました。ライム以外は何もつけないでも十分においしいです。これもかなりのボリュウームでした。
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ライムで食べるのが一番ですが物足らない方のためにインドネシア独特の甘いソース「Kecap Bango」も出してもらいました。
このソースがインドネシア独特の焼き飯のナシゴレンに使われていたものであることを、ネットで知りました。


このレストランの椅子はパイプ椅子なんです。完全に味で勝負のレストランでした。
下の写真にパイプ椅子が写っています。
シーフードにはやっぱりビンタンビール(BINTANG BEER)ですね。ネットで調べるとビンタン(Bintang)とはインドネシア語で「星」という意味であり、ビールのラベルに赤い一つ星があしらわれている意味がわかりました。


そしてナシゴレン(焼き飯)です。 
メニューには白いごはんしかありませんでした。最初の答えは「ありません」でしたが、何度も頼むと「出来ます」と言って出てくれました。見かけは中華風でしたがなかなかおいしかったです。


冒頭の海老を食べた後の残骸です。食べ応えがありました。


ここのメニーには写真は載っているけれど値段が書いていないのです。ちょっと心配なので一品一品値段を聞いてから頼みました。お店の雰囲気からすると高い感じがしましたが出てきた料理食べてみて十分に満足でした。あの大きな海老4匹でも千円ちょっとなのでヤッパリ安かったのかな。魚も千円ちょっとで後の料理は五百円以下だったと思います。ジャカルタの中心だと数倍の値段は取られると思います。


ここにもサイン集が! 額に入っていました。有名人だろうか?  と言うことで一般掲載する前にバリ猫さんに見てもらいました。
寄せ書きのサインは下段右端を除きどれもインドネシアの有名人のものだそうです。上段左から2番目はクリスダヤンティというインドネシアを代表する女性歌手でインドネシアのディーバ(歌姫)と呼ばれる3人のうちの一人でその隣にあるREZZAは日本の歌手の上田正樹さんとデュエットをした女性歌手のものだそうです。後は女優さん、俳優さんのものだそうです。


こちらの2目のサイン集もバリ猫さんに見てもらいました。
上段左から2枚目のAnangさん。これは1つ目のサインの中にあったクリスダヤンティさんの旦那さんだそうです。
その隣にあるAyu Azhariさんとその隣(上段右端)のIra Wibowoさんはインドネシアの女優さんだそうです。ちなみに、皆さんのコメントの中にある「Enak」というのが「美味しい」という意味で、この単語の後ろにBangetをつけることで、前の単語の意味を強調しているそうです。


飾ってあった写真です。これも教えてもらいました。
男性はラノ・カルノ(Rano Karno)というインドネシアを代表する演技派の男優さんであろうとのことでした。パイプ椅子のお店ですが有名人が沢山来られているのには驚きでした。サインを残すということは満足している証拠ですね。確かに新鮮なシーフードが気楽に食べれるお店でした。


見かけはたいしたことはないけれど美味しいお店でした。


お店の名刺をもらいました。あの漁船の泊まっていた場所からすぐの場所です。漁船を見てから遊園地に行きまたこのお店に戻ってきたわけです。
運転手さんが漁船を見た後にまだお腹空いていませんかと質問した意味が判りました。こちらの運転手さんは自分の意見は言わないのですが精一杯のアピールだったのだと思います。その時に食べて置けば1時間以上は余裕が出来てテーマパークでもいろいろ見れたと思います。今日はシーフードを食べたいことは出発したときから伝えてあったのです。
店名のSUNDA KELAPAはこの地域の地名です。お店を紹介いたします。
 店名 SUNDA KELAPA Traditional Seafood Restaurant
 住所 Jl. Ancol Barat IV No.28-29 Pelabuhan Sunda Kelapa Jakarta
 電話 021-690-8765  021-692-4954



ベンツも止まっていました。そういえば日本の駐在員らしい人が家族3人で食事をされていました。その車かな?

すごい! 警備員の人数 [インドネシア]

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インドネシア・ジャワ島のジャカルタの話しです。この写真は泊まったホテルの入口です。大きなゲートで入ってくる車を止めて厳重にチェックしているんです。
トランクの中、室内、車の底を確認するんです。一番最初は驚きましたがその内に慣れっこになりました。
ホテルだけではなくてこの町のビルはすべて同じシステムなんです。車の検査をした上でビルに入る時は空港の安全検査のような金属探知機で検査します。隣のビルへの裏口では人通りも少ないのでカバンに器具を当てて爆発物チェックまでやってくれました。手馴れているので手間はかからないので、まったく苦にはなりませんでした。
一つのビルで雇っている警備員は100人は下らないと聞いて驚きです。ジャカルタの街全体では何人の警備員の人がいるのかな。

我々のホテルは特別でした。さすが国際的な財界の人のご子息が結婚式を挙げるホテルでした。
車のゲートの検査は民間の警備会社ではなくて本物の警察官でした。これにはさすがに驚きました。これは裏口側です。こちらはほとんど閉鎖状態でした。
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ホテルの廻りは高層ビルと平屋が混在する世界です。
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箱根ロープウェイ 早雲山→大涌谷 [箱根]



箱根ケーブルカーから箱根ロープウェイに乗り継いで大涌谷を目指しました。ケーブルカーでは先頭に乗っていたことからケーブルカーが満員でしたがロープウェイでは並ぶことがなく乗ることが出来ました。それも家族だけで占有出来たのです。箱根ロープウェイは1959年12月6日に早雲山~大涌谷が開業しました。
箱根ロープーウェイは早雲山~大涌谷と 大涌谷~ 桃源台(芦ノ湖)の2本のロープウェイで運営されていて、全長4kmのロープウェイです。2004年12月18日に六甲有馬ロープウェー(全長5km)が部分休止したため、以降は営業区間が日本一長いロープウェイとなっています。乗車人員は2008年度に201万を超え、2009年7月9日付でギネスのゴンドラ・リフト部門で世界一に認定されたそうです。早雲山~大涌谷間が現在の新型のロープウェイになったのは2002年6月1日でした。
上の写真が2013年8月24日の早雲山駅です。

ゴンドラから早雲山駅方向の遠景写真です。新型ロープウェイは2本のロープでぶら下がったゴンドラが循環する複式単線自動循環式で、スイスCWA製のゴンドラ(定員18人)を全線に50台設置されています。各駅で1分間隔の運行で、輸送力は1時間当たり1440人(旧式に対して48%増)です。所要時間は早雲山~ 大涌谷が約8分です。新型ロープウェイの運休基準となる風速は毎秒30m旧式は(20m)と風にも強いとされロープウェイなのです。
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早雲山駅方向を望遠で見ると沢山のゴンドラが連なっていることが判ってもらえると思います。


西の方向の景色です。


西の方向の景色もすばらしいけれども早雲山~大涌谷は大涌谷を越えていく景色が圧巻です。大涌谷からの硫黄の臭いで火山に来ていることを実感させられました。早雲山駅でゴンドラに乗った瞬間に硫黄の臭いがしたのは大涌谷の上で入った空気のせいだったことがことが、ここでわかりました。


これはゴンドラを降りてから撮った写真ですが、ゴンドラの下に大涌谷の景色が広がっているのです。大涌谷に関しては後日、掲載させていただくつもりです。
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大涌谷駅に着きました。8分間のすばらしいパノラマの世界でした。


追伸
今日9月12日5時50分から関西と山口県に行くので9月20日まで皆さんのところに訪問できなくなること、お許しください。家に帰ってくるのは9月19日の夜です。
ネット喫茶でチェック程度はブログを見ることになるとは思いますが、So-netのアクセス速度の遅さから考えて本格的に記事を掲載出来るのは9月20日以降になると思います。




この丸い石はなに [インドネシア]



200年以上の歴史のあるカフェであるCAFE BATAVIAの前は大きな広場になっています。大変な数の丸い石があったの広場の石を紹介いたします。

ほとんどの丸い石は、この広場の入口にあたる部分に車止めとしておかれていました。CAFE BATAVIAの横の道に並べられていました。


こちらは広場の東側の北からの道の入口に置かれています。やはり車止めとして利用されていました。


こちらにもきれいに並べられていました。


この丸い石の目的が気になるところです。
クリックすると拡大ベトナムのハノイの監視塔で、大砲と石の砲弾を見ましたが大きさが違いました。この回のものは、ものすごく大きいです。この大砲は広場に面して建っていたMuseum Fatahillahの正面に設置されていた4つの大砲の中の1つです。 Museum Fatahillahは1707年から1710年に建設された旧市庁舎です。


大砲の弾としては大きすぎる気がします。


大きな丸い石を拡大したしました。やはり、この大きさの石の砲弾を使った大砲なんか存在しないように思えました。


ネットで調べていると、ありました。重さ260kgの石の砲弾を飛ばす大砲がこれです。
射石砲(しゃせきほう)と言うそうです。中世に用いられた大砲の一種。
その名のとおり石を打ち出すもので、大体は攻城戦で用いられたそうです。この写真はネットから拝借いたしました。
この写真のものはエルサレムの聖ヨハネ騎士団の射石砲, ロードスで、1480-1500年頃のものだそうです。オスマン帝国の攻撃からロードスの城壁を守るために作られた物で自重3,325kgで、重量260kgの石弾を撃ち出せたそうです。
石の直径と重さの関係を計算してみました。石の比重を2.65として計算しています。
   直径    重さ
    mm     kg
   200.0    11
   300.0    37
   400.0    89
   500.0   173
   572.2   260
   600.0   300
ありえそうなサイズです。あの石は大砲の弾だった可能性が高い気がします。
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この広場につながっている道の入口に並べられていました。
青いマークがCAFE BATAVIAの場所です。


巨大テーマパーク [インドネシア]

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ジャカルタの近郊に昔の建物を再現したテーマパークがあると聞き行ってきました。ここが画期的な扇風機が設置されていたところです。
日本だとテーマパークの外に駐車場があり、そこで車を降りてテーマパークに入りますが、ここでは車も一緒に入ります。歩いて中を移動するのは大変なのでテーマパーク内は車で移動するんです。バスで来た人は貸し自転車があったのでこれを利用するのもいいかもしれません。

パンフレットの中の地図を見ると池の中の島がジャカルタの地図になっているのがわかります。ここはタマンミニ (Taman Mini Indonesia Indah)と言う場所でした。
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航空写真で池を探しました。こちらの方がジャカルタの地図の形が鮮明だと思います。


確かにいろんな建物があり楽しめそうです。
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この日はショッピングモールや海岸に行き漁船も見た上で行ったので一つ一つのパビリオンを廻る時間がありませんでした。そこで空中ゴンドラに乗ってみました。
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ここは建物を見るだけではなくてパビリオンの中ではいろんなことをやっておりネットで見ると「インドネシア各地の文化、建築の違い、日常の生活ぶりなどを知る事ができる。」そうです。本来ならば一日かけて来る場所でした。


人と車の入場券です。人は90円 車は100円
やたらと安い気がしますが皆さんのご意見は!


下の写真は衛星写真から拝借いたしました。場所はタマンミニではなくてジャカルタの海岸を見るために入場した遊園地アンチョール(ANCOL)です。下の写真をクリックしてみてくださいは広さが実感してもらえるかもしれません。遊園地アンチョールも車で中を移動するんです。
バリ島に比べてジャカルタは海外からの観光客は少ないのでこれらの施設はインドネシア国内(および近隣諸国)や地元の人たちのレジャーの場所になっているよう気がしました。いずれも「あまりの広さ」と「内容の充実」に圧倒されてしまいました。
衛星写真で確認するとアンチョールは東西が2km(海岸線だけだと3.2km)で南北が1kmです。ディズニーランドか700mx600mの楕円形なので大きさが実感してもらえると思います。タマンミニはさらに大きいのです。
半端じゃない巨大レジャー施設のような気がします。巨大な施設アンチョールやタマンミニの名前を覚えておいてください。
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また来てしまいました。 Cafe Batavia [インドネシア]


2010年1月22日に紹介した208年前に建てられたカフェに、また来てしまいました。名前はカフェ バタビア(Cafe Batavia)です。上の写真が建物の全景です。丸い石があるのに気が付かれましたか。次はこの丸い石の報告をいたします。

お客さんは欧米人や日本人の人が多かったです。有名なようで15時ごろでしたが沢山の人が雰囲気を楽しんでおられました。この日の座った場所からの景色です。


前回、来た時は壁際のあたりに座りました。写真の中央あたりで額が沢山飾られています。


この日はバンドもやっていました。左の女性2人は日本人の方だと思います。


これがCafe Bataviaのドリンクメニューです。年代を感じます。


一緒に行った人が頼んだインドネシア・コーヒーです。トルコ・コーヒーのようにコーヒーの粉がそのまま入っています。ただしトルココーヒーのように濃くはありません。コーヒーカップではなくガラスコップに紙ナプキンを巻いて出てくるのがこちら流なのかな。


アイスコーヒーを頼んだつもりでしたがウインナーコーヒーの雰囲気のものが出てきました。触ってみると熱かったのでどうやら間違えられたようです。紙ナプキンを外して飲もうとするとコップが熱くてもてませんでした。ここでやっと、紙ナプキンが巻かれて出てくる理由がわかりました。巻きなおして飲みました。これがCafe Bataviaスタイルだったのです。前回はビールだったので、初めてバタビア・スタイルを知りました。体験ができてよかったです。


これがレシートです。インドネシアコーヒーはJava coffee(ジャワ・コーヒー)と書かれており2杯で75000ルピアです。私が飲んだのはCafe Latteと書かれており価格は37500ルピアでした。それにサービスチャージ10%に消費税10%がプラスされて合計が136125ルピア(1194円)でした。


清算カウンターからの景色です。


Cafe Bataviaは大きな広場に面しています。中央の建物がCafe Bataviaです。



2010年1月22日掲載
タイトル:200年の歴史を持つレストラン Cafe Batavia

場所はジャカルタです。バリ猫さんに教えてもらったお店に行きました。
食事ではなく15時ごろにビールを飲みに行ってみました。バリ猫さんが言われる通り素敵なお店でした。これは座った場所から撮った写真です。1805年に建設されたとのことなので205年の歴史のあるレストランとのことになります。驚きです。
バリ猫さんのコメントを掲載させてもらいました。ちゃんと営業されていました。
過去ログのFrom Jakartaの一番最後にも書きましたが、私個人が絶対にお奨めしたいのは【Cafe Batavia】なんですが、先日の大洪水でかなりの被害を受けたと聞いているので、果たして営業しているかどうか…。

食事時ではないのでお店がすいていたのでお店の中を案内してもらいました。2階のカウンターです。


2階の窓際の席です。


ここはトイレが有名なのでトイレも案内してもらい撮らせてもらいました。もちろんお店の人の了解をもらった上でのことでした。


2階から1階を見たところです。


ここでインドネシアのビールをいただきました。このビールは美味しいビールでした。日本の人はほとんどこのビールを飲むそうです。


偶然にレストランで撮影をしていました。撮影風景です。ジャカルタでも撮影に使われるほどの場所だということがわかりました。コートを着ている女性が主役の女優さんのようです。雨上がりの風景なんでしょうか。水をまいていました。「化粧品のCM撮影」または「化粧品のCMに出ている人」との説明でした。


お店の中から窓越しに撮影風景を撮った写真です。CM撮影というよりはドラマの撮影のようにも感じました。


主役の女優さんらしい人が我々の横まで飲み物を取りに来たので一緒に写真を撮らせてもらいました。腕を組んでもらっているのが私です。インドネシアの人に聞くと良く知られている女優さんだそうです。
名前はBecky Tumewuさん。
ネットで検索すると沢山表示されました。でもインドネシア語のようで書いていることは判りません。
Becky TumewuさんのTwitterです。→http://twitter.com/#!/BeckTum
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お店の名前はカフェ・バタヴィア「CAFE BATAVIA」 ネットを引用すると
1805-1850年建設。ジャカルタで二番目に古い建物。 Grand Salon (Java teak)地階は古典的ポピュラーアートのインテリアだが、階上は王室的雰囲気。この建物自体名所となり得る。 

ホテル インドネシア ケンピンスキー(Kempinski) [インドネシア]



インドネシアのジャカルタ(Jakarta)で2泊したホテルの名前がケンピンスキー(Kempinski)でした。恥ずかしながらケンピンスキーは知りませんでした。調べてみるとドイツ系の世界的なホテルで各国にありました。上の写真で高層ビルも含めて高層ビルの左側が全てケンピンスキーのビル群です。ただしホテルとして使われているのは一番左側のビルです。その他のビルはショッピングモールなどとして使われていました。
このホテルは元々はホテル・インドネシア(HOTEL INDONESIA)という地元の有名なホテルでしたがケンピンスキーが買収して建物の外観はそのまま残して内部を改装したそうです。Kempinski-167.jpgそれもビルを建て直した方が安価に出来たと噂されるほどの改装でした。そのやり方が建物を大切にするヨーロッパ風なのでしょうか。正式名はKempinskiですが、右のように有名なHOTEL INDONESIAはまだ使われていました。だからネットで検索しても「ホテル インドネシア ケンピンスキー」と言い方が多いのです。

建物の中は常に新しい蘭(ラン)の花が、いたるところに飾られていました。写真の花はロビーの真中に飾られていた蘭の花です。


チェックインカウンターの後ろ側が開放的なガラス張りになっているのも印象的でした。カウンターも4つあり、従業員の人も忙しい時には沢山おられてチェックインもチェックアウトも待たされることがありませんでした。


ガラス張りの外側は庭になっていました。さすが巨額な改装をしただけのことは事実のように思えました。


部屋も立派でした。泊まったのは標準的な部屋(朝食付き 税込み 約11,600円)でしたが最高のもので出来ている感じがしました。こちらは入口側からの写真です。


そしてこちらが窓側からの写真です。ブラインドのところがバスルームです。


バスルームという名にふさわしい広い部屋にTOTO製の大形の浴槽が置かれていました。


シャワーとトイレはそれぞれ別の部屋になっていました。左側の透明ガラスの部屋がシャワー室です。シャワー室だけでもかなりの広さでした。右側のスリガラスの部屋がトイレです。こちらにもTOTO製の高級なウオシュレットトイレが備えられていました。


シャワー室には大好きな大形のレインシャワーが取り付けられていました。


こちらが洗面台です。


机もガラス製のモダンなものが使われていました。実は同レベルのホテルと比べると若干、お得な価格なのも、うれしかったです。東京でこれほどの部屋に泊まったらどれほどの価格なのか気になるところです。と言っても東京で泊まったのは東京ドームホテル品川のホテルパシフィックだけなので比べようがありません。


ジャカルタの中心的存在の大形ロータリの、そばにあり、このローターリーの周りにはKempinski、Grand Hyatt、日航ホテル、Mandarin Orientalなどの高級ホテルや高級ショッピングモールに超高層オフィスビルが立ち並ぶ場所でした。紫の押しピン・マークがホテルの位置です。
赤い線は朝の散歩のルートです。そのうちに景色を紹介したいと思います。

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ジャカルタ便のファーストクラス [機内 F]



インドネシアのジャカルタに行った時に行きのフライトはうれしいことにFクラスにアップグレードしてもらえました。長距離便ではFクラスはありますが中距離便は昔はいろんなところでFクラスがありましたが、今はJALで調べた範囲ではジャカルタ便だけとなってしまいました。中距離便のFクラス(ファーストクラス)を紹介するのは初めてです。


ラッキーなことにFクラスでもジャカルタ便は新型のシートが搭載されていました。右のようにボーイング777の機体でのシート数は8つです。


クリックすると拡大下の写真は座った場所から前のテーブルとテレビを撮ったものです。テーブルの下にシートベルト付きのベンチがあるのが判ってもらえると思いますが、テーブルを手前にスライドさせると、2人向かい合って、お酒を飲みながら会話が出来る構造になっているのです。右の写真は航空会社のHPの写真です。クリックすると拡大します。


テーブルを手前に引いたころです。テレビ画面も結構、大きかったです。


シートのコントロール部分も紹介しておきます。


サービスとしてリラクシングウェア(寝間着のようなもの)が用意されているので、右の写真のように着させてもらいました。敷布団と羽毛の掛け布団も用意されていましたが昼間の便であったことから布団は使いませんでした。
そして最初の飲み物はサロン(シャンパーニュ・サロン1999)がいいですね。


サロン(Champagne Salon 1999)は免税店でも1本、数万円することもあり、昔はパリ線などの一部の路線にしかありませんでしたが、今は全ての路線でおかれています。この日は行き用に2本、帰り用に1本と計3本ほど、のせれていました。2021年3月23日の時点でChampagne Salon 1999をネットで検索するとAmazonの価格で11万円/1本でした。写真をクリックすると拡大いたします。
クリックすると拡大

いつもサロンは1~2杯ですが、この日は3杯いただきました。この日の飲んだ順番はサロン3杯→白ワイン1杯→赤ワイン1杯→ビール1缶→梅酒2杯でした。映画は3本見てしまいました。


食事は和食と洋食が選択出来ますが、Fクラスはワインが充実しているので洋食にいたしました。
アルコールと一緒に楽しむおつまみは「湯葉と蒸し雲丹のゼリー寄せ オマール海老の香りをのせて」と「真鯛昆布〆のタルタル風柚子の香り 全粒小麦パンのトースト添え」と「フランス産鴨胸肉のロースト市松仕立て 山葵風味のマヨネーズと共に」の3品でした。


アペタイザー は次の3品の中から選びます。
①タラバ蟹と帆立貝のグリルを添えた低農薬特別栽培野菜のサラダアペタイザー
  舞茸の香り焼き、エシャロットのクリスピーフライと共に
②鴨フォアグラの味噌風味、帆立貝、紅芯大根のミルフイユ仕立て
  味噌の香りを忍ばせたバルサミコソースと共に
③キャビア
私はキャビアを選びました。
驚いたことにキャビアは瓶のまま出てきました。薄いパンに載せた食べると適度の塩味で美味しくいただけました。


瓶の表と裏の写真を掲載いたします。この2枚の写真はクリックすると拡大するので文字が読みやすいと思います。加工業者はフランスのようです。内容量は18gでした。
ネットで少し調べてみました。ARCANEは高級食材の輸入会社で、このキャビアはフランス産の養殖キャビアであることが判りました。
18gビンのネットでの販売値段は7980円でした。7980円のキャビアをビンごとドーンと出してくるところがすばらしいです。
クリックすると拡大クリックすると拡大

キャビアとなると白ワインが飲みたくなるので4種類の白ワインの中からCAの方の、お薦めをいただきました。銘柄はブルゴーニュの ピュリニー・モンラッシェ プルミエ・クリュ レ・シャルモー 2009を選んでもらえました。


機内でワイングラスで飲めるのはうれしいですね。


メイン料理も3種類から選べますが①の牛肉にしました。焼加減はどうしますかと聞かれたので、機内で焼くのですかと聞くと、その場で焼くとのことだったのでミディアムではなくレアにしてもらいました。
切ったものをグリルしているようで切口は少し火が通っています。
①鹿児島県産黒毛和牛フィレ肉のグリル
  生姜風味のフォンドヴォーソースを添えて
   百合根のフラン、小茄子のグリル、ガーリック風味のブロッコリー、人参のグラッセ
②名古屋コーチンの香味野菜マリネロースト
   くちなしの彩り栗のソースと共に
   長葱のブレゼ、人参のグラッセ、ブロッコリー、舞茸の香り揚げ
   銀杏、牛蒡のクリスピーフライ
③天然キジハタの白板昆布包み蒸し
  四種の茸コンソメソースを添えて
   小蕪と人参のコンソメ煮、白髪葱、赤黄ピーマン


その場で切った写真だと焼き加減がわかるので、切ったところの写真を掲載いたしました。これが焼き加減です。


肉は生姜風味のフォンドヴォーソースと塩でいただきました。両方、楽しめるのがよかったです。


肉となると赤ワインが欲しくなりますね。[CAの人に選んでもらったのはボルドーの シャトー・レオヴィル・ポワフェレ2007です。赤ワインも4種類の中から選ぶことが出来ます。


やっぱり、注いでもらうと雰囲気が出ますね。


デザート盛合せの盛り合わせです。メニューには収穫祭のトリオデザートと命名されていました。
 薩摩芋のスープ シナモンのジュレを忍ばせて
 紫芋のモンブラン ラム酒の香り
 海老芋と黒胡麻のアイスクリーム 薩摩芋のテュイルを添えて 
と書かれていました。


こちらがデザートと一緒に頼んだコーヒーです。なかなかの人気でした。砂時計の砂が落ちきった時が飲み頃だそうです。


ビールも飲みたくなったので頼みました。


昼間のフライトなので外の景色も楽しめました。


好きな時に食べる料理が用意されていました。お酒のつまみ系が6種類に食事系としてカレーや麺類があったので「佐野ラーメン」を頼んでみました。このときに梅酒のソーダ割りも頼みました。


和食の場合はネットの写真で紹介いたします。
こちらが中距離線用の和食です。ジャカルタ線のみが対象になります。


そして、こちらが長距離線です。ロンドン線、パリ線、フランクフルト線、ニューヨーク線、シカゴ線、ロサンゼルス線の5路線が対象です。



帰国のジャカルタから成田へのフライトもアップグレードしてもらえました。帰国便は夜行便となるため食事は到着寸前の朝食のみです。したがって食事を楽しむと言うよりはぐっすり眠れるのがFクラスのいいところだと思います。ヨーロッパ便となると食事も楽しんで睡眠も出来るのでが、中距離便の夜行は飛んでいる時間が違うのでしかたがないと思います。


最初の飲み物で選んだのがこれです。ワインでもシャンパンでもありません。実はお茶(ティー)なのです。


名前は「ROYAL BLUE TEA "Queen of Blue"です。説明書きを紹介します。
「ロイヤルブルーティー"クィーン オブ ブルー"は、手摘みの高級茶葉のみを使用して湘南茶工房のティーソムリエたちが、手間隙を惜しまず丁寧に1本1本造りあげた究極のストレートティーです。」
成田からの出発便の時は食事の後に頼むと全て売れきれであったために飲めなかった経験があることから、帰国便では最初に頼みました。おかげで2~3杯いただくことが出来ました。


食事は朝食しかないのですがアラカルトに御寿司があったのでいただきました。


夜行便なので食事もとらないで、すぐに寝る方が多いのですが、私は映画を1本見てから寝ることにいたしました。行きの便では3本見ていたので、まだ見ていないものから日本映画の「ANDALUCIA(アンダルシア) 女神の報復」を選びました。


映画を1本見た後にすぐに布団をひいてもらいました。この写真のように完全に幅の広いベットの状態になるのがこの新型のシートの特徴でもあります。JALでは下記の2種類のシートが使われています。     右下の写真はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大 JAL SKYSLEEPER SOLO
    ロンドン線     JL401/402便
    パリ線       JL405/406便
    フランクフルト線  JL407/408便
 JAL SUITE(新型)
クリックすると拡大    ニューヨーク線   JL006/005便
    シカゴ線      JL010/009便
    ロサンゼルス線  JL062/061便
    ジャカルタ線    JL725/726便


目が覚めたら福岡のあたりでした。


目覚めの飲み物はトマトジュースをいただきました。帰りの便ではアルコールは一切飲みませんでした。これは初めてかもしれません。


そこで着陸までの時間を考えて49分のアニメ映画を見ました。映画の名前は「青のエクソシスト(祓魔師)」でした。


こちらが和食の朝食です。紹介するために頼んだ面もありますが、炊き立てのご飯が美味しかったです。ベトナム線などは、ご飯ではなくお粥のことがありますが、作りたてではないお粥は美味しくないので、やっぱり炊き立てのご飯にして欲しいのは私だけではないと思います。

ミルクロード 阿蘇外輪山 [阿蘇山]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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阿蘇山の北西の外輪山の上を走る道があります。名前はミルクロードです。熊本と阿蘇を結ぶ国道57号線の空港近くから外輪山の上を通って大観峰までつながっています。高原の牧草地を走る道路て、おそらく牧場が沢山あることからミルクロードと命名されたのだと思いますが、観光道路ではありません。牧場も一般には開放されていない上にレストランも2軒しかありませんでした。

でもミルクロードからの景色はすばらしいです。阿蘇連山がいろんな角度から見ることが出来ました。
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ミルクロードの途中からミステリーロードと名の付いた道があったので走ってみました。右に行くと阿蘇スカイラインで左に行くとミステリーロードでした。
さすが900m近い標高です。9月でしたがススキが秋の風景を見せてくれていました。
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さすが、ミステリーロードです。ナビにも道路が表示されていませんでした。ナビ上は西湯浦牧場の敷地の中を走っていました。ミステリーロードは、このGoogleマップでマゼノミステリーロードと記載されていました。


別の角度からの阿蘇連山です。
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かなり遠いいけれど九重山もくっきりと見ることが出来ました。
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風の強い場所のようで阿蘇には風力発電が沢山設置されていました。


阿蘇の山頂から青いラインを走りました。青いラインの内、外輪山を走るところがミルクロードです。赤いマークが風力発電が沢山あった場所です。

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窓からの景色 洞爺湖 [洞爺湖]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

洞爺湖温泉のホテル(洞爺サンパレス)の窓からの景色です。前日の花火はこの窓からの写真です。洞爺湖温泉は13年前の噴火が有名ですね。

湖畔からの朝の景色です。北方向を撮っています。羊蹄山(エゾ富士)の右側(東方向)から太陽が少しあたっています。この日は我々のところには太陽の日は一度もあたりませんでした。洞爺湖では2008年にサミットが開かれたこともあり外人の人も沢山こられていました。
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上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックの面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。
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洞爺湖がよく見える展望台にバスを停めてもらい撮らしてもらった景色です。残念ながら曇りでした。衛星写真で昭和新山の東側の200mの台地の端と弁天島の右端を通る赤色ラインから展望台の名前はサイロ展望台と判りました。湖に浮かぶ4つの島は中島(ポロシリ)、観音島(カムイチセモシリ)、弁天島(トプモシリ)、饅頭島(ポンモシリ)です。
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上の写真と同じサイロ展望台からの写真です。2枚の写真で、やっと洞爺湖の全景が判りました。洞爺湖温泉の場所もわかってもらえると思います。上の写真は、こちらの左側の部分に相当します。
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この時は桜も咲いていました。時期は5月13日でした。
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こちらは1979年に北海道旅行に行ったときの洞爺湖の写真です。この時は一眼レフと二眼レフのカメラを持って行きました。
大観望と呼ばれる展望台から撮った5枚の写真をつないでパノラマ写真を作りました。初めて北海道に行ってから34年がたったわけです。自然は変わりませんが、この中には2000年に噴火した西山火口群はありません。クリックすると拡大します。この写真は是非ともクリックしてもらいたいです。
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衛星写真で洞爺湖を紹介します。典型的なカルデラ湖であることが判ってもらえると思います。
島の位置や有珠山と昭和新山の位置関係から衛星写真内の青色マーク( )の付近に1979年に洞爺湖を撮影した大観望があったと思われます。Google地図で見る限り今は大観望は無いと思われます。空色マーク( )は、今回、洞爺湖を撮影したサイロ展望台です。
位置を特定するのにGoogle地図に登録された写真も参考になりました。
緑色マーク( )が洞爺湖温泉の泊まったホテルの位置です。黄色のラインは泊まったホテル(洞爺サンパレス)から見た羊蹄山(エゾ富士)の方向です。

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1979年に撮影した展望台の位置と今回撮影した展望台の位置を特定出来た位置関係を紹介します。上の航空写真の赤のラインで確定しました。
 今回撮影              大観望から1979年撮影

阿蘇外輪山 大観峰からの日の出 [阿蘇山]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

泊まっていた内牧温泉の近くにある大観峰(だいかんぼう)から日の出を見たくて朝早く(5時前)、車に乗って出かけました。前日に家族を誘ってみましたが朝が早いので私一人となりました。上の写真は6時27分に撮ったものですが、この写真を撮るまでが結構大変でした。

5時19分に大観峰(だいかんぼう)に着きましたが、まだ真っ暗闇でした。大観峰は標高は935.9mで、阿蘇北外輪山の最高峰であり、カルデラ盆地の阿蘇谷や阿蘇五岳をはじめ、九重連山を一望することができる場所です。「大観峰」の名は熊本県出身のジャーナリスト・徳富蘇峰によって命名されたとされており、古くは「遠見ヶ鼻」と呼称されていました。阿蘇谷を一望できることから熊本県内のテレビ放送局が阿蘇北中継局を設置しているほか、警察庁の無線中継所も設置されています。
こちらの碑では大観が使われていました。


5時23分の阿蘇山の方向の写真です。曇りのようで、この時間では山のシルエットも確認できませんでした。


5時40分になってやっと阿蘇山が見えてきました。それでもはF2.8でシャッタースピード4秒でこの暗さでした。 三脚がないのでカメラを石碑に押し当てて撮りました。これまでの間、かなり寒かったです。


クリックすると拡大5時59分です。 明るくなってきました。シャッタースピードも1/8秒です。手で持っての撮影なので手振れ補正だけが頼りでした。
右から杵島岳(1321m)、往生岳(1233m)で左から根子岳(1433m)、高岳(1592m)、楢尾岳(1323m)です。楢尾岳と往生岳の間に噴煙が上がっている近くに中岳があります。小さくて目立たないけれど判ると思います。
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これが大観峰の石碑です。上から2枚目の写真の木の記念碑は駐車場の近くのものです。さほど高さに差はないのですが最高峰まで10分程度歩きます。


大観峰の名前が付けられる前は「遠見ヶ鼻」と呼ばれていました。その遠見ヶ鼻と書かれた石碑も大観峰の石碑の横に立てられていました。
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6時24分に太陽が見えてきました。日の出時間はもう少し早かったのですが、雲のために太陽は、この時間まで見ることが出来ませんでした。この時は曇っていましたが昼になるときれいに晴れました。


西の方角です。私が立っている大観峰の影が外輪山にくっきりと出来ています。時間は上の写真と同じ6時24分でした。是非とも写真をクリックしてみてください。
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6時27分になると太陽がまた雲に隠れ始めましたがきれいな景色を見せてくれました。冒頭の写真はこの写真から切り取ったものです。クリックして拡大するとわかると思います。
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中央の小さな小山が「本塚/にえ塚」です。その少し手前の木が生えた丘が「北塚」です。「本塚」の左側の小さな丘が「灰塚」です。阿蘇山の裾野(写真の右上)に本塚と同じような小山が、有名な「米塚」です。これらが入った景色が、日が昇ってきて見えてきました。この時の時間は6時29分でした。
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6時44分です。大観峰の最高峰から降りてきて大観峰の方を撮りました。アンテナ群のさらに向こう側の一番高いところが大観峰の最高峰です。上から一枚目と二枚目の写真を除いてすべて大観峰の最高峰から撮ったものです。
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九重山です。大観峰からは東北東の方向です。6時45分の写真です。7時30分から朝食なので、そろそろ内牧温泉に帰ることにしました。
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阿蘇山の地形図で大観峰の場所を紹介いたします。黄色のマーク( )が大観峰です。ここから阿蘇カルデラがよく見えることが判ってもらえると思います。緑色のマークが牛の写真を撮った場所です。。空色のマーク内牧温泉です。黄色のラインで内牧温泉から大観峰まで車で走りました。紫色のマークは、上の6時29分の写真で紹介した米塚(954m)と本塚(573.8m)と北塚(552.1m)と灰塚(520m)です。

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この花は ? [洞爺湖]

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洞爺湖のすぐそばの昭和新山で咲いていた花です。
つつじ科の植物であることは間違いありませんが名前はわかりません。葉っぱの感じや花がまとまっているところは石楠花(しゃくなげ)に似ています。石楠花と言えば黄龍の標高3230mで咲いていた純白の石楠花を思い出します。写真はクリックすると拡大します。

内牧温泉からの景色 [阿蘇山]



九州旅行では湯布院(由布院)と阿蘇の2ケ所に泊まりました。阿蘇で泊まった場所は内牧温泉です。今回、6名で予約すると3部屋を用意してもらえました。上の写真は部屋の中から撮ったものですがベランダに大きな露天風呂が付いていました。窓からは阿蘇連山がが目の前に見えます。

24時間温泉に入れたのは良かったです。お風呂も大きかったです。


お風呂の位置からの景色です。


窓からの景色を紹介します。7時10分の景色です。出発した8時半ごろには晴れてきれいな景色を見せてくれました。
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阿蘇の中岳(1506m)、高岳(1592m)に根子岳(1408m)です。


こちらは往生岳(1238m)と杵島岳(1321m)です。


洞爺湖名物 石焼玉子 [洞爺湖]



お土産屋さんでひと際、目を引いたのが上の石焼玉子!
場所は洞爺湖温泉のすぐそばにある西山火口です。ここは7年前の噴火当時のままになっている場所でした。

石焼玉子は人気みたいです。追加の窯にも沢山玉子が並べられていました。


石焼玉子があれば当然、石焼芋(さつまいも & じゃがいも)もありました。石焼玉子に比べて石焼芋はさびしいです。売れたからないのかな。

阿蘇の山麓は牛さんがいっぱいでした。 [阿蘇山]

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この日の午前中は泊まっていた内牧温泉を出発して阿蘇の火口を目指しました。阿蘇駅の近くから阿蘇パノラマライン坊中線をレンタカーで走りました。道の両側はすべて牧場で牛がところどころに集まっていました。車を停めて眺めていると遠くから人懐っこそうな牛さんが一頭近づいてきました。柵の間から顔を出して、なでなでしてほしそうでした。

顔をのぞかせるちょっと前です。写真はクリックするとすべて拡大いたします。是非とも拡大して見てやってください。
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この牛さんの背中越しに見た景色です。遠くの牛さんの群れから一頭だけが近づいてきたのです。
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遠くに見える山並みは九重山です。
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少し拡大してみました。
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別の角度から牛さんを撮りました。
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この日は6人だったのでレンタカーはエステマにしました。右が九重山の方向で左が阿蘇山の方向を撮ったものです。この日は夕方のフライトで3人が帰った後に熊本空港で車をプリウスに代えて、すでに紹介した湯布院温泉(由布院温泉)に行きました。
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この山は阿蘇連山の一つである往生岳(1238m)です。その山の奥にあるのが杵島岳(1321m)です。
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こちらは同じく阿蘇連山の中岳(1506m)、高岳(1592m)に根子岳(1408m)です。この日は阿蘇山噴火口も行きました。→ポチッ
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道路の両側は牛が入って来れないように柵が作られていました。左の山が杵島岳(1321m)で道路に迫ってきます。
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道路と柵もきれいな景色の一つになります。
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柵があってもやはり牛さんが道路に出てくることがあるのでしょうね。牛さんと馬さんの注意の看板が沢山ありました。写真をクリックすると周りの景色を表示します。
クリックすると周りの景色を表示クリックすると周りの景色を表示

米塚を見下ろす位置まで上がってきました。阿蘇の外輪山もきれいに見えました。外輪山よりも高く上ったようで外輪山の外側の山々もくっきりと見えていました。米塚は阿蘇山の中でもっとも新しく出来た山で1500年前に生まれたそうです。
外輪山の内側は30-9万年前に発生した4回の巨大カルデラ噴火により形成された阿蘇カルデラです。その大きさは世界最大級でカルデラを取り囲む外輪山も阿蘇火山に含まれ、東西約18km・南北約25kmに及びます。
この日、朝早く行ったカルデラを見下ろす大観峰は、カルデラ噴火前の火山活動による溶岩とカルデラ噴火による火砕流堆積物(溶結凝灰岩)でできた山だそうです。
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子供たちは、小さいころ、この草千里ケ浜で馬に乗ったことを覚えていました。クリックして拡大すると馬がわかると思います。この山は鳥帽子岳(1337m)です。もう少し進むと火口につきます。
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このあたりでも牛さんが放牧されていました。
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牛さんのいる景色は絵になるのでもう一枚撮りました。
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阿蘇山の地形図を掲載いたします。阿蘇カルデラは南北約25 km~東西約17kmと非常に大規模なものです。緑色のマークが冒頭の牛の写真を撮った場所です。道路は阿蘇パノラマラインと名付けられています。空色のマークが朝出発した内牧温泉です。緑のラインで火口まで車で走りました。

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タグ:阿蘇山 火山

13年前に突然噴火 洞爺湖温泉 [洞爺湖]

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箱根火山阿蘇山を紹介したので、洞爺湖温泉の傍の火口群を紹介します。
ここは洞爺湖のそばの西山火口群と呼ばれている場所です。火山の火口が突然に噴火することがありますが、火口もなく人が普通に暮らしている場所が突然噴火したのがこの場所なのです。今から13年前のことですがテレビで中継されていたことや洞爺湖温泉が閉鎖ことは今でも克明に記憶に残っています。ここは昭和新山や有珠山の近くでもあります。
見学の日の晩に復活した洞爺湖温泉に泊まりました。噴火の時はテレビに釘付けだったことを覚えていますが、旅館街の傍で噴火が起きたことに改めて驚かされました。

火口です。ここにも家の残骸がありました。犠牲者のことが気になってネット で調べると、事前の避難によって犠牲者が0だったそうです。本当に良かったです。見学も気持ちよく出来ます。
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枠内がネットでの記載内容です。
2000年3月末火山性地震急増、この時点までは観光宿泊客はまだ温泉に宿泊中。伊達市、虻田町、壮瞥町、豊浦町で災害対策本部設置。28日住民の自主避難開始。翌29日避難勧告発表、2114人犠牲者なし。一週間以内に噴火すると北大有珠火山観測所の岡田教授が断言し、避難活動が慌しくなる。この時点での記録として有感地震数628回
2000年3月31日午後1時07分有珠山西側西山山麓殻噴火。噴煙は高度3200メートルに達する。岡田教授の高度な予測と虻田町の対策のよさで犠牲者はなし。

枯れた木が当時の噴火のすごさを伝えてくらました。
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火口から上がる水蒸気は迫力がありました。
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断層で道路もずたずたになりました。
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いたるところから水蒸気が上がっていました。 倒れた電柱や標識も印象的でした。
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傾いた家や車が昔のままに残されています。
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右上の町が洞爺湖の湖畔にある洞爺湖温泉です。緑色マークが泊まったホテルです。航空写真の下半分に2000年に突然に出現した西山火口群と呼ばれる沢山の火口が見れます。左下の赤マークあたりの火口群を散策して撮った写真を掲載させていただきました。詳しい位置はアジア航測株式会社の資料に記載されています。→ 地図-1 地図-2


洞爺湖の対岸のサイロ展望台からの写真を紹介します。
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湖がカルデラ湖である洞爺湖です。赤色マークが今回紹介の西山火口群で緑色マークが洞爺湖温泉です。黄色の4つのマークが有珠山と明治新山(四十三山)と昭和新山と有珠新山です。昭和新山は半年前から有感地震などの予兆はありましたが1944年6月23日に平地が突然に噴火が開始して1945年9月20日に噴火が停止するまでの1年3ケ月で出来た新しい山です。有珠山が形成されたのは約2万年前と考えられていますが20世紀の100年間だけで4度もの噴火活動が観測されたことでも有名な火山で西山火口群の噴火は有珠山の噴火の一つとして数えられています。昭和新山も有珠山の側火山と数えられています。明治新山も有珠山の1910年の噴火活動によって形成された側火山です。有珠新山もの1977年-1978年の噴火で出来た側火山です。

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,ネットから拝借した2000年4月23日午前9時から11時の監視ヘリコプターからの写真を紹介します。写真はクリックすると拡大します。
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上の噴火時の6枚の写真は、場所が書かれたオリジナルの下記のサイトから選ばさせてもらいました。
西方からの有珠山。噴煙をあげているのは,左が金比羅山,右が西西山。左端に洞爺湖と温泉街。 洞爺湖上空から見た金比羅山(左)と西西山(右)。いづれも2つの火口から噴煙をあげている。 洞爺湖上空から見た金比羅山(左)と西西山(右)。

 

 

洞爺湖上空から見た金比羅山火口群(左)と西西山火口群(右)。手前は洞爺湖温泉街。

金比羅山火口群。
金比羅山西の山腹と山麓からあがる噴煙。 金比羅山の南上空から。灰で覆われた温泉街。 金比羅山西の火口からあがる水蒸気主体の噴煙。
西西山山麓の火口群。北西から。

 

 

 

 

西西山山麓の火口群。北西から。

 

 

 

 

西西山山麓の火口群。南方から。土砂と温水(熱水?)が炸裂して火口周辺に落下。

 

西西山山麓の火口群。南方から。国道230号線,家屋の周辺ではいくつもの断層で段差ができている。
西西山山麓。

 

 

西西山山麓。活動火口周辺。

 

西西山火口群と背後の金比羅山火口。南方から。 西西山火口群。西方から。背後に西山と山頂ドーム群。

左側の写真は掲載されていた記事では昭和新山と書かれていますが、洞爺湖の中島の見える角度から本写真は2000年3月31日から始まった有珠山の西山西麓での噴火と思われます。右側の写真は有珠山の西山西麓の噴煙と掲載されたものです。噴煙の形や周辺の景色から同じ場所からの噴煙とわかります。
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がりさんの「日本にはどれだけの火山があるのだろう。」とのコメントで活火山の数を調べてみました。
2003年の気象庁報告書によると活火山とは過去一万年以内に噴火したことのある火山のことで、世界の活火山の数は1548で、日本の活火山の数は108です。Wikipediaによると2011年6月に2火山が追加され現在は110となっています。つまり世界の7%の火山が日本にあることになります。日本の陸地は世界の0.25%なので火山が格段に多いと言えます。
下記地図は2003年1月21日の気象庁の報道発表PDFの地図をベースに2009年に内閣府で作られた地図です。110の活火山の中で火山防災のために監視・観測体制の充実等の必要がある火山は37(=13+24)あるようです。110活火山の内訳は次の通りです。
 13火山 100年 or 1万年活動度が特に高い活火山
 36火山 100年 or 1万年活動度が高い活火山
 38火山 100年 and 1万年活動度が低い活火山
  2火山 データー不足
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別のお店でもカルカンでした。 [トルコ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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イスタンブールに来ると、高いけれど一度はシーフードは食べたいものです。すでに紹介したところと別のお店にきました。こちらでも選んだ魚は、やはり美味しいと評判のイボカレイ(カルカン)でした。前のときと違う種類も食べたかったし、ホウボウもこちらを睨んでいましたが、浮気をせずカルカンでした。右側の大きいカルカンにしました。これは食べ応えがありました。

そのカルカンを食べる前は、トルコ独特の料理です。ペースト状のものはパンに乗せて食べますが、これがなかなかの味なのです。これらをつまみにビールとワインを頼みました。
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ネットで包まれてレモンが出来るのはトルコの特徴です。


サラダにタップリのドレッシングを掛けてくれます。イタリアンパセリが利いています。
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普通のイカ・リング・フライのようですが、トルコ名物のカラマル・タヴァで、白いソースをつけてレモンを絞って食べるそうです。少ないようですが、チョコット出てくるのがいいみたいです。


大きなカルカンだったので一匹で四角いお皿にいっぱい乗りました。今、取り分けているところです。
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各自に取り分けてもらったカルカンです。今回はタップリ食べました。レモンをタップリかけて食べますが醤油でも食べました。
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トウモロコシのケーキのようなものですがデザートとして出てくるのではなくて、料理の最初に出てきました。ペースト状の料理を付けて食べました。最後はトルコ紅茶のチャイです。


ボスポラス海峡には沢山の観光船が出ます。港も沢山あります。その港近くのシーフードレストランでした。

清荒神に滝がありました。 龍王滝と不動明王 [宝塚]



兵庫県の宝塚は宝塚歌劇団の本拠地があることで有名です。実は宝塚は私の実家があるところで結婚するまで住んでいたところです。宝塚近辺には、今回紹介する清荒神をはじめとして中山観音や門戸厄神、売布神社などの神社やお寺があります。その中でも自然の中にある清荒神は最も気に入っていて宝塚に住んでいたころには頻繁に行きました。ところが恥ずかしながら、その清荒神に滝があることを知らなかったのです。あのころは立ち寄って、すぐに帰ってしまっていたことから境内も散策することはなかったのです。今回は、久しぶりに来たので境内をゆっくりと散策しました。それでも滝を見つけることはありませんでした。帰り際に山門の横の境内案内図を見て、初めて滝があることを知ったわけです。それが、上の写真の龍王滝です。高さ数mの小さな滝ですが清荒神の一番奥にある神聖な場所である雰囲気が伝わってきました。

滝の前では熱心に拝んでおられる方がおられました。私がここに来てから帰るまで、長時間、拝まれていました。清荒神の正式名は清荒神清澄寺で、平安時代の初め、宇多天皇の創意により創建されたそうです。天皇は讃岐国の名工、定円法眼に命じて曼陀華の香木で本尊大日如来像を刻ませ、今から1116年前の寛平8年(896年)に、叡山の高僧静観僧正を迎え、開山の祖としたそうです。我々の間では「荒神さん」と呼んでいました。上で高さが数mと記載しましたがネットで調べたところ落差は10mだそうです。


上の写真の奥に説明の案内板がありました。その案内板には次のように不動明王が祀られている書かれていました。
 龍王滝・不動明王
 荒神川に掛る小さな滝を龍王滝という
 左側の岩盤をくりぬいたところに不動明
 王が祀られている

でも不動明王がみつかりません。滝つぼの左側の岩盤が削られているように見えるので滝つぼの写真を掲載いたします。でも写真の中に不動明王らしきものがないので、この場所ではないかもしれません。


もう一つの不動明王が祀られている候補の場所が、こちらの写真の奥です。洞穴のようになっているところに不動明が祀られている感じもしました。石の塔は十三重の供養塔です。


でも、なんとなく違う感じもしたので、撮った写真をもう一度見直して不動明王をやっと見つけることが出来ました。拝んでおられる方がいたので少し遠くから撮った写真が角度的に不動明王が、よく見えました。
右の写真の赤丸のところが不動明王の場所です。


滝の方にピントが合った写真なので、そんなにクリアーではないのですが、気になっていた不動明王の拡大写真を紹介いたします。実は冒頭の写真にも不道明王が写っていたわけです。


この境内案内図で清荒神に龍王滝があることを知り、探しに行ったわけです。この地図の一番右上の黄色い枠のところに「龍王滝」と書かれています。クリックするとネットの拡大案内地図が出るのでわかると思います。赤枠で現在地と書かれているところに、この境内案内図が立てられていました。


これが清荒神の山門です。この山門をくぐって右側に境内の地図がありました。三門形式に則った山門で、明治40年頃の建立と伝えられています。山門の向かって左手前に「大界外相(たいかいげそう)」と刻まれた石碑が立ち、ここからは聖域であるという意味を表しているそうです。右手前には宇多天皇より賜った称号「日本第一清三寳大荒神王」の石標があり、ここから奥が聖域の境内という雰囲気がありました。


清荒神の航空写真を紹介いたします。Aマークのところが龍王滝です。


665年前の監視塔 今は? [トルコ]

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イスタンブールのシンボルと言えばモスクであらゆるところに建っています。
ところがイスタンブールで最大のモスクが建っている丘から金角湾(Golden Horn)を挟んだ対岸の丘の上に大きな塔が建っており、ここに来たときから気になっていました。ネットで調べると、これはガラタ地区のシンボルでガラタ塔(Galata Kulesi)と呼ばれているそうです。
5~6世紀に灯台が建てられたのが始まりで、その後、この地に居留していたジェノバ人が地中海貿易のライバルであったベネチアや宗教の異なるビサンチンの攻撃に備えるため、1348年に監視塔として再建したものだそうです。
古い歴史があるのに、この場所が新市街と呼ばれているのにもイスタンブールの歴史を感じます。
クリックして拡大すると水辺に沢山の明かりがあることが判りますが、これは魚市場の明かりです。

対岸の鯖サンドを売っていた場所からの景色です。偶然カモメさんが入ってきたのでガラタ塔がすこし隠れてしまいました。カモメさんの多さを物語っています。魚釣りの盛んなガラタ橋からもよく見えました。
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鯖サンド食堂をと一緒にガラタ地区を撮ってみました。ここに座ってゆっくりサバサンドを食べながらビールを飲みたかったです。
チャンスあるかなぁ~~~?
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フランス人が撮った1900年ごろの写真をネットから拝借いたしました。手前の橋は釣で有名なガラタ橋です。ガラタ塔の屋根の形を下の写真と比べてみてください。


少し不鮮明ですが遠くからのガラタ塔です。nanaさんのご指摘で判りましたがトンガリ屋根の部分が昔と今とでは違いますね。昔は石造りのようです。周りの建物も高くなったために塔の上部しか見えませんがその大きさは想像できます。
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地元の人が利用するエジプシャン・バザールへ買い物に来る人々が行き交う場所です。地元の人にとってはこの景色も普段の景色で気に止めている感じはありません。夕刻の時間帯で晩御飯の材料を買いに来るころでしょうか。
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ホテルから小さな路面電車が走るイスティクラル通りを路面電車の終点まで行くとこのガラタ塔に来ることが出来ました。偶然出たところにガラタ塔があり、近くで見れて感激でした。塔の高さは67mで立てられている場所の海抜は35mなので約100mの大展望台と言うことになります。
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あとで調べてみると頂上は展望台になっているそうです。ここからは旧市街が一望できるとのことです。さらに内部はレストランになっていて、夜はベリーダンスなどのショーを楽しむことができるそうです。知らなかった。
機会があれば是非、中に入ってみたいところです。
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生活市場 エジプシャン・バザール [トルコ]

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すでに紹介させてもらったようにイスタンブールのエジプシャン・バザールと言えば観光客の人が必ず立ち寄る、お土産調達場所ですが、実は地元の人たちの市場なのです。

少し違う路地に入ると、そのことがすぐに判ります。今回は観光客の人たちが行かないエジプシャン・バザールを紹介いたします。
左の看板にある1YLTは60円です。右にはドネルケバブのお店があります。


鍋類のお店は特に多かったです。実はトルコ最大のモスクと言われるスレイマニエ・モスクを目指して迷い込んだのがこの場所だったのです。


沢山のお店から生活が伝わってきます。ここは生活用品調達場所だったのです。
近くの地下道の中にも沢山のお店がありました。
IMG_1156-1094.jpg

市場の裏には巨大かモスクがあります。これも生活の一部なのです。巨大なモスクですがスレイマニエ・モスクではありません。
IMG_1173-1490.jpg

阿蘇山噴火口 [阿蘇山]

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阿蘇の記事現在、先日の箱根の家族旅行の記事を掲載しつつあります。やはり家族で阿蘇山に行ったことがあるので、箱根も火山なので、阿蘇の記事も再掲載いたします。
阿蘇に来たならは、やっぱり中岳の噴火口には行きたいです。そこで、泊まった内牧温泉からまっすぐに火口を目指しました。上の写真の噴煙が上がっているのが中岳の火口です。

中岳の噴火口は下のようなような立ち入り制限の基準が設けてあります。実はこの日は微妙だったのです。阿蘇バノラマラインを通って阿蘇山公園道路の入口の料金所(阿蘇山西)で、今は登ることが出来るぎりぎり数値なので、長く火口近くにいないように言われました。団体の観光客の中の喘息(ぜんそく)の人はロープウェイ降り場に待機させられていました。この日のガス濃度が2~5ppmの範囲で5ppm未満だけれども5ppmに近かったのでしょう。料金所の人には火口が見れて幸運だとも言われました。


これが阿蘇公園道路です。左上の山の部分が噴火口のある部分です。歩いている人も沢山見かけました。料金所のあった阿蘇山西からはロープウェーでも登れます。


これが噴火口です。
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別の角度から見た噴火口です。
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中岳には六つの火口があります。今、噴煙を上げているのが第1火口です。
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これが第1火口です。この写真を撮っている位置からは、かなり火山ガスの硫黄のにおいがしていました。緑の水が沢山たまっています。
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第1火口を拡大いたしました。ネットから火口のことを調べてみました。
枠の中がネットで記載されていた内容です。
阿蘇山の火口は新旧、大小取り混ぜてはっきりした数が分からないほど沢山あります。現在、未だに活動を続けているのは中岳の火口だけです。
火口の直径は約600m、深さ約130m程あり、吹き上がる溶岩の温度は1000度~1200度に達します。静穏時には雨水がたまり50~80℃のお湯となります。
火口の池は青緑色ですがこれは周りの岩石から溶かされた鉄と銅の色(鉄→緑、銅→青)によるものです。
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実際に、見ている雰囲気を味わってもらうために撮った動画を掲載いたします。短い動画なので是非ともプレーボタン( )をクリックしてみてください。


第2、3火口あたりです。ただし火口の形はわかりませんでした。
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ここは第4、5火口あたりだと思います。自然のすごさが伝わってきました。
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第6火口あたりです。
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沢山の観光客の人が来られていました。80%くらいが海外の人でした。
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第1火口の写真を皆さん撮られていました。


山上身代不動です。


第1火口の近くには避難シェルターが並んでいました。この景観からも噴火口に来ているのだとの実感が伝わってきました。
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高校の修学旅行で来たときもシェルターの印象が残っています。
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ここからは火口からの周りの景色を紹介いたします。これが、先ほど紹介したロープウェーです。クリックすると広い範囲を表示させます。
クリックすると広い範囲を表示pg

鳥帽子岳(1337m)の方向の景色です。丸い建物があるところがロープウェーの乗口です。鳥帽子岳の左の奥にあるのは御竈門山(1153m)です。
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こちらは杵島岳(1321m 左)と往生岳(1238m 右)です。当然ですが阿蘇連邦の山はすべて火山活動で出来た火山です。杵島岳は比較的新しい火山で、杵島岳の周辺では7つの火口を見ることが出来るそうです。
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今も噴煙を上げている中岳の火口あたりの衛星写真です。変色している部分が雨水が溜まった火口です。静穏時の写真のようで噴煙は写っていません。
阿蘇山は30万年以上前に現在の外輪山などを形成している火山群の活動があったそうです。そして約30万年前から9万年前までに大規模な噴火が4回あり、地下から大量の火砕流や火山灰を放出したため、巨大な窪地(カルデラ)が形成されたそうです。その中でも4回目の噴火が最も大きく、火砕流は九州中央部を覆い一部は海を越え山口県にまで達し、火山灰は北海道に至る日本全土の他朝鮮半島でも確認されています。高岳、中岳、烏帽子岳、杵島岳は4回目の巨大カルデラ噴火後に活動した火山で、根子岳は4回目の巨大カルデラ噴火よりも古いと推定されています。
現在では阿蘇山の噴火に限っては予測が容易になり観光客の立ち入り禁止や避難誘導が行なわれていますが、以前には突然の噴火で死者も出たそうです。教訓として紹介します。
 1958年06月24日 22時15分 死者12人      
 1979年09月06日 13時06分 死者3人・負傷者11人
 2015年09月14日  9時43分 死者0人・負傷者0人

高校の修学旅行で阿蘇山に行きました。矢印が私です。
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2015年9月14日に大規模な噴火がありました。幸いにも死者・負傷者はありませんでした。ネットに掲載された記事を紹介します。噴火の歴史→ポチッ
<阿蘇山噴火>60キロ先で降灰 けが人なし
毎日新聞 9月15日(火)0時25分配信
クリックするとオリジナルを表示14日午前9時43分ごろ、熊本県の阿蘇山で噴火が発生した。噴火したのは阿蘇山・中岳第1火口で、噴煙は2000メートルまで達した。これを受け、気象庁は阿蘇山の噴火警戒レベルを「2」(火口周辺規制)から「3」(入山規制)へ引き上げた。噴火警戒レベルの導入後、阿蘇山で「3」に引き上げられるのは初めて。県によると、人的被害は確認されていない。
気象庁は噴石が火口から2キロの範囲に飛散する可能性があるとして、警戒レベルを引き上げた。噴火直前に火山性地震の増加や、顕著な地殻変動などの前兆現象は観測されなかった。噴石の飛散と、約60キロ離れた福岡県筑後市など広い範囲での降灰が確認された。火砕流が発生した可能性もあり、今後詳しく調べる。
警戒レベル引き上げを受け、地元自治体などで作る阿蘇火山防災会議協議会は、中岳第1火口周辺の入山規制を半径1キロから2キロに拡大した。また、中岳に通じる主要3ルートについて、いったんは火口から約3.5~4.7キロの地点で通行止めを実施。その後、2ルートは通行止めを火口から約2.5キロの地点に緩和した。観光地の「草千里ケ浜」までは通行できる。住宅があるのは火口から最短で約5キロ。
気象庁によると、中岳第1火口は、火山活動が高まると火口湖「湯だまり」の温度が上昇して干上がり、火口底が露出した後に噴火を繰り返し、沈静化する活動サイクルが見られる。今回の活動では、昨年7月以降、湯だまりが消失し、同8月に噴火警戒レベルが「2」に引き上げられた。
同11月に小規模なマグマ噴火が起き、今年6月以降は火山活動が鈍化していた一方、今月も小規模噴火を繰り返していた。小泉岳司・火山対策官は「今回の噴火は活動サイクル終盤のものとみられ、今後は活動が徐々に収束する可能性が高い」と説明した。
阿蘇山では、中岳第1火口の西約3キロにある「草千里」の地下4~12キロ程度にマグマだまりがあるとされる。気象庁が地下のマグマ供給量を試算した結果、今回より大きな噴火の発生は考えにくいという。ただし、同程度の噴火が起きて火口から2キロの範囲で火砕流や噴石の飛散が起きる恐れはあり、注意を呼び掛けている。
阿蘇山では、1979年9月に観光客ら3人が噴石で死亡する噴火があった。噴石が火口から1キロの範囲で飛散する噴火は、90年4月の噴火以来。【久野華代、取違剛】
最終更新:9月15日(火)3時35分

箱根火山 早雲地獄 [箱根]

2015年5月6日 火山情報を最後に追記しました。

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家族で箱根旅行に行き2013年8月24日に強羅公園から箱根山の最高峰である神山(1438m)の方向を撮った写真です。
今まで箱根と言えば温泉地、箱根駅伝、芦ノ湖という漠然とした知識しかありませんでしたが、箱根登山鉄道の終点駅の強羅駅の近くにある強羅公園から南西にそびえる神山の山肌から立ち昇る水蒸気を見た時、すぐに火山の噴火口をイメージしました。北海道の洞爺湖暗線の近くで2000年に噴火した有珠山の景観に似ていたからです。

ネットで調べてみると、やはり爆裂火口で、その火口に早雲地獄の名前がつけられていました。早雲地獄に関する記述は少なく噴火した時期は判りませんでしたが、近くの大涌谷(おおわくだに)が約3100年前と約2900年前に噴火により生成したと推測されていることから、やはり早雲地獄も3000年前に噴火で生成されたのではないかと感じました。その後も早雲地獄も大涌谷もi噴火は続いたようです。
早雲地獄の左右に1,244 mと1,151 mの2つのピークがあり、これらの2つのピークと早雲地獄を合わせて早雲山と呼ばれています。
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空色マーク( )の強羅公園から写真を撮りました。緑色マーク( )が早雲地獄で黄色マーク( )が大涌谷で、黄色の直線が写真撮影の方向です。尾根があることから強羅公園から大涌谷は見えないことから写真は早雲地獄であることの確信が持てました。
早雲地獄は箱根山最高峰の神山(1,438 m 赤色マーク )北東に広がる馬蹄型の爆裂火口で、大涌谷と同様に活発な噴気活動が見られる場所であり、早雲地獄では現在もなお、硫化水素を含んだ噴煙をたなびかせる姿が確認できます。大涌谷は観光地になっていますが、早雲地獄は立ち入るのが難しいのではないかと感じました。

より大きな地図で 早雲地獄 を表示
冒頭の写真を拡大いたしました。早雲地獄は1953年7月26日にて地滑りが発生し、土石流となって2 km下流の強羅橋(彫刻の森駅付近)まで流下し、約80万立方メートルの土砂を堆積させたそうです。土砂の流下速度は秒速約7 mだったとされており、埋没面積7 ha、死傷者28名を出す惨事となりました。
この災害以降、砂防工事が行われていますが、源頭部の早雲地獄では新たな火山性の地滑りや崩壊地の拡大が確認されており、再度の土砂災害が危惧されているそうです。このことから、早雲地獄では新たな土砂供給を減少させるために、すべり面より下の層にアンカーを打ち込むアンカー工事が1996年から2000年にかけて行われたそうです。今でも火山として活動していることが感じられました。


そのようなことから箱根が火山であると実感するとともに箱根火山という呼び方があることを知りました。そんなことから、さらに箱根火山に関して調べてみることにしてみました。箱根は一つの大きな火山ではなく複雑な地形をしており我々がイメージしている火山とは少し違っていました。
箱根を地形図で見ると阿蘇山のようにきれいな円形ではないけれども外輪山に囲まれたカルデラが浮かび上がってきました。そして芦ノ湖はカルデラ湖だったのです。カルデラは地形的に大きく凹んだ部分のことで日本では直径が2km程度以上の凹みを主にカルデラと呼ぶようです。生成の違いで陥没カルデラ、爆発カルデラ、侵食カルデラですが、日本のカルデラはほとんどが大規模な噴火で「火山噴出物」が大量に噴出し地下が空洞化したあとに落ち込む形で地表が陥没した陥没カルデラだそうです。箱根のカルデラも陥没カルデラだと思われます。箱根カルデラの生成時期は約5万年前だそうです。箱根カルデラは南北約11km、東西約8kmに亘るカルデラで、度重なる大規模な噴火によって古期カルデラと新期カルデラが重なっていると考えられていますが複数の小型カルデラの集合であるという説もあります。
以前は、箱根火山は富士山のような単一の大きな成層火山(標高約2700m)と考えられた時期がありましたが、最近の研究で単一の成層火山ではなく、小ぶりの成層火山が複数あったことが明らかになりました。成層火山とは、ほぼ同一の火口からの複数回の噴火により、溶岩や火山砕屑物などが積み重なり形成された円錐状の火山のことです。

より大きな地図で 箱根火山 を表示
比較のために阿蘇山の航空写真を掲載いたしました。箱根カルデラは南北約11km~東西約8kmですが、阿蘇カルデラは南北約25 km~東西約17kmと非常に大規模なものです。地形図の縮尺は箱根の50%にしております。航空写真上のアイコンプラスを一回クリックすると箱根の地形図と同じ縮尺になります。あるいは箱根の地形図上のアイコンマイナスを一回クリックしても同じ縮尺となります。


箱根火山の形成の経緯を溶岩等の年代から確認されているのは次の通りです。
約65万年前に噴出した箱根外輪山の南東の天昭山溶岩と、箱根湯本近くの畑宿溶岩が確認されています。現在の富士山の位置に、のちに2300mの高さになる小御岳(こみたけ)火山が活動をはじめた約70年前に近い時期です。
約50万年前からは北東部の狩川溶岩グループと北西部の大唐沢溶岩グループと南部の湯河原火山の活動が始まったそうです。
約35万年前からは、現在の外輪山にある金時山や明星ヶ岳などの噴火活動が開始したと考えられています。地形や噴出物の内容から、金時山や明星ヶ岳は現在のカルデラ内部に噴火口があったと考えられています。
約30万年前からは、中央付近に噴出口があったと考えられる深良火山体などの活動があったと考えられています。
約27万年前からは成層火山の活動とともに単成火山の活動が活発化したそうです。単成火山は箱根火山の北西部と南東部に集中し、単成火山群が構成されるようになったそうです。
約23万年前から、箱根火山の噴火の様式大規模な噴火に一変したようです。このような大規模な噴火は約23万年前から約4万年前までに繰り返されました。
約13万年前から火山活動はカルデラ内部のみに限られるようになったそうです。特に約12万前から10万年前にかけては活動が活発で、1000年未満の間隔で爆発的なプリニー式噴火を繰り返したそうです。
約8万年前から4万年前にかけて、箱根火山では再び大規模な噴火が繰り返されるようになったそうです。
約6万5000年前に発生したと考えられる東京軽石層の噴火は、箱根火山の噴火の中でも最大級のものであったようです。現在の中央火口丘付近に成層火山が生まれたと考えられています。
約5万年前に、箱根カルデラの生成は古代から続いてきましたが現在の形に近いものになったと考えられています。
約4万5000年前から4万1000年前にかけて、爆発的な噴火によって成層火山の山体は崩されていき、最後には大規模な山体崩壊によって、早川泥流と呼ばれる大規模な土石流が発生したそうです。
約4万年前以降、箱根火山は中央火口丘でこれまでよりも比較的静かな火山活動を続けています。このころ古期神山の活動で発生した火砕流が早川を堰き止め、仙石原湖と呼ばれる湖が誕生し、同時期に、台ヶ岳、小塚山、丸山といった中央火口丘の東側列の溶岩ドームが噴出したそうです。
約2万7000年前からは駒ヶ岳の噴出が始まり、駒ケ岳成層火山が形成されたそうです。
約2万2000年前からは現在の神山の活動が開始され、火砕流が北東方向に流下したことにより仙石原湖は仙石原湖と先芦ノ湖に分断された。神山南西にある陣笠山が噴出したそうです。
約2万年前頃が中央火口丘内の活動が最も活発で、この頃に現在の箱根火山の中央火口丘の原型が出来上がったと考えられています。
約2万年前から1万8000年前にかけて駒ケ岳では山頂部に溶岩ドームが形成された。
約1万9000年前、約7000年前に神山では激しい噴火活動があったことが確認されています。7000年前の噴火によって神山山頂の溶岩ドームが形成されたと考えられています。
約5000年前になると、二子山溶岩ドームが噴出し、噴火に伴い発生した火砕流が須雲川流域を現在の箱根湯本付近まで流れ下ったそうです。
約3100年前、神山北西部で水蒸気爆発の後に大規模な山体崩壊が発生し、岩屑なだれが神山北西部の山麓を厚く覆った。現在でも湖尻から大涌谷にかけての神山北西部には流れ山が見られる。また、岩屑なだれは早川を堰き止め、現在の芦ノ湖が形作られることになったそうです。山体崩壊の後の神山には馬蹄型の火口が出来たそうです。
約3000年前、その火口内に溶岩ドームである冠ヶ岳の噴出が最も新しい箱根火山の溶岩噴出を伴う活動と考えられています。
約2800年前と約2000年前と12世紀後半~13世紀間に3回と計5回の噴火があったことが放射性炭素年代測定やいろいろの調査で推定されました。約2800年前、約2000年前の噴火は神山から北東方面に伸びる尾根付近に噴火口があり、12世紀後半~13世紀の3回の噴火は、大涌谷周辺が噴火口であったと考えられています。

Wikipediaに陥没カルデラのでき方の概念図があったので紹介します。概念図はアメリカにあるMount MazamaMount Mazamaのものです。
内部構造は大きく2種類あると考えられています。一つはあまり内部が破砕せずにピストン状に落ち込むピストンシリンダー型で、もう一つは破砕が進みじょうご型の凹地を形成するじょうご型です。さらにそれぞれがいくつかに分類されています。 このうちバイアス型カルデラと濁川型カルデラはボーリングなどによって内部構造が比較的よくわかっていますが、その他の個々のカルデラについてはまだよくわかっていないことが多いそうです。玄武岩質火山によく見られるキラウエア型カルデラは形成過程が何回か観察されています。
多くのカルデラでは、内部を密度の小さな破砕された岩石や火砕物が埋めているため、周りより重力が小さいことが多いのが低重力異常型で、一方、キラウエア型カルデラでは凹所を厚い玄武岩質溶岩流が埋め、火砕物が少ないため周りより重力が大きいのが高重力異常型だそうです。
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追伸 2015年5月6日
2015年4月26日から大涌谷付近からの火山性地震が増加に伴い、気象庁が5月3日午後に臨時の火山情報を発表したことを受けて、箱根町は2015年5月4日早朝から大涌谷周辺のハイキングコースの立ち入りを禁止することを決定したそうです。すでに2015年3月27日には大涌谷に限定した避難マニュアルが作成されて発表されていました。大涌谷の黒玉子の製造場所の温泉池が立ち入り禁止区域内にあり、黒玉子が作れなくなったことから規制区域外の観光センターの売店でも黒玉子は販売中止それたそうです。
箱根山の火山性地震増加 大涌谷の遊歩道を初規制
カナロコ by 神奈川新聞 5月4日(月)7時3分配信
気象庁は3日、箱根山(箱根町)の大涌谷付近の浅い場所を震源とする火山性地震が増えていると発表した。突発的な蒸気噴出現象が発生する可能性があり、箱根町は、大涌谷の半径約3キロの範囲で遊歩道とハイキングコースを4日から立ち入り禁止にする。同町によると、火山性地震による規制は初めて。
気象庁は「直ちに噴火する兆しはみられない」として、噴火予報は「平常」を維持。立ち入り禁止区域以外の温泉地などには影響ないという。
気象庁によると、4月1日以降の火山性地震は約150回で、特に4月26日から急増。そのうち、体に感じる揺れ(震度1相当)は4回だった。5月3日朝には、大涌谷近くの温泉施設で蒸気が勢いよく噴出しているのが確認された。
箱根山では2013年にも5カ月間に約500回の火山性地震を観測するなど、活動が活発になることがあった。気象庁は4日に現地に職員を派遣して詳しい状況を調査する方針。
◇GWに痛手
箱根町は3日、緊急会見を開き、大涌谷周辺の自然研究路(遊歩道)とハイキングコースを4日から閉鎖すると発表した。観光客が特に多い大型連休中の規制について、町は「観光面では痛手だが、万が一に備えた」と安全を優先する姿勢を強調した。
閉鎖するのは、自然研究路の入り口から「玉子茶屋」付近までの約300メートルのほか、駒ケ岳や早雲山などにつながる半径約3キロにわたる四つのハイキングコース(全長計約12キロ)。
周辺では火山性地震だけでなく、通常は高さ10メートル程度の噴気が20メートルを超えているほか、火山性ガスや地殻変動も同時に観測している。規制は活発な活動が終息するまで続くが、県温泉地学研究所は「今回のような群発地震は数年に一度起きており、通常1~2カ月、長いときは半年で終息する」と分析している。

5月6日には噴火警戒レベルもレベル1(正常)からレベル2(火口周辺規制)に引き上げられました。噴火警戒レベルは火口周辺規制ですが、大涌谷以外の箱根全体の観光客が減ってしまう被害は、一部の派手な報道の影響も無縁ではないようです。箱根町は真面目に安全を最優先に対応しているので過剰な反応は気の毒です。
対象範囲は次の通りです。レベル1と2の違いは火口内と火口周辺です。
  レベル1 火口内等
  レベル2 火口周辺
  レベル3 居住地域の近くまで
  レベル4 居住地域を含む
  レベル5 居住地域を含む


2015年5月6日時点の日本全国で噴火警戒レベルが設定された火山です。
①~⑤が警戒レベルを表しています。図をクリックすると従来は最新警戒レベルを記載した地図を表示しましたが、現在は単なら火山の地図になりました。レベル2以上の火山を知りたい方はこちらをクリックしてください。→ ポチッ

2015年5月6日以降の変化は次の通りです。「レベル0→レベル1」は噴火警戒レベルの運用を開始したことを示してます。
  2015年05月06日 箱根山     レベル1→レベル2
  2015年05月29日 口永良部島   レベル3→レベル5
  2015年06月05日 三宅島     レベル2→レベル1
  2015年06月11日 浅間山     レベル1→レベル2
  2015年06月26日 御嶽山     レベル3→レベル2
  2015年06月30日 箱根山     レベル2→レベル3
  2015年07月28日 雌阿寒岳    レベル1→レベル2
  2015年08月15日 桜島      レベル3→レベル4
  2015年09月01日 桜島      レベル4→レベル3
  2015年09月02日 白山      レベル0→レベル1
  2015年09月11日 箱根山     レベル3→レベル2
  2015年09月14日 阿蘇山     レベル2→レベル3
  2015年10月01日 倶多楽     レベル0→レベル1
  2015年11月13日 雌阿寒岳    レベル2→レベル1
  2015年11月20日 箱根山     レベル2→レベル1
  2015年11月24日 阿蘇山     レベル3→レベル2
  2015年11月25日 桜島      レベル3→レベル2
  2016年02月05日 桜島      レベル2→レベル3
  2016年03月23日 アトサヌプリ  レベル0→レベル1
  2016年03月23日 恵山      レベル0→レベル1
  2016年06月14日 口永良部島   レベル5→レベル3
  2016年07月25日 秋田焼山    レベル0→レベル1
  2016年07月26日 岩木山     レベル0→レベル1
  2016年07月26日 蔵王山     レベル0→レベル1
  2016年07月26日 鶴見岳・伽藍岳 レベル0→レベル1
  2016年10月08日 阿蘇山     レベル2→レベル3
  2016年10月18日 吾妻山     レベル2→レベル1
  2016年12月06日 日光白根山   レベル0→レベル1
  2016年12月06日 えびの高原   レベル0→レベル1 霧島山
  2016年12月11日 えびの高原   レベル1→レベル2 霧島山
  2016年12月20日 阿蘇山     レベル3→レベル2
  2017年01月05日 薩摩硫黄島   レベル1→レベル2
  2017年01月13日 えびの高原   レベル2→レベル1 霧島山
  2017年02月07日 阿蘇山     レベル2→レベル1
  2017年02月24日 薩摩硫黄島   レベル2→レベル1
  2017年05月09日 えびの高原   レベル1→レベル2 霧島山
霧島山は、えびの高原と、新燃岳と、御鉢の3つのエリアで管理されています。
現在の噴火レベル2以上の火山 → ポチッ

テキルダにあるキョフテの名店 [トルコ]

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イスタンブールの南に広がるマルマラ海は黒海とエーゲ海をつなぐ海です。そのマルマラ海の中央北側に位置するテキルダ(Tekirdag)と言う町に行く機会があれば是非寄ってほしいお店があります。テキルダの名物はキョフテ(肉団子)です。クリックしてみてください。拡大します。
ネットでキョフテ(キヨフテ)を調べると「ウインナのような形をした挽肉だんごで、トルコの名物料理のひとつ。」と説明されていました。まさに写真のものです。確かにここのキョフテの味は他で食べた肉料理よりおいしいかったです。横の赤いものは豆板醤のような練唐辛子です。付けなくてもおいしいけれど付けてだべるとまたおいしさが変わります。お皿に書かれているKardeşler Köfteci が店名でしょうか。

拡大写真を掲載いたしました。クリックするとさらに少し拡大します。
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「キョフテの一番のお店はどこ」と、この町でトルコ人に聞いて探したのがこのお店だそうです。確かに味は抜群です。人の入り方も他のお店とは違います。この後に屋外のテーブルは満席になりました。
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キョフテの有名店らしくて店の壁には有名人らしき人たちの写真が張られていました。この小さな食べ物のために沢山の人や沢山の有名人・著名人が来店されたのには驚かされました。
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肉団子以外に注文したものも紹介しておきます。
唐辛子のピクルス ピリ辛だけど癖になる味です。安心してください。「口の中に辛さが残って1時間苦しむ」ようなことはありません。
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定番のスープです。レモンにお好みで塩と一味唐辛子を入れます。唐辛子は日本のものよりも辛みが少ないので沢山入れても大丈夫です。


サラダと豆料理です。
サラダはトマトと唐辛子とタマネギとキュウリかな! いつも通り無造作に盛られています。


ここも地元のお店なのでイスラムの影響で、やっぱりアルコールがありません。これだけの料理を前にビールなしとは残念でしたがその代わりに良い経験が出来たのです。
そこで登場したのが「飲むヨーグルト」です。甘みの入っていない酸味の強い純粋な素朴な味でした。塩を入れたのがアイランと言う飲み物だそうです。驚いたことに市販でもパックに入って売られているみたいです。ここのは混じれっけのない飲むヨーグルトて感じでした。何杯も飲んじゃいました。


お店の廻りの雰囲気です。


テキルダ(Tekirdag)の場所は下記の地図で確認してください。塩分濃度はエーゲ海→マルマラ海→黒海の順に薄くなります。クリックすると拡大するので判りやすいと思います。
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Googleマップでトルコで食事をしたお店の場所を紹介します。どこも記憶に残るインパクトのあるレストランでした。
着色文字をクリックすると記事を表示します。
  Kardeşler Köfteci キョフテの名店
  ERAY Köfte Salonu トロイ遺跡の近くの小さな村のレストラン
  Adana Sofrası ケバブ料理の名店
  香港大酒楼 やっと探した中華料理店
  Mavi Balik 高級魚料理店

中華料理はリーズナブルでした。 [トルコ]

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前日の晩飯はトルコに来ているのに日本食にしました。この時は金額を60倍するとおよその日本円になります。メニューをクリックして拡大してもらえると判りますが天婦羅うどんが1500円です。鍋焼うどんはなんと1700円です。
これは日本食だから高いわけではなくてイスタンブールはレストランでの食事代が高いのです。昼食でもすぐに1人2000円くらいかかってしまいます。

次の日の昼食は中華ならば普通の値段かも知れないと思い中華料理店(香港大酒楼)を探しました。


メイン通りからはお店が見にくい場所にありましたが、通りには写真の鳥居のようなものが建っておりすぐに中華料理店が判りました。


お店の中もきれいです。メニューを頼むと「2階に上がってください。」といわれました。一階は中華バイキングでした。それもなかなかよさそうでお客さんが沢山入っていました。


昼食なので麺を食べたかったのでラーメン系を探しました。メニューには沢山の料理が書かれていたのでラーメンを探すのに苦労しましたが最後の所に書かれていました。注文したのはビールとラーメンと焼きそばでした。
ラーメンの値段は1100円くらいでしたが3~4人分の量があったので安かったです。やっとイスタンブールでリーズナブル(reasonable)な値段に出会えました。
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もう一品の焼きそばです。こちらもリーズナブル(reasonable)でした。
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箱根の一日目のランチは「徳島の地鶏・阿波尾鶏」 [箱根]

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箱根の一日目のランチを食べるお店は最初から決めていました。箱根登山鉄道の終点駅・強羅で行列が出来るお店「田むら銀かつ亭」で「豆腐かつ煮」を食べることでした。テレビで何度も紹介されていたので行列は覚悟していましたが、待っている人が異常に多く、お店に確認すると40分は待つとのことなので、今回は「田むら銀かつ亭」に入ることは断念いたしました。いろいろと回って旅館には5時ごろには着きたかったの待ち時間で40分も使ってしまうのは痛かったのです。とりあえず強羅公園を見に行くことにいたしました。すると強羅公園の入口の前に、美味しそうなお店があり、子供も「このお店は雑誌で見たことがある。」とのことなので迷わずお店に入りました。
子供たちが頼んだのが「いももち豚のカツ丼」でした。上の写真はその「いももち豚のカツ丼」の大盛りです。

大盛りカツ丼の部分をアップしました。いももち豚は千葉県産で特殊な肥育方法で飼育した豚で、旨味成分のグルタミン酸とビタミンEを多く含み、甘くて旨みの強いジューシーな味わいの肉だそうです。クリックすると拡大します。
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こちらが普通盛りのカツ丼です。
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上の写真はクリックすると拡大しますがクリックするのが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。少し味見させてもらいましたが、確かに肉質が普通の豚肉と違い美味しかったです。


かつ丼以外に、かつとじ定食がありました。


こちらが特に紹介したい、私と家内が食べた徳島の地鶏の親子丼でした。地鶏の名前は阿波尾鶏で出荷数・シェアともに日本三大地鶏(名古屋コーチン、比内地鶏、薩摩地鶏)を抑えてトップの地鶏だそうです。
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親子丼の部分を掲載いたします。阿波尾鶏(あわおどり)は徳島県立農林水産総合技術支援センター畜産研究所が開発した肉用鶏で、10年かけて徳島県内で古くから飼育していた赤笹系軍鶏(シャモ)の雄と他の優良肉鶏を合わせて改良し作られ、1990年2月から販売されるようになり、2001年3月29日に特定JAS地鶏に認定されたそうです。また徳島で有名な阿波踊りから因んでこの名がつけられたそうです。
この親子丼は地鶏だけのことはありました。クリックすると拡大いたします。
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こちらも卵とじ定食がありました。


お店は強羅公園の目の前で、ランチの後はすぐに公園を散策いたしました。
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公園から出てくると行列が出来ており、早めの昼食にして正解でした。
お店を紹介いたします。
  店名 山路 (やまじ)
  住所 神奈川県足柄下郡箱根町強羅1-300-562
  電話 0460-82-2616
  営業 11:00~15:00(月から金) 11:00~20:00(土、日)
  定休 水曜日


地鶏の定義(日本農林規格)
日本在来種(明治までに日本に定着)の血液百分率が50%以上
生後28日以降は1㎡あたり10羽以下で平飼し、飼育期間が80日以上
農林水産省の日本農林規格(特定JAS規格)で地鶏認定

日本農林規格に適合した地鶏を紹介します。  
着色地鶏名(比内地鶏 奥久慈しゃも 純系名古屋コーチン)は日本三大地鶏です。今年の春に茨城県の水戸の偕楽園に行ったときには「奥久慈しゃも」の親子丼を食べました。→ポチッ
(北海道)  北海地鶏
(青森県)  青森シャモロック
(岩手県)  南部かしわ
(秋田県)  比内地鶏
(山形県)  やまがた地鶏
(福島県)  川俣しゃも 会津地鶏
(新潟県)  にいがた地鶏
(栃木県)  栃木しゃも
(茨城県)  奥久慈しゃも やさとしゃも 筑波地鶏
(群馬県)  上州地鶏
(埼玉県)  タマシャモ
(千葉県)  房総地どり
(山梨県)  甲州地どり
(岐阜県)  美濃地鶏 奥美濃古地鶏
(静岡県)  一黒シャモ 駿河シャモ
(愛知県)  名古屋種 純系名古屋コーチン
(三重県)  熊野地どり 松坂地どり 伊勢二見ヶ浦夫婦地鶏
(滋賀県)  近江しゃも
(京都府)  京地どり 地鶏丹波黒どり 京赤地どり
(大阪府)  葵之地鶏
(兵庫県)  丹波地どり 松風地どり 播州地どり 但馬地どり
(奈良県)  大和肉鶏
クリックすると拡大(和歌山県) 紀州鶏
(鳥取県)  大山シャモ
(岡山県)  おかやま地どり 岡山桃太郎地どり
(徳島県)  阿波尾鶏  クリックすると写真を拡大→
(香川県)  讃岐コーチン 地鶏瀬戸赤どり
(愛媛県)  伊予赤どり 伊予路しゃも 媛っこ地鶏 奥伊予地鶏
       道後地鶏
(高知県)  土佐はちきん地鶏 土佐ジロー
(福岡県)  はかた地どり
(長崎県)  つしま地どり
(熊本県)  天草大王 熊本コーチン
(大分県)  豊のしゃも
(宮崎県)  宮崎地頭鶏
(鹿児島県) さつま地鶏 さつま若しゃも

橋の下のカフェテラス [トルコ]

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あのガラタ橋は中央部分は跳開橋(跳ね橋)ですが旧市街地側は橋の下に人が行けるようになっています。そこには多くのレストランがあります。屋外には沢山の椅子が並べてありカフェテラスになっているのです。

柔らかなソファーを並べたカフェテラスもありました。いろんな工夫がされていました。
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日が沈む時間帯に、橋の中央部分から旧市街地側の橋を撮ったものです。場所はトルコのイスタンブールです。
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青いマークのところが上の写真の撮影場所(海に突き出した橋脚部分)です。左下方向(南南西方向)に撮った写真です。沢山のカフェの中の一軒だけですが名前が判りました。
  名前 Aruna Cafe
  住所 Galata Köprüsü 34116 Turkiye, Turkey
  電話 +90 212 511 4770
  地図 http://goo.gl/maps/mbPft

より大きな地図で ガラタ橋 を表示