SSブログ

悲劇の象徴も今は楽しい広場 [ベルリン]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
これがドイツのベルリンで、今は観光場所として有名なブランデンブルク門です。ここに来たときは、夕方近かったので西日のために逆光の写真になってしまいました。きれいな写真を撮りたいときは正面から日が当たる朝をお薦めします。見ていないけれどもライトアップの時間帯もいいかもしれません。
門が建っている、この場所は、第二次世界大戦後は東ベルリンに属し、西ベルリンとの境界線がすぐ近くを通ることとなり、1961年に東ドイツが国民流出を防ぐためベルリンの境界線を封鎖し後に「ベルリンの壁」と呼ばれる壁を建設すると、門の前を壁が通る形となったため、門は東ベルリン西端の行き止まりとなり通行できなくなった場所でした。
クリックすると拡大右の写真はネットから拝借した1961年8月13日のブランデンブルク門です。
この日まで門の下には東西ベルリンを行き交う車や人が通っていたが、この日開始されたベルリンの壁建設により門の周辺は無人地帯となりまりました。つまり東西ベルリンに分かれた悲劇の象徴でした。
しかし1989年にベルリンの壁が崩壊し、再び門の下を通行できるようになりました。門は2000年12月から巨額の資金をかけて清掃と改修工事が行われたそうです。周囲では1990年代から2000年代にかけてホテルや大使館などの再建が進み、門はベルリンを代表する観光地となって現在の雰囲気になったそうです。

西側(裏側)から撮ったブランデンブルク門です。太陽が正面から当たっているので、きれいに撮れていますが、残念ながら、有名なクアドリガ(四頭馬車)と女神ヴィクトリアは後ろ姿です。
クリックすると拡大

ブランデンブルク門は昔18箇所あった都城の門のひとつですが、残りの門は城壁の取り壊しとともに姿を消していく中で、唯一残されたのがブランデンブルク門です。ブランデンブルク門はフリードリヒ・ヴィルヘルム2世の命により建築家カール・ゴットハルト・ラングハンスによって古代ギリシャ風で設計され、1788年から3年間の建設工事を経て1791年8月6日に竣工しました。門の上の四頭立ての馬車(クアドリガ)に乗った勝利の女神ヴィクトリアの像は、彫刻家ゴットフリート・シャードウが制作しました。
一番上の写真からクアドリガ(四頭馬車)と女神ヴィクトリアの部分を切り取ったのが右の写真です。
下の写真は逆光を避けるために下から見上げるかたちでブランデンブルク門を撮ったものです。クアドリガ(四頭馬車)が見えます。このクアドリガ(四頭馬車)と女神ヴィクトリアはナポレオン・ボナパルトによりベルリンが征服された時にフランスへ戦利品として持ち去られました。その後のナポレオン戦争によりプロイセン軍がパリを占領すると、ヴィクトリア像は再度ベルリンに持ち帰られ、門の上に戻されたそうです。
クリックすると拡大

ブランデンブルク門は沢山の歴史がありましたが、今は楽しい雰囲気が、漂っています。女の子たちが回転する三輪自転車に乗って歓声を上げていました。
クリックすると拡大

高校生たちがブランデンブルク門を背景にして記念撮影をしている風景も、明るい雰囲気が伝わってきます。なぜか女の子が多いです。
クリックすると拡大

門が注目されていますが左右の建物も注目してください。同じ建物が対象形に配置されていました。
クリックすると拡大

ブランデンブルク門から東側の広場を撮ったものです。沢山の木が見えると思いますが有名な大通りのウンター・デン・リンデン(Unter den Linden)です。
クリックすると拡大

開放的な二階建てバスも明るさを盛り上げてくれています。
クリックすると拡大

さらに、すでに紹介した自転車軍団も明るい雰囲気です。
クリックすると拡大