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本場 内モンゴルの しゃぶしゃぶ [内蒙古]


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日本でも羊のシヤブシャブが知られるようになってきました。その羊のしゃぶしゃぶの最大手なのが日本でも8店舗を展開している小肥羊(内蒙古小肥羊餐飲連鎖有限公司)です。単一業態での売上規模は中国最大で外食産業としても中国大陸ではマクドナルドを抜き、ケンタッキー・フライドチキンを経営する中国百勝餐飲集団に次ぐ第2のチェーン企業であり、店舗数は中国国内で700店以上にのぼります。香港、アメリカ、カナダなど世界各国でもチェーン店を展開をしています。
日本の渋谷に小肥羊が上陸したのが丁度5年前(2006年)の9月28日でした。
その小肥羊(しゃお ふぇい やん)は1999年に内コンゴルの包頭(パオトウ)に一号店を出したのが始まりでした。その発祥の地である包頭でシャブシャブを食べる機会を得ました。もちろん小肥羊で食べました。

お店のビルの柱には「小肥羊総店」の看板がかかげられていました。
総店(总店)は日本語では本店の意味です。なんと本店で食事したのかもしれません。本店でなくても発祥の地である包頭(パオトウ)の中でも代表的な、お店だったのだと思います。
日本にある小肥羊ジャパンのHPはこちら→http://www.hinabe.net/

日本での鍋の食べ方と違っていたので内モンゴルでの羊のシャブシャブの正式な食べ方を紹介します。前菜の一部を除いて出てきたものは全て紹介します。写真の順番は食べる順番です。この順番が内モンゴル流なのです。羊のシャブシャブのフルコースとお考え下さい。

これが前菜です。前菜はこれ以外にも沢山出てきましたがそれは省略! でもここでも、モロキュウが出てきました。真ん中に日本製の電磁調理器が埋め込まれています。
したがってガラスの回転テーブルはドーナツ状です。


これが鍋です。羊の肉のだしにナツメ、生姜、ニンニク、ネギなどが入っていました。食べるときはこのスープを器に入れて漬け汁にもします。好みで辛いオイルを少したらします。


最初は肉だけ食べます。これが日本の食べ方と違うところです。場所は羊の本場である内モンゴルです。肉はこれ以上新鮮なものはありません。羊肉の美味しさは新鮮さです。


いろんな部位が出てきました。


肉は追加追加で、ものすごい量が出てきます。一人当たり大皿2皿は食べたと思います。日本だとすごい値段になってしまいます。


肉が食べ終わるとキノコです。肉を食べ終わってから別の軽い食材を食べるのが内モンゴモ流でした。肉を満足するほど食べてもらう考え方なのではないでしょうか。


その次が豆腐です。


そしてジャガイモも出てきました。


これはカモの血と言っていました。これだけは味見程度だけ食べました。


干し椎茸と餅と人参です。


ここからの野菜攻勢がすごかったです。左の方が春菊です。右の方は名前は判りませんがクセのない野菜です。


肉でお腹がいっぱいになった後に野菜です。これはセリの種類だと思います。


木耳と細長いモチも入っています。


野菜も出てきた順番に写真を掲載させてもらいました。チンゲンサイにレタスです。


最後はうどんのようなものを入れてしめとなります。


おまけにホットケーキのようなトウモロコシの饅頭も出されました。


クリックすると拡大近代的なお店がみんなに受けて、数年で大きなチェーン店に発展したそうです。我々、日本人は右の写真のラマ教の聖地「五當召」に行って12時に戻ってきて食事の予定でしたが、こちらのお店は、すごい人気なので、中国の知り合いの人が場所取りのために10時から来てくれていました。


小肥羊総店お店の場所を紹介いたします。プラスのアイコンを12回クリックすると場所がわかってくると思います。
 店名:小肥羊总店(小肥羊本店)
 住所:内蒙古自治区包头市昆都仑区乌兰道9号
     小肥羊大厦(小肥羊ビルディング)
 電話:+86 472 513 7998
 地図:https://goo.gl/maps/mlKlU

赤色の部分が内モンゴル自治区(内蒙古自治区)で、その中の黄色の点が包頭(包头)の位置です。
包頭の中で小肥羊を検索すると今回の本店も含めて9店舗ありました。

内モンゴルと言えば標高1500mの大草原を思い出します。→ポチッ

泊まったのは文豪が愛した宿でした。 福住樓 [箱根]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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芦ノ湖では箱根の関所を見た後は、その晩のお宿がある塔ノ沢温泉を目指して箱根登山バスに乗って箱根湯本に降りてきました。塔ノ沢温泉は箱根湯本から登山電車で一駅ほど登った場所の距離です。上の写真が我々が泊まった旅館「福住樓」を上から見た全景です。白っぽい屋根の建物がすべて福住樓です。下の方で配置図を掲載しておりますので比較してもらえるとわかりやすいと思います。ネットで検索すると福住樓は難しい文字ではなく福住楼(ふくずみろう)と書かれているところが多かったです。箱根湯本ではコインロッカーに預けていた荷物をピックアップした上で塔ノ沢温泉の福住樓を目指しました。

箱根湯本からは100円で旅館の前に停車しくれる循環バスが出ており、それを利用すると便利なのですが、歩いても遠くない距離だと思い、徒歩で塔ノ沢温泉に向かいました。次のバスまで15分程度の時間があったので、歩いた方が早く着くと思ったことも理由の一つでした。17時2分に歩き始めて10分経っても温泉街らしいものが見当たらないことから歩いたことを後悔し始めました。清流沿いと言えども8月24日だったので汗も出てきました。


でも歩いてよかった思えることがありました。箱根湯本と塔ノ沢温泉の間には土木遺産が3つも、あったのでした。この写真が箱根駅伝でテレビ画面によく映し出される土木遺産の函嶺洞門(かんれいどうもん)です。
函嶺洞門は1930年4月に工事を着手して1931年10月に完成した当時では珍しい片側が開口した鉄筋コンクリート構造6連の落石防止(ロックシェッド)です。中国の王宮をイメージした造りとなっているとのことです。なお、「函嶺」とは「箱根」の異名があるそうです。2007年には経済産業省から近代化産業遺産にも指定されていました。
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函嶺洞門を過ぎたところにあるのが、もう一つの土木遺産である千歳橋(ちとせはし)です。この橋を渡ったところに福住樓がありました。3つ目の土木遺産は旭橋で、土木遺産とは気が付かずに通り過ぎてしまったことから写真は撮りませんでした。旭橋は函嶺洞門の下流側にありました。
2つの橋ともに1933年に完成しました。鉄筋コンクリート構造の下路式タイドアーチ橋で早川を跨いでおり、旭橋は西洋をイメージしており、千歳橋は和をイメージしているとのことです。旭橋は鉄筋コンクリート構造のタイドアーチ橋としては国内最大の長さであり、斜めになった構造としても珍しいものであるようです。箱根街道にあるすべての土木遺産に出会えて大満足でした。
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福住樓の玄関前から見た千歳橋です。こんなにも近い場所に千歳橋がありました。福住樓は塔ノ沢温泉では最も箱根湯本に近い場所にありました。
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クリックすると記事を表示こちらが福住樓の玄関です。
結局、湯本を出発して16分後の17時18分に福住樓に着きました。
ここまで車で来た長男夫婦も同時に着いたので、箱根湯本から歩いたことが、6人全員が福住樓の玄関前でそろうという偶然にもつながりました。
さらに循環バスにも追い抜かれることもありませんでした。ほんとうに歩いてよかったです。
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玄関の上の木彫りの鳳凰の飾りが見事でした。
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玄関をくぐった最初の旅館の内部の景色です。明治から変わっていない雰囲気が伝わってきました。
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旅館の中から玄関ごしに見た外の景色です。この道路を箱根駅伝の選書が右から左に走り抜けていきます。福住樓は内部も外観も昔のままの貴重な旅館でした。
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玄関からは長い廊下を案内されて部屋に向かいました。
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電話室も昔のままに残されていました。ただし電話は設置されていなかったです。
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長い廊下です。廊下の途中にも受付がありました。最後から2枚目に福住樓の配置図を掲載しているので、それを見ると廊下の長さが判ってもらえると思います。中庭も2か所にありました。
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案内をしていただかないととダリ着けないほど長い廊下が続きました。


クリックすると拡大廊下は、まだまだ続きました。これは、玄関側に振り返って撮った写真です。右に降りていく階段の先には右の写真の有名な大丸風呂を含んだ4種類のお風呂がありました。もちろん正真正銘の昔からの源泉掛け流し温泉です。福住樓は単独の温泉源を持っているそうです。
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案内されている廊下から中庭も見ることが出来ました。福住樓は今から123年前の1890年に創業され、明治初期から昭和中期のそれぞれの時代に建設された多棟式木造三階建で、いくつもの建物が複雑に入り組んだ旅館でした。それだけに中庭も趣がありました。
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こちらも廊下から見ることが出来た中庭の景色で正面に評判の大広間が見えました。福住樓は国登録有形文化財にもなっている建物なのです。文化財の宿というキャッチフレーズも使われていました。左の建物の二階に泊まりました。
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同じ一階の廊下でも階段でつながっているところもありました。廊下の複雑さが判っていただけると思います。


上の写真の小さな階段を登って右に曲がるとこちらの景色に出会えます。真っ直ぐに廊下を進むと大広間に行けます。
左の階段を登った二階に我々の泊まった部屋がありました。
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やっと泊まる客室に到着いたしました。
旅館の客室は全部で17あり、間取りや室内の造作はすべて異なり、同じ客室はないそうです。17の客室の名前を紹介すると「せせらぎ」 「せきれい」 「桜一」 「桜二」 「桜三」 「桜四」 「桜五」 「桜六」 「松三」 「竹三」 「竹五」 「梅一」 「梅二」 「桐一」 「桐二」 「桐三」 「桐六」です。
6人のため並びの「桜三」と「桜四」の2つの客室か用意されていました。こちらは「桜四」で、間取りは3つの部屋+縁側で構成されていました。
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こちらが「桜三」で2面から川を見ることが出来る素敵な部屋でした。こちらの間取りは2部屋+縁側でした。なんと、こちらは1912年生まれの歌手・林伊佐緒さんがよく泊まられた部屋だそうです。福住樓は福沢諭吉、夏目漱石、島崎藤村(松二)、川端康成(桐三)、巌谷小波、武島羽衣、大佛次郎、川合玉堂、平福百穂、日下部鳴鶴、中村蘭台、坂東妻三郎、田山方南(せせらぎ)、田村泰次郎(せせらぎ)、三遊亭歌笑(せきれい)、北條秀司(桜一)、吉川英治(桜二)、里見弴(桜二)、林伊佐緒(桜三)、田村高比廣(竹五)、幸田露伴(梅一)、大辻司朗(梅一)などの有名な文化人に愛された旅館でした。名前が多いので敬称は略させていただきました。( )内は泊まられた客室の名前です。「文化財の宿」よりは「文豪が愛した宿」の方が、ピッタリ来る気がしました。
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部屋から縁側の方向を見た景色です。昔ながらの木の温もりと外の緑がホッさせてくれました。
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こちらが縁側です。こちらでお茶を飲みました。
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縁側の窓からは前を流れる川を見ることが出来ました。
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川の方から旅館を見た景色を紹介します。この沢山の木々の中に旅館が建っていました。常にせせらぎの音が聞こえる旅館でした。
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洗面台も昔のままのようで部屋の前の廊下の窓の外にありました。


こちらが3部屋で構成された大広間で全部で66畳あり箱根を代表する名物広間として数々の広告媒体に使われたそうです。
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左側の障子の中で夕食並びに朝食をいただきました。大広間の縁側が、また雰囲気を盛り上げてくれます。
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大広間と縁側の両方が写った写真です。
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普通は各客室で食事を刷るそうですが6名だったことから大広間を襖で仕切って皆で一緒に夕食と朝食をさせていただきました。この部屋だけで18畳あったのでゆったりと優雅に食事を楽しむことが出来ました。下の写真は朝食の膳が並んでいるところです。右の写真は夕食の写真です。夕食と朝食は後日に紹介したいと思います。
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福住樓の全体の配置図です。大広間、食事の場所、泊まった部屋を井際いたしました。クリックすると拡大するので読みやすいと思います。太い赤いラインが玄関から泊まった部屋までのルートです。
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クリックすると拡大福住樓は日本経済新聞が出版した雑誌「日本百名湯」の中で、岡部まりさんと松田忠徳さんの対談に使われたことがあります。使われた部屋はホームページ掲載されていた右の「桜五」の部屋の写真の縁側の欄干や外の景色から、我々が泊まった棟の三階にある「桜五」のクリックすると拡大部屋だと思われます。さらに右下の写真の「桜二」の部屋での対談の写真も掲載されていました。
日本百名湯の中に塔ノ沢温泉が入っており福住樓の料理や風呂や部屋のことが紹介されていました。その百名湯の塔ノ沢温泉の中では、創業380年前(1630年)の「一の湯本館」や「環翠楼」「観山苑」「福住樓」の4軒の宿が紹介されていました。塔ノ沢温泉から1kmの距離ですが箱根湯本も百名湯の一つとして入っていました。
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上で説明した位置関係を航空写真で説明します。
  赤色マーク 箱根湯本駅
  緑色マーク 福住樓 右から玄関、泊まった部屋、大広間
  青色マーク 塔ノ沢温泉の他の宿 マークをクリックすると名前表示
  紫色マーク 旭橋    土木遺跡
  空色マーク 函嶺洞門 土木遺跡 近代化産業遺産
  黄色マーク 千歳橋   土木遺跡
  赤色ライン 箱根湯本駅~福住樓 1km
  緑色ライン 2013年8月25日早朝の散策ルート 

より大きな地図で 塔ノ沢温泉 を表示
翌日は、あいにくの雨でしたが、6名で箱根を楽しむことにしました。先ずは登山電車で彫刻の森まで行くので、この循環バス(100円)で登山電車の出発駅の箱根湯本に向かいました。