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塔ノ沢温泉の朝の散策 [箱根]

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箱根では塔ノ沢温泉の福住樓に泊まった翌朝は、あいにくの小雨模様でしたが塔ノ沢温泉街を散策してみることにいたしました。上の写真は早朝の福住樓の玄関です。

塔ノ沢温泉は早川沿いの街道沿いにありました。宿泊した福住樓は塔ノ沢温泉の中では最も箱根湯本に近いところにありました。早川では最も下流側になるのです。それでは下流側から紹介していきます。
  緑色マーク 福住樓 右から玄関、泊まった部屋、大広間
  青色マーク 塔ノ沢温泉の他の宿 マークをクリックすると名前表示
  空色マーク 函嶺洞門の出入口 土木遺跡 近代化産業遺産
  黄色マーク 千歳橋         土木遺跡
  緑色ライン 2013年8月25日早朝の散策ルート 
  赤色ライン 箱根湯本駅~福住樓 1km

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こちらの写真は福住樓の近くにある土木遺跡である函嶺洞門と千歳橋です。
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千歳橋を過ぎるとすぐに福住樓の玄関前のカーブです。
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福住樓の玄関前の崖の上には弥八大黒天と弥八恵比寿が祀られていました。
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こちらが弥八大黒天と弥八恵比寿です。
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福住樓から少し登って箱根湯本側に振り返った景色です。先の道を右に曲がった曲がり角に福住樓の玄関があります。左側の階段を登っていくと箱根登山鉄道の塔ノ沢駅に行けます。ストリートビューでは階段の登り口に「開運・昇り鯛焼」の幟(のぼり)が立てられていましたが、この時(時間帯?)はありませんでした。
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少し登ったところで山登りのトレーニングをしている人に出会いました。ここは箱根駅伝の最後の山登りのルートなのです。こちらの写真も箱根湯本方向に撮ったものです。正面の緑の屋根の建物は上の写真でも確認出来ると思います。黄色の看板には「趣味の店・つゆき」と書かれています。その向こうの白い看板には権現窯・はこめ焼」とあり手作り陶芸のお店のようです。


早川を渡る「玉の緒橋」が見えてきました。橋の手前に万石の湯・よきや」があります。
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「玉の緒橋」から早川の下流側を見た景色です。川の左側が先ほど紹介した「万石の湯・よきや」で右側が「環翠楼」です。
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こちらは「玉の緒橋」からの上流側の景色です。左側が383年前(1630年)創業の「一の湯本館」で福住樓と同様に国登録有形文化財の建物です。
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これが安藤広重の箱根七湯に描かれた「一の湯」の本館です。
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ここから温泉宿が立ち並んでおり温泉街という雰囲気になってきます。左側が「環翠楼」で、右側には「一の湯本館」「柴雲荘」と大型の温泉宿が続きます。399年前(1614年)創業の「環翠楼」は水戸黄門が宿泊した旅館です。
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左の写真はネットから拝借した明治時代の「環翠楼」(左)と早川に架かる「玉の緒橋」(中央)と「一の湯」(右)の写真です。この写真は長崎大学付属図書館に所蔵されているものです。この辺りは茅葺の建物が並ぶ旅館だったようです。
右は安藤広重(1797年~1858年)が描いた箱根七湯の「塔の澤」の絵ですが、左の明治時代の写真と同様の構図で「環翠楼」と「玉の緒橋」と「一の湯」などが描かれています。両方の構図は現在であれば「万石の湯・よきや」のあたりからの景観ということになりそうです。
長崎大学付属図書館安藤広重の箱根七湯 塔の澤

少し進むと少し静かな雰囲気となってきました。右側には「柴雲荘」の建物ものが続いていました。「柴雲荘」は大型の複数の建物で構成されていました。
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早川を渡る「柴雲荘」の専用の吊り橋があり、渡った先には専用の露天風呂がありました。小雨の中ですが宿泊客の方が露天風呂に入るために渡られていました。
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宿泊客の方の傘が風情のある景色を見せてくれていたので、上の吊橋の写真から露天風呂のあたりを切り取らせていただきました。


こちらが吊り橋からの早川の上流側の景色です。白い建物が温泉宿の「キャトルセゾン」です。「キャトルセゾン」は上で紹介した「一の湯本館」と同じ経営のホテルです。平日(日~木)は4~12歳のお子様が1泊2食付で2100円で泊まれるサービスが行われていました。大人も平日であれば6300円(4名/室)~8400円(4名/室)で泊まれます。 
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吊り橋からの早川の下流側の景色です。右側の建物が「柴雲荘」です。
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「柴雲荘」を過ぎたあたりから静かな雰囲気になってきます。その先に趣のある吊り橋がありました。吊橋を渡ったところに温泉宿の「山の茶屋」がありました。
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吊橋を正面から見ました。古いけれども鋼鉄製の立派な橋でした。
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早速に渡ってみることにいたしました。木製の床ですが2トン以下の車が1台通れるそうです。この時も渡っていると前から車が来て吊橋の上ですれ違いました。「山の茶屋」から降りてきた車だと思います。それにしても一旅館のための吊橋に下は立派だなと思いました。
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吊橋からの早川の上流側の景色です。これから先は自然の渓流という雰囲気でした。右側に木の陰の中に建物と送電線が写っています。さらに山の上から太いパイプが降りてきていました。ここは東京電力の塔ノ沢水力発電所だったのです。
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吊り橋を渡ったところに発電所の入口がありました。クリックすると拡大この吊橋は東京電力の管理している橋だったのです。塔ノ沢水力発電所は調べてみると104年前に出来た歴史のある発電所でした。
早朝の塔ノ沢温泉の散策はここまでとして福住樓に引き返しました。それにしても装置用の散歩では、よく予期しない新しい発見をいたします。
右の図と写真はネットから拝借した水車の概念図と塔ノ沢発電所の発電機の写真です。
仮に2800KWで104年間の90%の稼働率とすると、なんと2800x24x365x104x0.9=23億KWhの電力を生み出したことになります。
  名前 塔ノ沢発電所
  歴史 横浜水力電気東京電燈→(関東配電)→東京電力
クリックすると建設当初の塔ノ沢発電所の写真を表示  住所 神奈川県足柄下郡箱根町塔之澤
  方式 一般水力発電
  運開 1909年7月 横浜水力電気
  出力 最大 3800KW (運開時 3300KW)
      常用 2800KW
  水量 毎秒2.23m3
  落差 214.29m(355.23m→132.12m)
  水車 横軸ベルトン水車×2台
  鉄管 内径1300mm
  取水 早川   放水 早川
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我家へ最接近した台風26号の2013年10月16日7時の位置です。
本画像はウェザーニューズから引用させていただきました。画面をクリックするとオリジナルを表示します。緑の点が我が家の位置です。
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上海蟹 (大閘蟹) [江蘇省]

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昔の10月30日のことです。上海蟹 の季節です。中国では大閘蟹と言います。この蟹は自分で陽澄湖(ようちょうこ)で購入した蟹なので大きくて立派だし間違いありません。上海の町の中では陽澄湖のニセモノが多いいそうです。自分で行って買うのが間違いなさそうです。

大きいので上海のレストランで食べると1匹で伊勢海老なみの値段を取られますが現地で買うと数分の1で購入出来ます。りっぱな上海蟹ならば、どこのレストランでも持ち込み料理してもらうこと可能です。1匹あたり100円くらいで料理してもらえます。70円に値切りましたが!


現在の陽澄湖サービスエリアの航空写真です。購入した時と比べると整備されて変わりました。


下高野の例大祭の幟(のぼり) [風習・歴史]

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クリックすると拡大いろんな伝統行事が行われている千葉県八千代市下高野地区で神社の例大祭が10月10日に行われて、2本の幟(のぼり)が立てられていると、10月10日の夕方にコメントで教えていただいたので、翌日の2013年10月11日の10時ごろに見に行きました。午後の1時に幟を倒すと教えていただいていたので午前に行くことにいたしました。教えられた通り、下高野地区の公会堂に立派な幟が2本立てられていました。2つの幟は同じように見えますが、実は違うのです。わかりますか?  答えは下に書かせていただいております。
幟を見た後に神社によって帰る途中で偶然にも、今回のことを教えていただいたkazuさんに会えて例大祭の行事のことを、いろいろと教えていただきました。
例大祭(れいたいさい / 例祭)を調べてみると、神社で毎年行われる祭祀のうち、最も重要とされているものだそうです。一般的に例大祭は年一回、多くは祭神や神社に特別の由緒のある日に行われるそうで。例えば人物神を祀る神社ではその人物の誕生日や命日です。特に由緒のある日のない場合は、春祭りや秋祭りをもって例大祭としているそう。例大祭が行われる日は毎年一定で、変えることはできないものとされています。下高野でも10月10日で決まっており、変わることはないそうです。
神社は菅原道眞が祀られてしますが、菅原道眞の誕生日は承和12年6月25日(845年8月1日)で命日は延喜3年2月25日(903年3月26日)で10月10日でないので誕生日や命日とは別の由緒のある日のようです。
現在の新しい幟は1982年に奉納されたもので以前のものよりも分厚い生地が使われたそうです。
上で質問させていただいた2つの違いの答えはそれぞれが表と裏の関係になっているのです。写真だと右の幟が文字かちゃんと読めると思いますが、左の幟は文字か左右反対なのです。つまり向こう側から見ると字が読めるのです。どの方向から見てもわかるようにした先人の知恵なのかもしれません。
幟には奉納天満宮昭和五十七年十月吉日下高野氏子中紀佑民謹書の文字が書かれていました。右の写真をクリックすると拡大するので左右の違いが、わかりやすいと思います。太い竿ですが、高さがあるので上から3分の1付近を、3方向からロープで引っ張っています。3本×2で計6本の太いロープも迫力がありました。

行事は先ず10月8日に、この幟を建てもことから始まるそうです。例大祭の告知が目的なのだと思います。そして10月10日に神社で神主さんに来ていただき例大祭が行われるそうです。10月8日が雨の場合は幟は立てないで10月10日の例大祭のみが行われるそうです。そして10月11日の午後に幟が倒されて例大祭の行事が終了だそうですが、10月11日が雨の場合は倒す日を延ばしていくそうです。いずれにしても幟が完全に乾くまで待つそうです。
10月8日以降、台風24号の影響で少し雨が降りましたが、この日は強風の上に快晴で幟も完全に乾いたようなので、予定通り13時に倒すと言われていました。
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幟の布地は非常に分厚くて丈夫のようでした。以前に強風でちぎれたことがあったので分厚くされたそうです。この写真でも分厚さが感じてもらえるのではないかと思います。かなりの重さだと思います。
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これが、幟を垂直の竿に止めている輪で、木をくり抜いて作られている貴重なものだそうです。この輪は篠を火であぶって曲げ輪にしているものだそうです。木をくり抜いて作られているのは竿の継ぎ目の部分だそうです。以前に破損したことがあり、今回も強風で破損を心配されていましたが、すべて無事だったようです。これだけ立派な幟はなかなか見ることのできない珍しいのだと感じました。


幟を見た後に例大祭が行われた神社にも行ってみました。神社は以前に紹介した下高野館の記事の中で書いていた菅原神社です。その菅原神社に行く途中には八千代市で指定されている立派な保存樹の間を抜けていきます。
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こちらが10月10日に例大祭が行われた菅原神社です。天満宮とも呼ばれています。一般的に天満宮は菅原道真を祭神とする神社で、天満神社や菅原神社や天神社と呼ばれることがあるそうです。また通称として「天神さま」や「天神さん」とも呼ばれていることがあります。下高野では菅原神社となっているようです。
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鳥居には真新しい注連縄が取り付けられていました。例大祭のために新しい注連縄に取り換えられたのだと思います。あるいは例大祭の時に取り換えられたのかもしれません。その点はkazuさんに聞き忘れました。
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これが新しい注連縄です。以前に藁の大蛇を作る行事に参加した時に注連縄を作る名人の方がおられたので、その方が作られたのだとおもいます。


横に置かれていた古い方の注連縄の具合からも最近に取り換えられたことが伺えました。下高野地区には昔からの伝統行事が沢山残っています。これは地元の方々が伝統行事を大切にされてきたためだと思います。今までに体験させていただいたり、記事に書いたり、お話を聞かせていただいた下高野地区の伝統行事です。着色タイトルをクリックすると記事を表示します。
  庚申塔   7年ごとに奉造(次は2021年)
  庚申講
  十九夜塔 7年ごとに奉造(次は2021年)
  女人講
  藁の大蛇の辻切り
  伝統的な節分行事
  出羽三山参拝とボンデン塚の奉造
  奥州講とボンデン飾
  大師参り
  菅原神社の例大祭