SSブログ

壇上伽藍 [高野山]


クリックすると拡大
高野山の真言宗総本山の金剛峯寺の近くに壇上伽藍(だんじょうがらん)という場所があり、そこには15以上の建物がありました。ここは総本山金剛峯寺が管理しており、空海が在世中に堂宇を営んだところで、現在の諸堂塔は大部分が江戸時代後期から昭和時代の再建ですが真言密教の道場としての高野山の中核となる部分でもあります。
その壇上伽藍の中のいくつかの建物を紹介いたします。上の写真は敷地の中にある蓮池です。池の中島に善女龍王を祀る祠があります。

こちらの建物は蓮池の横を上に上がっていたっ場所に建っていました。この建物は大会堂で、安元元年(1175年)に鳥羽法皇御追善のため、その皇女であった五辻斎院頌子内親王の御願で建立されたものです。
もとは奥之院に近い東別所上乗院内にあったものですが、まもなく西行法師が内親王と相談の上、長日談義の学堂としてこの地へ移築されたそうです。最初は蓮華乗院と呼ばれていたそうですが江戸期より伽藍において行われる一山の法要の際、ここが威儀を正す場となったことから大会堂」と呼ばれるようになったそうです。


これらは東塔と三味堂です。東塔は白河上皇の御願によって大治2年(1127年)に建立されたものですが、焼失再建を繰り返して、現在の建物は昭和59年(1984年)に残されていた図面を参考に再建されたものです。
三味堂は伽藍の中では、もっとも小さい堂で金剛界大日如来を本尊としています。1166年~1169年の間に延長6年(928年)に建立の堂を移築、理趣三昧を修したところから三昧堂と呼ばれるようになったそうです。
現在の建物は文化13年(1816)に再建されたものだそうです。
クリックすると拡大

この不動堂は建久9年(1198年)に鳥羽院皇女八条女院の御願により行勝上人が創建された一心院の本堂であったと伝えられています。現在の建物は鎌倉時代後期の再建と考えられています。この不動堂は国宝です。
本尊の不動明王坐像は平安時代後期の作で重要文化財、その脇侍である八大童子立像は運慶作で国宝に指定されています。(現在は霊宝館に収蔵)
クリックすると拡大

これは金堂です。この金堂は高野山一山の総本堂で、弘仁10年(819年)建立の伽藍諸堂のうちで最初に建設に着手されたそうです。もとは講堂、御願堂などと呼ばれていたそうです。金堂も幾度となく焼失しており、現在の建物は昭和9年(1934)に再建されたものだそうです。
後ろの真赤な塔は根本大塔で幾度となく落雷に合い消失の憂き目をみて、現在の大塔は昭和12年、過去の記録をもとに再建されたものだそうです。高さ48.5m、四方各25mの大きな塔です。
クリックすると拡大

Googleの航空写真で壇上伽藍を紹介します。