SSブログ

車の通過時間の確認方法 [カザフスタン]



カザフスタン国内をアスタナからカラガンダに車で移動したときの雪景色民家を紹介しましたがその時に地図に時間の入ったマークを付けました。そのマークの入った地図です。青いマークをクリックしてもらうとマークの説明と時間が表示されます。マークの位置と時間の特定方法に関して説明いたします。
右の航空写真はカラガンダ市内です。

車で走りながら特徴的な景色や建物の写真を撮っていました。その写真の一部が下記の小さな写真です。その写真の景色と航空写真のプラスのアイコンを何度もクリックして拡大した航空写真を見比べて写真を撮った場所を特定しました。その9枚の写真の内で航空写真の3例を紹介いたします。小さな9枚のすべての写真はクリックすると本ブログ標準サイズの写真(480x360)を表示するように設定しています。
09:24 ホテル         09:43 モスク前       10:24 鉄道横断
IMG_3921-480.jpgIMG_3321-480.jpgIMG_3399-480.jpg
10:34 タンク前        11:10 トイレ休憩      11:51 ロータリ
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
12:16 カラガンダ市内-1   12:19 カラガンダ市内-2  12:27 レストラン
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

例えば09:43 モスク前のあたりを拡大した航空写真がこれです。上の写真から撮影した場所が青いマークのの位置が特定出来ました。撮影時間は写真の記録から現地時間の9時43分(日本時間12時43分)であることがわかりました。


クリックすると拡大例えば10:34 タンク前のあたりの拡大写真はこれです。牧草あるいは穀物のタンクだと思いますが写真と同じように並んでいることで場所が特定出来ました。
この辺りは目立ったものがなく平原が続いていたのでいい目印になりました。


クリックすると拡大例えば12:16 カラガンダ市内-1のあたりを拡大すのと写真に写っていた建物が確認できます。試しに残りの6例の場所の特定にチャレンジしてみてください。結構苦労します。海外に行くときはGPS付のカメラがあると便利なことがわかりました。

カザフスタン鉄道 [カザフスタン]


クリックすると拡大
カザフスタンの首都アスタナからカラガンダへの車での移動中の雪景色民家の風景はすでに紹介いたしました。その道路はカザフスタン最大の町であるアルマトイ(Almaty アルマティー)にもつながっている幹線道路です。その幹線道路の横を鉄道も走っていました。3時間道路を走る間に2回ほど列車を見る機会があったので紹介いたします。道路から列車までの距離が結構あった上に振動のある高速で走る車の中からの撮影であったことから鮮明な写真ではありませんが2回とも写真に撮ることがが出来ました。
これは貨物列車です。写真はクリックすると拡大します。

2台の重量級の機関車が牽引していました。
クリックすると拡大

上と同じ列車です。


カザフスタン鉄道は英語でKazakhstan Temir Zholy(KTZ)でカザフ語で Қазақстан Темир Жолы (ҚТЖ)です。そのKTZはカザフスタンの国有鉄道です。赤いラインが鉄道網です。KTZはヨーロッパや中国や東南アジアとつながった鉄道でカザフ内の3862kmの距離がヨーロッパと中国を結ぶ役目を果てしています。広い国土のために鉄道ライン延長の計画および建設が進んでします。現在のレール幅の基本は旧ソビエト連邦時代の1520mmの広軌ですが1435mmの標準軌もあります。ドルジバ駅(カザフ)~阿拉山口駅(中国)は広軌と標準軌とが単線並列で走っていることは有名なことのようです。1435mmの標準軌を敷設して他国と乗り入れができるようにしてスムーズに走れるようにする計画も進んでいます。


こちらが客車の写真です。上の貨物列車より、さらに線路が遠くでした。
ブルーの色が印象的でした。長距離を走ってきたのではないでしょうか。


色は違いますが貨物列車と同じ電気機関車2台で引いていました。機関車は旧ソ連時代のものが使われているようです。客車のブルーはカザフスタンが独立して国旗のブルーに塗装されたからだそうです。カザフスタンではスペイン製のタルゴが高速列車として走っています。中国との直通を便利にするために軌間可変車軸の車両も検討されています。


カザフスタンの24時間ドライブイン [カザフスタン]



カサフスタンの首都アスタナからカラガンダまで車で行った時に休憩した場所です。日本で言うドライブインです。滅多にありませんでしたが2時間近く走ってきたのでトイレ休憩を兼ねてドライブインの駐車場に入りました。
食事はカラガンダでするつもりなので建物の中には入りませんでした。写真のトラックの人は中で休憩しているようでした。

こちらが建物全体を撮った写真です。


看板には24の数字が大きく書かれていました。
このドライブインは24時間営業のようです。


トイレ休憩のつもりでしたが、トイレを見て昼食のレストランまで我慢することにいたしました。でも人なつっこいワンちゃんが出迎えてくれまし。


道路を撮った写真です。走っているときは晴れていることもありましたが休憩時は視界の悪い時でした。
雪も舞っていました。コートに落ちた雪はきれいな結晶を見せてくれました。


建物の近くから道路を撮った写真です。
ドライブインの周りスペースも広々としていました。


この3台のランドクルーザーで走りました。


休憩した場所は黄色のマークのところです。



民家のある風景 [カザフスタン]


クリックすると拡大
車で移動した12月1日のアスタナ(Astan/Астана)からカラガンダ(Karagandy/Қарағанды)の間の雪景色を前記事で紹介いたしました。人家はほとんどない場所でした。それだけに民家を見かけると印象的でした。その雪の中の民家のある景色を紹介いたします。この一枚目の写真はクリックすると拡大いたします。

カザフスタンの民家は隙間のある板塀で仕切られているのが特徴でした。このようなところにも生活や家庭があることが伝わってきました。


晴れると雪の白と家のコントラストが素晴らしくきれいでした。


途中の小さな町には沢山の民家が道路沿いにありました。それも瞬間的なことでした。


民家にはなかなか出会えないので沢山撮らせてもらいました。


山のある景色にも出会えました。


カザフスタンは南の国境近くには天山山脈がありますがアスタナやカラガンダの近くで山に出会えるとは思ってもいませんでした。


代表的な民家の形です。 車で走ったルートはこちらです。→ポチッ

カザフスタンはクリスマスが2回 [カザフスタン]



関西に行っている間にクリスマスが過ぎてしまいました。もうすく正月で、とんでもなく遅くなりましたが、とりあえず Merry Christmas !
そこでカザフスタンのクリスマスツリーを紹介いたします。カザフスタンには11月29日から12月2日まで滞在いたしました。町のあらゆるところにクリスマスツリーが飾られていました。上の写真は首都アスタナの宿泊したホテルRixos President Hotel Astanaの中に飾られていたクリスマスツリーです。

こちらは世界最大のテントとして紹介したアスタナにあるショッピングモールの中に飾られていたクリスマスツリーです。高さ150mの大きな建物なのでクリスマスツリーが小さく見えますが、かなりの大きさのクリスマスツリーでした。 
クリックすると記事を紹介

こちらはカラガンダにあったクリスマスツリーです。
車の中から建物を撮った写真の中にクリスマスツリーが写っていました。このようなクリスマスツリーが屋外でよく見かけました。この建物はKazakh Drama Theater(Театр Казахской драмы)です。


こちらもカラガンダです。ショッピングセンターと思われる建物の近くの広場に立てられていました。飾りつけはこれからのようでした。


12月1日だったので作りかけているものもありました。こちらもカラガンダです。すでにお気づきの通りカザフスタンのクリスマスツリーはきれいな円錐状ですが、その構造をこの写真で知ることが出来ました。こちらは消防自動車(はしご車)で作っていました。
アメリカなどでは生木が使われますがカザフスタンは木の少ない国なので人工的な円錐のツリーが使われているような気がしました。この写真をクリックすると拡大するのでツリーの構造がよくわかると思います。
クリックすると拡大

アクトベで泊まったHOTEL DASTANの前でも偶然ですがクリスマスツリーが作られていました。こちらでは高所作業車が使われていました。


夜には完成してきれいな姿を見せてくれました。


アスタナのバイテレックからの景色の中にもクリスマスツリーがありました。大統領官邸の少し手前に円錐形のクリスマスツリーがあります。
クリックすると記事を紹介

アスタナで泊まったRixos President Hotel Astanaの部屋からの景色の中にもクリスマスツリーがありました。小さい写真はクリックすると拡大します。
カザフスタンの宗教の比率はイスラム教が47%、正教会が44%、プロテスタントが2%、その他7%とイスラム教が多いけれどもクリスマスも重要な行事のようです。
ちなみにカザフスタンのクリスマスは1月7日だそうです。クリックすると拡大ロシア正教の降誕祭がクリスマスに相当するようです。もちろん12月25日もクリスマスなので2回のクリスマスがあるような感じだそうです。したがってクリスマスツリーも1月7日までは飾られると聞きました。ネットで調べてみると「正教会のうちユリウス暦を使用するものは、グレゴリオ暦の1月7日に該当する日にクリスマスを祝う」と書かれていました。


ホテルの窓から見えた同じクリスマスツリーが写った昼間の動画です。


夜のクリスマスツリーが写った動画も紹介します。左端にかろうじて写っています。


アスタナ(赤)とカラガンダ(青)とアクトベ(緑)の場所を地図にマークを入れました。
アルマトイ(黄)はトランジトのためツリーの紹介はありませんがカザフスタン最大の町なので黄色のマークを入れました。

より大きな地図で 3都市 を表示
参考にクリスマスツリーに関するネットでの記載内容を紹介します。
クリスマスツリーの用材には、常緑の針葉樹のおもに幼木が用いられる。アメリカでは、年間数千万本もの生木のツリーが流通しており、最も生産本数が多いオレゴン州だけでも700万本を超える。これら商業目的で生産されるツリーのほとんどは、規模が大きいため森林ではなく農地で生産されている(アメリカのツリー生産の統計は、農業センサスで集計されている)。この点で環境破壊と指摘されることは少ないが、クリスマス後に一度に大量に発生するツリーのゴミの方が環境問題視されることがある。このためニューヨーク州を始めとした都市部や住宅地では、2000年代以降、リユース(鉢植えで使用後に農場へ戻す)やマテリアルリサイクルを行う取り組みが見られる。




極寒の地に馬達がいました。 [カザフスタン]



12月1日の午前中にカザフスタンのアスタナからカラガンダまで車で216kmほど走りました。気温は-20℃近くまで下がっており家畜はほとんど見ることはありませんでしたが、上の馬たちを見つけました。これより以前にカザフスタンで馬を見たのはカザフスタンの最大の町であるアルマトイの近くのダムの観光用の馬だけでした。この寒さの中、で、このように放牧されたている馬を見ることが出来るとは思ってもいませんでした。

この地図の青いラインがアスタナのホテル(A)からカラガンダの昼食のためのレストラン(B)まで走ったルートです。この三台のトヨタ製LAND CRUISERで走りました。
カラガンダの英語とカザフ語とロシア語は次の通りです。
 カザフ語 Қарағанды
 ロシア語 Караганда
 英語    Karagandy/Karaganda


羊やヤギも見ることが出来ました。ただし家畜を見ることが出来たのは馬も含めて2回だけでした。

カザフスタンでもWebチェックイン [カザフスタン]



11月29日はカザフスタンの国内線で首都アスタナからアクトベで移動しましたが、手荷物だけの移動なのでインターネットで搭乗手続きをいたしました。パスポート番号さえあればチェックインカウンターに行かなくても搭乗券を事前にプリントアウト出来るのです。プリントアウトした搭乗券が上の写真です。
これさえあれば安全検査を受けて直接搭乗口に行けるのでホテルにはぎりぎりまで滞在できました。

国内線ですが国際線なみのサービなのがカザフスタンの飛行機です。最初にオシボリと飲み物のサービスがあります。オレンジジュースを頼みました。


カザフスタンの国内線には今年の7月にカザフスタン最大の町アルマトイからアクトベ飛びました。その時は砂漠の中に真白の湖が点在していました。干上がった塩水湖と想定していました。是非ともその時の記事を見てください。→ポチッ
今回のフライトで極寒の中でも凍っていない湖が点在していたのです。おそらく非常に塩分濃度の濃い塩水湖なのだと思います。


クリックすると拡大右の写真が夏の塩の湖です。クリックすると拡大します。どうやら季節によりって塩水湖ににっなったり干上がった塩の湖になったりする前回の想定は正しかったようです。常温の水100gに対して塩は36gまで溶けたのが飽和状態です。干上がった状態と塩水湖の2種類の状態の中間の本当に濃い飽和状態の季節もあることがわかりました。


外の景色を楽しんでいると食事が出されました。


アクトベの町に近づきました。もうすぐ着陸です。1時間55分のフライトでした。


アクトベ空港です。


気体はA320でした。この町も寒かったです。


翌日はアクトベからアスタナへのフライトに乗りました。もともとは14時50分のフライトでしたが遅れて20時20分となりました。夜のフライトだったので残念ながら窓の外の景色は見ることが出来ませんでした。


来る時と全く同じサービスでした。


食事の内容も全く同じでした。


来る時のデザートは紹介していませんでしたが、デザートも同じでした。


ただしEMBRAER190という小さな機体の飛行機でした。製造メーカーであるエンブラエル(EMBRAER)は1969年にブラジルの国営航空機メーカーとして誕生した会社です。今はエアバス、ボーイング、ボンバルディアに次いで世界で第4位の航空機製造会社です。日本の川崎重工業も機体の製造に参加しているそうです。


モスクワからアスタナへの夜行便 [機内 CY]



この日はシベリア最大の町であるノヴォスビルスク(ノボシビルスク)からカザフスタンの首都アスタナに移動しました。ノヴォスビルスクからアスタナへは下のように直行便も飛んでいるのですが、残念ながら移動したいのは月曜日の夕方だったので直行便にしようと思うと水曜日まで待たなければならなかったのでモスクワ経由でアスタナに行くことになりました。直行便だと時差が1時間あるので3時間のフライトですがモスクワ経由だとノヴォシビルスクからモスクワが4時間15分でモスクワからアスタナが3時間25分なのです。乗り継ぎ時間が3時間20分のため合計で11時間の移動になりました。今回はモスクワからアスタナまでのフライトを紹介いたします。
モスクワを23時20分発でアスタナ到着が朝の4時45分です。モスクワとアスタナの時差は2時間です。機材はA320でした。

地図で見てもらうと今回のルートがいかに遠回りなのかが、わかると思います。青いラインが直行便のルートで赤いライン今回のモスクワ経由のルートです。最初のフライトの時差が3時間でモスクワ→アスタナの時差が-2時間というだけでも遠回りルートであるかがわかってもらえると思います。
ラインをクリックすると距離が表示されます。ノボシビルスクからアスタナの直行便だと892kmに対してモスクワ経由だと2821km+2296km=5117kmとなります。

より大きな地図で モスクワ→アスタナ を表示
機内の風景です。


夜行便だと食事は控え目に出てくる航空会社が多いけれどエア・アスタナ(Air Astana)は昼間と変わらない食事でした。先ずはサラダに前菜が出てきたので、いつも通りにビールを頼みました。エア・アスタナ(Air Astana)は何度か紹介している通り私の個人的な印象ではありますが旧ソ連圏の航空会社では一番良いと思っている航空会社です。


メインデッシュはチキンを頼みました。手前の甘辛いソースがチキンにも野菜にもよく合っていました。


鶏肉の中に具が詰めらた料理でした。


このソースにチキンや野菜をつけて食べました。甘辛いキノコソースでした。


デザートはケーキやフルーツなどいろんなものが選択できますがビールをまだ飲みたかったのでチーズを選びました。

シベリア最大の町 ノヴォシビルスク [ロシア]


11月27日に日本からモスクワ経由でシベリアの最大の町であるノヴォシビルスク(ノボシビルスク/Novosibirsk)に入りました。その町の景観を紹介いたします。
写真の右側に見える川は町の真ん中を流れるオビ川です。眼下にはシベリア鉄道が走っていました。この時の朝の気温はマイナス20℃前後でした。

上の写真にも写っていますが、これがオビ川鉄橋です。


同じ場所から川の方を撮りました。川沿いに並んだクレーンと線路が印象的でした。


上の2枚の景色の場所のGoogle航空写真です。+のアイコンをクリックするの上の写真の景色が確認出来ると思います。-のアイコンを数回クリックするとルヴォシビルスクがロシアのどの場所にあるのかもわかると思います。ここは太平洋戦争で日本軍捕虜が抑留(よくりゅう)された場所の一つです。


ノヴォシビルスク(Новосибирск)は、シベリアの中心的都市で「シベリアの首都」的存在です。ノヴォシビルスク州の州都でオビ川に沿うており、人口は約147万です。人口はロシア国内第3位で、冒頭で紹介の通りシベリアでは最大のまちです。建設されたのは19世紀末であり、ロシアでも新しい町になります。シベリア鉄道建設中の1893年に、ノヴォニコラエフスクという名で現在のノヴォシビルスクが建設されたそうです。1925年、ソビエト連邦成立後にかつての皇帝ニコライ2世を思わせる市名は改称され、「新しいシベリアの街」を意味するノヴォシビルスクとなったそうです。ノヴォシビルスクはモスクワの雰囲気と違います。


上の写真を拡大しました。我々のイメージしているロシアの雰囲気の服装の人が多いのです。この町の人たちの冬の服装を見てしまうと、モスクワの町の人の服装はどちらかと言えばヨーロッパに近いといえます。


ノヴォシビルスクで最も有名な劇場です。オペラハウスNovosibirsk State Academic Opera and Ballet Theatreです。オペラハウスの正面から撮ったものです。オペラハウスの中を紹介したサイトがありました。→ポチッ

オペラハウスを上から撮ったGoogle航空写真を紹介します。上の写真は左側(西側)から撮ったものです。ここは大きな広場になっており上から5枚目の写真もこの広場で撮ったものです。

広場の道路に面した場所には大きな銅像がいくつも立てられていました。


道を走っているのはロシアの古い車だと思います。実はノヴォシビルスクは日本車が沢山走っていることでも有名な場所なのです。その理由は日本の中古車が沢山輸入されたからです。今は関税がとんでもなく高くなって現実的に中古車の輸入はなくなってしまったそうです。でも新しい日本の車が沢山走っていました。だから下のようなロシアの車は珍しいので撮ってしまいました。


ここから町の風景を紹介いたします。


バス亭でバスを待っている光景です。シベリアの人たちの服装が分かってもらえると思います。駐車している乗用車はもちろん日本の車です。


古いトロリーバスも走っていました。