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鞍馬寺 [京都]

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昨年の暮れ(2013年12月25日)に鞍馬寺と貴船神社に行きました。貴船神社は正月の挨拶の記事につかわさせていただきました。クリックすると拡大そこで、ここでは鞍馬寺を紹介させていただきます。上の写真は叡山電鉄の鞍馬駅の広場です。遠くに見える建物が鞍馬駅の駅舎です。鞍馬と言えは鞍馬天狗が有名です。大きな天狗のお面が鞍馬天狗の里に来たことを感じさせてくれました。鞍馬天狗は、鞍馬山の奥の僧正が谷に住むと伝えられる大天狗で、牛若丸に剣術を教えたという伝説で知られています。鬼一法眼と同一視されることがあり、別名が鞍馬山僧正坊です。なんといっても鞍馬天狗は映画が有名です。有名になったのは、鞍馬天狗が1924年に第1作の小説が発表されて有名になり沢山の小説や映画が作られたためだと思います。

ここから順番に紹介していきたいと思います。駅前広場の出口のお店です。店名は「かどや」さんで名前の通り角にあります。右の奥に鞍馬駅があります。


「かどや」さんの向かいが多聞堂です。看板には神虎餅多聞堂と書かれています。神虎餅と牛若餅が有名な甘味処のようです。
左の写真はネットから拝借したものですが左側のヨモギ餅のが神虎餅で右側が牛若餅です。左方向に鞍馬駅があり右の道路を進むと鞍馬寺です。
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鞍馬寺の仁王門が正面に見える参道です。左端のお店が上で紹介した多聞堂です。
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鞍馬寺の正面玄関にあたる仁王門(鞍馬山門)の正面の石段前に来ました。仁王門に向かって左側に見える建物は修養道場だそうです。
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石段を半分程度進んだ場所から見た仁王門です。
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最後の石段前から見上げた仁王門です。仁王門はクリックすると拡大寿永年間(1182~1184)に建立されたが明治24年に火災で焼失し、明治44年に再建されたものです。昭和35年に移築修理が加えられたそうです。クリックするとオリジナル記事向かって右側の扉一枚は寿永の頃のものだそうです。右側の柱には「鞍馬弘教総本山鞍馬寺」と書かれていました。この「鞍馬弘教総本山鞍馬寺」の書は、とりのさとZさんのご友人の書道家である田中心外さんが書かれたものだそうです。右上の田中心外さんの2枚の写真はネットから拝借させていただきました。
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大きな鞍馬寺の文字を見て初めて鞍馬寺に来た実感がわいてきました。


仁王門の名になっている仁王像が左右に2体あります。仁王像は運慶の長男である湛慶(たんけい)作と伝えられています。


仁王像は近づいて見ると迫力があります。
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仁王門をくぐるり愛山費200円を払って鞍馬山に入山します。浄域の看板が印象的でした。


鞍馬寺境内には無料の小さなケーブルカーがあります。歩いて登る道は倒木の危険があることから通行止めになっている為、本堂に行くためには、このケーブルカーを使う必要があります。始発は8時25分で毎時10、25、40、55分に運転されていました。歩いて降りることが出来ないため下りの最終時間は確認しておく必要があります。この時は16時50分でした。ここが山門駅でケーブルカーは牛若号です。
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ケーブルカーの正式名は鞍馬山鋼索鉄道で宗教法人鞍馬寺が運航しています。鉄道事業法による許可を受けた鉄道としては唯一の、宗教法人が運営しているケーブルカーであり、日本一短い鉄道でもあります。単線で行き違い設備のない巻き上げ式のケーブルカーです。


上の多宝塔駅が大きく見えてきました。鉄道事業法による許可を受けた鉄道としては、現在唯一の運賃が無料の鉄道でもあります。愛山費200円の一部が運賃と言えるかもしれません。
  路線距離 : 191m
  軌間    : 800mm
  高低差  : 89m
  開業    : 1957年   1975年: 2代目車両  1996年: 3代目車両
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多宝塔駅の脇には羅生門天が祀られていました。この羅生門天は多宝塔建立のときに草むらから出現した石仏で、開運の羅生門天と言われています。
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こちらが多宝塔です。多宝塔はもともと本殿本殿東側にあったとされていますが、江戸時代に焼失して、現在の塔はケーブル開通後に現在の場所に再建されたそうです。
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別の角度から見た多宝塔です。枝垂桜でしょうか。桜の季節にはきれいな景色を見せてくれるのだと思います。
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多宝塔駅から本堂への参道です。


途中に鞍馬山七福神の一つである弥勤布袋尊がありました。鞍馬寺は、寺とはいえ神仏習合(混合)の様式が見られました。
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弥勤布袋尊から参道が続きます。


途中に「急告!」文がありました。ケーブルカーのところで説明させていただいた通り「倒木の危険があるため徒歩での参拝は出来ません。」とありました。


こちらが今は通れない徒歩で昇り降りする参道です。
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多宝塔駅からの参道での最初の石段です。


石段脇には「巽の弁財天」がありました。本殿の南東(巽)の方向にあるので「巽の弁財天」と呼ばれています。福徳・知恵・財宝・技芸を授かる神として信仰されています。
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階段を少し登った左側には寝殿と呼ばれる場所がありました。大正13年に基礎の御料林の檜材の払い下げにより、平安時代の寝殿造を忠実に再現したものだそうです。作られた年に皇后が休息されたそうです。
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寝殿の向かいにある手水舎です。後ろの建物は転法輪堂という道場です。ここからさらに石段を上ります。
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石段を見上げた景色です。
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石段にはもみじの落葉が沢山落ちていました。


登ってきた石段の方向です。
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やっと本殿金堂にたどり着きました。鞍馬寺は鑑真の高弟・鑑禎(がんてい)が宝亀元年(770年)に草庵を結び、毘沙門天を安置したのが始まりと伝えられています。山号は鞍馬山で、毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊の三身一体を本尊としています。寺では本尊を「尊天」と称しています。
鞍馬寺と言えば源義経の幼名である牛若丸が修業をした場所とし有名です。鞍馬寺に預けられた牛若丸は遮那王と呼ばれていたそうで、鞍馬寺ではその後、衣川で亡くなった義経の魂は鞍馬寺に戻ったとされ、神格化され、護法魔王尊の脇侍となり、遮那王尊として奥の院の義経堂に祀られているそうです。
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翔雲臺と呼ばれる板石です。ここが平安京の擁護授福のため本尊が降臨した場所とされています。この板石は本殿後方より出土したもので平安時代より鞍馬寺に伝えられた妙法写教会の経巻を埋納した経塚の蓋石です。板石の下から発掘された経塚遺物二百余点がことごとく国宝に指定されたそうです。今は板石は本殿の正面に置かれています。つまり写真を撮っている私の背中側に本殿正面があります。


鞍馬寺は狛犬ではなく虎なのです。本殿の左右に置かれていました。阿吽の虎というそうです。右側の虎が大きく口を開けていました。左の虎は口を閉じていました。虎は御本尊の一尊でもある毘沙門天のお使いであるといわれる神獣で、毘沙門天ご出現が、虎の月・虎の日・虎の刻であったことから、鞍馬山では特に大切にされているそうです。
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本殿金堂の標高は410mで、鞍馬山山頂は570mとの表示がされていました。


本堂前には雪が残っていました。丸く石が並べられたところは金剛床(こんごうしょう)です。内奥に宇宙の力を蔵する人間が宇宙そのものと一体化するという鞍馬山の教えの理想を表現しているそうです。
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本殿の左側にあるのが光明心殿です。光明心殿は護法魔王尊が祀られており、護摩供を修する道場です。
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本坊金剛寿命院の横に本坊と渡り廊下でつながった舞台がありました。舞台の脇には奥の院参道の表示がありました。
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ここをくぐると奥の院への参道です。奥の院への続きは別途記載いたします。
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鞍馬天狗の映画を動画で紹介いたします。
1951年作の「鞍馬天狗 角兵衛獅子」です。

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