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龍角寺古墳群 [千葉]

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前記事で大阪の古墳を紹介した機会に、房総の古墳も紹介いたします。
上の地図の中の茶色のクリックすると地図を表示部分が古墳で、なんと114基あります。
千葉県八千代市の古墳を紹介させてもらった機会に過去記事ですが、龍角寺古墳群の記事を一番下の表を追加して再掲載させていただきます。
前方後円墳、円墳および方墳が判っているだけで114基もある全国最大規模の龍角寺古墳群が千葉にあることは、全国的には、あまり知られていないと思います。
画像をクリックすると大きな地図が出るので見やすくなります。大型の古墳は少ないけれど、確かに、これだけ沢山の古墳を一度に見れる場所は初めての出会いでした。皆さんにも知ってもらいたいので紹介いたします。

古墳には番号が付けられており、看板が立てられています。看板がないと古墳とは気がつかないような、小さな古墳もあります。これは全長42mの21号の前方後円墳です。上の地図では左の上の方にあります。この日は自転車で来てみました。


こちらは57号の前方後円墳です。地図に57と書かれている古墳で風土記の丘資料館のすぐそばにあります。114基の内訳は円墳が71基で前方後円墳が37基で方墳が7基です。高さが1~8mのものが103基とこの範囲が大半を占めていました。
ただし下の表にあるように全長(円墳は直径 方墳は一辺)に関しては1基が8mですが、残り113基は全て10m以上でした。


古墳広場です。小さな丘のように見れるのが全て古墳です。こちらの広場も圧巻です。沢山の古墳の中で遊ぶことが出来ます。古墳の新一覧表はこちらです。→ポチッ


こちらは発掘調査に基づき古墳がつくられた当時の様子を復元させた101号の円墳です。楯(たて)を持つ武人や猪、犬、馬、水鳥などを含め約100体の埴輪が並んでいました。


埴輪が沢山置かれていました。昔の人はお墓を大事にしたのですね。
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上空からの101号古墳です。写真の中のマイナスのアイコンをクリックすると縮小するので周りの様子や場所がわかると思います。


こちらは大きな龍角寺岩屋古墳(りゅうかくじいわやこふん)です。上の地図で場所を確認してみてください。こちらでは今でも石室を見ることが出来ます。鉄格子のところが石室です。この岩屋古墳は、千葉県印旛郡栄町にある方墳で、114基ある竜角寺古墳群の105号古墳です。
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鉄格子の間から石室を撮らせていただきました。南面には2基の横穴式石室が10メートル間隔で並でいます。西側石室は奥行4.23メートル、奥壁幅1.68メートル、高さ2.14メートルで、東側の石室は西側よりやや大きいが、この時は崩落してブルーシートがかけられていました。石材は凝灰質砂岩で、この地方で産出される貝の化石を多量に含んだものだそうです。被葬者は不明で、1970年(昭和45年)に墳丘と横穴式石室の測量調査が行われました。
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岩屋古墳はちょっとした小山です。印旛沼北岸の標高約30メートルの台地上に位置する。築造年代は古墳時代終末期の7世紀前半頃と考えられています。一辺78メートル、墳丘は3段築成。高さは13.2メートル、幅3メートルの周溝と周堤が巡っている。同時期の大方墳である春日向山古墳(用明天皇陵)、山田高塚古墳(推古天皇陵)をもしのぐ規模であり、この時期の方墳としては全国最大級の規模だそうです。


岩屋古墳を上空から見ました。こちらも写真の中のマイナスのアイコンをクリックすると縮小するので周りの様子や場所がわかると思います。


古墳の上には登れません。でも一ヶ所だけ登れる古墳がありました。


それが浅間山古墳(せんげんやまこふん)です。頂上まで階段がありました。浅間山古墳は龍角寺古墳群に属する111号古墳で、7世紀前半に築造されたと考えられる前方後円墳です。
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ここが浅間山古墳の頂上です。浅間山古墳は古墳群内最大の前方後円墳で、墳丘長は78メートルとされています。浅間山古墳には複室構造の横穴式石室があり、石室は筑波山付近から運ばれた片岩の板石を用いて築造されており、石室内からは金銅製冠飾、銀製冠、金銅製の馬具や挂甲などが出土しました。
墳丘からは埴輪は検出されておらず、前方後円墳最末期の古墳であることは間違いないとされますが、石室の構造や出土品から浅間山古墳の造営を7世紀第二四半期という新しい時期を想定する研究者もあります。一般的には6世紀末から7世紀初頭と考えられている前方後円墳の終焉時期との関係で論議を呼んでいる古墳です。
浅間山古墳を含む龍角寺古墳群は、古墳時代後期から龍角寺の創建に代表される飛鳥時代にかけての地方首長のあり方を知ることができる重要な遺跡と評価され、2009年2月12日、すでに史跡とされていた古墳群内の岩屋古墳に追加する形で、龍角寺古墳群・岩屋古墳として史跡に指定され、また出土品は2009年3月4日、千葉県の文化財に指定されました。


栄町教育委員会ホームページのデーターを元に、龍角寺古墳群の114基の古墳の大きさを、表にいたしました。全長の数値は円墳の場合は直径で方形の方墳は1辺の長さです。前記事で紹介した百舌鳥古墳群の古墳に比べると、一つ一つの古墳は小さいけれでも数に圧倒されます。旧資料(2009年)では115基でしたが新資料では114基になっていました。
龍角寺古墳 クリックするとオリジナルの新資料を表示します。

龍角寺古墳群の場所を地図で紹介します。 A マークのところが古墳群の中心あたりです。房総風土記の丘史料館で検索すると判ると思います。「千葉県立房総のむら(千葉県印旛郡栄町龍角寺1028 Tel:0476-95-3333)」の近くでもあります。直接に古墳群に行きたい場合は「房総風土記の丘資料館(0476-95-3126)」を入力するとよいと思います。
古墳群のある風土記の丘は無料なのがうれしいです。房総のむらと史料館は有料ですが、両方合わせて中学生以下は無料で高大学生は150円で一般は300円と内容からみて安いです。行列の鰻屋さんも、この近く(8.1km)なので寄ってみてはいかがでしょうか。→ポチッ