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丹波立杭焼の里 [兵庫県]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2014年2月5日~9日まで関西に行って宝塚の実家に泊まっていました。2月7日に時間があったので関東に引っ越してからご無沙汰になっていた丹波立杭焼の里である兵庫県篠山市今田町の立杭地区に行ってきました。
丹波立杭焼(たんばたちくいやき)は丹波焼あるいは立杭焼ともいわれています。起源は平安時代にまで遡るといわれ、瀬戸、常滑、信楽、備前、越前と共に六古窯の一つに数えられて主に生活雑器を焼いてきました。江戸時代後期には篠山藩の保護育成などもあり、直作、一房、花遊、一此、市作など世に名を轟かせる陶芸家を輩出したそうです。窖窯時代には小野原焼と呼ばれていたが、登り窯時代になって、現在の呼び名である丹波焼あるいは立杭焼と呼ばれるようになったそうです。
丹波立杭焼の特徴は、登り窯により最高温度約1300度で50〜70時間も焼かれるため器の上に降りかかった松の薪の灰が、釉薬と化合して窯変、「灰被り」と呼ばれる独特な模様と色が現出し、また炎の当たり方によって一品ずつ異なった表情を生み出すことだそうです。

JR福知山線の宝塚駅を9時6分発の篠山口行きの快速に乗って相野まで行きそこからバスかタクシーで行くつもりでした。バスの時刻は判らないので、とりあえず立杭に10時くらいに着く電車を選びました。


相野駅が見えてきました。
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相野駅のホームです。


相野駅には9時30分に着き、出発寸前のバスに飛び乗りました。戻ってきたときに確認するとバスは9時35分発でした。ゆっくりとトイレに行ってからバス停に行ったのでギリギリだったわけです。


すぐにバスに乗れたので頻繁にバスがあるのかと思いましたが、下の時刻表を見てもらえればわかるようら一日に6本しか走っていないバスに偶然に乗れたのでした。それも始発でした。なんという偶然なのでしょう。平日が6本で土曜、日曜、祝日が8本なので、電車で行かれる方のために時刻表を掲載いたしました。帰りも気をつけないといけないことが判ってもらえると思います。降りる時に親切な運転手さんに帰る時のバス停留所が時間帯によって違うことを教えてもらいました。この時刻表をクリックすると下立杭の時刻表を表示します。
クリックすると下立杭の時刻表を表示

なんとバスは相野駅から終点の陶芸美術館まで私一人でした。


バスはこの坂を登って見えている県陶芸美術館に到着いたしました。県陶芸美術館で兵庫県のいろんな時代の陶器を見た後に立杭の集落の方に向かいました。


立杭の集落に向かう途中で見える陶芸美術館の景観です。川の名前は四斗谷川(しとだにがわ)で、陶芸の里らしい橋の名前は「ほとけ橋」です。
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立杭の周辺の景色を紹介します。北の方向を撮った写真です。正面に見える山は白髪岳(721.8m)だと思います。丹波富士とも言われています。
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こちらは立杭の集落です。左の方が下立杭で右の方が上立杭です。現在、今田町上立杭、下立杭、釜屋地区に約60軒の丹波立杭焼の窯元があるそうです。
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集落の中に入りました。ほそい路地が趣がありました。その路地に「窯元路地歩き」の看板が立てられるだけのことがありました。その路地にはそれぞれ「アベマキ坂」「こやすさん坂」「窯の壷坂」「なかみち通り」「やきもの通り」などの名前が付けられていました。
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この路地を登ったところにも窯元がありました。
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路地を歩いていると小さな社(やしろ)もありました。真っ赤な鳥居には稲荷大明神と書かれていました。


それぞれの窯元も趣があります。こちらは俊彦窯(としひこがま)です。清水俊彦(S20)さんと清水剛(S50)が作られているそうです。
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こちらの窯元は丹波・山キ窯・喜仁です。
こちらの「山キ」は文字ではなく「山キ」=なのです。つまり「丹波窯」です。こちらは大上喜仁さん(S31)がやられています。
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こちらも大きな窯元でした。こちらは茶陶丸カ窯です。
こちらの「丸カ」も文字ではなく「丸カ」=なのです。つまり「茶陶窯」です。こちらは市野年彦さん(S31)がやられています。
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こちら窯元は丹窓窯です。写真の中の右端に登り窯が写っています。
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遠くから撮った写真に、その登り窯が写っていました。
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これが登り窯です。
全国的に中世には轆轤(ろくろ)を用いない紐作りという手法で形を整え、窖窯と呼ばれる独特の窯で釉薬を用いず、焼き締めて作られていたそうです。江戸時代に入ると登り窯が用いられるようになり、ここ立杭では今でも沢山の登り窯が残っているようです。
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反対側から見た登り窯です。
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クリックすると拡大立杭の登り窯の特徴は先端の「蜂の巣」と呼ばれる煙出しの部分です。この煙出しの部分は「くど先」「火さき」とも呼ばれています。右の「蜂の巣」から炎が噴き出している写真はネットから転用させていただきました。最近は煙突が付けらりることが多くなったことから、「蜂の巣」から炎が噴き出す美しい光景は少なくなったそうです。
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登り窯は山麓の傾斜地に「そだて石」とよぶ石を並べて基礎とし、割り竹を縄で編んだものを支えとして、両側から「まくら」を半円形に積み上げられるそうです。このまくらは、山土を型に入れてこしらえた立方体の日干し煉瓦(れんが)で、現在では鉄板を支えとして積まれることが多いようです。このとき出入り口や燃料の投入口も設けられ、最後に「ごぢん」とよぶ窯内部の床を厚く塗り固めて完成します。この図はネットから借用させていただきました。
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こちらが窯詰の出入口です。中の煉瓦の表面から高温で焼かれることが判ってもらえると思います。
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ここには複数の登り窯がありました。煉瓦の煙突が建てられた登り窯です。これらは上立杭にあった登り窯です。
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下立杭の方に下りていく途中に大きな木の下にクリックすると拡大社が立てられているところがありました。この木はアベマキで、「上立杭の大アベマキ」として平成元年12月12日に郷土記念物に指定されました。木の姿が扇を開いたように見えるので「おうぎの木」あるいは「おみの木」とよばれ、地域の神木として崇められています。アベマキとしては、兵庫県位置の巨木です。ここから右に行く道が「アベマキ坂」と名付けられています。鳥居には「正一位稲荷大明神」と書かれていました。
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「おみの木」の脇を上がっていく道です。この奥にも窯元がいくつかありました。
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こちらの道にも沢山の窯元がありました。
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立杭の集落のメインストリートです。
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窯元マップがあったので写真を撮りました。クリックすると拡大します。左方向が北方向になります。この看板に書かれている窯元を紹介いたします。
樫山窯 大雅窯 英一窯 省三窯 末晴窯 陶幸窯 山五陶勝窯 大熊窯 丹水窯 (かねと)窯 茶陶窯 丹波窯 製陶所 源右衛門窯 義治窯 窯 丹波窯 窯元やまの 丹窓窯 雅峰窯 珀耀窯 俊彦窯 こおほ窯 陶芳窯 義年窯 丹京窯 丹泉窯 新右エ門窯 信行窯 炎丹久窯 豪人窯 稲右衛門窯 昇陽窯 伝市窯 陶山窯 丹山窯 丹満窯 悟窯 忠作窯 吟兵ヱ窯 松本製陶所 直作窯 圭泉窯 丹誠窯 丹久窯 林造窯 鎮台窯 寿庵 壺市
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緑色マークが窯元マップが立てられていたところです。空色マークが登り窯で、すでに紹介したのが、北側(上側)の登り窯です。赤色マークが陶芸美術館で、黄色のマークが54軒の窯元の作品が広いスペースに窯元ごとに並べて売られている「立杭陶の郷」です。

より大きな地図で 立杭集落 を表示
上の地図の南側(下側)の登り窯です。沢山の登り窯があることが判ってもらえると思います。


こちらの登り窯は兵庫県の指定文化財です。この窯は現在も共同で使用されています。長さは47mで9袋を持っているそうです。記録によると今から119年前の明治28年(1895年)の構築で、立杭に置いては現存の登り窯のなかで最も古いそうです。
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上の写真と反対側から撮ったものです。
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上の方向からの写真も紹介します。
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宝塚の実家に住んでいたころに同じ登り窯を撮った写真が残っていました。
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クリックすると拡大クリックすると拡大入社してすぐのころは車で気楽に行けたので何度も社内の友達同士や、家族で行きました。右の写真はお袋と姪っ子(私の姉の長女)です。
近世における丹波焼は、慶長16年(1611)ごろ、朝鮮式半地上の登り窯が導入されて穴窯時代から登り窯時代になったといわれています。その頃は釜屋の山麓に登り窯が築かれていたので「釜屋時代」「山麓時代」ともよばれていたそうです。人が住む下立杭や上立杭に登り窯が作られたのは宝暦2年(1752)で、里に登り窯が作られたことから「里窯時代」とよばれたそうです。
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昔の写真で煙出しの「蜂の巣」の写真がありました。蜂の巣から吹き出される真っ赤な炎は美しいと思います。
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横には別の登り窯もありました。
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横には丹京窯という窯元がありました。
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実は、昔、こちらの丹京窯で大きな壺を買いました。その壺は今も実家にあります。今は息子さん(清水昌義さん)が窯元をやられているそうです。つまり先代(清水丹京さん)の作くられた壺になります。今度、実家に帰った時に写真を撮って紹介いたします。
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追伸
こちらが、昔に買った清水丹京さんの壺です。
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拡大してみました。クリックすると拡大

添えられていた説明書きです。
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久しぶりに立杭に来たのでお土産を買おうとしましたが閉っているお店も多かったです。寒い時期の平日のため、立杭の集落では、ほとんど人は見かけませんでしたが10月の第3土曜、日曜日には「陶器まつり」が開催され、普段は人通りもまばらな窯元の立ち並ぶ小路まで多くの人々が繰り出し終日賑わうそうです。年間で十万人が訪れるそうです。お土産に買ったのがこちらの吟兵ヱ窯です。


店内を撮らせていただきました。今の窯元の名前は吟兵ヱ保宏(大西保宏)です。私が関西に住んでいたころの窯元のお孫さんだそうです。時間がたったことを感じました。吟兵ヱ窯を紹介します。
  窯元 吟兵ヱ窯(ぎんべいがま)
  陶工 吟兵ヱ保宏(大西保宏) 先代は大西寿
  住所 兵庫県篠山市今田町下立杭187-1
  電話 079-597-2065
  詳細 http://www.tanbayaki.com/kamamoto_shosai/59.htm
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壁際に並べられているのが薪で焼かれた陶器です。手前の方にガス窯および電気窯で焼かれたものが並べられていました。せっかく立杭に来たので薪で焼かれたごはん茶碗を買いました。薪を燃料とした場合は登り窯と穴窯の両方があるようです。
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これが購入した、ご飯茶碗です。
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お土産も買ったので帰ることにいたしました。立杭公会堂前が12時30分のバスで、乗ったのは一停先の下立杭だったので12時32分でした。このバスを逃すと15時25分までバスがありませんでした。心配していましたが時間通りに相野駅行きのバスが来ました。


次の電車は13時3分でした。


相野駅の写真を紹介します。
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この電車で宝塚まで帰りました。
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翌日は学生時代のサイクリング部のOB交流会に出た後、2月9日は雪のためにべた遅れの飛行機に乗って家に帰りました。
さっそく立杭焼きの茶碗で、ご飯を頂きました。趣のある茶碗で食べるご飯は美味しかったです。
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これらが我が家のごはん茶碗です。
クリックすると拡大クリックすると拡大右の3枚の写真は1998年に買った2っの笠間焼と1999年ごろに買った益子焼の茶碗ですが、最近、割ってしまいました。ちょっと残念ですが、使うことを前提に買っているので仕方クリックすると拡大がないことなのです。
下の写真の上段の左が砥部焼で、真中が割った茶碗と一緒に買った笠間焼です。上段の右の茶碗と下段の右の茶碗が益子焼です。下段の左が今回買った立杭焼の茶碗です。大事に使わさせていただきます。
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立杭の場所を紹介いたします。兵庫県篠山市今田町上立杭および兵庫県篠山市今田町下立杭が立杭集落です。赤色ラインが相野駅~立杭のバス路線で、緑色ラインが宝塚~相野のJR福知山線です。

より大きな地図で 立杭集落 を表示