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Hotel Dastan Aktobe 日本食がブーム? [カザフスタン]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大すでにカザフスタンのアクトベのモスク教会などを紹介いたしましたが、ここの町は下の航空写真のように15km程度の範囲に入ってしまう町でした。その町で泊まったホテルが、前記事で紹介した右の写真のHotel Dastan Aktobeです。前日はカザフスタン最大の町であるアルマトイ(アノマティー)でカザフ料理を堪能いたしましたが、こちらのアクトベでは、このホテルで種類はこだわらないでアラカルトで頼んでみました。アクトベ(Ақтөбе)はアクトベ州の州都で人口は約32万人の町です。この町で食べた料理を紹介いたします。

この地図の空色のマークの位置が、ホテルの場所です。マークをクリックすると名称を表示します。

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チーズたっぷりのシーフードサラダというところでしょうか。チーズがたっぷり乗っているところがカザフスタン風なのかもしれません。


こちらもチーズがたっぷ乗った「きのこ」のクリームシチューのようなソースの美味しい料理でした。味わって見て、こちらのホテルのレストランは一流の味であることが徐々にわかってきました。昼食で食べたボルシチもすばらしかったです。


ロシアの特徴である黒パンも出てきました。


これらを肴にしてビールです。写真のピントはバックのテーブルの方にあってしまったのでレストランの雰囲気もわかってもらえると思います。写真をクリックすると背景の山の絵の拡大写真を表示するようにいたしました。


こちらのレストランでは日本風の料理も食べれるのが特徴でした。肉がたっぷりの野菜炒めです。


こちらは、まさに焼肉でした。次のような飯類もありました。
 親子丼     Oyakodon            550テンゲ 310円
 鰻玉丼     Una-Tama don         1500テンゲ 847円
 牛丼       Gyudon             500テンゲ 282円
 シーフード焼飯 Tennpanyaki rice with seafood 1300テンゲ 734円
 野菜焼飯    Tennpanyaki rice with vegetables 550テンゲ 310円
 ごはん     Gohan              500テンゲ 282円


こちらが冒頭の写真です。究極の日本食であるお寿司もありました。これには驚きでした。ここはカザフスタンの首都アスタナでもなく、最大の年アルマトイでもなく、日本人が住んでいるとは思えない砂漠の辺境の町アクトベなのです。そこで、お寿司が食べれるとは!
辺境の地ではありますが、人口はカザフスタン5番目(38万人)の町です。サーモンと鰻のお寿司を頼みました。
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メニューのお寿司の部分ですが、メニューでは日本食の部分に4ページも使うほどの力の入れようでした。メニューはカザフ語とロシア語と英語の3種類が書かれています。左側がカザフ語とロシア語で右側が英語でした。クリックすると拡大するのでメニューが読めると思います。一番下の9品の「デラックス盛り合わせ(Delux Moriawase)」の寿司の内容を紹介いたします。値段は15000テンゲ(約8470円)です。「巻き盛り合わせ(Maki Moriawase)」かが5500テンゲ(約3100円)で、「寿司盛り合わせ(Sushi Moriawase)」が6500テンゲ(約3670円)でした。単品の巻物は550~1600テンゲ(310~900円)です。ちなみに一番安いのがカッパ巻(Kappa Maki)です。
クリックすると拡大   Sake Kunsei nigiri
   Unagi nigiri
   Izumi tai nigiri
   Maguro nigiri
   Hotate nigiri
   California maki
   Unagi maki
   Maki with baked salmon
   Philadelphia maki
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ホームページに、こちらのレストランの動画があったので紹介します。残念ながら日本食は出てくなかったですが、雰囲気は伝わってくると思います。


実は、ここは小さいホテルでしたがカザフスタンの大統領も訪問するほどのホテルでした。ホテルの壁には有名な人と思われる方々の写真が沢山飾られていましたが、この写真はその中の一枚です。


ホテルの中は日本風の絵が沢山飾ってあったことからも日本にこだわっていることが感じられました。


地方の小さなホテルではバーはあるけれども早くしまってしまうことが多いけれども、こちらではバーも遅くまでやっておりカクテルを楽しみました。


ついカクテルの、おかわりもしてしまいました。


ホテルの部屋も紹介いたします。寝室と居間が分かれたタイプでした。


長期に滞在する人にも対応できるようにしているのでしょうか。キッチンや大形冷蔵庫もありました。


少しアクトベを紹介いたします。ネットでの記載内容です。
ラテン文字表記はAqtöbe(またはAktöbe、Actöbe)。ロシア語ではアクチュビンスク(Актюбинск)と呼ばれる。
住民の民族構成は多彩で、カザフ人とロシア人を始めとして、ウクライナ人・タタール人・ウイグル人・チェチェン人・アルメニア人・ユダヤ人・ギリシア人などが住んでいる。ペレストロイカ以前はドイツ人の大きなコミュニティがあった。
アクトベという名はカザフ語で「白い丘」を意味し、19世紀の入植地であった丘に由来する。 1869年3月、ロシアはオレンブルクからのキャラバンルートに当たるこの地に軍事要塞を建設、周囲にスラブ人が農業のために入植を開始した。要塞は拡張され町も大きく整備された。1891年、アクチュビンスクという名の市に昇格した。1901年にはトランス・アラル鉄道も開通した。 ロシア第一革命ではボリシェビキが活発な反政府活動を展開、ロシア革命で完全にアクチュビンスクを掌握した。その後、戦略的に重要なアクチュビンスクをめぐって赤軍と白軍が激しい争奪戦を展開、1919年4月、アクチュビンスクは白軍の手に落ち、ボリシェビキの中央アジアへの連絡路は断たれた。しかし、9月になるとミハイル・フルンゼのボリシェビキ軍は激戦の上、アクチュビンスクを奪還、以降、タシュケントへの鉄路は赤軍の掌握するところとなった。1920年、キルギス自治ソビエト社会主義共和国が誕生し、その後、カザフ・ソビエト社会主義共和国のアクトベ州となる。 第二次世界大戦では、工場がロシアやウクライナから疎開、フェロアロイ工場やクロム工場も移転してきたため工業都市として飛躍することになった。1990年代以降、アクトベのヴォルガ・ドイツ人たちはドイツへと帰還した。
マークの場所がお寿司が食べれたカザフスタンのアクトベ(Aktobe)です。首都アスタナ(Astana)では日本食店はありません。
カザフスタン最大の都市アルマティー(Almaty)でも日本食店は2~3店しかないことから首都アスタナや最大の都市アルマティーから遠く離れた、この場所で寿司が食べれたことが、どれだけすごいことかが、判ってもらえると思います。