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ログハウスな教会 と思ったら [キエフ]

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早朝にキエフの街の裏通りを散策中に不思議な教会を見つけました。
あの不思議なフォークのコアラ(?)があった場所です。なにが不思議かと言うと真中は石造りですが左右は木で出来ていることでした。それもログハウスのようなつくりでした。

ログハウスの雰囲気を判ってもらうために正面からの写真も追加掲載いたしました。
十字架が屋根の上に建てられており左右対称なところが教会らしい感じです。
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真横から撮ると完璧にログハウスでした。子供が喜びそう(?)
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教会の敷地の真中に、今回の不思議な教会がありました。右側の青いマークの場所に不思議な人形(コアラ?)があったところです。赤のラインは裏通りを散策したコースです。ストリートビュー(S.V.)でも確認できました。
地図の中ではЗолоті ворота(Golden Gate)と名付けられていました。日本語訳を読んでみるとどうやら中世の城壁の門だったようです。
  S.V. http://goo.gl/maps/Y17dy

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地図の中の呼び名Золоті воротаからネットで調べた結果、下記の町を守る城壁の中央の城門の部分であることが判りました。歴史的建造物を復元していたのです。
Золоті ворота(黄金の門)はウクライナの首都キエフの歴史的地区にある史跡で、キエフ大公国時代のキエフの中央門だそうです。
文献「原初年代記」によれば、1037年にヤロスラウ賢公がキエフを開発し、町の境界線に土塁を盛り、その上に城壁を作らせ、西へ向かう入り口に大門を構築したそうです。この門の名称は、当時の欧州にとって文化の源であったビザンツ帝国の首都コンスタンティノポリスの門にちなんで、「黄金の門」と呼ばれたそうです。キエフの黄金の門は土塁の間に大きな赤色の煉瓦と石で造られ、塔のように聳え立っていました。
キエフはキリスト教の町であることを見せるために、門上に受胎告知教会が造られました。それで屋根の上に十字架が立てられていたようです。1240年に黄金の門は、モンゴル帝国の軍勢によって破壊され、それ以後再建されることがなかったそうです。門の跡は完全に土に埋まっていましたが1832年のK・ロフヴィーツィクィイは発掘調査を行い史跡として保存したそうです。
現在の黄金の門は1982年に復元されたものださうです。
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クリックすると拡大建物の内部の写真があったので転用して紹介させていただきます。クリックすると拡大するように設定させていただきました。
門の入口の広さは約7.5mで、門内はモザイクと壁画によって装飾されており、壁の高さは9.5m以上であったそうです。形式は東ヨーロッパの古代建築様式だそうです。
 住所 40-a Volodymyrska str. Kyiv
 電話 044-278-6919
 開館 火曜~日曜
 時間 0:00~17:00
 HP  http://goldengate.sophiakievska.org/uk/

ここにも銅像が飾られていました。よく見ると銅像の人が持っているのは、この建物のようです。キエフは本当に銅像が多い街でした。