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東方のピラミッド 西夏王陵 [寧夏回族自治区]

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写真はと東方のピラミッドと呼ばれている西夏王陵です。寧夏回族自治区と言えば、謎の王国と呼ばれた西夏があった場所です。西夏はタングートの首長李元昊(景宗)が1038年に建国した王朝でモンゴル帝国のチンギス・カンによって滅ぼされた1227年まで続きました。西夏の墓陵が西夏王陵です。西夏墓陵として残されているのが1号陵から9号陵の9つの王陵です。上の写真が西夏の初代皇帝である李元昊(景宗)の墓陵です。ただし1号陵ではなく3号陵です。西夏の前進の夏国公の初代皇帝である李継遷(太祖)の王陵が1号陵です。ちなみに李継遷(太祖)は西夏の初代皇帝の李元昊(景宗)の祖父にあたり、2号陵の李徳明(太宗)は西夏の初代皇帝の李元昊(景宗)の父であり、夏国公の2代皇帝です。初代皇帝の李元昊(景宗)は夏国公の3代皇帝でもありました。
西夏王陵はエジプトのピラミッドのように石で出来てはいませんが、砂漠の中にあるところが東方のピラミッドと呼ばれたのかもしれません。

こちらの地図はWikipediaから転用させていただいた1142年時点の地図で西夏の場所を紹介します。西夏の都の興慶は現在の寧夏回族自治区の首都である銀川にありました。西夏王陵があるのは、クリックして出てきた拡大地図の興慶府と書かれたところの少し西側です。
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クリックするとオリジナル記事を表示西夏の都である興慶(現在の銀川)の西の賀蘭山脈の麓の砂漠地帯に西夏王陵があります。左の地図に9つの西夏王陵の位置が記載されています。1号陵から9号陵の皇帝は次の通りです。8代皇帝以降の王陵の場所は判りませんが、この地域には皇族の陵を含めて253基の西夏陵があります。
  陵号 廟号 皇帝名と陵名  皇帝代
 1号陵 太祖、李継遷の裕陵 李元昊の祖父
 2号陵 太宗、李徳明の嘉陵 李元昊の父
 3号陵 景宗、李元昊の泰陵 初代皇帝
 4号陵 穀宗、李諒祚の安陵 2代皇帝
 5号陵 恵宗、李秉常の献陵 3代皇帝
 6号陵 崇宗、李乾順の顕陵 4代皇帝
 7号陵 仁宗、李仁孝の寿陵 5代皇帝
 8号陵 桓宗、李純祐の庄陵 6代皇帝
 9号陵 襄宗、李安全の康陵 7代皇帝
     神宗、李遵頊     8代皇帝
     献宗、李徳旺     9代皇帝
     末主、李睍     10代皇帝

下のGoogle航空写真の真中に点のあるのマークが1号から9号の西夏王陵です。下から3つ目が今回写真で紹介する3号陵です。点のない紫色のマークが航空写真で確認したその他の西夏時代の大型の陵です。は軍用飛行場の銀川賀蘭山空港で、我々は民間機用の別の飛行場である銀川河東空港を利用しました。

より大きな地図で 西夏王陵 を表示
西夏の歴代皇帝の系図です。系図の中の(一)は西夏の初代皇帝を表しており、(二)は2代皇帝です。つまり(十)は10代皇帝を示しています。
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こちらは博物館内にあった西夏王陵群の模型(ジオラマ)です。真中手前にあるのが我々が訪問した3号陵で、左奥に1号陵と2号陵があります。背景にあるのが
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こちらのジオラマの手前が1号陵で奥が2号陵です。このジオラマで判るように西夏王陵はピラミッド状の王陵のまわりを四角い土塁に囲まれてた広い敷地になっています。この配置を頭に入れて後で紹介する写真を見ていただくと判りやすいと思います。写真をクリックすると航空写真で1号陵と2号陵を表示します。
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3号陵からは無料バスで1号陵と2号陵にも行くことが出来ますが、時間がなかったことから、3号陵だけの訪問になりました。こちらの写真は博物館でビデオ紹介された1号陵と2号陵を撮ったものです。背景の山々は賀蘭山脈(がらんさんみゃく)です。賀蘭山脈の主峰の賀蘭山は3556mです。西夏王陵が点在するあたりの標高は1200mです。


王陵の地下構造の模型があったので紹介します。地下に墓室があります。3号陵にも地下に行く行く入口が残っているそうです。ただし透明なプラスチック板でふさがれているので中に入ることは出来ません。この入口は後で知ったので、実際に見ることは出来ませんでした。


博物館の方から歩いてくると最初に目にする景色です。
遠くに見えるのが王陵である陵塔(Tomd Tower)ですが手前に入口にあたる部分に2つの土で出来た塔の闕台(Gate Tower)が配置されています。闕台(Gate Tower)より奥が王陵の敷地になるわけです。正面から歩いてくると手前の2つの塔(闕台)の真中に王陵(陵塔)が見えるはずですが、博物館は中央の道路より左側にあるので博物館から歩いてくる場合は左右対称には見えなかったのです。
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これが右側の闕台(Gate Tower)です。遠くに見えるのが陵塔(Tomd Tower)です。陵塔(Tomd Tower)が小さく見えますが、それはとう区にあるためで、実際には、はるかに大きいのです。
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こちらが左側の闕台(Gate Tower)です。右奥に見えるのが陵塔(Tomd Tower)です。
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西夏王陵の正面の道から見た景色です。この位置の左右に闕台(Gate Tower)があります。
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こちらが碑亭(Tablet Pavilion)で、闕台(Gate Tower)より陵塔(Tomd Tower)側に左右に計2つありました。
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碑亭(Tablet Pavilion)の辺りからから見ても、陵塔(Tomd Tower)はまだ小さく見えます。王利用の広さが判ってもらえると思います。手前の土塁と奥の土塁の間の広場は月城(Moon City)と呼ばれています。奥の土塁より陵塔(Tomd Tower)側が内城(Inner City)です。
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内側の土塁と陵塔(Tomd Tower)を拡大してみました。陵塔(Tomd Tower)まで遠いことが判ってもらえると思います。
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何重にも土塁が作られていました。土塁はレンガと土で出来ているようでした。
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土塁群です。今は土塁の状態ですが、昔は煉瓦で覆われた高い壁だったのではないかと想像されます。
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背の高い土塁も残されていました。土塁の隅や途中には角闕(Corner Towers)がありました。
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陵塔(Tomd Tower)の周囲にある土塁です。この内側は内城(Inner City)と呼ばれています。内城(Inner City)に入る南門(Southern Gate)より外側の広場が月城(Moon City)です。
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陵塔(Tomd Tower)に近づいてきました。この真下の地下に墓室があるのです。
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陵塔(Tomd Tower)は不思議な形をした土の塔です。小さな穴が水平に何段にも並んでいます。昔は表面を飾り石あるいは煉瓦などで覆われていたのかもしれません。
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近くから陵塔(Tomd Tower)を見上げた写真です。寧夏回族自治区には2014年8月28日~9月2日に滞在して、ここ西夏王陵には9月1日に行きました。
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陵塔(Tomd Tower)の裏側(北側)です。ここに北門(Northern Gate)がありました。土塁のコーナー部が角闕(Corner Towers)です。ここの状態からも、今は土塁の状態ですが、昔は煉瓦で覆われた高い壁だったのではないかと想像されます。
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上で紹介の写真の位置を航空写真で紹介します。左方向が北西方向です。クリックするとオリジナルのGoogle航空写真を表示します。
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上の航空写真で角台と書かれている塔です。本来は4隅にあったそうです。南側(右側)は痕跡のみだそうです。


陵塔(Tomd Tower)自体はクフ王のピラミッドのように大きくはありませんが、西夏王陵自体は長さ600mx幅400mを越えるの規模を持つ巨大な王陵だったのです。墓域面積が世界最大であるとされている仁徳天皇陵(大仙陵古墳)の長さ840mx幅654mの規模には及びませんが、日本で2番目の履中天皇百舌鳥耳原南陵を越える規模です。同じ縮尺のGoogle航空写真で大きさを比較いたしました。
西夏王陵 3号陵            履中天皇百舌鳥耳原南陵

クフ王のピラミッド               仁徳天皇陵


西夏王陵に関する台湾の放送局の動画を見つけたので紹介します。


追伸
2014年10月10日から10月18日まで関西に行きます。関西では飲み会が3~4回入っているので皆様のところへの訪問が十分に出来ないのではないかと思います。その時にはこ容赦願います。