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自転車で行った上高地 [上高地]

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前記事で2014年10月21日の上高地の大正池を紹介しました。その中で昔、会社に入社4ケ月目の22歳の時に自転車で上高地に来た時の写真も掲載させていただきましたが、その時に自転車で通ったルートを上の航空写真で赤色と青色のラインで示しています。ルートの色を変えているのはは車では走れない登山道(ハイキングコース)だからです。車で行く場合は緑色ルートで行くことになります。
走ったのは8月12日~14日で、八千穂→麦草峠→蓼科→すずらん峠→白樺湖→霧ヶ峰→諏訪→島々→徳本峠( )→明神橋→河童橋→大正池→釜トンネル→安房峠→平湯峠→高山と通りました。
その時の写真を走った順で紹介したいと思います。
 ①<<八千穂→麦草峠→蓼科→すずらん峠→白樺湖→霧ヶ峰→諏訪→島々>>
 ②<<島々→徳本峠→明神橋>>
 ③<<明神橋→河童橋→大正池>>上高地
 ④<<大正池→釜トンネル→安房峠→平湯峠→高山>>


①<<八千穂→麦草峠→蓼科→すずらん峠→白樺湖→霧ヶ峰→諏訪→島々>>
自転車は輪行袋に入れて8月12日に新大阪の列車に乗り、午後に左の写真の八千穂駅に到着して、すぐに麦草峠に向かいました。右の写真が麦草峠への道です。
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左が麦草峠を通る道で右が白樺湖です。この日は霧ヶ峰に持って行ったテントで泊まりました。
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②<<島々→徳本峠→明神橋>>
ここからが青色ラインの車では通れないルートの紹介です。
徳本峠(とくごうとうげ 2135m)辺りが険しいことが判ってもらえると思います。


島々から入ってしばらくすると徳本峠の表示がありました。国道158号線から入った島々の表示もありました。右の写真は道沿いの渓流です。
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左のような木で出来た道も長くつづいていました。右の写真は徳本峠への最後の急坂を登る手前の渓流沿いにある有名な山小屋の岩魚止小屋です。これ以上は岩魚も上れないないほどの急流という意味なのでしょう。
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クリックすると拡大徳本峠に着きました。 右の写真は乗鞍岳(3026m)に登った時の写真ですが、乗って走れない時には右の写真のように担いで進みます。今回のルートである島々から徳本峠を越える道は江戸時代の寛文年間から、木材の搬出や炭焼きなどの生活を支えるルートであったそうです。弘化年間に徳本峠から上高地へ下った白沢出合に「徳吾の小屋」の牛番小屋があったことが、「徳本峠」の名称の由来の一説とされています。1894年に志賀重昂が徳本峠越えを行ったそうです。1895年測量の国土地理院の5万分の1の地形図には徳本峠の名称が記されていました。クリックすると拡大1923年に上高地温泉株式会社が徳本峠小屋を開業し1927年に上高地が日本新八景に選定されると、徳本峠越えの上高地へのルートがメインルートとし多くの人に利用されました。右の小さな写真はネットから用させてもらった徳本峠付近からの穂高連峰の写真です。そして下の右側の写真は私が撮った徳本峠から穂高連峰を見た景色です。
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徳本峠あたりの地形図を表示しました。険しい道であることが判ってもらえると思います。1927年に釜トンネルが出来て1933年に上高地にバスが乗入れられると、徳本峠を利用する人は少なくなったそうです。その後、徳本峠小屋は「昔ながらの峠の小さなランプ小屋」として親しまれるようになったそうです。日本アルプスを世界中に紹介したウォルター・ウェストン(Walter Weston)も、このルートで上高地に入りました。今でもウェストンをたたえるウェストン祭が上高地で行なわれています。

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③上高地<<明神橋→河童橋→大正池>>
徳本峠からは地図内の 明神 の辺りに出てきました。この上高地で前日同様にテントで一泊いたしました。
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左が上高地を流れる梓川(あづさがわ)の景色です。その梓川にかかる吊橋が右の写真です。この橋は今回の記事を書くまでは名前が判りませんでしたが、ネットで検索して背景の山々の形から明神橋であることが判りました。現在の橋と違い、当時はコンクリート製の支柱の吊り橋でした。
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こちらがネットから写真を転用させていただいた2003年にリニューアルされた現在の明神橋です。
この明神橋の背景の山々の形から上の吊橋が明神橋であることが判りました。上高地には下流側から田代橋、河童橋、明神橋、新村橋、横尾大橋との5つ橋があり、田代橋以外は吊橋なので、今まで上の吊橋の名前が特定できていませんでした。上の左側の写真も明神橋の上から撮ったものであることが山の配置から判りました。


こちらが自転車で訪れた時の大正池です。立ち枯れの木が今よりも見事でした。正面の山が焼岳です。


同じ場所での記念写真です。ちゃんと自転車で行った証拠のために撮りました。この写真と上の写真は前記事で紹介した写真の拡大版です。


前記事で紹介した現在の2014年10月21日の大正池の景色です。同じ場所です。
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④<<大正池→釜トンネル→安房峠→平湯峠→高山>>
上高地から高山までで残っているのは、下の平湯峠の写真だけでした。
クリックすると拡大右の写真は、今回、シャトルバスの中から撮った釜トンネルです。実は自転車で上高地に行く時の登りの釜トンネルはサイクリング仲間の間で、難所中の難所であることが有名でした。釜トンネルの総延長は1310mの薄暗いトンネルで最大勾配は16.5%(100mあたり16.5m上る 現在は10.9%)で、平均勾配が7.6%(100m/1310m)なのです。勾配だけであれば急な峠の道に比べて特段に急勾配ではありませんが、問題は路肩含むんだトンネル幅員が4.3m(現在でも7.0m)しかないことなのです。車が自転車を追い抜くことが出来ないほど道幅が狭いのでスピードが出ない自転車での16.5%の登りの走行は危険なことから日本で一番の難所と呼ばれていたわけです。車に迷惑をかけないスピードで走るためにはかなりの体力が必要でもありました。
団体でサイクリングしている場合は自転車群は目立つ存在のため危険は少ないのですが、1台で釜トンネルを上るのはリスクがあることから、釜トンネルが下りだけの走行となるように上高地に入るのは、徳本峠越えの道を選んだのも理由の一つでした。下りは車以上にスピードが出せるので心配はいらないのです。もちろん自転車で徳本峠越えをしたいというのが一番の理由でした。
右の写真は0歳(10ケ月)から現在までを2秒間隔で順番に表示します。今回、上高地の写真も組み込きました。入社前の学生時代はサイクリング部でしたが上高地には来ることはありませんでした。釜トンネルを通って上高地に行ったサイクリング部の仲間の話を聞いて、私も上高地に自転車で来てみたかったのです。
現在の釜トンネルは全面的なマイカー規制をしているために釜トンネルの前に立っている係員によって自転車は通してもらえないと思います。明確に自転車は禁止とは書かれていませんが、通行可能な車両として書かれているのは路線バス、シャトルバス、タクシー、緊急車両、観光バス(規制日あり)に限られるからです。と思っていたら自転車で最近行かれた方がおられました。→ポチッ


1995年4月に貫通した安房トンネルは、まだなかったことからジグザクの道を上って安房峠を越えて高山に向かいました。

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