今回もドライフラワーを買ってきました。 [蓼科]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
蓼科旅行(2014年10月20日~22日)に来てドライフラワーを6つ買いました。上の写真は、その中の2つです。4ケ月前(2014年6月30日~7月2日)に同じ蓼科に来た時に買った自由農園・原村で買ったスターチスのドライフラワーが安くてすごく良かったので今回も買ったわけです。右が千日紅のドライフラワー200円です。左のドライフラワーは650円で、内容から凄く安いと思います。
上の写真は是非ともクリックして拡大して見てほしいです。クリック画面倒な方のために部分的な拡大写真を掲載いたしました。こちらもクリックすると拡大するように設定しています。
こちらの3つのドライフラワーはいずれも562円です。こちらのドライフラワーも沢山の種類のドライフラワーが入っていました。参考にレシートを紹介いたします。
上の写真はクリックすると拡大するのですが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。左のドライフラワーで赤を基調にしたものでした。
こちらは真中のドライフラワーで青を基調にしていました。
右のドライフラワーはオレンジ色を基調にしたものでした。いずれのドライフラワーも鮮やかな色、いつまでもしっかりと色が残ってくれそうな感じがしました。
これは花ではないけれどもトウモロコシのドライフラワーです、価格は380円でした。
こちらはドライフラワーではなく生の鑑賞用の唐辛子です。買った時はもっと真っ赤でつやつやしていましたが、今は少しシワが出来てきました。レシートでは花卉380円と書かれていました。花卉(かき)は観賞用になるような美しい花をつける植物の総称です。生の切り花には「花卉」が使われているようでした。こちらは乾燥したら料理に使えるのかもしれません。
トウモロコシのドライフラワーと唐辛子は、こんな感じで売られていました。唐辛子は真っ赤でつやつやです。と
蓼科の友人宅では生の紫陽花を行けていると写真のようにドライフラワーになったそうです。前回の時も紹介したことでしたが写真を撮っていなかったので、今回はしっかりと撮らせていただきました。
蓼科は下の数値のように湿度が低く乾燥しているのでドライフラワーを作るのには最適の場所のようです。
右は東京や軽井沢と平均湿度を比較したグラフです。このグラフを見ると蓼科が格段に湿度が低くて乾燥していることが判りました。
軽井沢 平均78.0% ━
東京 平均57.7% ━
蓼科 平均39.8% ━
これが4ケ月前に同じ自由農園・原村で買ったスターチスのドライフラワーですが、4ケ月経っても右の写真のように色も形も買った時のままです。ただし長く続いていた香りは感じなくなりました。ピンクの色が濃い方が350円で、白い方が300円でした。
河童橋 [上高地]
2014年10月21日に蓼科の友人宅から車で沢渡駐駐車場まで来てシャトルバスに乗り換えて大正池で降りて散策路を河童橋まで歩きました。諏訪から松本までの高速道路で事故渋滞で到着が遅くなったことから、歩くのは河童橋までといたしました。本当は明神池にも行く予定でした。それでは河童橋を紹介いたします。
上高地の人工物の中で最も有名なのが河童橋ではないでしょうか。自然を売りにしている上高地で、どうしてこれほど有名なのかと思ってしまうほど有名で、上高地と言えば河童橋と言われるほどのシンボル的な存在になっています。
今から123年前の1891年(明治24年)に初めて、この場所に橋が架けられたそうです。橋は過去に4回架け替えられており、現在が5代目だそうです。最初は丸太の「はね橋」でしたが1910年(明治43年)に「吊橋」に変更したそうです。右の写真はネットに掲載されている晴れている時の写真です。
1891年(明治24年) 初代の丸太の跳ね橋設置
1910年(明治43年) 吊橋に架け替え
1930年(昭和05年) 橋の架け替え(2代目)
1957年(昭和32年) 橋の架け替え(3代目)
1975年(昭和50年) 橋の架け替え(4代目)
1997年(平成09年) 橋の架け替え(5代目)
現在の5代目の河童橋は全長37m、幅3.1m、長さ36.6mのカラマツ製の橋です。晴れていれば右上の写真のように、この橋から上流側には穂高岳や前穂高岳、下流側には焼岳などの山々を望むことができます。
約100年前の初代の吊橋(1910年~1930年)の写真が案内板にあったので紹介します。クリックすると拡大するので当初の吊橋の雰囲気が判ってもらえると思います。
さらに、初代の河童橋と思われる写真を2枚紹介します。
左の写真の背景の山は下流側にある焼岳です。クリックすると初代の吊橋の写真の中で最もクリヤーな写真を拡大表示します。
右の写真は、背景に映っている建物から、上の写真とは反対側から撮ったものだと思われます。クリックすると別の初代の写真も掲載いたします。
初代の丸太の跳ね橋と思われる貴重な写真を見つけました。この橋は1891年(明治24年)から1910年(明治43年)までの19年間ほど使われていました。跳ね橋と言っても可動するのではなく川の両岸から太い丸太を組んだ橋が突き出してつながっている構造のようです。この橋は1910年に吊橋になりました。
写真をクリックすると山の背景も入った拡大写真を表示するので、この橋が下流側から見た河童橋であることが判ると思います。
2代目の河童橋(左)の写真と3代目の河童橋(右)の写真をネットから転用させていただきました。2代目から欄干がつけられ現代の5代目に近い形をしています。
初代の写真は比較的見つけられますが、2代目~4代目の写真は珍しいです。この2代目の写真は戦前の写真だそうです。つまり1930年~1941年の間に撮られた貴重な写真です。
2代目河童橋 1930~1957年 3代目河童橋 1957~1975年
こちらが4代目の河童橋(1975~1997年)です。こちらの写真もネットから転用させていただきました。5代目よりも6m短かったそうです。4代目河童橋の欄干の一部は今でも上高地ビジターセンターに保存されています。
河童橋という名前の由来には次のような諸説ありますが特定には至っていません。
・昔ここに、河童が住みそうな深い淵があった。
・橋の無かった時、衣類を頭に乗せて川を渡った人々が河童に似ていた。
芥川龍之介が上高地と河童橋を舞台にした小説「河童」を1927年に発表したことで河童橋の名前が広く知られるようになったそうです。1927年は初代の吊橋(1891~1910年)の時代だったことになります。
すでに梓川の記事で紹介した河童橋の上からの景色です。左が上流の景色で右が下流の景色です。
河童橋の前にある五千尺ホテルの隣の売店の2階にある河童食堂で昼食をとることにいたしました。
この食堂からは河童橋がよく見えました。
其の食堂から撮った河童橋の写真が冒頭の写真でした。
この食堂の名物である美味しい水です。前に置かれているのはてブルの上に置かれているサービスのクッキー「上高地五千尺そばクッキー」です。五千尺はここの標高1500mからネーミングされたのだと思います。
頼んだのが「河童そば」でした。四角い器ですがれっきとしたキノコと山菜が沢山入った日本蕎麦です。
蕎麦であることをわかってもらうために拡大いたしました。
メニューで後から気が付いたのが、河童食堂の隠れた名物と書かれていた「岩魚甘露煮そば」でした。これは食べてみたかったです。
ネットにあった河童橋のライブ映像です。画面の中心のプレーボタン( ► )をクリックしてみてください。現在の映像(ライブ)なので、夜の場合は真っ暗です。明るい時に見てください。現在の上高地の天気も判ると思います。このライブ映像は五千尺ホテルによって2014年10月11日に開始されたそうです。
今回の記事にて上高地の報告を終了いたします。今までに掲載させていただいた上高地に関する記事です。タイトルをクリックすると記事を表示いたします。航空写真をクリックすると河童橋からのストリートビューを表示します。
河童橋
紅葉と雨の梓川
田代池
自転車で行った上高地
雨の「紅葉の大正池」
蓼科から上高地へ
紅葉と雨の梓川 [上高地]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
上高地を流れているのが梓川(あずさがわ)です。2014年10月21日の大正池から河童橋の間の梓川の景色を紹介します。この日は生憎の雨でしたが、紅葉の季節での雨の梓川も趣があるものでした。
大正池の少し上流の梓川です。大正池を過ぎたあたりは梓川から散策路が離れていますが、散策路から梓川に出る道があり、そこから下流側を撮った景色です。こちらの方向に大正池があります。
同じ場所から上流側を撮りました。この辺りの標高は1500mです。
梓川は上高地の周囲の山を水源として上高地を流れて大正池を通ったあと国道158号線沿いを流れて松本の町の少し北の大字島内で奈良井川と合流して犀川と名を変え、最後は信濃川となって新潟の近くで日本海にそそぎます。
延長 65 km
水源の標高 3,180 m 槍ヶ岳 中岳 常念岳 蝶ケ岳 大滝山など
流域面積 559 km²
大きな地図で 梓川 を表示します。
散策路を進むと梓川に沿って歩くようになります。整備された散策路なのでゆっくりと梓川を見ながら歩くことが出来ました。
田代橋に到着いたしました。大正池と河童橋の中間地点です。
田代橋から下流側を見た景色です。この川沿いを歩いてきました。
田代橋から上流を見た景色です。
田代橋から河童端の間の梓川はいろんな景色を見せてくれます。
遠くに河童橋の辺りにある建物が見えてきました。
さらに散策路を進むと河童橋が見えてきました。
河童橋から上流側を見た景色です。
こちらは河童橋から下流側を見た景色です。左側の川沿いを歩いてきました。
黄色のラインの散策路から写真を撮りました。冒頭の写真は航空写真の左下端の場所から撮りました。
より大きな地図で 梓川 を表示