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ロシアの車窓 [ロシア]

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6月29日にドイツのベルリンからロシアのサンクトペテルブルグに入りました。ホテルに着いたのは17時50分でした。 翌日の6月30日に車でホテルを出発してエストニアとの国境近くの小さな村に行きました。その時の車窓を紹介します。

サンクトペテルブルグからエストニアとの国境近くの小さな村までのルートは下記の地図の赤線です。ほとんどが一般道路で距離は190kmあるため4時間は覚悟していました。


8時5分この写真はサンクトペテルブルグ市内のホテルの前の景色です。
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8時33分 サンクトペテルブルグ近郊は道もきれいで近代的な建物が多くありました。


9時23分 少しサンクトペテルブルグから離れると木造の民家が時々ある風景に変わってきます。


9時26分 家があるのは稀で、ほとんどがこのような牧草地の風景が続きました。このあたりは英語ではVOLOSOVSKIY D.という地名のようです。


9時47分 民家は集まっています。木造で屋根はスレートが多かったです。
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10時2分 実は道路の両脇には木が残されているため、上の写真は簡単には撮れません。それに一般道路と言えでも時速120kmで走るため鮮明な写真を撮るのは難しいのです。写真を撮る一番いいチャンスなのが鉄道線路を渡る時なのです。木がなくなる上にゆっくりと走ります。遠くまで景色が見える絶好の撮影ポイントなのです。
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10時10分 サンクトペテルブルグを出てから目的地に着くまでの間にある唯一の町で、キンギセップという町です。あとは村程度の大きさの人家があるだけの道でした。
全工程の4分の3ほど走ったあたりの位置でした。町の名前をネットで日本語検索すると出てきました。
キンギセップ(Ки́нгисепп / Кингисе́пп)はレニングラード州の西部にある都市で、昔はヤムブルク(ヤームブルク、Я́мбург, Yamburg)やヤマ(ヤーマ、Я́ма)と呼ばれていました。人口は50,295人(2002年)です。ノヴゴロド州からレニングラード州を経てフィンランド湾に注ぐルーガ川(Луга)が町をながれています。右の画像はキンギセップの紋章です。この町が最初に記録に現れるのは1384年のことで、ノヴゴロド共和国がスウェーデンに対抗するためにこの場所に要塞(クレムリ)を築いたそうです。


翌日に帰るときにキンギセップで撮った写真です。調べるとヤムブルク大聖堂で、イタリア人建築家アントニオ・リナルディ設計の後期バロック建築で、1764年から1782年にかけて建設されたそうです。移動しながらの上、窓の反射のために、きれいに撮れていない為にクリックするとネットの写真を表示するようにしました。


10時18分 また線路を横断しました。ロシアは世界で最大の国土の国で人口密度は小さい方から4番目の国です。ロシアと日本を比較してみました。
         日本           ロシア
 人口  127288419人     141903979人   1.1148倍
 面積    377914km²    17075200km²  45.1828倍
 GDP  4兆9,106億ドル    1兆6,765億ドル  0.3414倍
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10時26分 このあたりからは人家は少なくなり森林の中を走っている状態になってきます。遠くに見えるのは白樺の林で針葉樹と白樺がこのあたりの木の主体になってきます。


10時31分 また線路を横断しました。針葉樹の中を列車が走っていることが判ると思います。


10時33分 道路脇も深い針葉樹の森林に囲まれていました。


10時45分 到着しました。4時間を覚悟していた190kmの一般道路を2時間40分で走りきりました。小さな村の泊まったホテルです。
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