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赤の広場 [ロシア]

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少し前の記事から4月25日から4月29日にロシアに行ったことはすでに紹介していますが、4月28日はスタールイ・オルコスから12時間かけて寝台特急でモスクワに帰ってきました。その前日も夜行列車と強行スケジュールだったために仮眠が目的で赤の広場の近くのホテルに半泊(午前中)しました。でもせっかく赤の広場の近くに来たので仮眠の前に赤の広場を散策することにしました。
上の航空写真に①~⑬の番号を書いていますが、写真を撮った場所です。矢印は写真を撮った方向を示しています。赤の広場はクレムリンの横の細長い広場でした。細長いと行ってもかなりの広さです。文字がわかりにくい場合は航空写真をクリックすると拡大するので読みやすくなります。

写真-①
泊まったホテルの方から赤の広場を目指しました。高い塔の間の道を登っていくと赤の広場です。道の右側がクレムリンで左側が国立歴史博物館です。目の前に広がっているのはマネージ広場です。
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写真-②  道の正面から撮りました。
写真番号と航空写真の番号と照合するのはやりにくい場合は別画面にすると判りやすいと思います。→ポチッ
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写真-③  道を登っているところです。教会らしいものが見えてきました。


写真-④
赤の広場に出ました。これが赤の広場です。正面に見えるのは聖ワシリイ大聖堂です。この時は8時4分なので朝日で逆光のため少し全体が暗くなっていますが広さは実感してもらえると思います。右側がクレムリンですが高い塔の手前にレーニン廟があるのがわかってもらえると思います。ほんとうに広い石畳でした。
赤の広場(Красная площадь)は、地図で見てもらうとわかりますが、ほんとうにモスクワの真中に位置する広場でした。「赤」はソビエト連邦の社会主義に起因するものではなく、元々ロシア語では「美しい」という意味もあり、広場の名前は本来「美しい広場」というものであったそうです。広場は北西から南東に長く、南西側にはスターリンや片山潜などが眠るクレムリンの城壁とその中の大統領官邸、城壁に接しているレーニンの遺体が保存展示されているレーニン廟、北東側にはグム百貨店、北西端には国立歴史博物館とヴァスクレセンスキー門、南東端には葱坊主の屋根の聖ワシリイ大聖堂と処刑場・布告台だったロブノエ・メストがあります。
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写真-⑤
これが聖ワシリイ大聖堂側から見た赤の広場です。太陽を背に撮っているので上の写真より明るくて鮮明な写真になっています。この写真では左側がクレムリンですが、赤の広場を挟んでクリムリンの反対側が国立百貨店である、グムがあります。「グム(GUM)とは「国立百貨店」の略です。この百貨店はロシア最大級のデパートだそうです。
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写真-⑥  ほぼ同じ場所からモスクワ川の方を撮りました。
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写真-⑦  クレムリンのスパスカヤ塔です。
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写真-⑧
モスクワ川の上からクレムリンを撮りました。クレムリンの中には沢山の建物があります。
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写真-⑨
モスクワ川の橋を対岸まで渡ってクレムリンを撮りました。少し角度が変わっただけで雰囲気が違います。
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写真-⑩
これが聖ワシリイ大聖堂(聖ワシーリー聖堂)です。1552年10月、イワン3世の孫イワン4世(雷帝)がモンゴルのカザン・ハン国の首都カザンを陥落させます。イワン4世はカザン攻略を記念して、この聖堂を1555年から建立しはじめて1560年に完成しました。この聖堂はカザンを攻略した日が生神女(聖母マリア)の庇護祭にあたったことから「ポクロフスキー聖堂(聖母マリアの聖堂)」と呼ばれました。
後にイワン4世が崇拝していた聖人ワシリーの祭室がつくられると、この聖堂は、聖ワシリイ聖堂と呼ばれるようになりました。
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聖ワシリイ大聖堂の広場側にミーニンとボジャルスキーの像があります。1612年の動乱時代はモスクワはポーランド軍によって占領されていました。ポーランド軍を追放するために、この二人は大きな働きをしましたそうです。ミーニンはニジニ・ノヴゴロドの市民で、多額の軍資金を集めて軍隊を組織したそうです。ポジャルスキー公はその軍隊の指揮者でした。1612年12月、ポジャルスキーの軍隊はクレムリンを攻撃してモスクワをポーランドから解放したそうです。この二人は、ロシアの国民的英雄で、二人を顕彰するために、1818年にこの像が建てられました。現在の場所に移されたのはスターリン時代の1930年でした。


写真-⑪
赤の広場を挟んで,聖ワシリイ大聖堂と遠く聖ワシリイ大聖堂に対置して立派な建物が建っていました。それは国立歴史博物館でした。石器時代から19世紀までのロシアの歴史的資料30万点が展示されているそうです。
19世紀に建てられた赤いレンガが特徴的な建物で、内部には古代の装飾品やコインをはじめとして30万点を超えるコレクションが展示されているそうです。
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その建物の上にはロシアを象徴する双頭の鷲(わし)が金色に輝いていました。


写真-⑫
国立百貨店の北側には趣のある小さな教会と思われる建物もありました。
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写真-⑬
国立歴史博物館の横にはヴァスクレセンスキー門がありました。この門は赤の広場からマネージ広場への出口にありましたがソ連時代には赤の広場での軍事パレードのじゃまになる、という理由で撤去されていた。ソ連崩壊後、復活したそうです。それが今の門です。
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朝に門は閉まっていましたが、ホテルに帰るころには通れるようになっていました。この時、8時49分でした。
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赤の広場を拡大してみました。軍事パレードのためなのか線が沢山引かれていました。

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