七草粥 と 湯豆腐 [日々]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
昨日は1月7日、七草粥を食べる日です。さっそく前日の2015年1月6日に上の七草を家内が買ってきました。たっぷりと春の七草を食べたかったので一番大きなパッケージにしたそうです。昨年の七草粥の記事→ポチッ
本来は朝食で食べるものですが、朝に作る時間がなかったことから夕食で頂くことにいたしました。1月7日の夕食で食べるので1月7日に買えば新鮮なものが食べれるはずですが、残念ながら1月7日には売られていないことが多いのです。ブログで確認すると、我々と同じように夕食で食べる人が多いので、是非とも新鮮な七草を1月7日に売ってほしいものです。
事前に炊いたごはんから作れば短時間で作れるのですが、夕食で十分に作る時間があることから米から炊くことにいたしました。作るのに参考にさせてもらったレシピです。我家ではお粥専用の陶器製の行平(ゆきひら / 雪平)を使って炊きました。写真を撮るために蓋は外していますが、もちろん蓋をして炊きました。
1.米はといで水900ccとともに土鍋に入れて沸騰したら弱火にし35分炊く。
途中ふきこぼれそうになったら、ふたをずらして蒸気を逃がす。
2.七草は細かく刻む。
3.おかゆが炊きあがる5分前に、塩少々をふり入れて七草を全体に混ぜる。
器に盛って白ごま、黒ごまをふる。
上のレシピの材料はこちらです。
米 1合
七草 1パッケージ
塩 少々
白ごま 適量
黒ごま 適量
七草がたっぷりの七草粥が出来上がりました。七草の茹で具合が絶妙です。確かに出来上がる5分前に入れるのがポイントですね。
七草粥の拡大写真を紹介します。クリックするとさらに拡大いたします。さっぱりとした塩味を想像してみてください。
せっかく七草粥にしているので、高カロリーの食事にすると七草粥を食べる意味もなくなってしまうため、湯豆腐にいたしました。
湯豆腐のタレは温めたものにしたので熱々を頂くことが出来ました。
湯豆腐となると熱燗が欲しくなります。出石焼きの徳利とお猪口で日本酒をいただきました。お酒は正月用に買った越乃寒梅が半分残っているのでこれからもちびちび飲んでいきます。
門前仲町のお気に入りのお店 [東京]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
門前仲町で数年前から時々行くお店です。いい素材の料理を出してくれるので初めて行った特から気に入ってしまいました。刺身はいつも関心させられるほどいいものを用意してくれています。時期によっては大間のマグロや氷見の寒ブリが用意されているときもあります。
上の刺身の写真はクリックすると拡大しますが、クリックの面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。この写真をクリックするとさらに拡大いたします。
アワビの刺身も丁寧な仕事がされていました。
マグロもなかなかのものでした。
最初は鱧を用意していただいていました。
最初はやっぱりビールで乾杯です。
おまかせで頼んだ焼酎は大分県佐伯市の「ぶんご太郎」です。
次は松茸でした。もちろん国産です。初物ですね。感謝です。海老と鱧(はも)も入っていました。
こちらも拡大写真を掲載しました。
雲丹も美味しかったです。聞くと北海道の有名な場所の雲丹だそうです。刺身などは産地にこだわっています。
ここまではお任せで出してもらいましたが、ここからは注文で造ってもらったものです。ちょっとこだわりの鯨刺しです。
鯨(くじら)の刺身の写真も拡大写真を掲載させていただきました。
いかがですか。美味しそうでしょう。
金目の焼き魚に
拡大すると香ばしい金目の焼き具合が伝えられるかもしれません。
煮物です。金目の煮付けはやっぱり美味しいですね。
金目の煮付けも拡大いたしました。
やっぱり日本酒が飲みたくなりますね。江戸切子で飲ましてもらえます。
日本酒でも特に冷酒は美味しいです。
日本酒で外せないのが唐墨(カラスミ)です。大根の薄切りの上に炙ったカラスミが乗っていました。唐墨は長崎産でしょうか。
お店の名前は古都です。
お店を紹介します。
店名 古都
住所 東京都江東区富岡1丁目1-9
電話 03-3643-7938
下記の写真が、ご主人です。
そして右の写真が結婚されたころの女将さんです。お二人とも気さくな方で、お酒やビールを一緒に飲むのを楽しみにしております。
常連と認めてもらえると、名前を入れた陶器の焼酎のボトルを用意してくれるのもうれしいです。
ご主人との2ショットで盛り上がりました。
4名での食事でした。
食べ終わった後は、ご主人と二次会です。もちろんキープしたお酒は古都です。
地図で古都の場所を紹介いたします。 が古都の場所です。
上の料理は2010年8月27日に頂きましたが、2010年12月16日の忘年会の後にも古都に行ったので、その時の料理の写真をここから下に追加掲載させてもらいます。忘年会は上の地図にもマークしていますが、同じ門前仲町にある「つまみ菜」でした。
忘年会の後なので料理は少ないけれども、おまかせで出してもらった料理を堪能ください。お通しはあん肝でした。
さっそくあん肝の写真を拡大いたしました。
そして12月の新物の竹の子です。柔らかかったです。クリックすると柔らかい竹の子の食感を感じていただけるかもしれません。
竹の子が最大のご馳走なので乗っているのは鰹節と木の芽だけです。
ついに出ました。大間のマグロの大トロです。さっそく記念写真です。
この時は2名でした。
大トロの部分を精一杯拡大いたしました。クリックすると全体を表示します。
特別にサービスで出してもらった大間の鮪の唐揚げです。こちらも、つい記念写真を撮ってしまいました。眼鏡と指が写っています。
この後、お店を出たところで別の場所で二次会をしていたメンバーと偶然出会いカラオケに行ってしまいました。
夙川のクッキー名店でケーキを買いました。 [兵庫県]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
前記事で2014年12月26日に夙川で買う予定だったのが、こちらのクッキーでした。12月29日に帰省していた実家の母に頼まれて数箱ほど買に行きました。その中の一つを我が家のお土産用に貰いました。これは66枚入りです。
有名なお店なので、パッケージを見るとお店を思い出す方もおられると思います。
お店の名前はエルベランです。エルベランのクッキーと聞くとご存知の方もおられると思います。「食べ始めたら止まらない」の言葉は、このクッキーのためにあるような気がします。一箱があっと言う間に無くなります。
確かに名前の通りティフレンド(TeaFriend)でした。
やっぱり名店に来ればケーキを買いたくなります。抹茶のケーキとラズベリーのケーキを買いました。
こちらが抹茶のケーキです。
こちらがラズベリーのケーキです。
両方ともに食べたいので半分づつにいたしました。今回も紅茶でいただきました。
半分づつのケーキを拡大いたしました。エルベランの美味しさの原点はケーキであることを納得です。
お店を紹介します。マーク A がエルベランです。夙川辺りには有名な焼き菓子店がいくつかあります。マーク B もミッシェルバッハという有名な焼き菓子店です。
右の大きな写真がオーナーシェフの柿田衛二さんで、小さな写真が初代(社長)の柿田衛さんです。
私は0歳から2歳まで夙川駅から東南東の若松町に住んでいたそうです。次に帰省した時に正確な場所を母に確認してみます。右下の写真は51年前の1964年創業当時のケーキの写真です。これらのケーキがエルベランの原点だそうです。
店名 エルベラン ÉLBÉRUN
住所 西宮市相生町7-12
電話 0798-74-4349
営業 8:00~18:30
店長 柿田 衛二 オーナーシェフ
創業 1964年 初代 : 柿田衛
最寄 阪急電鉄夙川駅より徒歩3分
URL http://elberun.e-mon.co.jp/
定休 火曜日+月数回 不定休が多いのでHPでの確認が必要です。
夙川に住んでいたころの懐かしい写真があったので掲載しました。父、母、姉と私です。私は6~7ケ月目ぐらいだと思います。2歳の時に広島に引越しましたが、お店の出来た1964年には阪急岡本駅の近くに住んでいました。
子供のころに電車に乗って近くの苦楽園口に塾通いをしたことを思い出しました。この時、夙川で甲陽線に乗り換えるのです。
下の地図で夙川の場所を紹介いたします。
A 御影
B 岡本
C 芦屋
D 夙川
━ 阪急電鉄 神戸本線 :神戸三宮 :梅田(大阪)
御影~夙川が住宅地のスイーツ銀座と言えるのかもしれません。
御影のケーキ屋さん [兵庫県]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
昨年の2014年12月27日は実家の宝塚からお袋と日帰りで山口県に墓参りに行きました。いつも新岩国駅とお墓の往復に車を出してくれているのが岩国に住んでいる叔父さんです。その叔父さんへのお土産の一つに関西の焼き菓子を持って行きます。前回の時はすでに紹介の通り、芦屋の人気店の焼き菓子にしました。今回は夙川の焼き菓子にするつもりで、念のために12月26日にお店が開いていることをネットで確認すると12月23日(火曜日)の代休で休みだったのです。前回の芦屋のお店も、別の夙川のお店もすべて12月26日は代休でお休みでした。そこで阪急西宮ガーデンズにある阪急百貨店に行ってみました。そこには沢山の焼き菓子店がありました。その中で気になったのが御影の焼き菓子店「高杉」でした。そこの焼き菓子をお土産として買いましたが、自分たち用にケーキも買いました。そのケーキが上の写真です。
こちらが、私が食べたイチゴのショートケーキです。ホームページを見た印象では御影高杉の看板ショートケーキのようで、ボリューム感のある美味しいケーキでした。
こちらが息子が食べたバナナとイチジクのケーキです。
こちらがお袋が食べたモンブランです。写真を撮る前に食べ始めてしまったので、飾りの栗などは無くなっいました。
こちらは、自分たち用に買った焼き菓子です。お土産の味見を兼ねて買いました。
こちらの焼き菓子はガトーマロン(Gâteau marron)で栗が使われていました。
焼き菓子の中に栗が丸々使われていました。
自宅用に買ってきたクッキーです。ピスタチオナッツクッキーです。
今回のお店のあった阪急西宮ガーデンズは西宮球場の跡地に2008年11月26日にオープンしたショッピングセンターです。現在は広いショッピングセンターが沢山ありますが、オープン時は国内3番目の広さだったそうです。
敷地面積は71,000m²で、延床面積は247,000m² だそうです。核テナントである阪急百貨店(西宮阪急)の面積は25,000m²あります。その他にTOHOシネマズやイズミヤがあります。屋上庭園のスカイガーデンは9,000m²の広さがあり、六甲山系に自生する樹木や桜、果樹などが植えられて、オルゴールの音色に合わせて踊る噴水も設置されているそうです。ケーキ屋さんを紹介します。がお店の場所です。
店名 仏蘭西菓子 御影高杉・西宮阪急店
住所 西宮市高松町14-1
最寄 阪急西宮北口駅より徒歩3分
電話 0798-62-1381
営業 10:00~20:00
定休 不定休 西宮阪急と同じ
本店 神戸市東灘区御影2丁目4番10-101号
URL http://www.mikage-takasugi.com/
偶然ですが私が生まれて12ケ月目前後のときの写真に西宮球場が写っていました。私は10ケ月ほどで歩いたとのことでした。その時は阪急夙川駅の近くに住んでいて、2歳の時に広島市に引越しました。写真の左の建物が阪急西宮球場で、右手に見える山は六甲山です。
阪急西宮球場は2004年に取り壊されましたが、阪神甲子園球場に対抗して、今から78年前の1937年5月1日に完成した大きな球場で、57000人収容の球場は当時としては日本屈指の大きさだったそうです。
久しぶりの手作り御節 [新年]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
最近、我家の御節(おせち)はセットを買うことが多かったけれども、今回、2015年はセットを買わなかったので久しぶりに自家製の御節となりました。白い徳利とお猪口は出石焼きで、銚子は錫製の昔からのものです。お猪口の数で判るように6人分です。
我家の御雑煮はお澄まし系です。これさえあれば私としては十分です。
煮豆などは市販品を買いましたが、ほとんどを家で作りました。写真の漬物はカボチャです。これは12月30日に宝塚から帰ってくるときに伊丹空港で私が買ってきました。京漬物です。
こちらの3種類の海老料理は家内の創作料理です。いつもはシンプルに茹でることが多いので正月らしい華やかな料理となりました。食べる寸前にオーブントースターで温めました。
こちらはガスオーブンで焼いた焼豚です。
カズノコですが塩抜きから皮むきなど意外と時間と手間がかかります。
伊達巻も自家製です。
こちらも伊丹空港で買ってきた京都の千枚漬けです。漬物は合わせて4種類ほど買いました。
テーブルに並ぶと意外と豪華になります。
自慢の筑前煮です。まだ湯気が立っています。鶏肉の味が効いて美味しいです。今回紹介の料理は2015年1月1日の朝食で基本的に全て食べきりました。食事が終わると近くの鷲神社に皆で歩いて初詣に行きました。
こちらが鷲神社です。歩いて行く途中で近所の知り合いに会いましたが、神社では我々だけでした。6人とワンコ1匹でお参りいたしました。すぐそばに一度紹介したことのある先崎城跡があります。
静かな神社ですが本殿は見事な彫り物のある佐倉市指定文化財です。見事な彫刻は幕府彫刻師である星野理三郎政一の作で、建物は地元のとなり村(下高野村)の大工棟梁である立石菊右衛門元隆の作です。星野理三郎政一は上州勢田郡花輪(現群馬県勢多郡東村)の彫刻師です。彫刻の題材は大江山鬼退治だそうです。
鷲神社は1078年前の承平7年(937年)に朱雀天皇の勅命に より慈恵僧正が創建されたとされており、今の建物は天保15年(1844年)に再建された由緒ある神社です。祭神は天乃日鷲命(アメノヒワシノミコト)です。鷲神社は近いうちに詳しく掲載したいと思います。千葉県印旛郡栄町安食にある大鷲神社にも似た感じの彫刻のある本殿があり、祭神として同じ天乃日鷲命が祀られているそうです。
あけましておめでとうございます。 2015年 元旦 中山寺奥之院 [新年]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
新年あけましておめでとうございます。
本年もどうかよろしくお願い致します。今年は皆さんにとって良い年となることを祈念いたします。
So-netブログをはじめて今回の正月は6回目になります。2009年5月5日に最初の記事を掲載して5年8ケ月(68ケ月)が経ちました。沢山のアクセスをしていただき、沢山のnice!を頂き、沢山のコメントを頂き、ありがとうございました。
2015年元旦
正月は実家で迎えることが多かったけれども、今年は自分の家で正月を迎えることにいたしました。そこで年末に兵庫県宝塚市の実家に帰省し12月30日に帰ってきました。帰省中に初詣で宝塚市で最も沢山の人が訪れる清荒神清澄寺(約36万人)に行って来ました。ちなみに2番目が中山寺(約20万人)です。上の写真はその時の拝殿(天堂)の写真です。ここに来た一番大きな目的は清荒神の真北の山の中に奥之院があるのですが、そこに登ることでした。2つ目の目的は、さん志ょうや本家の佃煮のお土産を買いに来ることでした。本記事には169枚の写真を使っています。高校時代から宝塚に住んでおり地図で奥之院の表示があることは知っていたのですが、一度も行ったことがなかったのです。今まで行けなかった理由は清荒神に来た時は何度も登り口を探したけれども見つけられなかったのです。
奥之院 清荒神清澄寺
━ 奥之院に登ったコース ━ 清荒神参道
こちらが正面にある本堂です。ここでも奥之院への登り口を探しましたがありませんでした。
実は清荒神の隣の大林寺から奥之院(奥の院)へ行く登り口があることを今回初めて探し当てることが出来ました。参道ではなくハイキング道入口と書かれていました。
こちらが大林寺の敷地内にある奥之院への道の入口です。
シダが生い茂る道に入りました。
次は尾根伝いの日当りの良い道でした。
確かに参道ではなくハイキングコースでした。
林の中を歩く道もありました。やはりハイキングコースです。
歩きやすく整備されていました。
渓流沿いの道もありました。ハイキングコースは、しっかりした橋が作られるなど、かなり整備されていました。
橋の向こう側の細い木の形から左右は同じ場所であることが判ります。右の古い橋の写真はネットで見つけました。新しい橋はネットで出てこないので、橋は最近新しくされたものと思われます。クリックすると両方ともに拡大するので比較できると思います。
道沿いの切り株にはすべて番号が着けられていました。しっかりと木を管理されているのだと感じました。むやみに木をきってはいけないのだと思います。
開けた場所に出ました。そこは管理道路があり、間伐材で作られた治山ダムがありました。普段は乾燥していますが、大雨などで土砂が流失するのを防いでいるようです。
近くに説明版があったので紹介します。クリックすると読める大きさに拡大します。
またハイキングコースが続きました。
奥之院まであと0.4kmの表示のところまで来ました。清荒神から奥之院までは3.3km(0.4km+2.9km)の距離になることがわかりました。
奥之院に近づくと、車も通れるほどの道に出ました。後でわかったことですが、この道路は奥之院の解体改修工事のために最近作られたそうです。やすらぎ広場につながっているようです。
最高峰への入口です。左の道の奥が奥之院です。
奥之院は、中山寺の奥之院だったのです。清荒神からの道が参道ではなくハイキングコースであることを納得いたしました。中山寺は宝塚では初詣の人も清荒神に次ぐほどの有名なお寺です。特に安産祈願は近畿圏の人がみなさん来るほどの有名なお寺なのです。
奥之院は予想していたと違い朱塗りの新しい建物でした。調べてみると一昨年から解体修理がおこなわれて2014/年7月19日 奥之院落慶法要がおこなわれたそうです。中山寺は寺伝では聖徳太子が建立したとされる日本最初の観音霊場です。
奥之院には厄神明王が祀られています。
2012年の時点の奥之院の写真をネットから拝借させていただきました。屋根の河原の先端の形が違うので上の写真が新しくなった奥之院であることが伺われました。
さらに別の時期の奥之院です。こちらはWikimediaに掲載されている写真です。前の部分の柱だけ朱塗りになっています。
ご神体は大きな岩でした。
横の大きな石がまつられており、石の正面からの湧水は大悲水と呼ばれています。
境内には沢山の祠がありました。こちらは石の祠です。鳥居には五天龍王と書かれています。
こちらも石の祠(ほこら)です。吾孫子水神(あびこすいじん)と書かれています。比較的新しいものようです。
赤い前掛けが着けられた石仏も沢山ありりました。
お地蔵さんらしきものもありました。古いものや大正時代物や現代の物と思われるもの祀られていました。
石で組まれた不思議なものもありました。
いたるところに祠が祀られていました。
こちらには吾孫子弁財天(あびこべんざいてん)と書かれていました。
奥の院の正面の写真です。
奥之院からは本来の参道である中山寺への道を降りましたが、ここでは中山寺から登ってきたイメージで下から順番に紹介したいと思います。阪急中山観音駅から歩いてくると最初に目に入ってくるのが天保3年(1646年)に徳川家光によって再建された大門です。
こちらが中山寺の本堂です。中山寺の正式名は大本山中山寺ですが、一般的には中山観音の呼び名が使われています。本尊は十一面観世音菩薩です。上でも説明した通り聖徳太子が建立したとされる日本最初の観音霊場といわれており、「極楽中心仲山寺」と称されていたそうです。
大願塔のあたりを通って奥之院への入り口に向かいます。
こちらが奥之院への入り口です。石碑には「すく おくのゐん道 是より十八丁」と書かれており奥之院への入り口であることを表しています。
石碑に書かれている丁は、1丁(町)=360尺=109.09091mなので18丁は1963mなので、奥の院までの距離は約2kmということになります
参道には一丁(109m)ごとに石の道標が立てられていました。その道標をすべて紹介します。
壱丁 弐丁 三丁
四丁 五丁 六丁
七丁 八丁 九丁
十丁 十一丁 十二丁
十三丁 十四丁 十五丁
十六丁 十七丁 十八丁
中山寺から中山寺奥之院への参道の景観を順番に紹介いたします。
入口 ~ 壱丁 の景観を紹介します。
入口を入るとすぐに中山観音公園になります。
ここには霊園が広がっています。
左の道を降りていく方向が奥之院への参道です。
参道脇には沢山の石像が置かれていました。台座には先祖代々を弔っている個人名が書かれています。この台座には八木福と書かれていました。赤い前掛けが新しいことから最近取り換えられたのだと思います。石像の種類は判りませんが、とりあえずお地蔵さんと呼ばせていただきます。奥之院までのすべてのお地蔵さんを紹介させていただきます。
お地蔵さんの横に最初の道標「一丁」が見えます。この距離を示す石碑はすべて享保十九年十一月と書かれており、西暦では1734年になることから、280年前の石碑であることがわかりました。
壱丁 ~ 弐丁 の景観です。
一丁の石碑から下に降りていくと足洗川に沿に登り始めました。
ここにも沢山のお地蔵さんがありました。
五輪石塔の墓がありました。
これは「ト部左近の墓」の詳しい説明がありました。
先に進むと公園がありました。公園を通って右の方に進むと新道のコースで奥之院に行けるようですが弐丁~九丁の道標は見ることが出来ないと思われます。十丁の道標のところで旧道と合流します。
公園の脇には標識がありました。中山山頂への表示から、この標識は宝塚市と神戸営林署がハイキングをする人のために建てたものだと思われました。参道はハイキングコースでもあるようでした。ほとんどの歩いている人はリュックを担いでいました。ここから中山山頂まで3.1kmであれば、奥之院から山頂までは1.3kmという計算になります。
こちらにもお地蔵さんが祀られていました。この後に紹介するお地蔵さんも、ほとんどがこの二種類でした
弐丁 ~ 三丁 の景観です。
弐丁の道標の脇にもお地蔵さんが祀られていました。台座には「吉田コト」さんと「吉田敬徳」さんの名前が彫られていました。真新しい赤い前掛けから、大切に先祖を祀っていることが伝わってきました。
この石の道標にも享保十九年十一月と書かれていました。一番上の文字はよく判りませんが、左本山道と書かれているのではないでしょうか。
住宅地の横を登っていきました。左下の白い木の柱には国有林界と書かれています。この辺りは国有林でもあるようです。
もともとのお地蔵さんが亡くなったのかもしれません。でも今でもお参りに来られているようです。
こちらは沢山のお地蔵さんが祀られていました。
三丁 ~ 四丁 の景観です。
お地蔵さんは、このように石の上においたり、石をくみ上げで祀られていました。
ここを登りきると住宅地から離れて、山になっていきます。
ここには3体のお地蔵さんが祀られていました。
このあたりの参道の雰囲気を紹介いたします。
標準的な2体のお地蔵さんがありました。
こちらは3体でした。
四丁 ~ 五丁 の景観です。
1体は無くなったようです。でも今でもお参りに来られているようです。
台座だけになってしまったものもありました。クリックすると台座の文字が読めますが、岡山市のお地蔵さんだったようです。
こちらは間人の上に石が積み上げられていました。
このあたりの参道の景観です。
2体のお地蔵さんです。
五丁 ~ 六丁 の景観です。
五丁の道標と上で紹介したお地蔵さんです。石碑の近くにお地蔵さんが祀られるケースが多い気がします。
石が積み上げられたものもありました。
五丁~六丁の間にはお地蔵さんはありませんでした。
六丁 ~ 七丁 の景観です。
大きな石の上にお地蔵さんが2体、祀られていました。
こちらもお地蔵さんでしょうか。
こちらの赤い前掛けには沢山の文字が書かれていたので拡大写真を紹介します。クリックするとさらに拡大するので読みやすいと思います。
ここにも石が積み上げられたものがありました。
丁寧に維持積み上げられています。毛糸の帽子が可愛らしいです。
七丁 ~ 八丁 の景観です。
こちらのお地蔵さんは1体でした。
こちらの参道の景観です。
丁寧な石組みを見ていると大切に祀られてることが伝わってきました。
こちらは4体です。
八丁 ~ 九丁 の景観です。
参道で、唯一、道の真ん中に祀られたお地蔵さんです。
上から見た景観です。
こちらも立派に石組みがされていました。
九丁 ~ 十丁 の景観です。
一体のお地蔵さんが大切に祀られていました。
中間地点となる夫婦岩展望所まで300mまで来ました。
参道には沢山の石で石段のようになっていました。
左側のお地蔵さんの光琳の上部は欠けていますが大切に拝まれてきたのだと思います。
シンプルなお地蔵さんもいいですね。趣があります。クリックすると拡大します。
ここにも2体のお地蔵さんがありました。
こちらは3体のお地蔵さんです。九丁~十丁の間には沢山のお地蔵さんがありました。
十丁 ~ 十一丁 の景観です。
十丁の道標(石柱)は裏面に道案内が書かれていました。上から降りてくるときに、この道案内を見ることができます。右側の道も左側の道も中山寺に行きます。左側には「左 新道」と書かれておりました。右側は判りにくいのですが「右 島道」と書かれているように見えました。左が新道なので右は旧道と考えて、私は右側を行きました。この後も道標が続いたので正解でした。この道標にも享保十九年十一月と書かれていたことから右の道でも280年前の新道ということになります。
十丁をすこし登ったところに夫婦岩がありました。いくつか岩があるので大きい方からお父さん、お母さん、子供さんでしょうか。
夫婦岩の囲いの中にもお地蔵さんがありました。
何かの記念碑も建てられていました。中山・XX・道路新設記念碑と書かれていました。XXの部分は読めませんでした。
夫婦岩のところからは、奥之院までは1.2kmです。
十一丁 ~ 十二丁 の景観です。
参道脇に大きな石碑が建てられていました。
これが、その石碑です。
夫婦岩を過ぎたあたりから日当りがよくなってきました。岩の上のお地蔵さんにも日が当たっていました。
新しい南無阿弥陀佛の石碑もお地蔵さんと一緒に祀られていました。きっとお地蔵さんが無くなって代わりに建てたのだと思います。
ひらけてきたので六甲山の麓にある甲山や宝塚の街並みもよく見えました。
十二丁の石碑が見えてきました。
十二丁 ~ 十三丁 の景観です。
十二丁~十三丁の間にはお地蔵さんはありませんでした。
途中で参道が保安管理道路とクロスするところがありました。金網の扉で仕切られていました。
十三丁 ~ 十四丁 の の景観です。
この間の一か所にお地蔵さんが祀られていました。
十四丁 ~ 十五丁 の景観です。
このもお地蔵さんは一か所だけに祀られていました。
十五丁の道標は享保十九年 甲寅 十一月が読みやすく文字が黒く強調されていたので紹介いたします。甲寅(きのえとら、こういん)は、干支の一つで享保十九年が甲寅に当るのです。干支の組み合わせで60ある中の51番目で、前は癸丑、次は乙卯です。陰陽五行では、十干の甲は陽の木、十二支の寅は陽の木で、比和だそうです。直近の甲寅の年は1974年と2034年です。
十五丁 ~ 十六丁 の景観です。
奥の院まで、あと300mです。
この間にもお地蔵さんはありませんでしたが、趣のある景観を見せてくれました。
十六丁 ~ 十七丁 の景観です。
ここからお地蔵さんが増えてきました。ここまで頻繁にお参り来るのは大変だと思います。でも健康的でもあります。
印象的な石碑がありました。石碑には「従是 南東 放生地」と書かれていました。これより南東は放生地であることを示しているのでしょうか。調べてみると境界石であることがかかれた資料がありました。元禄11年(1698年)に建てられたもののようです。生類を放す境界を示す碑に属するそうです。
大きな岩は特別な意味があるようです。たくさんのお地蔵さんが祀られていました。
その中の一体の前掛けを拡大いたしました。
石碑が置かれていました。これもいわれがあるのでしょう。
参道を紹介します。
十七丁の道標が見えてきました。
十七丁 ~ 十八丁 の景観です。
清流の横に「厄神明王聖徳太子御修行の地」と書かれた木柱が立てられていました。この清流は五段の滝となって落ちてきているそうです。滝の中段には石像(厄神明王)と碑が建っているそうですが気が付きませんでした。
お地蔵さんが石の真ん中に鎮座していました。
岩の斜面の棚の部分を利用してお地蔵さんが祀られていました。
石が沢山並べられた参道も趣がありました。
大きな岩を囲うように石の柵が作られており入口には灯籠も建てられています。
その岩です。由緒ある岩のようです。中山寺奥之院は各所で大きな岩が祀られており、岩が特別のものであるようでした。
岩の周りにはお地蔵さんが沢山祀られていました。
参道の先に最後の十八丁の道標が見えてきました。そこまでの間にお地蔵さんも見えます。
そのお地蔵さんです。
十八丁 ~ 奥之院 の景観です。
十八丁の道標を過ぎたところにもお地蔵さんがありました。2体のお地蔵さんです。
中山連山の最高峰、中山山頂への入口がありました。左の道の奥に奥之院の境内が見えてきました。中山の標高は478mで、愛宕山(335m)と長尾山(302m)と合わせて長尾連山(別名:中山連山)と称されています。
山頂まではここから、さらに高さで108m、距離で約1.3km登ります。
祠が3つありました。一番手前の祠の前の狛犬は以前の奥之院の前に置かれていたものだと思われます。今の奥の院の前の狛犬は新しいものになっていました。左の奥の方が中山最高峰の道です。
お地蔵さんが並べられたところがありました。写真を撮っている私の背中の後ろにも沢山並んでいました。参道のお地蔵さんをすべて紹介すると最初に説明しましたが、ここだけは抜けてしまいました。
新しいお地蔵さんではないので、ここは、倒れてしまったお地蔵さんなどを集められたのかもしれません。
奥之院に着きました。狛犬が新しくなっていることが判ってもらえると思います。奥之院のある場所の標高は約370mだそうです。
中山寺奥之院への参道を紹介いたします。
この日、2014年12月25日は━を登って、中山寺奥之院に行き、━を下りました。航空写真をクリックするとオリジナルのGoogle航空写真で中山山頂や売布神社や宝塚大劇場なども表示します。
━ 中山寺奥之院参道
━ 清荒神から中山寺奥之院に登ったコース
━ 清荒神参道
中山寺奥之院
中山寺 正式 : 大本山中山寺 別名 : 中山観音
夫婦岩
清荒神清澄寺