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あけましておめでとうございます。 2015年 元旦  中山寺奥之院 [新年]

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新年あけましておめでとうございます。
本年もどうかよろしくお願い致します。
今年は皆さんにとって良い年となることを祈念いたします。
So-netブログをはじめて今回の正月は6回目になります。2009年5月5日に最初の記事を掲載して5年8ケ月(68ケ月)が経ちました。沢山のアクセスをしていただき、沢山のnice!を頂き、沢山のコメントを頂き、ありがとうございました。
2015年元旦
正月は実家で迎えることが多かったけれども、今年は自分の家で正月を迎えることにいたしました。そこで年末に兵庫県宝塚市の実家に帰省し12月30日に帰ってきました。帰省中に初詣で宝塚市で最も沢山の人が訪れる清荒神清澄寺(約36万人)に行って来ました。ちなみに2番目が中山寺(約20万人)です。上の写真はその時の拝殿(天堂)の写真です。ここに来た一番大きな目的は清荒神の真北の山の中に奥之院があるのですが、そこに登ることでした。2つ目の目的は、さん志ょうや本家の佃煮のお土産を買いに来ることでした。本記事には169枚の写真を使っています。

高校時代から宝塚に住んでおり地図で奥之院の表示があることは知っていたのですが、一度も行ったことがなかったのです。今まで行けなかった理由は清荒神に来た時は何度も登り口を探したけれども見つけられなかったのです。
   奥之院             清荒神清澄寺
    奥之院に登ったコース    清荒神参道
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こちらが正面にある本堂です。ここでも奥之院への登り口を探しましたがありませんでした。


実は清荒神の隣の大林寺から奥之院(奥の院)へ行く登り口があることを今回初めて探し当てることが出来ました。参道ではなくハイキング道入口と書かれていました。


こちらが大林寺の敷地内にある奥之院への道の入口です。


シダが生い茂る道に入りました。


次は尾根伝いの日当りの良い道でした。


確かに参道ではなくハイキングコースでした。


林の中を歩く道もありました。やはりハイキングコースです。


歩きやすく整備されていました。


渓流沿いの道もありました。ハイキングコースは、しっかりした橋が作られるなど、かなり整備されていました。


橋の向こう側の細い木の形から左右は同じ場所であることが判ります。右の古い橋の写真はネットで見つけました。新しい橋はネットで出てこないので、橋は最近新しくされたものと思われます。クリックすると両方ともに拡大するので比較できると思います。


道沿いの切り株にはすべて番号が着けられていました。しっかりと木を管理されているのだと感じました。むやみに木をきってはいけないのだと思います。


開けた場所に出ました。そこは管理道路があり、間伐材で作られた治山ダムがありました。普段は乾燥していますが、大雨などで土砂が流失するのを防いでいるようです。
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近くに説明版があったので紹介します。クリックすると読める大きさに拡大します。
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またハイキングコースが続きました。


奥之院まであと0.4kmの表示のところまで来ました。清荒神から奥之院までは3.3km(0.4km+2.9km)の距離になることがわかりました。


奥之院に近づくと、車も通れるほどの道に出ました。後でわかったことですが、この道路は奥之院の解体改修工事のために最近作られたそうです。やすらぎ広場につながっているようです。


最高峰への入口です。左の道の奥が奥之院です。


奥之院は、中山寺の奥之院だったのです。清荒神からの道が参道ではなくハイキングコースであることを納得いたしました。中山寺は宝塚では初詣の人も清荒神に次ぐほどの有名なお寺です。特に安産祈願は近畿圏の人がみなさん来るほどの有名なお寺なのです。


奥之院は予想していたと違い朱塗りの新しい建物でした。調べてみると一昨年から解体修理がおこなわれて2014/年7月19日 奥之院落慶法要がおこなわれたそうです。中山寺は寺伝では聖徳太子が建立したとされる日本最初の観音霊場です。
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奥之院には厄神明王が祀られています。


2012年の時点の奥之院の写真をネットから拝借させていただきました。屋根の河原の先端の形が違うので上の写真が新しくなった奥之院であることが伺われました。


さらに別の時期の奥之院です。こちらはWikimediaに掲載されている写真です。前の部分の柱だけ朱塗りになっています。
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ご神体は大きな岩でした。
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横の大きな石がまつられており、石の正面からの湧水は大悲水と呼ばれています。
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境内には沢山の祠がありました。こちらは石の祠です。鳥居には五天龍王と書かれています。
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こちらも石の祠(ほこら)です。吾孫子水神(あびこすいじん)と書かれています。比較的新しいものようです。


赤い前掛けが着けられた石仏も沢山ありりました。
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お地蔵さんらしきものもありました。古いものや大正時代物や現代の物と思われるもの祀られていました。
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石で組まれた不思議なものもありました。
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いたるところに祠が祀られていました。


こちらには吾孫子弁財天(あびこべんざいてん)と書かれていました。


奥の院の正面の写真です。
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奥之院からは本来の参道である中山寺への道を降りましたが、ここでは中山寺から登ってきたイメージで下から順番に紹介したいと思います。阪急中山観音駅から歩いてくると最初に目に入ってくるのが天保3年(1646年)に徳川家光によって再建された大門です。
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こちらが中山寺の本堂です。中山寺の正式名は大本山中山寺ですが、一般的には中山観音の呼び名が使われています。本尊は十一面観世音菩薩です。上でも説明した通り聖徳太子が建立したとされる日本最初の観音霊場といわれており、「極楽中心仲山寺」と称されていたそうです。
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大願塔のあたりを通って奥之院への入り口に向かいます。
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こちらが奥之院への入り口です。石碑には「すく おくのゐん道 是より十八丁」と書かれており奥之院への入り口であることを表しています。
石碑に書かれている丁は、1丁(町)=360尺=109.09091mなので18丁は1963mなので、奥の院までの距離は約2kmということになります
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参道には一丁(109m)ごとに石の道標が立てられていました。その道標をすべて紹介します。
 壱丁               弐丁               三丁


 四丁               五丁               六丁


 七丁               八丁               九丁


 十丁               十一丁              十二丁


 十三丁              十四丁              十五丁


 十六丁              十七丁              十八丁


中山寺から中山寺奥之院への参道の景観を順番に紹介いたします。

クリックすると拡大入口 ~ 壱丁 クリックすると拡大の景観を紹介します。
入口を入るとすぐに中山観音公園になります。


ここには霊園が広がっています。


左の道を降りていく方向が奥之院への参道です。


参道脇には沢山の石像が置かれていました。台座には先祖代々を弔っている個人名が書かれています。この台座には八木福と書かれていました。赤い前掛けが新しいことから最近取り換えられたのだと思います。石像の種類は判りませんが、とりあえずお地蔵さんと呼ばせていただきます。奥之院までのすべてのお地蔵さんを紹介させていただきます。
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お地蔵さんの横に最初の道標「一丁」が見えます。この距離を示す石碑はすべて享保十九年十一月と書かれており、西暦では1734年になることから、280年前の石碑であることがわかりました。
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クリックすると拡大壱丁 ~ 弐丁 クリックすると拡大 の景観です。
一丁の石碑から下に降りていくと足洗川に沿に登り始めました。


ここにも沢山のお地蔵さんがありました。
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五輪石塔の墓がありました。
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これは「ト部左近の墓」の詳しい説明がありました。
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先に進むと公園がありました。公園を通って右の方に進むと新道のコースで奥之院に行けるようですが弐丁~九丁の道標は見ることが出来ないと思われます。十丁の道標のところで旧道と合流します。


公園の脇には標識がありました。中山山頂への表示から、この標識は宝塚市と神戸営林署がハイキングをする人のために建てたものだと思われました。参道はハイキングコースでもあるようでした。ほとんどの歩いている人はリュックを担いでいました。ここから中山山頂まで3.1kmであれば、奥之院から山頂までは1.3kmという計算になります。


こちらにもお地蔵さんが祀られていました。この後に紹介するお地蔵さんも、ほとんどがこの二種類でした
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クリックすると拡大弐丁 ~ 三丁 クリックすると拡大 の景観です。
弐丁の道標の脇にもお地蔵さんが祀られていました。台座には「吉田コト」さんと「吉田敬徳」さんの名前が彫られていました。真新しい赤い前掛けから、大切に先祖を祀っていることが伝わってきました。
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この石の道標にも享保十九年十一月と書かれていました。一番上の文字はよく判りませんが、左本山道と書かれているのではないでしょうか。
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住宅地の横を登っていきました。左下の白い木の柱には国有林界と書かれています。この辺りは国有林でもあるようです。
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もともとのお地蔵さんが亡くなったのかもしれません。でも今でもお参りに来られているようです。


こちらは沢山のお地蔵さんが祀られていました。
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クリックすると拡大三丁 ~ 四丁 クリックすると拡大 の景観です。
お地蔵さんは、このように石の上においたり、石をくみ上げで祀られていました。
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ここを登りきると住宅地から離れて、山になっていきます。


ここには3体のお地蔵さんが祀られていました。
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このあたりの参道の雰囲気を紹介いたします。


標準的な2体のお地蔵さんがありました。


こちらは3体でした。



クリックすると拡大四丁 ~ 五丁 クリックすると拡大 の景観です。
1体は無くなったようです。でも今でもお参りに来られているようです。


台座だけになってしまったものもありました。クリックすると台座の文字が読めますが、岡山市のお地蔵さんだったようです。
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こちらは間人の上に石が積み上げられていました。


このあたりの参道の景観です。


2体のお地蔵さんです。



クリックすると拡大五丁 ~ 六丁 クリックすると拡大 の景観です。
五丁の道標と上で紹介したお地蔵さんです。石碑の近くにお地蔵さんが祀られるケースが多い気がします。


石が積み上げられたものもありました。


五丁~六丁の間にはお地蔵さんはありませんでした。



クリックすると拡大六丁 ~ 七丁 クリックすると拡大 の景観です。
大きな石の上にお地蔵さんが2体、祀られていました。
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こちらもお地蔵さんでしょうか。


こちらの赤い前掛けには沢山の文字が書かれていたので拡大写真を紹介します。クリックするとさらに拡大するので読みやすいと思います。
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ここにも石が積み上げられたものがありました。


丁寧に維持積み上げられています。毛糸の帽子が可愛らしいです。
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クリックすると拡大七丁 ~ 八丁 クリックすると拡大 の景観です。
こちらのお地蔵さんは1体でした。


こちらの参道の景観です。


丁寧な石組みを見ていると大切に祀られてることが伝わってきました。
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こちらは4体です。
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クリックすると拡大八丁 ~ 九丁 クリックすると拡大 の景観です。
参道で、唯一、道の真ん中に祀られたお地蔵さんです。


上から見た景観です。
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こちらも立派に石組みがされていました。



クリックすると拡大九丁 ~ 十丁 クリックすると拡大 の景観です。
一体のお地蔵さんが大切に祀られていました。


中間地点となる夫婦岩展望所まで300mまで来ました。


参道には沢山の石で石段のようになっていました。


左側のお地蔵さんの光琳の上部は欠けていますが大切に拝まれてきたのだと思います。


シンプルなお地蔵さんもいいですね。趣があります。クリックすると拡大します。
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ここにも2体のお地蔵さんがありました。


こちらは3体のお地蔵さんです。九丁~十丁の間には沢山のお地蔵さんがありました。



クリックすると拡大十丁 ~ 十一丁 クリックすると拡大 の景観です。
十丁の道標(石柱)は裏面に道案内が書かれていました。上から降りてくるときに、この道案内を見ることができます。右側の道も左側の道も中山寺に行きます。左側には「左 新道」と書かれておりました。右側は判りにくいのですが「右 島道」と書かれているように見えました。左が新道なので右は旧道と考えて、私は右側を行きました。この後も道標が続いたので正解でした。この道標にも享保十九年十一月と書かれていたことから右の道でも280年前の新道ということになります。
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十丁をすこし登ったところに夫婦岩がありました。いくつか岩があるので大きい方からお父さん、お母さん、子供さんでしょうか。
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夫婦岩の囲いの中にもお地蔵さんがありました。


何かの記念碑も建てられていました。中山・XX・道路新設記念碑と書かれていました。XXの部分は読めませんでした。


夫婦岩のところからは、奥之院までは1.2kmです。



クリックすると拡大十一丁 ~ 十二丁 クリックすると拡大 の景観です。
参道脇に大きな石碑が建てられていました。


これが、その石碑です。


夫婦岩を過ぎたあたりから日当りがよくなってきました。岩の上のお地蔵さんにも日が当たっていました。


新しい南無阿弥陀佛の石碑もお地蔵さんと一緒に祀られていました。きっとお地蔵さんが無くなって代わりに建てたのだと思います。


ひらけてきたので六甲山の麓にある甲山や宝塚の街並みもよく見えました。


十二丁の石碑が見えてきました。



クリックすると拡大十二丁 ~ 十三丁 クリックすると拡大 の景観です。
十二丁~十三丁の間にはお地蔵さんはありませんでした。


途中で参道が保安管理道路とクロスするところがありました。金網の扉で仕切られていました。



クリックすると拡大十三丁 ~ 十四丁 クリックすると拡大の の景観です。
この間の一か所にお地蔵さんが祀られていました。
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クリックすると拡大十四丁 ~ 十五丁 クリックすると拡大 の景観です。
このもお地蔵さんは一か所だけに祀られていました。
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十五丁の道標は享保十九年 甲寅 十一月が読みやすく文字が黒く強調されていたので紹介いたします。甲寅(きのえとら、こういん)は、干支の一つで享保十九年が甲寅に当るのです。干支の組み合わせで60ある中の51番目で、前は癸丑、次は乙卯です。陰陽五行では、十干の甲は陽の木、十二支の寅は陽の木で、比和だそうです。直近の甲寅の年は1974年と2034年です。



クリックすると拡大十五丁 ~ 十六丁 クリックすると拡大 の景観です。
奥の院まで、あと300mです。


この間にもお地蔵さんはありませんでしたが、趣のある景観を見せてくれました。



クリックすると拡大十六丁 ~ 十七丁 クリックすると拡大 の景観です。
ここからお地蔵さんが増えてきました。ここまで頻繁にお参り来るのは大変だと思います。でも健康的でもあります。


印象的な石碑がありました。石碑には「従是 南東 放生地」と書かれていました。これより南東は放生地であることを示しているのでしょうか。調べてみると境界石であることがかかれた資料がありました。元禄11年(1698年)に建てられたもののようです。生類を放す境界を示す碑に属するそうです。

大きな岩は特別な意味があるようです。たくさんのお地蔵さんが祀られていました。
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その中の一体の前掛けを拡大いたしました。
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石碑が置かれていました。これもいわれがあるのでしょう。


参道を紹介します。


十七丁の道標が見えてきました。
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クリックすると拡大十七丁 ~ 十八丁 クリックすると拡大 の景観です。
清流の横に「厄神明王聖徳太子御修行の地」と書かれた木柱が立てられていました。この清流は五段の滝となって落ちてきているそうです。滝の中段には石像(厄神明王)と碑が建っているそうですが気が付きませんでした。


お地蔵さんが石の真ん中に鎮座していました。


岩の斜面の棚の部分を利用してお地蔵さんが祀られていました。


石が沢山並べられた参道も趣がありました。


大きな岩を囲うように石の柵が作られており入口には灯籠も建てられています。
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その岩です。由緒ある岩のようです。中山寺奥之院は各所で大きな岩が祀られており、岩が特別のものであるようでした。
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岩の周りにはお地蔵さんが沢山祀られていました。


参道の先に最後の十八丁の道標が見えてきました。そこまでの間にお地蔵さんも見えます。
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そのお地蔵さんです。



クリックすると拡大十八丁 ~ 奥之院 クリックすると拡大 の景観です。
十八丁の道標を過ぎたところにもお地蔵さんがありました。2体のお地蔵さんです。
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中山連山の最高峰、中山山頂への入口がありました。左の道の奥に奥之院の境内が見えてきました。中山の標高は478mで、愛宕山(335m)と長尾山(302m)と合わせて長尾連山(別名:中山連山)と称されています。
山頂まではここから、さらに高さで108m、距離で約1.3km登ります。


祠が3つありました。一番手前の祠の前の狛犬は以前の奥之院の前に置かれていたものだと思われます。今の奥の院の前の狛犬は新しいものになっていました。左の奥の方が中山最高峰の道です。
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お地蔵さんが並べられたところがありました。写真を撮っている私の背中の後ろにも沢山並んでいました。参道のお地蔵さんをすべて紹介すると最初に説明しましたが、ここだけは抜けてしまいました。
新しいお地蔵さんではないので、ここは、倒れてしまったお地蔵さんなどを集められたのかもしれません。
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奥之院に着きました。狛犬が新しくなっていることが判ってもらえると思います。奥之院のある場所の標高は約370mだそうです。
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中山寺奥之院への参道を紹介いたします。
この日、2014年12月25日はを登って、中山寺奥之院に行き、を下りました。航空写真をクリックするとオリジナルのGoogle航空写真で中山山頂や売布神社や宝塚大劇場なども表示します。
    中山寺奥之院参道
    清荒神から中山寺奥之院に登ったコース
    清荒神参道
   中山寺奥之院
   中山寺  正式 : 大本山中山寺  別名 : 中山観音
   夫婦岩
   清荒神清澄寺
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