2015年4月4日は我が家のムサシの15歳の誕生日 [むさし]
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2015年4月4日は我が家のムサシの15歳の誕生日です。記念のために、朝の散歩で動画と写真を撮りました。4日前に前足を痛めて、まだ完治していないのですが、散歩となると走って出かけます。是非ともプレーボタン( ► )をクリックして動画を見てやってください。
右の写真は0歳の時の写真です。
名前 むさし
犬種 ビーグル 雄
誕生日 2000年4月4日
撮影日 2015年4月4日 15歳
恒例の朝の散歩の督促ポーズです。こちらの顔を見た後に玄関に向かいます。ビーグルの飼育特性を調べてみました。
活発・やんちゃ・遊び好き・食欲旺盛
寂しがり、長時間の留守番には向かない
頑健で病気しらず、攻撃性が低い
今は桜の季節です。花びらが沢山、道に落ちていました。ビーグルはローマ時代から存在し、ビーグルの名前は古代フランス語で「開いた喉」に由来するそうです。古来よりウサギ狩りを業としてきました。
得意の端っこ歩きです。遠くに見える桜は2種類です。奥の白っぽい桜がソメイヨシノで満開です。手前のピンクの桜は、これから満開になる遅咲きの桜です。
せっかくの桜の季節なので、上で紹介の2種類の桜を紹介します。こちらがソメイヨシノです。今日の佐倉は桜が満開(今日のサクラはサクラが満開)です。昨日は台風並みの強風でしたが、花ビラは無事でした。
こちらが遅咲きの桜です。見事なピンクの花が咲きます。今までに掲載した我が家と実家のワンコの記事を紹介します。タイトルをクリックすると記事を表示します。
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・今朝のワンコの散歩は雪でした。
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・2015年4月4日は我が家のムサシの15歳の誕生日
今日は誕生日なので、夕食は茹でたササミを特別に増やしました。いつもはドッグフードにササミを一本分を、ほぐして入れていますが、今日は誕生日なのでササミを4本にいたしました。1本は、ほぐさないで入れました。ササミを入れない頃にはドックフードを残すこともありましたが、ササミを入れるようになってからは、いつも完食です。その大好きなササミを4本も入れたわけです。
食べる前から、大好きなササミが沢山入っていることを知ってそわそわでした。でも食べる前は、先ずはお座りです。
すぐに一本ササミに喰らいつきました。
いつになく美味しそうに食べていました。
食べ終わるまで2分でした。
生まれた年である2000年の5月30日から2013年10月9日までの成長記録です。
小樽にも人力車がありました。 [小樽]
総合食品卸問屋 後藤商店 [小樽]
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3月27日に訪れた小樽には明治・大正時代の趣のある建物が沢山あります。堺町通りを車で走っていると何気なく趣のある建物があったので写真を撮りました。家に帰ってから看板の「後藤商店」で検索すると沢山出てきました。
ネットによると、この建物は塚本商事の店舗・塚本商店として1920年(大正9年)に建築された木骨鉄網コンクリート造の商家で、黒塗りの壁と入母屋の屋根が特徴的な建物だそうです。かつての小樽の商家を彷彿させる様に看板の素材や色などを工夫し、玄閑に暖簾をさげるなど歴史的な街並にふさわしいたたずまいとなっていました。その後、株式会社丸市の後藤商店と名前を変えたそうです。
入口の看板には「総合食品卸問屋 株式会社丸市 後藤商店」と書かれていました。この時もまだ雪が降り続いていました。
その右隣には1906年(明治39年)に建てられた(旧)梅屋商店がありました。建物は小樽硝子本舗・和蔵として活躍しています。堺町通りには、このような形で古い建物が活用されているところが沢山ありました。梅屋商店は洋物の卸問屋で、呉服を扱う隣の塚本商事とは対抗関係にあったそうです。
Dog Parking [小樽]
雪の小樽港 [小樽]
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有名な小樽運河の、すぐ海側は港になっています。そこで雪で足場が悪かったけれど、港を見に行きました。左側が1954年に完成した第三埠頭で、右側が1950年に完成した第二埠頭です。小樽港は今から143年前の1872年(明治5年)に石造埠頭が築造されたのが始まりです。
1872年 石造埠頭の築造開始
1873年 石造埠頭完成
1937年 第1埠頭完成
1950年 第2埠頭完成
1954年 第3埠頭一期工事完成
1967年 第3埠頭延長工事完成
1972年 中央埠頭完成
1981年 勝納埠頭完成
1981年 色内埠頭完成
1990年 港町埠頭完成
第三埠頭の船を拡大してみました。ネットで調べてみました。
小樽港の歴史ならこちら→ポチッ
こちらが第二埠頭です。
小樽港は、北海道小樽市にある港湾である。港湾管理者は小樽市。港湾法上の重要港湾、港則法上の特定港に指定されています。
小樽港の主な輸入品は、麦、トウモロコシ、水産品などの農水産品、原木や製材などの林産品、動植物性製造飼肥料などの特殊品となっており、アメリカやカナダ、ロシア、中国、韓国、マレーシア、タイなど世界各地から輸入しています。トウモロコシや動植物性製造飼料は、乳牛や肉用牛のエサとして、小樽市内の工場などで製品化、出荷されており、北海道の酪農を支えております。 また、平成14年には中国とのコンテナ航路が開設され、中国で加工された製材(住宅用建材)、製品化された履物(長靴など)、石材などを中国から輸入それているそうです。
そして主な輸出品は、完成自動車(中古車)、産業用機械(建設機械等)などの金属機械工業品、再利用資材などの特殊品が主な品目となっているそうです。
第二埠頭と第三埠頭の間の岸壁です。岸壁に並んだ係船柱(ボラード / Bollard)が港の雰囲気を出しています。繋留用のボラードは日本語では係柱、係船柱、繋船柱とよばれます。船の係留のためだけでなく街中で車止めのために立てられている棒などもボラードと呼ばれます。この時の気温は-0.1℃でした。
色内埠頭と第三埠頭の間に陸側の運河への水路が残っており、その両岸には歴史を感じる大型の石が使われていました。写真の右側の方が海につながっています。
第二埠頭と第三埠頭あたりの1976年(左側)と現在(右側)の航空写真を比較してみると39年間の間にも大きく変わっていることが判ります。第一埠頭は大きく改修されて港町埠頭になったようです。1976年以降に出来たのが 勝納埠頭(1981年)と色内埠頭(1981年)と港町埠頭(1990年)です。
1976年の航空写真はWikipediaから転用させてもらった航空写真です。
ネットから地図を拝借いたしました。第三埠頭と第二埠頭が判ってもらえると思います。クリックすると拡大縮小が可能な地図を表示します。
雪降る中の小樽運河 [小樽]
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小樽と言えば明治・大正時代の倉庫群が立ち並ぶ運河が有名です。3月27日に、その小樽運河に行きましたが、雪が降る中での訪問となりました。
対岸の遊歩道も雪が積もっていました。
小樽運河(おたるうんが)は大正12年(1923年)に完成したそうです。運河は内陸に水路を掘ったものではなく、沖合を埋立て、陸との間に出来た水路であり、「埋立て式運河」と呼ばれいます。海上に停泊した船舶からの貨物を乗せた艀(はしけ)舟を係留し、貨物の荷揚げに使われたそうです。
倉庫は木骨石造や煉瓦造りの重厚な物が沢山並んでいました。
人力で荷揚げする方式は戦後に入り衰退して戦後は樺太等との交易がなくなったため、物流の拠点としても急速に廃れていきました。無用の長物と化していましたが運河の半分の幅を残す形で散策路やガス灯が整備され、大きく様変わりして小樽の一大観光スポットなったそうです。その重厚な倉庫群はレストランなどに利用されています。ビールと書かれた文字が判ってもらえると思います。
降っている雪を感じていただくために写真を拡大いたしました。クリックするとさらに拡大いたします。
その倉庫の運河とは反対側にレストランの入口があり観光客の人が食事に訪れていました。この倉庫群の向こう側が上の写真の運河なのです。
入口も昔のままで趣がありました。
大きな写真で見ると雪が沢山降っていることが判っていただけると思います。
これからお店が入るのだと思います。倉庫の中はきれいに改装されていましたる
ツララも沢山ありました。
まだ利用されていない倉庫群の前は雪が沢山残っており通れませんでした。
運河と倉庫群が見渡せる橋の上は沢山の観光客の人が来られていました。
ここが、記念撮影の絶好の場所のようです。このときは、中国の方が沢山来られていました。
この時の気温は-0.1℃でした。浅草橋小樽観光案内所横の時計塔です。写真をクリックすると周辺を含めて表示します。
小樽観光のあと、小樽から札幌に向かう高速道路の写真です。これより、さらに視界が悪くなり、視界は数十m程度の感じの時もありました。借りたレンターは4WDだったので走行に関しては安心感がありましたが、視界の悪さには驚きました。さすがにスピードを落としてしまいました。進んでいく方向は道路の両側に立てられた緑と赤(オレンジ)のランプが頼りだけの時もありました。中央分離帯に赤(オレンジ)のランプが立てられているのです。時間は16時ごろです。私が運転、家内が撮りました。