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平遥古城 192年前の中庭がいくつもある銀行 [山西省]

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この写真は中国の昔の銀行の中庭です。この銀行のある世界遺産の平遥古城は紀元前(2700年前)からの古い歴史があります。周宣王の時代(紀元前827~782年)に記録が出てくるそうです。この時代にすでに商売で使うお金を為替手形で取引していたそうです。
  名前 日昇昌票號(日昇昌票号)
  区分 錢莊(銭荘 / 銀行)
  住所 中国 山西省晋中市平遥县西大街38号
  電話 0354-568-3621

上の写真の中の銀行全体の見取り図を拡大しました。沢山の部屋があることが判ると思います。南北65メートル、東西20メートルの大きさだそうです。四合院方式の組み合わせた平屋の広い敷地でした。上の写真は入口から入った最初の中庭です。かなりの部屋があり従業員も多かったと聞きました。基本的には民家の構造の組み合わせで作られた建物群で、昔の建物の勉強になります。
銀行は元々とアヘンで儲けたお金ではじめたそうです。


この銀行は城壁で囲まれた町の平遥古城の中心近くにあります。今の城壁のある景観だけでも700年の歴史があるそうです。その長い歴史の中に金融全盛時代がありました。巨大城壁に守られた平遥古城は明代末期から清代にかけて中国最大の金融の中心地だったそうです。
その中でも最も有名なのが日昇昌で、清の道光3年(1823年 今から192年前)に平遥西大街に開業したそうです。冒頭の写真は、その有名な日昇昌です。先ずガイドさんが案内してくれるのは、その昔の銀行です。
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銀行「日昇昌」の前の西大通り(西大街)のです。日昇昌記の文字が下がったところが銀行の入口です。この写真は是非をクリックしてみてください。銀行の前の建物はホテルのようです。電柱が無いのにも驚かされました。
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昔の銀行の窓口です。この写真の赤い服の女性がガイドさんです。25才だそうです。こちらの人は若くてもしっかりしていて、いつも関心させられます。  
ガイドさんには朝食に汁ビーフンの美味しいお店を紹介してもらったりと大変お世話になりました。大変良かったので、次の離れた(車で1時間 35kmくらいの)場所のガイドおよび道案内もお願いしてしまいました。その追加料金は40元(600円)でした。我々の車に乗って行くのでガイドさんだけは終わった後にバスで平遥古城に帰る必要がありますが、そのパス代も込みです。


冒頭の写真とは別の中庭です。19世紀後半に中国最大の銀行となりました。
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建物は頑丈そうです。さすが銀行


当時の社長の車だそうです。



ここから下で別の銀行を紹介いたします。一院と二院の間の門です。錢莊(票號)が銀行を表しているようです。
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これが、これから紹介する銀行(票号/銭荘)の見取り図です。
院と書いているところは中庭なっていて、その廻り四方に建物があるのです。この方式を四合院と言うそうです。


この写真は上の見取り図の二院と書いているところです。


こちらは二院を奥側から撮った写真です。
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二院の奥にある三院です。
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龍の鎧を身に着けている武将らしき人が祀られていました。
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四院に逸静神怡と書かれた建物がありました。この屋根の下に、地下の中庭(五院)があり、その両側に金庫がありました。地下には七院にある細い階段から入ります。


六院には武器が展示されていました。金庫をまもる兵士がいたのではないかと思います。右の写真が金庫がある地下に行く七院の階段です。
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金庫室がある地下の五院です。ここに2つの金庫室がありました。
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こちらが地下金庫です。場所は四院と七院の間の地下にありました。見取り図では五院と描かれているところで、金庫室は2つありました。金庫室の中には馬蹄銀と呼ばれた銀の秤量貨幣が沢山保管されていました。でもこれはレプリカですね。たぶん


もう一つの地下金庫です。クリックすると拡大するので金庫の説明が読めると思います。
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この地下にはお坊さんが居られます。金庫室とお坊さんの関係はよくわかりませんでしたが、その部屋に入れてもらってお話を聞きました。このあたりは水が少ないそうで飢饉のときに私財を沢山寄付して街を救ったことを引用した話でした。


クリックすると拡大平遥古城( )の場所を地形図で紹介いたします。右の地図の赤い部分が山西省です。
  太原市内 山西省・省都 346万人 6956km²
  平遥古城 世界遺産(1997年登録)
   徒歩ルート 89km 17時間53分

平遥古城 巨大城壁が守った商業の町 [山西省]

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この建物が一周6kmの城壁で囲まれた世界遺産の平遥古城の中心の少し東にに建っています。下の地図で黄色の道路の上に描かれている建物で「市楼」と書かれています。市楼は平遥古城の中心にあり、3層のひさしを有する高さ18メートルの木造楼閣です。市楼が創建された年代は不明だそうですが、清の康煕27年(1688年)に建て直しが行われ、その後数度にわたり補修が行われたという記録があるそうです。屋根には瑠璃色の瓦を使って「喜」「寿」という図案が施されており、昔から街のシンボルとして親しまれてきたようです。入場料を払えば楼閣の上に登って見学することも可能だそうです。周囲には高い建物がないため、明清時代の街並みを一望することができるそうです。
そしてこの周りは大通りになっており沢山の観光客の人が行き来していました。レストランやお土産屋さんも趣向をこらして立ち並んでいるのです。観光客の10%くらいが外国人だそうです。外国人でも、この時は圧倒的に欧米人が多くて日本人は見かけませんでした。

クリックすると拡大地図で黄色に塗られた道路が今回紹介の部分です。黄色以外は静かな住宅街です。平遥は20世紀後半までは、ひなびた地方都市として時代に取り残されたかのように存在していたそうです。1997年世界文化遺産に登録されてからは一躍脚光を浴びることとなり、一年を通して世界中から旅行者がやって来る観光都市となったそうです。
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住宅街側から繁華街を見たところです。遠くに見えるのが冒頭の建物です。平遥古城の内側には、かって「6百軒近い商家がひしめきあっていた」そうです。


趣のあるお店が沢山並んでいました。朝早い時間(8時52分)なので人通りもまだ少ないけれど帰るころは大変な人でした。銀行の「日昇昌」のあたりは広い通りです。市楼が見えるだけで雰囲気が変わります。


中心部分から西方向を見たものです。遠くに霞んだ城壁の西門が見えます。この町は巨大な城壁に守られて700年前の風情を残している数少ない町だそうです。商業の町でもあったそうです。この街並みはその雰囲気を感じさせてくれます。


中心から北を見ました。沢山の観光客の人が歩いて楽しんでいました。9時46分です。そろそろ観光客の人も増えてきました。


蔵らしいものも見えます。建物は天辺まで、すべてレンガで出来ているのです。写真をクリックしてみてください。この街の煉瓦構造のすばらしさが分かると思います。
クリックすると煉瓦構造を表示

お店の前のには看板娘さんらしい人が立っています。じっくり見てみると民族衣装の下は3人ともジィンズなんです。現代っ子がアルバイトで立っている感じかもしれません。すごくにぎやかですが、この街、平遥古城の90%は静かな住宅地なんです。こちらに来られたときは、是非、静かな住宅地にも足を踏み入れてください。
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湖南料理で青椒肉絲と麻婆豆腐を頼んでみたら!! 甘露源私房菜  [湖南省]

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2015年4月13日は安徽省の蕪湖を8時30分に出発して湖南省の邵陽(邵阳)のホテルに着いたのは20時40分でした。12時間10分の旅となり遅くなったことから食事ではなく日本人2人でビールを飲むことにいたしました。案内役兼通訳の中国人の人は、つまみとなる料理を注文していただいてホテルの部屋に戻りました。2日目3日目は皆で食事をいたしました。
ビールを飲むために選んだレストランは甘露源私房菜という名前でした。
レストランは湖南料理のお店で注文する料理に悩んで、「チンジャオロース(青椒肉絲)は無いでしょうね。」と言うと、メニューには無いけれども作れるとのことで、頼んでもらったのが上の写真の料理でした。

拡大写真を掲載いたします。ピーマンと肉の切り方が大きいけれども、まさに味わいはチンジャオロース(青椒肉絲)でした。
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これは豆腐を使った湖南料理です。
チンジャオロース(青椒肉絲)が、あるのだから「マーボードウフ(麻婆豆腐)がありますか?」と聞くと、はっきりと無いとの答えでしたが、似ている料理があると、注文してくれたのが、この料理でした。
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しっかりとした豆腐料理でした。麻婆豆腐とは違う味わいの辛い料理ですが、なかなかいい料理でした。豆腐の味がしっかりと味わうことが出来ました。どちらの料理もビールに合う美味しい料理でした。
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湖南省の邵陽では食事で白湯(さゆ)を飲む習慣がありました。左の器が湯呑で、真中が白湯が入った急須です。今まで、中国では、どこに行ってもレストランに入ると、お茶が出されるのですが、ここではお茶ではなく白湯が出されました。このレストランだけでなく2日目、3日目に入った別のレストランでも白湯が出されたのでした。これは初めての経験でした。
今回のレストラン甘露源私房菜の動画がネットにありました。→ポチッ
動画が出るまで時間がかかります。この動画を見ていただくと大きなレストランであることが判ってもらえると思います。


レストランの写真を撮っていなかったのでネットから拝借いたしました。見ての通り大きなレストランで我々が泊まった4星ホテルより大きな建物でした。3日目に食べた蛇料理に近い料理の写真もサイト載っていました。2日目に食べた干し肉団子を使った料理に近い写真も掲載されていました。やはり湖南料理は蛇料理が特色のようです。


              口味蛇                      猪血丸子蒸腊肉
2日目に行ったレストラン宝庆传说(宝慶伝説)のメニューには毒蛇の五歩蛇がありました。日本および台湾では百歩蛇(ヒャッポダ)と呼ばれており中国南部、台湾、ベトナム北部に生息しています。噛まれると百歩(あるいは五歩)、歩くうちに毒が回って死んでしまうという 意味だそうで、ヒャッポダは正式名です。毒自体の強さは高くなく、死亡例はほとんどないそうですが、毒の量が多いので危険であることには変わりはありません。五歩蛇は500g(斤)あたり568元(10860円)と、高価でした。そのほか草魚蛇(328元)と 眼晴蛇(298元)がありました。百歩蛇(ヒャッポダ)の分類を記載いたします。マムシ亜科には21属があり、約230種があるそうです。
クリックするとオリジナルを表示   綱 : 爬虫綱     Reptilia
   目 : 有鱗目     Squamata
 亜目 : ヘビ亜目    Serpentes
 上科 : ナミヘビ上科 Colubroidea
   科 : クサリヘビ科 Viperidae
 亜科 : マムシ亜科  Crotalinae
   属 : ヒャッポダ属 Deinagkistrodon
   種 : ヒャッポダ   Deinagkistrodon acutus
 和名 : ヒャッポダ(百歩蛇)
 中名 : 百歩蛇 or 五歩蛇
 学名 : Deinagkistrodon acutus (Günther, 1888)
 英名 : Hundred-pace snake

湖南省の邵陽(邵阳)に着いた1日目に行った今回の甘露源私房菜というお店の場所を紹介します。マークの位置です。
郊外の泊まったホテル・阳光大酒店(陽光大酒店)を中心に沢山の湖南料理店があることが判ってもらえると思います。マークを付けているのは百度地図に名前が載っているレストランです。実際には10軒以上のお店がありました。クリックするとGoogle航空写真を表示します。
  2015年4月13日 夕食 2名 甘露源私房菜
  2015年4月14日 夕食 4名 宝庆传说(宝慶伝説)
  2015年4月15日 夕食 4名 又一家土菜村
  他の料理店 紅河干鍋老鴨 蜜有味土菜館 大锅灶柴火渔馆 酔香楼
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安徽省の蕪湖から湖南省の邵陽までの12時間10分の旅のルートです。
クリックするとオリジナル地図

ガイドさん紹介の美味しい汁ビーフンのお店 [山西省]

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朝6時に太原の町のホテルを出たので、ホテルで朝食が食べれませんでした。
そのため、平遥古城に入場してから朝食をとることにしました。時間は8時23分です。お米の麺と通訳されたので、たぶんビーフンです。煮玉子も入って見かけによらず、ピリ辛で美味しかったです。また食べたくなる味でした。クリックすると拡大します。

この鍋で作りました。濃い目のスープが入っています。上の写真の麺のスープです。一人分づつ作っていました。作ってあったスープが少なかったので全員分は出来なかったので後の人は肉まんだけで我慢してもらいました。


小龍包ではなくて肉まんです。写真を撮る前に一つ食べられてしまいました。世界遺産の中で食事をしたことになります。


肉まんは、お店の前の蒸し器で作っていました。
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朝食を食べたお店です。立派な観光用のお店もありますがガイドさん(美人のガイドさんは後で紹介いたします。)のお薦めでこのお店に入りました。ガイドさんお薦めの若い夫婦がやっている美味しいお店でした。仲が良さそうですね。お店の上に書かれている小吃は軽食の意味のようです。店名らしきものは見当たりません。冒頭の料理は右の扉に書かれている麻辣湯(まーらーたん)かもしれません。 日本では麻辣湯に使う麺は春雨が多いけれども、調べてみると麺には春雨、フォー、ビーフン、ラーメンが使われると書かれていたので、今回の汁ビーフンは、ビーフンを使った麻辣湯の可能性が高いと思います。
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上の写真を是非ともクリックしてみてください。ここにも生活があることを実感してもらえると思います。
お店の場所を航空写真で紹介します。北門の近くです。マイナスのアイコンをクリックし続けると広範囲を表示するので、今回の場所が判ってくると思います。
  汁ビーフンを食べたお店
  平遥古城の中心にある「市楼」
  平遥古城の北門


お店の前から城壁の北門(栱极门)を撮りました。
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こちらの写真はお店の前から平遥古城の中心方向(北門と反対方向)を撮ったものです。道路の整備工事をしていました。今は見違えるようにきれいになっていると思います。世界遺産に登録されたのは18年前の1997年ですが、最近になって観光客も増えてきて観光に力を入れ始めのではないでしょうか。
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山西商人の大豪邸 喬家大院 [山西省]

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喬の家の大邸宅なので中国語で「喬家大院」と呼ばれています。地図を見ていると、喬家大院(乔家大院)以外に王家大院や渠家大院や常家大院などの大院が平遥古城から60km以内に点在していました。
中国では山西省といえば山西商人が最初に思い浮かぶくらい中国経済の中心だったのです。古くはアヘンや長城建設資材調達で富を独占し、19世紀には銀行業で全国の為替業務を独占しました。それだけに大富豪が沢山いたと言われています。
中国の住宅は中庭を中心に四方向に家を建てるのが伝統的な様式でこれを四合院と言います。喬家大院は6っの大四合院と20の四合院の組みあわせて豪邸が成り立っており部屋の数は313にもなるそうです。清時代の様式がそのままに保存されているのが魅力だと思います。上の写真は豪邸の中央の通路です。入口側を撮っています。
右側にパネルが貼られているのが判りますか? これは中国で大ヒットした「喬家大院」というテレビ番組の場面を掲載しているのだと思います。ここで撮影が行われました。中国が社会主義国家となったことで、1950年代に消滅してしまったそうです。現在はその大邸宅が公開されて大観光地となっていました。
この時は行きませんでしたが王家大院はさらに大きくて、敷地は3万4650㎡で部屋数は834だそうです。幸いにも後日に行く機会がありました。→ポチッ

喬家大院の中の比較的小さな四合院の一つです。中庭を中心に四方向に建物が配置されているのがわかると思います。このような四合院が20っあります。
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これも四合院の一つです。入口のデザインがこっています。それぞれの四合院のデザインが違いました。
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これは6っある大四合院の一つです。
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書を売っているのでしょうか。?
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ここを訪れる外国人は日本人よりも欧米人が圧倒的に多いみたいです。欧米人は建物に対する興味が高いのとアジア文化に惹かれる度合いが強いのかもしれません。
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でも中国人の観光客が一番多かったです。有名な書をバックに記念撮影をしているところです。中国の人の間で、観光がすごい勢いで増えている気がします。
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屋根の形が特徴的です。
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こんな彫り物もありました。
中国語のパンフレットには一般公開している古い建物は博物館との言い方が必ずされています。平遥古城の中の建物や晋祠や王家大院などほとんど例外なく使われています。
日本ではこれらは博物館とは呼ぶことはなく文化財と呼びます。日本での博物館はいろんなものを展示した建物の意味に使います。中国でも展示物を置いた建物を博物館と呼びますが、展示がなくても昔の古い建物(文化財)をあるがままに見てもらっていることに使われています。このことから博物館は日本より広い意味で使われているような気がします。
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『喬家大院』、韓国のドラマ・アワーズで最優秀賞
陳建斌(チェン・ジェンビン)、蒋勤勤(ジアン・チンチン)が出演する中国製ドラマ『喬家大院(韓国名:巨商チアオツユング)』はこのほど、2006ソウルドラマアワーズ(Seoul Drama Awards)で、長編部門の最優秀賞を受賞した。
『巨商チアオツユング』の放送により、韓国視聴者は、中国の清朝(1636~1912年)末期の北部地域における風土や人情、巨商であるチアオツユングさんの起伏に富んだ人生や愛情に引き付けられている。韓国のあるメディア関係者は、「中国に行ったことがある韓国人はいずれも、中国の経済発展の日進月歩に感慨を覚えている。『巨商チアオツユング』により、中国経済の急成長が一夜のことではないと韓国の視聴者が感じてきた。チアオツユングが生活していた清朝において、中国は既に現代的商業・金融業の原形を形成しており、商業的意識が人々の思想に深く入り込んでいる」と述べた。
喬家大院の航空写真です。小さな長方形の中庭と周囲の建物が一つの四合院です。沢山の四合院が組み合わさって喬家大院が構成されていることが判ってもらえると思います。

平遥古城 巨大城壁に守られた民家 [山西省]

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クリックすると地上からの景色を表示この写真は城壁の上から平遥古城(へいよう・こじょう)の内側の町を撮ったものです。
すごい広さです。北門から南東方向を撮っています。屋根の形は2種類ですが屋根の瓦以外はすべてレンガで造られているのです。右の写真の城壁で町が囲われているのです。

平遥古城の航空写真を紹介します。広さが実感していただけると思います。城壁の一辺は1.5Kmだそうです。一周すると正確には6.1577Kmになります。
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こちらは北門からに南西方向を撮っています。道路は補修中でした。平遥は清代末期までは山西商人の拠点であり、中国の金融中心地でした。
中国では長い歴史の中で戦火にあったり、改築されて昔の都市がそのまま残っていることは少ないのですが、この平遥古城には14世紀の明代始めに造営された町がそのまま残っているそうです。明代から清代にかけての中国の典型的な城郭(城牆)、街路の配置、商店や住居などの古建築の保存状態はよく、中国でも最も整っているもののひとつだそうです。明清時代の民家邸宅が4,000軒近く残り保存状態も良いそうなので、ここでは、民家を中心に紹介いたします。
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平遥古城には伝統的な民家、四合院式住宅が3700軒あるそうです。これらの風景も世界遺産なのです。


民家の入口から中を見ました。すべてレンガで出来ていました。


住居部分です。壁も家もレンガでした。


このマークは確か道教の大極図ですね。


ここも雰囲気があります。


これは裕福と思われる家の人の庭から門の外を撮ったものです。


人通りは少ないけれど立派な建物です。


民家の門から中を覗くとほとんどの家で正面に「福」の文字が書かれています。紙を貼ったものから、この家のように彫り物になったものといろいろでした。


これも門から中を撮ったものです。左の端に福の字があります。何軒か配置されています。これも伝統的な様式だそうです。


ほとんどがレンガ造りですが土塀もありました。


観光場所とは違い趣があります。奥の門が印象的です。明代から清代の生活が今も続いている雰囲気でした。クリックすると太原の町と平遥古城の場所を表示します。


山西省の記事を書いた場所を紹介します。クリックすると太原の町と平遥古城などの場所を表示します。

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