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五大道 [天津]

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中国の天津の海鮮料理を紹介したので、ここでは天津の観光名所の一つを紹介したいと思います。天津には洋館が沢山集まった場所があります。
和平区の通称「五大道」と呼ばれる場所です。上の写真は五大道の最も南側を東西に通っている馬場道沿いの1800年代の住宅が沢山集まった場所で、実は天津の観光スポットです。
さっそく五大道をネットで調べてみました。
天津は建物を見て歩くのが面白い街。中国の伝統的な建物から、石造りの老舗ホテル、荘厳な教会、庭園のある洋館(小洋楼)も多く見られます。そんな洋館が多く建てられるきっかけとなったのが1858年の天津条約、1860年の北京条約でした。以降、イギリス、フランス、ロシア、日本などがそれぞれの国の建築様式を取り入れた租界地を作り上げたのです。日中戦争が始まった1937年頃から租界は長い歴史に終わりを迎え1946年の終戦と同時に租界自体は完全に消えましたが、建物や街並みは残りました。

ネットでの五大道 を見ると沢山の洋館が紹介されていますが、私が驚かされたのは上の写真のような立派な住宅が沢山並んでいたことでした。五大道はイギリスの人たちの居住区であったようです。外国人の居住区は中国の軍隊や警察の入れない治外法権と聞きました。もちろん住居以外の建物も沢山ありました。


五大道は南東から馬場道・睦南道・大理道・常徳道・重慶道・成都道の6本の大道と、南西から西康路・昆明路・雲南路・桂林路・河北路・新華路の6本の路で囲まれた地域のことです。6本の大道なのに五大道と呼ばれる由来は判りませんが、6本の道で区切られた5つの区画だからかもしれません。先ずは馬場道の写真を連続で紹介いたします。馬場道と書かれた看板の向こうには教会が建っています。


これは旧「天津工商学院」の主楼です。今も天津外国語学院として使われています。校内には、天津自然博物館の前身である北疆博物院も建てられています。朝の7時40分ころだったので体操をしている人も見受けました。


このときは夏休みが終わりに近づき地方から帰ってきた学生の人が沢山戻ってきているところでした。大きな荷物をみんな持っていました。


このような大きな個人の住宅が沢山立ち並んでいるのが、他の洋館が並んだ場所とは天津が違うところなのです。


こんな小さな建物も重要な文化財です。小さいけれど一戸建ちの住宅で外国の家族が住んでいたのだと思います。


集合住宅もありました。今は中国の人が住んでいましたが、昔は外国人が住んでいました。大きな住宅に住んでいた人ばかりではなく、いろんな外国人が住んでいたことをうかがわせます。馬場道と睦南道の間にあります。大道と直角に小さな路地があります。それを入っていくと出会える風景です。大通りだけでなくこんなところもあるので、訪問する機会があれば是非探してみてください。団体で入ると嫌がられる可能性がある上、外国人は不審に思われるかもしれないので、写真を撮るためには中国人の人と一緒に少人数で入っていくことをお薦めします。


こちらは別の通り睦南道です。この通りの4枚の写真を紹介いたします。
中国には外国人の建物が沢山残った場所があります。特に有名なのは上海の外難のような場所ですが、天津は、どちらかというと豪華な住宅が残っていて、今でも閑静な住宅街と言う感じです。古い住宅街にもかかわらず道の広さに驚かされました。
五大道を直訳すると「五つの大きな通り」ですが道の中には街の意味合いも含まれていると案内してくれた中国の人が教えてくれました。胡同(フートン)は路地のことですが「路地のある街」と言う感じに似ています。すなわち「五つの大きな通りのある街」と言う意味合いもあるようです。
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馬場道の住宅地は高い壁はないオープンな高級住宅街でしたがこちらは煉瓦の高い塀に囲まれた大きな建物が沢山ある高級住宅地でした。実は、ここは革命などで政府に追われた中国の高官たちが隠れ住んだ場所でもあるのだと、案内してくれた人に教えてもらいました。


緑に囲まれた静かな場所でした。


路地を奥に入った景色です。


天津の華やかな建築群は、英仏連合軍の侵攻の結果、1860年に結ばれた北京条約がきっかけになっているそうです。やがて天津は、当時の中国で最も富とセレブリティとが集まる街となり、資力に任せた華麗な建物が次々に建てられたそうです。


こちらも睦南道です。昔の建物はレストランに使われているところが多かったです。こちらもそうです。この建物は天津の海鮮料理で一番高級なお店に変身していました。粤唯鮮レストランです。


この地区では、このような看板が見る限り全ての建物に取り付けられていました。これは269番目の看板でしょうね。すごい数です。


有名な人が住んでいたところには、さらに大理石の看板が取り付けられています。この建物もレストランとして使われていました。ここは李勉之(1898~1976年)の住居です。「李勉之」が人の名前です。
  住所 天津市和平区睦南道74号
  敷地 1000㎡
  建物 984㎡
  完成 1937年
  設計 Rolf Geyling(オーストリア)


こちらは卞万年の住居でした。室内の写真はネットから転用させていただきました。この辺りに住んでいたのは外国人や著名人です。建物が完成した1937年は日中戦争の初期のころで、日本が太平洋戦争に突き進んでしまう起点の年でもあります。
  住所 天津市和平区云南路57号(天津市和平区雲南路57号)
  敷地 1200㎡
  建物 889㎡
  完成 1937年

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タグ:天津 租界 洋館