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開封で最も有名な寺院 大相国寺 [河南省]

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大相国寺は大きなお寺です。敷地も広く僧侶の数も多く見かけます。北斉の西暦555年に建国寺として創建されたそうです。後に寺院は戦火で壊され、唐の西暦711年に再建されました。クリックすると拡大そして唐の睿宗が西暦712年に相王から皇帝になったことを記念して大相国寺という名前をつけたそうです。右の写真の扁額の文字から想像するに、上の建物は蔵経楼(藏經樓)のようです。

北宋時代は相国寺は皇族に深く尊崇され、何度も拡張され敷地面積は33ヘクタールとなり、64の禅院・律院、そして千人以上の僧侶がいたそうです。現在は、それほど大きくありませんが天王殿、蔵経楼、大雄宝殿、山門殿、牌坊、八角瑠璃殿(羅漢殿)などが、残されており、八角瑠璃殿の中には、高さ7mの大木で彫刻された千手千眼観音像があり、古代木彫り芸術の傑作と言われています。1992年以後、仏教活動が復活し、鐘楼・鼓楼などが再建され、この鐘楼のなかには清時代に作られた大鐘が今でも保存されています。こちらが天王殿です。33ヘクタールは0.33k㎡、つまり330m x 1000mの広さです。
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ここが入口です。門の扁額には「大相國寺」書かれています。大相国寺は、黄河の氾濫15回、兵火にかかること11回、大火6回など、大きな災害のたびに開封城と盛衰を共にしたそうです。
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こちらが入場券です。
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京都の相国寺と友好関係にありました。石碑の除幕式は1994年9月27日に行われたと、ネットで書かれていました。石碑には「佛暦二千五百三十七年佛吉祥日」と書かれていました。釈迦が入滅した翌年が元年となる佛暦2537年から543年を引くと西暦1994年になります。釈迦が入滅した年を元年とするミャンマーやスリランカでは、佛暦から544年を引くと西暦になります。
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広い敷地には沢山の建物がありまいた。この建物と同じ形の建物が左側にもありました。鐘楼と鼓楼と思われます。こちらは、清時代に作られた大鐘が保存されている鐘楼です。
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この屋根を見ると大きなお寺だと感じてしまいます。
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敷地の大きさも感じます。
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僧侶の人です。まだ若い人が多いです。
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