龍角寺 [風習・歴史]
以前の9月5日に1300年前に開かれた龍角寺に行きましたが、後でネットで見ると見損ねたところがありました。先週は車で行きましたが、家からは往復60km程度で比較的気楽に自転車で行ける距離なので9月13日は自転車で行ってみました。前回の冒頭の写真につかわさせていただいた入口の階段です。今回、掲載した写真はクリックすると全て拡大します。気になる写真があればクリックしてみてください。
手前の建物が土蔵で出来た薬師如の収蔵庫です。向こう側の拝殿とつながっており間の扉を開けると拝殿側から薬師如を見ることが出来ます。この日は、7時半と朝早かったので、まだ扉が開いていませんでした。
これが、前回の時に見なかった1933年(昭和8年)4月13日に国が指定した塔の史跡です。龍角寺境内の塔址 - 建立当初は33メートル程の三重の塔が建っていたと推考されています。現存する花崗岩は、塔の中心を通る柱の基礎です。またこの中心礎は"不増・不滅の石"といわれ、柱が収まる穴に溜まった水は、大雨でも日照りでも増減しなかったと言い伝えられています。
寺の一番奥に当たる校倉作り資料庫の裏には趣きのある石碑が沢山ありました。『佐倉風土記』等の伝えるところによれば、和銅2年(709年)竜女が現れ、金の薬師如来像を祀ったのが創建とされ、天平2年(730年)釈命が寺として整備し「龍閣寺」と号したそうです。伝承によれば、翌天平3年(731年)この地域が干ばつに見舞われたとき、釈命が祈祷したところ、印旛沼の龍が天に昇って雨を降らせたが、その龍の体は3つに分かれて地上に落ちてしまい、その3つに分かれて死んでしまった龍の頭の部分をこの寺に祀り「龍角寺」と改称したといわれています。伝承では龍の腹が落ちた地の寺が龍腹寺(千葉県本埜村)、尾が落ちた地の寺は龍尾寺(千葉県匝瑳市大寺)という名前になったといわれています。
少し趣の違う石碑もありました。当地には古代から仏教寺院が存在したことは間違いないそうです。発掘調査によって、金堂が西、塔が東に建つ「法起寺式伽藍配置」の遺構が検出され、出土する瓦の様式編年から、この地には7世紀後半には伽藍が存在したことが明らかとなっているそうです。これは上記『佐倉風土記』の伝える草創伝承よりもさらに古い年代でだそうです。
現存する114基の古墳で構成された龍角寺古墳群のリストを作ってみました。栄町教育委員会ホームページのデーターを元にしています。全長の数値は円墳の場合は直径で、方形の方墳は1辺の長さです。右の写真は101号の円墳です。この古墳だけ発掘調査に基づき、古墳がつくられた当時の様子を復元しています。
龍角寺( )の場所を紹介いたします。
2009年9月6日掲載 タイトル:2009年は龍角寺開基1300年
千葉に前方後円墳、円墳および方墳が判っているだけで114基もある全国最大規模の龍角寺古墳群があることはあまり知られていないと思います。そのすぐそばに龍角寺がありますが、その龍角寺も知られていないと思います。新聞に紹介されていた御蕎麦屋さんに2009年9月5日に昼食を食べに行っき、帰りに、久しぶりだったので龍角寺古墳群に行って見ました。そして、そこから龍角寺まで700mと書かれていたので散歩がてらに龍角寺まで歩いてみました。行くまでは龍角寺がどんなお寺かも知りませんでした。来てみて知ったのが、寺と言っても金堂や門はありませんが建物の跡が当初のかたちに残っている歴史的に価値のある史跡のようなお寺でした。この階段が寺への入口です。関東で最も古い寺の一つであることも知りました。
階段を上がると地面に石の基礎らしいものがありました。これは仁王門跡です。奥の小さな建物が拝殿でその奥の収蔵庫に薬師如来坐像が安置されています。実は薬師如来坐像の頭部は1300年前のもので、歴史的に価値があると知りました。拝殿の前に立っていると住職さんらしい方から声を掛けられて拝殿の中に入ることが許されて薬師如来坐像を拝観させてもらいました。
これが薬師如来坐像です。大きさは人間とほぼ同じ大きさでした。実際に拝殿の中に入れていただき拝観させていただきました。龍角寺開基1300年記念事業として特別拝観が行われており、偶然ですが、訪れた日(2009年9月5日)がその初日だったのです。あの高野山が2015年に開創1200年を迎えることから、それより長い1300年は歴史を感じさせてくれます。
薬師如来坐像は写真撮影禁止なので拝殿の横の説明書きの写真を撮らせていただきました。薬師如来坐像は709年ごろの作と言われています。ただし火災にあい胴体は溶けてしまいましたが頭部だけが残り元禄正徳ごろに全体が修復されたそうです。すなわち胴体と頭は年代が違うそうです。と説明をしてもらいました。
薬師如来坐像は国重要文化財で千葉県内最古の白鳳仏でもあることも知りました。
建物の手前の広場が金堂跡です。建物は校倉作り資料庫です。高さ33mの塔もあったようで、その跡も史跡ととして残されています。塔跡のことは後で知りました。
所在地 千葉県印旛郡栄町龍角寺239
山号 天竺山
宗派 天台宗
本尊 薬師如来
創建年 伝・和銅2年(709年)
中興年 承久2年(1220年)
中興 上総介平常秀
正式名 天竺山 寂光院 龍角寺
文化財 銅造薬師如来坐像(国重要文化財)
龍角寺境内の塔址(国史跡)
龍角寺出土遺物(県文化財)
校倉作り資料庫は茅葺ですが上をトタンで保護しています。 校倉作り資料庫は明治初期建造の物で、当初、宮内庁下総御料牧場にあった物ですが、空港建設に伴い境内に移築されたそうです。
拝殿と金堂跡の間には左右に石塔が並んでいました。こちらが右側で
こちらが左側です。龍角寺が開かれたのが709年とのことなので今年(2009年)が丁度1300年目になり、の丁度1300年目に訪れたのも偶然でした。
奥の二荒神社の近くにあった石碑です。これの年代は江戸時代のようです。薬師如来坐像の特別拝観は9月5日、9月6日、10月3日、10月4日、10月11日、10月18日、10月25日、11月3日、11月8日、11月15日と限られた日です。
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航空写真で龍角寺を紹介します。