SSブログ

開封の歴史 包公祠 [河南省]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

名裁判官「包公」を祭ったお寺です。この中に包公の銅像があります。皇帝の息子を死刑にしたことがもっとも有名な伝説です。よほどの信頼と権限がないと出来ない言うことだと思います。右の写真は入口で撮った記念写真です。
皇帝の息子の罪は現代風に言えば不倫だそうです。 不倫で死刑? 昔は厳しかったんですね。

日本のお寺の雰囲気もあります。包公は1000年前の人です。右側の建物が上の写真の建物で本殿になります。
クリックすると拡大

本殿の中には大きな銅像がありました。クリックすると拡大
室内は暗くフラッシュも控えたので、元々は右のような写真でしたがPCで露出調整しました。写真をクリックすると空に明るくした拡大写真を表示します。
高さは3m、重さ2.5トンの包公の銅像です。包公は開封に首都があった北宋時代の人で、中華圏では子供から老人まで、あらゆる世代に知られた人物です。若い頃は故郷の合肥で学問に励んで、1027年、29歳で科挙試験の進士に合格し、多くの官職/文官を務めた人物です。生前から庶民に人気がありましたが、没後に名声はさらに高まり、特に南宋、元以来、包公故事(伝説)は広く語り伝えられたそうです。その結果、庶民に崇拝される典型的な人物像が作り上げられ、後世の人々に伝えられていったそうです。包公は清官(清廉潔白な官吏)の代表とされたそうです。
クリックすると拡大右の絵の左側には「天性峭嚴断事電掃 關節不到闔羅包老」と書かれています。「闔」に関しては類似の文字を当てています。
  名前 包拯  包公あるいは包青天と呼ばれた。
  生涯 999年(咸平2年 生)~1062年(嘉祐7年 没)
  出身 廬州合肥  現在の安徽省合肥
クリックすると拡大

銅像の設置された部屋です。


こんな石碑もありました。


こちらの建物も趣がありました。
クリックすると拡大

真中に石碑があります。
クリックすると拡大

でも朱色は中国の雰囲気ですね。
クリックすると拡大

こちらが入口の門です。
クリックすると拡大

お寺の前の通りです。普通の道です。ほとんどがこんな雰囲気なんです。復元された町並みは沢山ありましたが、昔の古い街並みは少ししか残っていないそうです。京都はもっと昔の街並みが多いですね。


こちらが入場券です。開封の報告は終了しました。開封関係の記事をまとめてみました。タイトルをクリックすると記事を表示します。
クリックすると拡大 開封の生活道路
 開封は鳥を飼う人が多い町でした。
 開封の道教のお寺 延慶観
 開封の歴史 包公祠
 開封で最も有名な寺院 大相国寺
 古都「開封」の行列の出来る肉まん屋さん
 古都「開封」の行列の出来る甘栗屋さん
 古都「開封」の街並み
 平原の太陽
 「東京」と呼ばれた北宋の古都「開封」
クリックすると拡大

河南省には、中国八大古都のうち、4つの古都があります。殷の都の安陽と、東周から長く都が置かれた洛陽と、宋の都であった開封と、殷の都邑であった鄭州です。
ちなみに中国八大古都とは西安、洛陽(洛阳)、南京、北京、開封(开封)、杭州、安陽(安阳)、鄭州(郑州)です。開封は宋の時代には東京と呼ばれていました。西京に相当する西安は漢代(BC200年)に長安と命名され唐代の7世紀には世界最大の都市に成長しました。西都、西京、大興、中京、京兆、奉元と呼ばれた時期もありました。明の時代から西安と呼ばれるようになりました。
  四大古都 : 西安、洛阳、南京、北京
  六大古都 : 西安、洛阳、南京、北京、开封、杭州
  七大古都 : 西安、洛阳、南京、北京、开封、杭州、安阳
  八大古都 : 西安、洛阳、南京、北京、开封、杭州、安阳郑州
左の地図の赤色に塗られた部分が河南省で、右の河南省の地図で橙色に塗られたところが開封市です。河南省の人口は9869万人で中国で一番人口の多い省で、人口密度は591人/km²の省です。開封市の人口は527 万人で、日本の戸田市と伊賀市と伊勢市と下諏訪市の4つの市が姉妹都市となっています。
クリックすると拡大
タグ:開封

古都「開封」の行列の出来る肉まん屋さん [河南省]


上海には行列の出来る1個9円の肉まん屋さんがあります。開封の書店街にも行列の出来る肉まん屋さんがありました。値段は一個6円でした。さっそく買って食べました。 

お店を正面の写真も掲載します。看板には「大梁包子館」と書かれていました。読み方は判りません。


お店の中では派手な帽子をかぶったおばさんが仕切っていました。 
町の中を散策した後なので、格別においしく感じました。
ネットで検索してみると住所は「開封市南書店街76號(开封市南书店街76号)」と書かれていました。

タグ:開封 肉まん