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養老渓谷 中瀬遊歩道 [養老渓谷]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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上の写真は養老渓谷の中瀬遊歩道の中で最も有名な場所です。2015年11月28日の朝の散歩で中瀬遊歩道を歩いたので養老渓谷の中瀬遊歩道を紹介したいとクリックすると拡大思います。
ここに来るきっかけは、養老温泉の宿泊が入ったゴルフパックで前日の11月27日に千葉夷隅ゴルフクラブで11名でプレーして、養老温泉の嵯峨和に泊まりました。7時30分からの皆での朝食の前に中瀬遊歩道を歩きました。

中瀬遊歩道のルートをGoogle地図にプロットしました。
遊歩道は川に並べられた飛び石(渡石)で養老川を3回ほど渡るので、往復で6回ほど渡ることになります。
朝6時44分に右の写真の嵯峨和を出発して中瀬遊歩道を往復して戻ってきたのが7時29分で、みんなで食べる7時30分からの朝食に間に合いました。泊まった旅館の嵯峨和は黒い色をした黒湯の温泉と、しし鍋が有名でした。
クリックすると拡大  ━━ 1.2km 中瀬遊歩道
  ━━ 0.2km 嵯峨和~中瀬遊歩道
  ━━ 7.0km 嵯峨和~ゴルフ場
  ━━ 川を渡る飛び石 3ケ所
   養老温泉 嵯峨和 (さがわ)
   弘文洞 (こうぶんどう)


それでは順番に紹介したいと思います。出発地点の中瀬遊歩道入口です。
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小道を進んでいくと養老川に出ます。
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養老川に出たところからの下流方向の景色です。出世観音で有名な立國寺に行く赤い観音橋が見えます。
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同じ場所から上流側を撮った写真です。ここから上流に向かって歩きます。
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飛び石(渡石)で川を渡ります。
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飛び石(渡石)から上流側を見た景色です。水面には靄がかかっており静かな雰囲気が伝わってきました。
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飛び石で川を渡って振り返った景観です。
朝早かったので中瀬遊歩道であった人はここに写っている4人+1匹だけでした。私は往復歩いたので手前の2人には2度出会いました。


この日は一番の冷え込みのため外気より水の方が温度が高いようで、空気の流れが少ないところは湯気で水面が覆われていました。
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川沿を少し進むと中瀬キャンプ場があり、バーベキューを楽しむ施設がありました。煙が上がっており、すでに火を熾して食事の準備をしているようでした。
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少し高い位置を歩きました。
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紅葉も進んでいました。もう少ししたらさらにきれいな紅葉を見せてくれる雰囲気でした。養老渓谷は日本一遅い紅葉が楽しめる場所と言われています。
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川底は固い岩盤で出来ていて、岩盤の形により所々で川面が波立っていました。
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川を渡る2番目の飛び石の場所につきました。川は大きく曲がっており独特の雰囲気を出してくれていました。
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飛び石の上から上流側を撮りました。千葉県はほとんどが平坦地のため渓谷がある景色は珍しい場所なのです。そんな意味で養老渓谷は基地ような存在です。
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同じ場所から動画も撮りました。是非ともプレーボタン( )をクリックしてみてください。渓流の水の音を聞いてもらえると思います。


飛び石を渡り切った位置から下流側を取りました。
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岩盤の脇の小道を進みます。
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これが養老渓谷の特徴的な岩盤の川底です。このような川底が続いていました。今回の写真は明るく撮れているように見えますが、実際には早朝なのでかなり暗いのです。飛んでいる白い鳥が2羽写っているのですがシャッタースピードが長いためにボケたように映っています。明るい時間帯だとどの写真も鮮明で鮮やかだったと思います。
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養老渓谷を代表する景勝地である弘文洞(あるいは弘文洞跡)に到着いたしました。養老川は右から左に流れています。その養老川に対して奥から水が流れ込んでくる景観なのです。昔からの景観のように思えますが、大昔の正面は岩の絶壁で塞がれていたのです。
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遊歩道に弘文洞の説明板(案内板)が立てられていました。
弘文洞は江戸時代に蛇行する養老川と、岩山を隔てて流れる夕木川(別名:蕪来川)とを、耕地開拓目的でつなぐ為に、岩山に、川の隊道(トンネル)を作ったものです。隧道が造られた頃は、人の背丈程度でしたが、天井部分が崩落し次第に大きな洞となったそうです。その隊道は1979年5月24日突如上部が崩落し、現在の景観になったわけでが、崩落しても独特の景観があり養老渓谷を代表する景勝地となっているわけです。崩落したことから弘文洞は弘文洞跡と呼ばれるようになったわけです。現在の景観からも大規模な工事であったことが想像できます。弘文洞が造られた正確な年代が気になりますが、ネットで検索しても造られた時期としは、約140年前と江戸時代と、稀に江戸時代末期の、3種類の記述があるだけです。さらに2015年においては江戸時代(412年前~147年前)と、約140年前は矛盾することになっています。
クリックすると拡大下記の説明版がネット上で出てくる最も古い記事が右の写真の2004年11月です。それでも数年が経過したように見えることから現在の説明板は立てられてから15年程度が経過した考えられます。約15年前に立てられた説明坂に「おゝよそ140年前」に弘文洞が造られたと記載されていることから、弘文洞は今から約155年前に造られたことになります。江戸時代は1868年までなので少なくとも147年前以上ということになるので、控えめに言うとして約150年前(1865年前後)あるいは江戸末期に造られたと表現するのが妥当そうです。
右の写真はネットから転用させていただいた崩落前の写真です。夕木川は隧道でつながる前も養老川の支流でした。39代弘文天皇である弘文帝と十市姫にゆかりの深い高塚や筒森神社の傍を流れ本流にそそぐ合流点にあることから「弘文洞」と命名されたと伝えられています。江戸期には蛇行している河川の上流と下流が近接する所にトンネルや切り通しを作って、つなぎぐことはよく行われて、「川廻し」と呼ばれていました。「川廻し」によって干上がった河床を農地に利用するのが目的だったそうです。
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文字がかすれてきているので、説明坂の記載内容を枠内に転記いたします。
弘文洞跡
今から、おゝよそ一四〇年前、耕地を開拓するため、養老川の支流 蕪来川を川まわしして造った隧道で葛藤の穴洞と呼ばれておりました。
弘文帝と、十市姫にゆかりの深い高塚や筒森神社の傍を流れ本流にそそぐ合流点にあることから「弘文洞」と命名され、景勝地、釣り場の代表として、世に紹介されましたが、昭和五十四年(一九七九)五月二十四日未明、一大音響とともに崩壊し現在にいたっております。
養老渓谷観光協会
蕪来川 : かぶらきかわ  葛藤 : くずふじ

遊歩道は少し高いところを通っているので川面まで下りて写真を撮りました。こちらが冒頭の写真だったわけです。
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同じ場所から養老川の上流側を撮りました。
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同じく、下流側を撮りました。
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夕木川(別名:蕪来川)の方をズームいたしました。
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泊まって旅館・嵯峨和に弘文洞の崩落前の写真が2枚飾られていたので写真を撮らせていただきました。クリックすると拡大写真を表示します。
 左の写真は養老川の方から撮った弘文洞です。
 右の写真は夕木川(別名:蕪来川)の方から撮った弘文洞と思われます。
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弘文洞のあたりの航空写真も紹介いたします。左下方向が夕木川です。


さらに遊歩道が上流側に続きます。
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弘文洞跡を離れて中瀬遊歩道を進むと3番目の、川を渡る飛び石に着きました。
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飛び石を渡って川の右岸を進みます。静かなきれいな景観が続きました。写真は撮れませんでしたが、カワセミも見かけました。
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遊歩道終点となる赤い共栄橋が見えてきました。
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ここが中瀬遊歩道終着地点です。橋の右側に1970年に造られた趣のある共栄トンネルがあります。
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その趣のあるトンネルの名前は共栄トンネルですが、このトンネルがちょっと変わったトンネルであることを、家に帰ってからネットで知りました。下の写真のように、外からは普通のトンネルに見えたのですが、中から見ると右の写真のように2階建てになっているのです。出入口以外のトンネルは岩盤のままであることから、このあたりの山は岩盤で出来ていることが右の写真からも分かると思います。
下側部分(新隧道)は、後から作ったものと思われます。行く機会があったときは是非とも見てみてください。内部からの写真は大多喜町のホームページから転用させてもらいました。元々は92mの向山トンネルでしたが西口の位置を低くしてカーブさせながら延長したことから、現在の形になったようです。現在でもトンネルの東側の大半には向山トンネルと名前がつけられています。
詳しい構造と説明がネットにありました。→ポチッ
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共栄橋の上からの上流側の養老川です。建物は温泉旅館「川の家」です。我々が泊まった旅館と同様に「黒湯」を特徴とした泉質の温泉です。
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クリックすると拡大共栄橋の上からの下流側の景色です。川の左側の川沿いの道が、歩いてきた中瀬遊歩道です。この時、7時11分でした。ここから中瀬遊歩道の同じ道を戻って旅館に着いたのが7時29分でした。なんとか7時30分からの皆との朝食に間に合うことが出来ました。
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養老渓谷周辺ではいくつかの景勝地があり、ハイキングコースとしては下記の①~③が代表的です。紅葉が特に楽しめるところとしては、滝めぐりコース沿いと、大福山・梅ケ瀬コースのもみじ谷と、筒森もみじ谷があります。そしてほとんどの景勝地が川沿いにあることが分かってもらえると思います。
 ・養老八景
   A 金神の滝  B 粟又の滝  C 水月寺  D 筒森もみじ谷  E 懸崖境
   F 弘文洞跡  G 観音橋・出世観音  H 梅ケ瀬渓谷
 ・ハイキングコース→ポチッ
  ①中瀬遊歩道を含む養老渓谷一周コース  F   G
  ②滝めぐりコース            A   B   C
  ③大福山・梅ケ瀬コース         H
  青色ライン ━━ 養老渓谷周辺の養老川の本流
  緑色ライン ━━ 夕木川(別名:蕪来川) 弘文洞から養老川に流れ込む川
  紫色ライン ━━ 養老川の支流 上流は梅ケ瀬渓谷
青色ライン━━の養老川の本流は驚くほど蛇行していますが、全般的には南南東から北北西に流れています。川の蛇行が多いので本地図の川の流れを入力するのは時間を要しました。養老川は五井のあたりで東京湾に流れ込みます。