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ロンドンの夕刻 [英国]

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日本から着いた日の夕刻にロンドンの街の中を歩くと写真のような人だかり! を沢山見かけます。みんなでビールを楽しんでいるのです。もちろんお店の中も超満員! テーブルの数も少ないことから手でビールを持って話を楽しんでいます。 これが本当の立ち飲み!

屋外で沢山の人が立ち飲みする光景は日本ではほとんど見かけないです。人気の焼き鳥屋さんの前では見たことがありますが、お酒だけで、ここまで本格的な立ち飲みはヨーロッパのだけかもしれません。
オフィスレディーという雰囲気の女性の方も多かったです。
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やっぱり店内が気になりますね。写真に撮っていななかったのでネットの写真を拝借いたしました。この後レストランでステーキを食べました。
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 住所 21-22 Maiden Lane London
 電話 020 7379 7917
 定休 無休
 営業 12:00~23:00 金・日 12:00~23:30 土 12:00~24:00
 HP http://www.theporterhouse.ie/bars-london-coventgarden.php


いたるところで、このような光景に出合いました。我々もこのようなお店に入りたかったのですが、あまりの人の多さに断念してしまいました。(涙)


冒頭の写真のパブ(PUB)の場所です。


入口と出口の名前が違うトンネル 共榮トンネル / 向山トンネル [養老渓谷]

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養老渓谷の中瀬遊歩道の終点にある写真の共栄橋から東側にトンネルがありました。トンネルの名前は共榮トンネル(共栄トンネル)です。普通のトンネルに見えますが、実は反対側出口とは名前が違うトンネルだったのです。つまり一本のトンネルでありながら入口の名前が違うトンネルが養老渓谷にあったのでした。それだけでなく不思議なトンネルだったので紹介するために2015年12月8日に中を歩いて写真を撮りました。

左側(西口)の入口には「共榮トンネル 昭和45年3月竣功」と書かれており、右側(東口)の入口には「向山トンネル 昭和45年3月竣功」と書かれています。両方ともに昭和45年3月竣功(1970年3月竣工)です。ただし、以前から素掘りの向山隧道(向山トンネル)があったものを改修して入口をコンクリートで補強して、現在の状態になったのが昭和45年3月(1970年3月)であったようです。
西口 共榮トンネル         東口 向山トンネル
昭和45年3月竣功           昭和45年3月竣功

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上の写真のトンネルの東口と西口の位置を航空写真に記載しました。
色の違う━━━━の線の説明は、のちほど致します。
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こちらが現在の東口の向山トンネルの入口です。ここから奥に進みながら紹介したいと思います。
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トンネルの奥を拡大しました。事情を知らないと、まっすぐなトンネルに見えます。よく見ると、トンネルの出口の天井がシンプルなドーム形ではなく、尖がった形(おむすび形)をしています。


トンネルの中には入り、前に進むと、おむすび形の出口の下に、普通のドーム形の出口が見えてきました。


途中から下り坂になっていることがを分かります。素掘りの地肌はかなり古そうでした。
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さらに進んだところで車が通りました。上の出口の部分が素掘りの向山隧道の時代の出口で、下の出口が1970年に新しく作られた共榮トンネルなのです。つまり上が旧・向山隧道の出口なのです。
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さらに近づくとはっきりとわかります。共榮トンネルは左方向にカーブしています。見ての通り、2階建てトンネルと呼ばれることもあります。
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共榮トンネルに入って少し進んだところで、向山トンネル入口側にふり向いた景色です。共榮トンネルのドーム部分は波型の鋼板で出来ていました。
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共榮トンネルから向山トンネル入口側を見た上の写真を拡大いたしました。奥の方が下っているように見えますが、実際には奥の方が水平で共榮トンネル側は手前側に下っているのです。
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共榮トンネルの入口に出ました。
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今までの説明を航空写真に書き込みました。気になるのが旧・向山隧道の出口です。旧・向山隧道の出口を外から見たくなりました。
  ━━ 共榮トンネル(共栄トンネル)
  ━━ 向山トンネル 旧・向山隧道
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旧・向山隧道の出口があるあたりです。ここを歩いて登ってみました。人が歩ける程度の急坂でした。草木は生い茂っていますが、昔の道幅はそこそこありそうでした。


沢山の草木が登るのを阻んでくれました。


さらに登って行くと突然に、旧・向山隧道の出口が目の前に現れました。
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正面から見ました。旧・向山隧道は直線だったことが分かります。写真では分かりませんが旧・向山隧道は水平に掘られた素掘りのトンネルだったのです。
この旧・向山隧道が掘られた年代が知りたいところですが、調べた範囲では年代は出てきませんでしたが、本隧道に関して2011年2月に書かれている方の記述の中にヒントがありました。近くに住んでいる老婦人に聞いても掘られた年代が分からないとのことなので古いことは間違いない上に隧道の途中に小さな横穴の防空壕が掘られていたことをその老婦人はご存知だったことから、少なくとも戦前からあったことは確定いたしました。それ以前のいつであったかはまだ謎のままです。また隧道の素掘りの部分が、きれいなドーム状をしていないことからも相当に古いものだと思われます。出口が険しい下り坂になっていることから、通ったとしても荷車程度で自動車の類が通ったとは思えませんでした。このあたりには、江戸時代から、弘文洞で代表される川廻し(川のショートカット)のための大きな隧道(トンネル)を掘る技術が存在していたためか、沢山の素掘りの隧道(トンネル)があるので、旧・向山隧道も古い時代に沢山掘られた隧道のなかの一つであるような気がします。
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入口のふちまで行って写真を撮りました。新しい向山トンネルは東口から西口に向かって下るように掘りなおされたことが分かります。
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Google地図でも2階建てトンネル(2重トンネル)を紹介します。
薄赤色の細いライン()が旧・向山隧道・西口に登った道です。


平成16年度道路施設現況調査によると
  共栄トンネル 23m
  向山トンネル 92m  で、計115mだそうです。
Google地図上ではトンネル長さは140mのため25mの食い違いがあります。住所の中の葛藤は「くずふじ」と読み、昔からのこの地域の名前で、有名な弘文洞も昔は葛藤の穴洞と呼ばれていました。


トンネルの構造を図面を交えて分かりやすく説明されたサイトがありましたので図を転用させていただきました。 説明はこちらです。→ポチッ

房総半島には沢山の古い素掘りのトンネルがあることを実感していただけるようにネットから写真を転用させていただきました。旧・向山隧道も昔はこのような景観であったのかもしれません。







冒頭の写真の共栄橋からの、養老川の紅葉の景色です。
後日詳しく紅葉に関して紹介したいと思います。
2015年11月28日07時11分の景色です。
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2015年12月08日10時06分の景色です。
10日間で紅葉が進んだことがわかります。
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