伝説の島に行ける古宇利大橋 [沖縄]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
沖縄旅行で、宿泊したホテルで沖縄特選寿司を食べている時、カウンター中の板前さんに次の日に沖縄美ら海水族館に行くことを話すと、近くに景色のいい橋があると教えてもらいました。水族館と今帰仁城に行ってあとに行ってみました。本島からは沖縄本島→奥武橋→奥武島(おうじま)→屋我地大橋→屋我地島(やがじしま)→古宇利大橋→古宇利島(こうりじま)と渡って行きますが、最も長くてきれいなのが古宇利大橋です。
上は屋我地島から古宇利大橋へ向かう道を正面から撮った写真です。
古宇利大橋 (沖縄県道247号古宇利屋我地線)は2005年2月8日に開通しました。開通当初ですが、一般県道としても通行料金の要らない橋としても日本一の長さ(全長1960m)でした。現在は2015年に開通した伊良部大橋(宮古島~伊良部島)が最長で、古宇利大橋は2番ではありますが、美しい景観には変わりがありません。
古宇利大橋の側面図を紹介します。判りやすいように大成建設さんの図面に色付けを行い水平方向のみ34%に圧縮しています。橋の断面図は屋我地島方向から見たもので、クリックしてもらうと詳細がわかると思います。
名前 古宇利大橋 こうりおおはし
長さ 1,960m
支間長 80.0m x 23 59.1m x 2
幅 10.25m(車道7.25m + 歩道3.00m)
形式 連続桁橋、ラーメン橋
素材 プレストレスト・コンクリート
建設開始 1997年
開通 2005年2月8日
屋我地島の海岸から見た古宇利大橋です。いろんな角度から紹介いたします。
これも屋我地島の海岸からの古宇利大橋の写真ですが上の写真とは反対側です。
この古宇利大橋と古宇利島の写真を撮った屋我地島の海岸でアオサ採りを見かけました。シャコ貝の化石も、このあたりで見つけました。
橋の片側には歩道があるので屋我地島から古宇利大橋の最も高いところまで歩いてみました。向こうに見えるのは古宇利島です。歩道の幅は3mもありました。最も高いところには展望のためのデッキが張り出していました。ここからの景色もすばらしかったです。次の写真が、その展望デッキからの写真です。写真をクリックすると橋の断面の詳細図を表示します。
古宇利大橋の展望デッキから見た古宇利島です。
駐車禁止の標識はありませんが、橋の途中で車を駐車すると顰蹙を買う気がしたので、歩いてここまで来ました。
古宇利島は面積3.13km²、周囲約4kmでほぼ円形の形をした小島で、3〜4段の海岸段丘で囲まれています。沖縄県北部屋我地島の北に位置し、今帰仁村に帰属する有人島で、離島ならではの美しい海や「沖縄版アダムとイヴ」と呼ばれる伝説があることで有名です。
ネットで見つけた、その伝説 を紹介いたします。これは今帰仁村歴史文化センターの資料だそうです。まさに沖縄版のアダムとイブです。
むかしむかし古宇利島に、少年と少女が住んでいました。
二人は裸でいても恥じらうことなく、天真爛漫に毎日天の神様が降ろしてくださる餅を食べて暮らして居ました。
時が経ち、二人は、残り物を蓄える事を覚えました。それで神様は、ついに餅を降らすことを止めてしまいました。少年と少女は驚いて悲しみ、空を見上げては「お月様お月様、どうか私たちにもう一度餅を降らせて下さい。」と何度も頼みましたが、願いは聞き入れられませんでした。それから二人で毎朝浜に出て、魚や貝を捕り、働く事の苦しさを学びました。
さてある時、いつもの様に二人が働いていると、海の中でジュゴンがセックスをしているのを見つけました。少年と少女は初めて子供を作る事を理解したのです。お互いを意識し始めた二人は、裸のままでいる事が恥ずかしくなり、クパの葉で身体を隠す様になりました。古宇利島の人々はこの二人の子孫で、ここから沖縄の島に、人が増えていったとの事です。
古宇利大橋の上を歩いていると短い時間でしたが何組もロードバイク(ロードレーサー)が通り過ぎていきました。最近、自転車が流行っているみたいです。学生時代のことを思い出させてくれました。
古宇利島から見た景色を3枚紹介します。晴れていたらすばらしい景色になることを予感させてくれました。向こうの島は屋我地島です。古宇利大橋の景観が景色に映えています。
古宇利大橋の上からの景色です。
古宇利大橋を挟んで反対側からも撮りました。屋我地島がよく判ると思います。
沖縄の地図で場所を紹介いたします。
航空写真で位置関係がわかってもらえると思います。古宇利大橋で古宇利島に渡って島を一周いたしました。ここから下で屋我地大橋や奥武橋の写真も紹介します。
屋我地島と奥武島を結ぶ屋我地大橋(長さ300m)も紹介いたします。奥武島からの写真です。
沖縄本島から屋我地大橋を撮りました。橋の右側が奥武島で左側が屋我地島です。全長約300mの沖縄県道110号線の橋です。
初代の屋我地大橋は1953年に完成したが、1960年のチリ地震の津波により橋の上部が流失。それから3年後の1963年に2代目が完成し、30年にもわたって沖縄本島と結ぶ重要な交通手段でしたが、本土復帰後進む道路整備で幅員が5.5mと極端に狭くかつ歩道がなく交通安全上危険なため1990年代に入り現在の3代目を建設、1993年3月に完成しました。
奥武橋と奥武島 も紹介しておきます。真中の橋が奥武橋(長さ170m)です。橋の左側が奥武島で右側が沖縄本島になります。写真をクリックすると周辺の景色を表示します。この奥武橋は1953年(昭和28年)に架橋されました。沖縄および周辺の島には島と島をつなぐ橋が沢山あります。
沖縄県には4っの奥武島(おうじま)があり、その中の一ですが、いずれも、かつて死者を弔った場所であったと云われており、いずれも崇められています。今回の島は沖縄本島北部にある島で名護市に属し、すでに紹介の通りに本島と屋我地島の間にありいずれも橋で結ばれている無人島です。残りの3っは下記にあります。
沖縄本島南部の南城市玉城(旧玉城村)
久米島の東にある島で久米島町
慶良間諸島の座間味村