SSブログ

モンサンミッシェル修道院 有料見学エリアの紹介 [Mont Saint-Michel]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
今までモンサンミッシェルの記事をいくつか書いてきましたが、今回はモンサンミッシェルの主体なる修道院を掲載いたします。モンサンミッシェルはフランス語ではMont Saint-MichelあるいはLe Mont-Saint-Michelと書かれることが多いです。Mont Saint-Michelと書かれることが多いことからモン・サン=ミシェルあるいはモン・サン・ミッシェルと分離して記載されていることも多いです。そのモンサンミッシェルはフランス西海岸のサンマロ湾に浮かぶ小島です。その岩山自体は78.6mですが、その上にそびえる修道院との一体の景観によっり、1979年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。周辺に広がる干潟や湿地により1994年10月にはラムサール条約登録地となりました。
修道院や聖堂が建てられる前の小島(海の中の岩山)は、モン・トンブ(墓の山 / Mont Tombe)と呼ばれ、はるか昔から先住民のケルト人が信仰する聖地でした。Montが山(岩山)でTombeが墓です。
モンサンミッシェルとしての歴史が始まったのは、今から1308年前の708年にアヴランシュの司教オベールが大天使ミカエルを奉る聖堂を作ることを決断し、709年に小さな教会が完成したことでした。それをきっかけに、この岩山が重要な巡礼地の一つになり、966年にはノルマンディー公リシャール1世がベネディクト会のクリックすると拡大修道院を島に建て、これが増改築を重ねて13世紀にはほぼ現在のような形になったそうです。右の絵は17世紀(1631年)に描かれたモンサンミッシェルです。クリックして出てくる絵は1657年に描かれたものです。中世以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めてきました。

709年に建てられた教会がどのようなものであったかは記録は無いようですが、ネット内に10世紀末の姿を描いた絵があったので紹介いたします。
10世紀末(à la fin du Xe siècle)の時期のイメージは980年~1000年なので、ノルマンディー公リシャール1世が966年に修道院を建てて20~30年程度しか経過していないことから、966年の修道院に近い状態の可能性があります。
今から約1030年前のモンサンミッシェルは、この絵のような景観だったと想像してみてください。岩山のモン・トンブ( Mont Tombe)の高さは約80mで、今から比べると小さな修道院(教会)ですが、1307年前の709年に建てられた最初の教会は、さらに小さな教会であったことが想像されます。
クリックすると拡大

岩山の高さは78.6mですが、修道院の中央にそびえる教会の尖塔の海面からの高さは150mにもなります。その巨大な教会を支えているのが岩山周囲に作られている礼拝堂などの頑丈な建物です。つまり岩山の周囲の礼拝堂などの石の建造物が巨大な教会の基礎(土台)になっているのです。これが岩山の狭い頂部に巨大な教会を建てた工夫なのです。
クリックすると拡大

冒頭の写真から修道院の部分を切り取りました。修道院の入口から次の順番で見学いたしました。大きく分けて修道院は上層部と中層部と下層部に区分できます。⓪~⑯の内①~⑭の番号は入口で借りるオーデオ案内でつけられている番号と一致させています。修道院内部にも、この番号①~⑭の案内板が取り付けられていました。右の3枚の図の内、中層部と下層部には岩石部があるのが特徴なのです。
クリックすると拡大 ⓪下層部 修道院入口
 ⑮下層部 司祭の間
 ①下層部 哨戒の間
 ② 大階段(下層部から上層部に登る階段)
 ③上層部 西のテラス
 ④上層部 修道院付属教会
クリックすると拡大 ⑤上層部 回廊
 ⑥上層部 合同の食事室
 ⑦中層部 迎賓の間
 ⑧中層部 太柱の礼拝堂
 ⑨中層部 聖マルタン礼拝堂
 ⑩中層部 修道僧の納骨堂
クリックすると拡大 ⑪中層部 聖エティウンヌのチャペル
 ⑫中層部 南北階段
 ⑬中層部 修道僧の遊歩道
 ⑭中層部 騎士の間
 ⑮下層部 司祭の間
 ⑯下層部 修道院出口 
クリックすると拡大

モンサンミッシェル修道院内の入口⓪→出口⑯まで歩いたルートを示します。単純に見学したルート(━━ ━━ ━━)を測ってみると957mでした。部屋の中は散策で歩き回るので修道院の中だけで1200m程度は歩いたと思います。
時間的にはオーディオ案内を聞きながらで1時間13分でした。我々の場合は翌日も見ることにしていたので見学は早めだったので、修道院内部の見学は1時間30分と見ておけばよいと思います。ただしガイドさんの長い話がある場合は別です。パリからの日帰りツアーで島内滞在が3時間とすれば修道院以外も1時間30分は散策するのがよいと思います。パリからの日帰りツアーが多いこともうなづけました。見学ルート(━━ ━━ ━━)が複雑に見えますが上層部と中層部と下層部のルートが重なっているためです。
 修道院の有料見学エリアの滞在時刻および時間
  1日目 2016年5月09日 14:12~15:25 1時間13分 オーディオ案内利用
  2日目 2016年5月10日 09:21~10:22 1時間01分 主に写真撮影
   修道院(有料エリア)入口
   修道院(有料エリア)出口
  ━━ 修道院見学ルート 下層部→(上層部)
  ━━ 修道院見学ルート 上層部
  ━━ 修道院見学ルート 中層部→(下層部)


それでは見学ルートの順番に紹介したいと思います。沢山の写真を判りやすくするために区分ごとに横線で区切るとともに写真の頭には⓪~⑯の番号を付けています。1日目の写真と書いていない場合は、全て人の少ない2日目の写真です。

こちらが下層部分の配置図です。修道院の入口前から上層部の西のテラスの入口までを紹介いたします。
 ⓪下層部 修道院入口
 ⑮下層部 司祭の間  チケット購入場所
 ①下層部 哨戒の間
 ② 大階段(下層部から上層部に登る階段)


⓪修道院入口
修道院の入口が見えてきました。
クリックすると拡大

⓪修道院入口
こちらが修道院の入口です。この階段を登ると①哨戒の間を経由してチケット売り場となっている⑮司祭の間に行きます。
クリックすると拡大

⓪修道院入口
修道院の入口の上は見事な2つの塔が建っていました。これを目印にして修道院を目指すとよいと思います。
クリックすると拡大

⑮司祭の間の入口
修道院入口から階段を登ると①哨戒の間があり、さらに進むとこのドアがありました。中は⑮司祭の間でした。
クリックすると拡大

⑮司祭の間
クリックすると拡大こちらが⑮司祭の間で簡単な持物の安全検査が行われた後チケットを買って、オーディオ案内を借りて、元の道で①哨戒の間に戻って②大階段の方に進みます。ただし一日目は右の写真のチケットを旅行社であるマイバスの方から移動中の車の中で事前に渡されていたので、ここではオーディオ案内を借りるだけでした。マイバスの方から渡されチケットは団体割引であったことから7ユーロと書かれていましたが、2日目のチケットは割引がないので9ユーロだったと思います。
クリックすると拡大

⑮司祭の間→①哨戒の間
司祭の間を出で哨戒の間に戻る道です。道の中央にはロープが張られていてチケット売り場の司祭の間に向かう人とすれ違いました。哨戒の間は正面の建物の中にありますが、目立たなかったので写真は撮り忘れました。
クリックすると拡大

①哨戒の間→②大階段
下層部から上層部の西のテラスに登る長い大階段への入口です。哨戒の間を出たところの景観です。
クリックすると拡大

②大階段
大階段の両側には高い建物がありました。
クリックすると拡大

②大階段
建物が高い壁のようでした。
クリックすると拡大

②大階段
このような蛇口がいくつもありました。
クリックすると拡大

②大階段
階段の一番上が上層部です。右側が教会で、左側が修道僧の居住棟です。居住棟は14世紀から16世紀に建てられて、歴代の修道院長の住まいとして使用されていました。
クリックすると拡大

②大階段
確認すると大きな蛇口からは水が出ました。ただし飲むことはできません。
クリックすると拡大

②大階段
この先にはトイレがないので、見学前にトイレに行っておくことを進めます。
クリックすると拡大

②大階段
登って来た方向を振り返った景色です。
クリックすると拡大

②大階段からの景色
大階段から修道院付属教会の塔がみえまえる
クリックすると拡大

②大階段からの景色
見事な渡り廊下です。渡り廊下は木造づくりのようです。
クリックすると拡大

②大階段→③西のテラス
この入口を入ったら修道院の中の最大の教会の前にある「西のテラス」に出ます。
クリックすると拡大


こちらが上層部の配置図です。
 ③上層部 西のテラス
 ④上層部 修道院付属教会
 ⑤上層部 回廊
 ⑥上層部 合同の食事室


写真枚数が多いので上層部に関しては4つに区分けして紹介いたします。

上層部 西のテラス
ここが「西のテラス」です。大階段からは中央の小さな通路から出てきます。石で作られた広いテラスに圧倒されました。
クリックすると拡大

③西のテラス
西のテラスは当初の教会の前庭と、18世紀の火災で焼失した身郎前部3列で構成されています。古典主義のファサードは1780年に再建されました。
このテラスからは湾を展望することが出来る絶景の場所でした。晴れていたら西側はブルターニュ地方の岩山から東側はノルマンディー地方の岩山まで見ることが出来るそうです。
クリックすると拡大

③西のテラスからの南方向の景色
南西には陸地側にはモン・ドルの2つの花崗岩の岩山が見えるそうです。この日の天気では遠くは鮮明に見えませんでしたが、湾内の景色を中心に絶景を見ることが出来ました。

クリックすると拡大

③西のテラスからの北方向の景色
北側に見える小さな島はトンブレーヌ(Tombelaine)です。島の沖には修道院の建設に使われた花崗岩が採石されたショゼー群島がが見えます。
クリックすると拡大

③西のテラス
床の石には文字が刻まれていました。職人たちが石組みのために位置を石に書いたものだそうです。
クリックすると拡大


上層部 修道院付属教会の写真を紹介します。
④修道院付属教会
テラスから見た修道院付属教会です。修道院の付属教会と書かれていますが、修道院の主教会であり、最も大きな教会/礼拝堂です。多くの建物がこのき教会の土台の基礎を兼ねているのです。遠くから見えた高い塔はこの教会の塔です。この教会は1000年~1010年の間に完成しました。つまり少なくとも1006年前の建物と言うことになります。
クリックすると拡大

④修道院付属教会の内部
教会内部は厳かな雰囲気に包まれていました。岩の上にこれほどの建物が作られたのに驚かされます。海抜80mの岩山を囲むように礼拝堂などの頑丈な石の建物を建て、それらを利用して長さ80mの土台(基礎)にして建てられました。身廊は上に向かって、拱廊、回廊、高窓の層の造りになっています。ロマネスク様式の内陣は1421年に崩壊しましたがイギリスとの100年戦争後に再建されたためにフランボアイヤン式ゴシック形式になっています。
クリックすると拡大

④修道院付属教会
教会の身廊(しんろう)部分の天井は板張りのヴォールートでした。身廊は教会の入口から主祭壇に向かう中央通路のうちの翼廊に至るまでの部分を指します。おそらく軽量化のために木造にしたのだと思います。クリックすると拡大

④修道院付属教会
こちらが主祭壇です、
クリックすると拡大

④修道院付属教会
主祭壇の部分の天井は木造ではありませんでした。
クリックすると拡大

④修道院付属教会
主祭壇の方から入口を見た景観です。
クリックすると拡大

④修道院付属教会
こちらはパイプオルガンです。
クリックすると拡大

④修道院付属教会
柱の飾りも歴史を感じました。
クリックすると拡大

④修道院付属教会
主祭殿上のステンドグラスです。モンサンミッシェル以外の教会のステンドグラスと違うことがありました。
クリックすると拡大

④修道院付属教会
教会のステンドグラスと言えば宗教画が描かれたものが多いのですがこちらでは絵の描かれてステンドグラスは見かけませんでした。これは修道院の中の他の礼拝堂や建物にも共通したことでした。それにしてもきれいなステンドグラスでした。
クリックすると拡大

④修道院付属教会
こちらのステンドグラスはシンプルな幾何学的模様が特徴でした。
クリックすると拡大

④修道院付属教会
不思議な石像がありました。
クリックすると拡大

④修道院付属教会
こちらも紹介したくなる石像でした。
クリックすると拡大

④修道院付属教会
このような祭殿もありました。
クリックすると拡大

④修道院付属教会
小さな祭殿がいくつもありました。
クリックすると拡大

④修道院付属教会
石造りの建物の細部の形は見事でした。
クリックすると拡大

④修道院付属教会→⑤回廊
教会横にあった建物です。こちらの天井も木造でした。
クリックすると拡大

④修道院付属教会→⑤回廊
この通路を通ると⑤回廊に出ます。
クリックすると拡大


上層部 回廊の写真を紹介します。回廊も見事な建造物でした。
⑤回廊
教会からの通路を出た最初の景色です。中庭を囲むように回廊が作られていました。この歩廊は他の建物につながる通路の役目を果たしているそうです。祈りと瞑想の場でもあったそうです。宗教的な礼祭の時には儀式の列が歩んだそうです。
クリックすると拡大

⑤回廊
13世紀の初頭に建てられたラ・メルヴェイユと呼ばれる建物の最上階に回廊があり、ここを通って合同の食事室、厨房、教会、共同寝室、古文書保管室、さらに、様々な階段に行くことが出来るようになっているそうです。
クリックすると拡大

⑤回廊
上の写真は2日目の朝で人がいませんが、1日目の14時42分には同じ場所でも沢山のひとがいました。子供たちが先生の話に聞き入っていました。
クリックすると拡大

⑤回廊
回廊の天井も木造で出来ていました。これは重量を経験するための工夫だそうです。2列に並べられた細い柱は、わずかにずらせた形で組まれていて、常に変化する視覚を作り出しているそうです。
クリックすると拡大

⑤回廊
回廊から見える建物も趣がありました。正面の建物は、次に見学する⑥合同の食事室がある建物です。右が④修道院付属教会です。暖炉の煙突が沢山見えます。
クリックすると拡大

⑤回廊
中庭に入る通路が1か所あります。その通路から中庭に入って撮った教会の写真です。翼廊のステンドグラスのある窓が印象的です。
クリックすると拡大

⑤回廊
こちらは回廊から撮った教会の写真です。
クリックすると拡大

⑤回廊
教会の塔が撮れる角度からも写真を撮りました。
クリックすると拡大

⑤回廊
回廊の木造の天井は緻密に作られていました。
クリックすると拡大

⑤回廊
回廊の周囲の窓もステンドグラスになっていました。
クリックすると拡大

⑤回廊
回廊の中に海が大きく見える開かれた部分があります。この場所は参事会室に通じることになっていたそうですが、工事が未完成のままに現在に至っているそうです。回廊から外が見れる裕津の場所になっており危険が無いように大きなプラスチック板が取り付けられていました。
クリックすると拡大

⑤回廊
その唯一の開放部分からの外の景色です。左の石垣の上が③西のテラスです。
クリックすると拡大


上層部 合同の食事室を紹介します。
⑤回廊→⑥合同の食事室
この入口から→⑥合同の食事室に入ります。
クリックすると拡大

⑥合同の食事室
ここでは修道僧たちは沈黙のうちに食事をとっていたそうです。その間に彼らの一人が、南側の説教壇で読唱していたそうです。食事室の側壁には狭い窓が作られていましたが入口からは見えないように工夫がされていました。
右の写真がここに取り付けられていた案内板です。オーディオ案内装置(☊)の6番の場所であることも表しています。
ここにはRéfectoire des moinesと書かれています。翻訳すると修道士(修道僧)の食堂でした。
クリックすると拡大

⑥合同の食事室
上の写真は2日目の早朝の写真ですが、1日目の人の多い時間帯の写真も紹介します。
クリックすると拡大

⑥合同の食事室
こちらの天井も軽量化のために木造で作られていました。
クリックすると拡大

⑥合同の食事室
天井の模型が置かれていました。
クリックすると拡大

⑥合同の食事室
こちらの床はきれいなタイルで飾られていました。このようなきれいな床の装飾は見学の範囲においては、ここだけでした。
クリックすると拡大

⑥合同の食事室
入口からは見えない細い窓をしょうかいします。こちらのステンドグラスも幾何学的できれいでした。
クリックすると拡大

⑥合同の食事室
食道ですが正面は十字架が飾られて祭壇になっていました。
クリックすると拡大

⑥合同の食事室
これが説教壇です。食事中に修道僧が読唱していた場所です。
クリックすると拡大

⑥合同の食事室
奥から入口方向を撮った写真です。
クリックすると拡大

⑥合同の食事室
オーディオ説明を聞いているところです。つまり1日目の写真です。この部屋には暖房用の暖炉がないことも特徴でした。この⑥合同の食事室から中層部に下りる螺旋階段がありました。上層部の最後の写真です。
クリックすると拡大


中層部の配置図です。
ここでは⑦迎賓の間から⑯修道院出口までを紹介します。
 ⑦中層部 迎賓の間
 ⑧中層部 太柱の礼拝堂
 ⑨中層部 聖マルタン礼拝堂
 ⑩中層部 修道僧の納骨堂
 ⑪中層部 聖エティウンヌのチャペル
 ⑫中層部 南北階段
 ⑬中層部 修道僧の遊歩道
 ⑭中層部 騎士の間
 ⑮下層部 司祭の間
 ⑯下層部 修道院出口 


写真枚数が多いので区分けして紹介いたします。

中層部 迎賓の間
⑥合同の食事室→⑦迎賓の間
上層部→中層部の螺旋階段です。
クリックすると拡大

⑥合同の食事室→⑦迎賓の間
階段の途中にもステンドガラスの窓がありました。
クリックすると拡大

⑥合同の食事室→⑦迎賓の間
螺旋階段の次は直線的な階段で中層部を目指しました。
クリックすると拡大

⑥合同の食事室→⑦迎賓の間
階段の途中ですが、沢山の人が写真を撮っている場所がありました。こちらは1日目の写真です。
クリックすると拡大

⑥合同の食事室→⑦迎賓の間
写真を撮っていたのは、こちらの彫刻でした。
クリックすると拡大

⑥合同の食事室→⑦迎賓の間
階段の途中にも小さな部屋がいくつかありました。
クリックすると拡大

⑦迎賓の間
迎賓の間に出ました。ここは⑥合同の食事室の真下に位置します。この部屋は王や貴族を迎えるために使われていたそうです。写真は南側の壁近くから西の方向から東の方向を撮ったものです。
クリックすると拡大

⑦迎賓の間
こちらは1日目に撮った写真です。こちらは北側の壁近くから西の方向から東の方向を撮ったものです。
クリックすると拡大

⑦迎賓の間
こちらは東から西方向を撮ったものです。一番奥に大きな2つの暖炉がありました。
クリックすると拡大

⑦迎賓の間
これが西の壁の巨大な暖炉です。
クリックすると拡大

⑦迎賓の間
さすが迎賓の間です。天井や柱も見事でした。
クリックすると拡大


中層部 太柱の礼拝堂
⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
迎賓の間の隣には小さな礼拝の部屋がありました。こちらは1日目の写真です。
クリックすると拡大

⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
その小さな礼拝の部屋にもステンドグラスが沢山取り付けられていました。
クリックすると拡大

⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
こちらが礼拝の方向です。
クリックすると拡大

⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
一旦、屋外に出ます。左の出口から出てきました。
クリックすると拡大

⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
庭や井戸があるエリヤもありました。
クリックすると拡大

⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
建物の間の通路を進みます。右が迎賓の間がある建物です。左が太柱の礼拝堂がある建物です。
クリックすると拡大

⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
建物を見上げてみました。
クリックすると拡大

⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
こちらが太柱の礼拝堂の入口です。
クリックすると拡大

⑧太柱の礼拝堂
入口を進むと太柱の礼拝堂が見えてきました。
クリックすると拡大

⑧太柱の礼拝堂
太い柱だらけで部屋を見渡すことが出来ないのです。ここは修道院付属教会の主祭殿の真下で、これらの柱によって教会の内陣を支えているのです。まさに教会の土台の部分であり基礎の部分だったのです。
クリックすると拡大

⑧太柱の礼拝堂
柱と天井をつなぐ部分も力が伝えられるような構造となっていました。
クリックすると拡大

⑧太柱の礼拝堂
礼拝堂の壁もがん頑丈そうでした。窓もほとんどありませんでした。やはり重さを支える構造物と言う感じでした。
クリックすると拡大

⑧太柱の礼拝堂
床には模様が描かれていました。
クリックすると拡大

⑧太柱の礼拝堂
こちらに細い窓がありその光で写真を撮ることが出来ました。
クリックすると拡大

⑧太柱の礼拝堂
真っ暗な部分が多いことからか、太い柱の何本かに対して、今はやりのプロジェクトマッピングが行われていました。同じ場所から3枚の写真を紹介します。
クリックすると拡大

⑧太柱の礼拝堂
上の写真と同じ場所です。
クリックすると拡大

⑧太柱の礼拝堂
頻繁に画像が変わりました。
クリックすると拡大

⑧太柱の礼拝堂
こちらがプロジェクトマッピングを行っている機械(プロジェクター)です。
クリックすると拡大

⑧太柱の礼拝堂
天井に換気孔を見つけました。上層部の教会内のどこかに出口があるのだと思います。
クリックすると拡大

⑧太柱の礼拝堂
礼拝のための像の一つです。女性が子供を抱いている金色の像です。
クリックすると拡大


中層部 聖マルタン礼拝堂
⑨聖マルタン礼拝堂
聖マルタン礼拝堂は修道院付属教会の交差廊の南側の基礎のために1000年より後に建てられました。礼拝堂に入って正面の景観でした。
クリックすると拡大

⑨聖マルタン礼拝堂
この礼拝堂の天井は9mと言う高さの円形の天井であねことが有名です。上からの力に耐えるように天井を円形にしたことから天井が高くなったと想像します。
クリックすると拡大

⑨聖マルタン礼拝堂
天井の高さを実感できるように斜めから撮った1日目の写真を掲載いたしました。左のドアから入ってきました。
クリックすると拡大

⑨聖マルタン礼拝堂
1日目は座ってゆっくりと話を聞くグループを沢山見かけました。ここでも沢山説明があったことでしょう。


⑨聖マルタン礼拝堂
小さな窓の奥はステンドグラスになっていました。分厚い壁は上からの重量に耐えるためだと思います。
クリックすると拡大

⑨聖マルタン礼拝堂
反対側の礼拝側の窓の壁も分厚かったです。
クリックすると拡大

⑨聖マルタン礼拝堂
この写真で丸い天井がよくわかってもらえると思います。
クリックすると拡大


中層部 修道僧の納骨堂
⑨聖マルタン礼拝堂→⑩修道僧の納骨堂
聖マルタン礼拝堂は下層部から一気に上層部に登る大階段の横にありました。鉄格子の扉の向こうが大階段です。
クリックすると拡大

⑨聖マルタン礼拝堂→⑩修道僧の納骨堂
修道僧の納骨堂に向かう道は一旦は外にてますが、高い建物の間を歩いて修道僧の納骨堂がある同じ建物に入ります。
クリックすると拡大

⑨聖マルタン礼拝堂→⑩修道僧の納骨堂
アーチ型の入口を入ると修道僧の納骨堂です。納骨堂にふさわしい暗さと思うのは偏見でしょうか。
クリックすると拡大

⑩修道僧の納骨堂
すでに紹介の通り、1820年ごろに修道僧の納骨堂には荷物を引き上げるための巨大な車輪が設置されました。
この巨大な車輪が設置される前は、修道僧の納骨堂でした。そのような雰囲気が漂う場所に巨大な車輪が設置されていたのです。ここには1日目(2016年5月9日)と2日目(5月10日)に来ましたが、建物内の写真に関しては2日目を使っています。2日目は朝一に修道院に入ったことから、人がほとんどいなくて、自由に撮れたからです。修道院の有料エリアに2日続けて入る人は珍しいのかもしれません。
クリックすると拡大

⑩修道僧の納骨堂
こちらが巨大車輪です。修道院は一時期に監獄化されていた時代がありその時に作られたようです。囚人たちの多くは政治犯で幽閉される形だったようです。荷物の多くは多くの政治犯の食糧であったと書かれていました。
クリックすると拡大

⑩修道僧の納骨堂
巨大車輪の裏を進むと⑪聖エティウンヌのチャペルへ向かう入口があります。
クリックすると拡大

⑩修道僧の納骨堂→⑪聖エティウンヌのチャペル
こちらが⑪聖エティウンヌのチャペルに入る入口です。
クリックすると拡大


中層部 聖エティウンヌのチャペル
⑪聖エティウンヌのチャペル
入口から見下ろした聖エティウンヌのチャペルです。人が沢山写っているので1日目の写真です。皆さんが撮っているのがマリア像でしょうか。⑥合同の食事室の床はきれいにタイルが敷き詰められていましたが、こちらにもタイルが張られていました。ただし。⑥合同の食事室と違い一色でした。
フランス語ではChapell Saint Étienneです。
クリックすると拡大

⑪聖エティウンヌのチャペル
床の高さに下りて撮った写真です。聖エティウンヌのチャペルは19世紀初頭に崩壊した医務室と修道僧の納骨堂の間にあり、死者のチャペルとして使用されていたそうです。
クリックすると拡大

⑪聖エティウンヌのチャペル
クリックすると拡大こちらが反対側から撮った写真です。十字架の右の入口に入ると納骨堂です。納骨堂に付属していたと言える位置にありました。十字架の石の台に彫られたAΩの文字が印象的でした。ΑΩ(アルファオメガ)はキリスト教用語で、新約聖書の「ヨハネの黙示録」にて三度繰り返し述べられているそうです。神(YHWH)が自らを指して省略した表現した「τὸ Α καὶ τὸ Ω」をさらに短縮したものだそうです。つまりキリスト教の神を表した文字です。
クリックすると拡大

⑪聖エティウンヌのチャペル
冒頭の写真で皆さんが撮っていたマリア像と思われる石像を撮っているところです。
クリックすると拡大


中層部 南北階段
⑪聖エティウンヌのチャペル→⑫南北階段
聖エティウンヌのチャペルを出ると南北階段の最下部に出ました。
このあたりに崩壊した医務室があったようです。
突き当りを右に曲がると南北階段です。
クリックすると拡大

⑪聖エティウンヌのチャペル→⑫南北階段
この階段は南北階段とは反対側に登って行く階段ですが、侵入禁止になっていました。おそらく修道院付属教会に行く階段だと思われます。
クリックすると拡大

⑫南北階段 Escalier nord-sud
これが南北階段の最下部から撮った南北階段です。案内板にはEscalier nord-sudと書かれていました。
クリックすると拡大

⑫南北階段
少し前に進んだ位置から1日目に撮った南北階段です。こちらは1日目の写真です。やはり1日目は人が写った写真となります。
クリックすると拡大

⑫南北階段
さらに進んでで撮りました。同じ中層部でも高低差があります。
クリックすると拡大

⑫南北階段
階段の上から登って来た方向を振り返って撮りました。昔は窓の明かりが頼りだったのかもしれません。ハリーポッターの世界のようです。
クリックすると拡大

⑫南北階段
こちらが階段の一番上の明かり窓です。
クリックすると拡大

⑫南北階段→⑬修道僧の遊歩道
この入口を入ると⑬修道僧の遊歩道です。
クリックすると拡大


中層部 修道僧の遊歩道
⑬修道僧の遊歩道
修道僧の遊歩道は2つの身廊(しんろう)を持つ長い部屋で、交差リブを持つ円天井という建築形式は12世紀初めのゴシック芸術の誕生を告げているそうです。こちらが右側(南側)の通路です。
クリックすると拡大

⑬修道僧の遊歩道
こちらが左側(北側)の通路です。
クリックすると拡大

⑬修道僧の遊歩道
途中に窓がありますが、壁の分厚さが際立っていました。海側に面した壁なので頑丈に作られているのだと思います。
クリックすると拡大

⑬修道僧の遊歩道
部屋の中に岩盤のむき出しの部分がある珍しい部屋でした。岩盤の上に建てられた建物であることが実感できる場所でもありました。
クリックすると拡大

⑬修道僧の遊歩道
人工の柱と自然の岩盤の組み合わせが見事でした。
クリックすると拡大

⑬修道僧の遊歩道→⑭騎士の間
この入口を抜けると→⑭騎士の間です。
クリックすると拡大


中層部 騎士の間
⑭騎士の間
入口の高い位置から撮った⑭騎士の間です。かなりの広さがあります。この部屋の真上上が⑤の回廊です。つまり建物はラ・メルヴェイユなのです。
クリックすると拡大

⑭騎士の間
これらの柱は建物の屋上にある回廊を支える役目もあります。部屋は修道僧たちの仕事場であり、勉強の場でもありました。彼らの知的産物は現在でもマニュスクリプト(手書き文書)として我々に残されているそうです。マニュスクリプトはアヴンシュに保管されているそうです。
クリックすると拡大

⑭騎士の間
ここにも大きな暖炉がいくつもありました。
クリックすると拡大

⑭騎士の間
こちらの窓のステンドグラスも見事でした。
クリックすると拡大

⑭騎士の間
いろんな形の大きな窓が並んでいました。
クリックすると拡大

⑭騎士の間
これらの窓のおかげで部屋は明るいことから、修道僧の仕事場ゆ勉強の場として最適だったように感じました。
クリックすると拡大

⑭騎士の間
この写真で暖炉がいくつもあることが判ってもらえると思います。暖房設備が整っているのも勉強の場としては大切なことだと思います。一番奥に⑮司祭の間へ行く入口があります。
クリックすると拡大

⑭騎士の間
こちらが⑮司祭の間へ行く入口です。
クリックすると拡大

⑭騎士の間→⑮司祭の間
この螺旋階段を下りると⑮司祭の間です。
クリックすると拡大


下層部 司祭の間
⑭騎士の間→⑮司祭の間
このドアを開けると⑮司祭の間です。
クリックすると拡大

⑮司祭の間
こちらが司祭の間です。最初の下層部で説明した通り最初に入ってきてチケットを買う場所です。テープで仕切られており奥側がこれから修道院を見学する人のエリアで、手前側が修道院を出ていく人のエリアです。
クリックすると拡大

⑮司祭の間
こちらがとなり部屋への入口であり修道院の出口に向かう方向です。
クリックすると拡大

⑮司祭の間
子なりの部屋は売店になりました。こちらが修道院の最後の部屋になります。
クリックすると拡大

⑯修道院出口
修道院の最後の部屋を出た景色です。 
クリックすると拡大

紹介したルートを思い出していただけるかもしれないので、再度ルート図を掲載いたします。
   修道院(有料エリア)入口
   修道院(有料エリア)出口
  ━━ 修道院見学ルート 下層部→(上層部)
  ━━ 修道院見学ルート 上層部
  ━━ 修道院見学ルート 中層部→(下層部)

クリックすると拡大 クリックすると拡大 クリックすると拡大
⓪ ⑮ ① ②   →  ③ ④ ⑤ ⑥ → ⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮⑯

上層部、中層部、下層部が判りやすく書かれた図がネットにあったので転用させていただきました。


参考にモンサンミッシェル島内の住民の推移も紹介します。静かなモンサンミッシェルですが、グラフからも、歴史の中で大きな変化があったことがうかがえます。1793年~1863年の70年間はモンサンミッシェルが刑務所(監獄)として運用されていたことが、人口の推移に大きく影響したことがうかがえます。近年においては観光客が増加しているにもかかわらず、島内に住む人が減ってきているのは交通機関の発達により生活の便利な島外に住む人が増えたためだろうと推察します。現在はモンサンミッシェル島内で仕事に従事しているほとんどの人は島外から通勤しているそうです。
      1793年  234人     1866年  203人
      1821年  904人     1906年  238人
      1831年  390人     1954年  268人
      1851年 1182人     2013年   41人
クリックするとオリジナルデーター表示