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神話の戦いの大舞台 戦場ヶ原 [日光]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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中禅寺湖から北に行くと戦場ヶ原が広がっています。戦場ヶ原の標高は1394mで中禅寺湖より更に120m高い場所にあります。この日は夕刻に行ったために西に広がる原野は逆光できれいに撮るのは難しく、上の写真の通りですが、戦場ヶ原の広さは実感してもらえると思います。一番広く見える方向にカメラを向けると太陽が真正面の状況でした。上の写真より、もう少しカメラを左に廻すと太陽の光がカメラに入ってくるくらいぎりぎりで撮りました。

逆に男体山(なんたいさん)は戦場ヶ原から東側にあるので、きれいに見えました。戦場ヶ原(せんじょうがはら)は日光国立公園内にある湿原で、湯川(湯滝の下流)が男体山の噴火で堰き止められた堰止湖であったのが、堆積によって湿原化したものだそうです。
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木のシルエットと男体山がマッチしていました。戦国時代に、この高い高原で戦いが行われたと到底思えないので戦場ヶ原の名前が気になっていました。調べてみると神話の世界の戦いでした。
戦場ヶ原の名前はアカギの神(赤城山 1827.6m)とニッコウの神(二荒山:男体山 2,486m)がそれぞれ大ムカデ(赤城山)と大蛇(男体山)に化けて戦った戦場であるという神話伝説に基づくものだそうです。スケールの大きな戦いにふさわしい広さが戦場ヶ原にはありました。ちなみに、この伝説で勝ったのはニッコウの神(男体山)だそうです。
男体山(なんたいさん)は標高2,486mの山で、古くから山岳信仰の対象として知られ、山頂には日光二荒山神社の奥宮があります。
男体山噴火により中禅寺湖、戦場ヶ原、小田代原、華厳滝、竜頭滝が出来たことは有名です。
男体山という山名を調べると、東北側の山続きの女峰山(2483m)との対で付けられたものと考えられています。男体山と女峰山は、間に大真名子山(2375m)、小真名子山(2323m)という二つの「愛子(まなご)」を抱え、また男体山の北西側には太郎山(2367m)を擁し、火山一家を成しているところが特徴的だそうです。
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遊歩道を歩くのもいいですね。今回は枯れ草の状態でしたが初夏はすばらしい湿原の景色になるそうです。戦場ケ原を湯川と国道120号線が縦断しています。湯川沿いはカラマツ、ミズナラ、ハルニレ、シラカンバ、ズミなどの樹木が生い茂る。高山植物の宝庫で、野生の鹿や兎が棲息しているそうです。2005年に湯ノ湖、湯川、小田代原と共に「奥日光の湿原」としてラムサール条約湿地に登録されました。
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落葉した木も美しいものです。高山植物の花を楽しめるのは、だいたい6~8月だそうです。クロミノウグイスカグラから始まって、ワタスゲ、ズミ、レ ンゲツツジ、イブキトラノオ、カラマツソウ、ノハナショウブ、ホザキシモツケと続くそうです。この時期に是非、行ってみたいと思っています。
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完全に葉は落ちて細かい枝が規則正しく並んでいることがわかります。
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この山は男体山ではなくて隣の太郎山(標高 2367m)です。これもきれいな景色だと思います。
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上の写真は全て三本松茶屋の近くを歩いて撮りました。
この日は東京をバスで出発して華厳の滝を見た後に来ました。この後、宿泊する中禅寺湖の湖畔のホテルに泊まりました。三本松茶屋の現在の天気や気温をライブで表示しているサイトがありました。 → ポチッ
ライブと言っても1時間くらい前なので、そのつもりで見てください。 ライブの観測地点です。
  三本松茶屋
    住所 栃木県日光市戦場ヶ原三本松
    電話 0288-55-0287 FAX 0288-55-0525
    営業 A.M7:00 ~ P.M7:00
    北緯 36度46分  東経 139度27分
    高度 1394m
    URL  http://www.sanbonmatsu.com/
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上のポチッをクリックして出てくる画面と類似の構図の写真を撮っていたので掲載いたします。比べてみてください。ライブ(2008年11月22日)を見るとすでに雪らしきものが写っています。一週間前(下の写真)は雪の気配もありませんでした。一週間で大きく変わりますね。
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戦場ヶ原の呼び方以外に戦場ガ原と戦場ケ原があります。どれが一番一般的かYahoo検索で数を比べてみました。どうやら戦場ヶ原が最も使われているようです。ところが2018年5月に検索すると同じ数値になりました。
  戦場ヶ原 約2,280,000件
  戦場ガ原  約125,000件
  戦場ケ原   約83,100件

戦場ケ原の名前の由来に関する詳しい説明 があったので枠内に転記いる形で紹介 します。
神戦伝説「戦場ヶ原神戦譚」と呼ばれる伝説からきています。
事の起こりは中禅寺湖だった。これがどこの領土に属するか、下野(栃木県)の二荒山(いまの男体山)の神と、上野(群馬県)の赤城山の神の間で争いが起こった。そこで両神による神戦で雌雄を決することになったが、どうも二荒山の旗色がよくない。二荒山が鹿島大明神に相談すると、奥州にいる小野の猿丸という弓矢の名人を教えてくれた。猿丸は、二荒山の神の孫にあたった。
二荒山の神は見事な白鹿に化身して奥州の阿津加志山に現れ、この鹿を追う猿丸を二荒山まで誘い出した。事情を知って助勢を承知した猿丸は、戦地となっている戦場ガ原に赴いた。なるほど、赤城山の化身ムカデの大群と、二荒山の化身ヘビの大群が、刺したりかんだり、絡み合って戦っていた。
ムカデ軍に目をこらすと、2本の角を持つ大ムカデが戦の指揮をとっていた。これぞ敵の大将とばかり、猿丸はその左の目を狙って矢を放つと、見事に的中。敵は見る間に撤退を始め、二荒山の勝利に終わった。この戦いがあったところが、戦場ヶ原。大百足の流した血がたまったのが、赤沼。勝負が付いたのが菖蒲ヶ浜。勝利を祝ったのが歌ヶ浜と呼ばれるようになったと言われています。