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マリー・アントワネットが暮らした村里(Le Hameau / ル・アモー) [ヴェルサイユ宮殿]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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マリー・アントワネットが住んでいた北側と東側には自然のままを特徴としたイギリス式庭園が広がっていました。そのイギリス式庭園を発展させて人間の住んでいる村を作り込んだのが、「王妃の村里」の呼ばれる空間です。日本では「王妃の村里」と呼ばれていますがフランスでは単に村里(Le Hameau または Hameau )と呼ばれています。ヴェルサイユ宮殿の中の村里と言えば、ここしかないのでわざわざ「王妃の村里」と呼ぶ必要がないのかもしれません。

その村里あたりの航空写真の建物を着色してマークを入れてみました。黄色のライン( ━━ )は村里の中を歩いたルートです。
離宮の庭園に大きな池を掘り、池のほとりには塔や納屋、はと小屋やニワトリ小屋、風車小屋などを作り、更には番人小屋や小さなわらぶき屋根の家まで作りました。
村落の周りには田園が広がり、住み込みで働く農夫婦、庭師、牛飼いなどもいて、ヤギや羊、うさぎや牛、ニワトリ、はとなども連れてこられたそうです。本物そっくりに作られたこの田舎を、のんびり散歩するのがマリー・アントワネットは好んだそうです。農夫が牛の乳を搾ったり、それでチーズを作ったりするのを見て満足していたそうです。まさに世界に一つしかない、究極のイギリス式庭園だったのです。建物の名前は撮った写真と、ネット上に掲載されている沢山の記事を比べて決めたました。もし間違いがある場合は指摘していただければ嬉しいです。ちなみに掲載している写真は全て私が撮った写真です。
名前の決定の参考にした記事の一例です。→記事1 記事2 記事3J 記事3F
 ① 水車小屋       Le Moulin
 ② 私室         Le Boudoir
 ③ 王妃の家       La maison de la Reine
 ③'  ビリヤードの家    La maison de la Reine
 ④ 料理保温室      Le Réchauffoir
 ⑤ マルボローの塔    La tour de Malborough
 ⑥ 酪農小屋       La Laiterie de propreté
 ⑦ 鳩舎         Le Colombier
 ⑧ 庭師の家       La Maison du Jardinier
  又は 衛兵の家       La Maison du Gardien
 ⑨ 建物跡(酪農仕込小屋) La Laiterie de préparation
 ⑩ 建物跡(納屋)     La Ggrange
 ⑪ 農場         La Ferme


より判りやすくするために配置図でも建物の位置を紹介します。
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小トリアノンの方から歩いて来て最初に目に入って来た景色です。この村里が作られたのはマリー・アントワネットがヴェルサイユ宮殿の生活から遠ざかりたいと思い始めたことが発端でした。親しい宮廷の女性たちに囲まれながら田園生活のひと時を求めて1783年に今回のような村里を欲したことから作られました。村里はノルマンディー地方の本当の村を真似て作られていて、大きな湖の周りに11軒の家が建てられて上の航空写真のように今でも残っています。
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大きな湖の畔に建っているのはマルルボローの塔(⑤)で、ボート遊びや釣り遊びに出かける時の出発点となっていたそうです。
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遠くには農場(⑪)が見えます。
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花が咲いた木のあたりには人が集まっていました。おそらくここが村里のベスト撮影ポイントなのだと思います。
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ベスト撮影ポイントに近い場所から撮った村里です。左端が上の花の咲いていた木が立っている場所です。この写真は、クリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
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それでは①の水車小屋から⑪の農場までを順番に紹介したいと思います。ネットから転用させていただいた、この航空写真には建物跡も含めた①~⑩の建物が写っています。写真クリックすると沢山の畑も確認できると思います。
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水車小屋(Le Moulin)
こちらが歩いて来た方向から最初に間近で見た水車小屋です。
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水車小屋は湖のほとりから流れる川岸に建てられていて、その水車によって、実際に穀物が挽かれたそうです。この小屋には共同洗濯場もあり、村里での生活に利用されたそうです。
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裏側から見た水車小屋です。
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私室(Le Boudoir)
ここは王妃の私室として利用されました。ブドワール(Boudoir)と呼ばれた王妃の小さい家は、広間と衣装部屋から構成され、周りを囲む庭は密閉されたものだったそうです。その建物は、葦葺きの屋根、屋根窓、庇、石階段などが特徴的です。
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別の角度から撮った私室(Le Boudoir)で広い畑に囲まれていました。
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Le Boudoirと書かれた案内板と一緒に撮った写真です。クリックすると判ると思いますが1783年と書かれています。広い畑の中に建っていることが判ってもらえると思います。
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王妃の家(La Maison de la Reine)
③'  ビリヤードの家(La maison de la Reine)
王妃の家は補修工事中でした。
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補修中の建物の横に写真が貼られていました。その写真がこちらです。
王妃の家は村里にある建物の中で最も大きな建造物で、2つの建物から構成されています。2つの建物はマリー・アントワネットのモノグラムが入った青や白の陶製植木鉢で飾られた木の回廊でつながれています。厳密に言えば右側奥に位置するのが王妃の家(La Maison de la Reine)で、その1階には食堂と遊戯の間、2階には大広間、小広間、中国様式小部屋があります。左側手前に位置するのがビリヤードの家(La Maison du billard)で、その1階にはビリヤード室、2階には小居室があります。
小トリアノンの女主人であるマリー・アントワネットは、麦藁帽子と質素な白モスリンのドレスに身を包み、回廊の上から畑仕事の模様を見晴らしていた想像されています。
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湖の対岸から撮った「王妃の家」です。シルエットのように建物の形が確認できると思います。
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料理保温室(Le Réchauffoir)
奥まった場所にあったので写真は遠くから撮ったこの一枚だけでした。
建物の中には大きな調理場、食料戸棚、小さな配膳室があるそうです。
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マルボローの塔(La tour de Malborough)
酪農小屋(La Laiterie de propreté)
マルボローの塔と呼ばれた漁場監視塔は、小舟で行く池の散歩コースの出発点であり、川カマスやコイなどの魚を捕らえるための釣り具も収容されていたそうです。上階は展望所の役割を果たし、そこからヴェルサイユ宮殿と信号の交信を行うこともできたそうです。塔の名前は、その当時流行した「英国びいき」を反映したもので、1722年のマールバラ公(フランス語の発音でマルボロー公)の死を悲しんで作られた曲からきているそうです。
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右の建物が酪農小屋(La Laiterie de propreté)と思われます。ただし100%の確証はありませんが、本建物を酪農小屋(La Laiterie de propreté)と書かれているネットでの記載がもっとも多かったのです。
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写真の一部から⑥の酪農小屋(La Laiterie de propreté)を切り取って拡大いたしました。この建物の向かいにあった酪農仕込小屋で作られて乳製品を、マリー・アントワネット王妃が、この酪農小屋で試食されていたそうです。そのために、この酪農小屋には大理石のテーブルや磁器食器類が備えられていたそうです。
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湖の対岸から見たマルボローの塔(La tour de Malborough)と酪農小屋(La Laiterie de propreté)です。絵になる景色でした。
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鳩舎(Le Colombier)
この小屋が鳩舎(Le Colombier)にはとても見えないので、これが鳩小屋であることは一番自信がなかったのですが、この建物をLe Colombierと記載した記事が沢山掲載されていました。さらにネットので鳩舎(Le Colombier)に対するHPの公式の記載内容の中の石橋や川の記述から、これが鳩小屋(鳩舎)である確証を得たのでした。そのネットでの記載内容を枠内に転記いたしました。
今ではなくなってしまった舞踏室、納屋、鶏小屋の横には、風情のある鳩舎が現在でも残っています。その傍らに流れる川にはコイが溢れ、石橋がかかっています。
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上の写真の裏側から撮った鳩舎(Le Colombier)です。確かに鳩(はと)が出入する穴とも思われる穴が9つ見えます。近くにあった酪農仕込小屋の跡地の⑨ の近くには⑥ と⑦ しかないので、この⑦が鳩舎であればれぱ、自信がなかった⑥も酪農小屋であるとの確信が持てたのでした。
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鳩の出入口と思われる穴がある部分を拡大いたしました。上に3つ、下に6つの穴を確認してもらえると思います。間違いなく鳩小屋/鳩舎(Le Colombier)でした。
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別の角度から見た鳩舎 / 鳩小屋です。
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庭師の家(La Maison du Jardinier) 又は、
    衛兵の家(La Maison du Gardien)
ネットで見るとこの建物のことを衛兵の家(La maison du Gardien)と書かれていましたが、小屋の前に建てられていた案内板にはLa Maison du Jardinierと書かれていたのです。La Maison du Jardinierを翻訳すると庭師の家だったのです。    
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こちらがLa Maison du Jardinierと書かれていた案内板です。1784年と書かれています。
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庭師の家(衛兵の家)にはかつてスイス人ジャン・ベルシーが住んでいたそうです。その囲いの一部は格子細工のアーチで覆われた小道に隣接し、そこでは球遊びが楽しまれました。正面に見えているのは鳩舎(Le Colombier)で、今は補修中ですが王妃の家も望めました。
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建物の中に入ることが出来ました。中は展示室になっていました。
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トイレもありました。トイレが少なかったので貴重な存在でした。
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建物跡(La Laiterie de préparation)
酪農小屋の向かいにあった酪農仕込小屋の跡です。第一帝政時代に壊されたそうです。
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案内板に書かれていたLa Laiterie de préparationから酪農仕込小屋の跡であることが判りました。ここではクリームやチーズが製造されていたそうです。牛乳からクリームを分離する作業やバターを作るための攪拌作業なども行われていたそうです。そこで仕込まれた乳製品は、すでに紹介した酪農小屋(La Laiterie de propreté)で王妃によって試食されていたそうです。案内板には1783年と書かれています。
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建物跡(納屋 La Ggrange)
酪農仕込小屋跡の横にも建物跡がありました。こちらは納屋(La Ggrange)の跡地です。奥の建物は⑧の庭師の家です。
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農場(La Ferme)
湖のエリアから離れた場所にも村がありました。それが農場でした。。
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農場は沢山の建物と広い敷地で構成されていました。
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突然に足元に座ったニワトリ(鶏)を見つけました。
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よく見ると沢山の鶏が放し飼いにされていました。
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建物の一部です。
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農場の建物も趣がありました。本格的な農場でした。
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少し離れた位置からの写真です。
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農場の門です。入口の門(ポーチ)は二つの石球で装飾されていました。
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門の辺りも、離れた位置からの写真を紹介します。
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豚さんも放し飼いになっていました。
農場では、王妃の要望に応えてスイスから持ち込まれた動物たちが飼育されていたそうです。その動物の中には雌牛、雄牛、子牛、雌山羊、ヤギ、ヒツジ、強暴でない白雄山羊 なども含まれていたそうです。
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離れると農場の広さが判ってもらえると思います。
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羊(ひつじ)や山羊(やぎ)達も幸せに暮らしているようでした。
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羊をアップいたしました。
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山羊は人なつっこくて手から草を食べてくれました。
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さらに遠くから撮りました。王宮の敷地の中にこのような場所があったのです。
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何度も紹介した地図ですが、王妃の村里( )の位置を紹介したくて地図を掲載いたしました。
   王妃の村里 マリー・アントワネットが暮らした村里
   ヴェルサイユ宮殿(Le Château de Versailles)
   大トリアノン宮殿(Le Grand Trianon)
   小トリアノン宮殿(Le Petit Trianon)
   ランチを食べたレストラン La Flottille
  ━━ 庭園内で乗ったミニ・トレインのルート
  ━━ 徒歩で歩いた散策ルート
  ━━ ヴェルサイユ宮殿敷地境界