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麦畑の中に突然出来た山 昭和新山 ミマツダイヤグラム画像を追加しました。 [洞爺湖]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
本記事は2013年9月9日に掲載した過去記事ですが、今でもアクセスされています。昭和新山で検索すると100番以内でに出てくるので、文章記述のみで紹介していたミマツダイヤグラム(Mimatsu Diagram)の画像を追加などしてブラシュアップいたしました。
ミマツダイヤグラムは1943年12月28日のクリックすると拡大活動開始から406.9mの昭和新山が誕生した1945年9月まで約600日間の過程をハンドトレスの手法で記録して一枚にまとめた「新山隆起図」です。ミマツダイヤグラムをアニメーションにした右上の画像は小さいけれども下に大きな画像で紹介しています。

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洞爺湖には有珠山や昭和新山があります。さらに西山火口など水蒸気を上げている場所が100ケ所以上あるそうです。その中で迫力があるのが昭和新山です。昭和新山は1943年12月から1945年9月までの2年間に17回の活発な火山活動で畑の中から出来た山(溶岩ドーム)だそうです。標高398mです。

噴煙が上がっている部分を拡大いたしました。クリックすると噴煙が出ている部分の全景を表示します。
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別の角度からの昭和新山です。
噴火当時は太平洋戦争中であり、世間の動揺を抑えるために噴火の事実は伏せられ、公的な観測すら行うことができなかったそうです。有珠郡壮瞥町の壮瞥郵便局長であった三松正夫(みまつ まさお)は、その成長の詳細な観察記録を作製しました。これは後年、ミマツダイヤグラムと名付けられ、貴重な資料となったのでした。また、三松さんは世界的にも貴重な火山の徹底的な保護と、家と農場を失った住民の生活の支援のために、民家から山になってしまった土地の買い取りを行いました。このため昭和新山は三松家の私有地であり、ニュージーランドのホワイト島等と同じく、世界でも珍しい私有地内にある火山です。1951年(昭和26年)、国の天然記念物に指定され、1957年(昭和32年)には特別天然記念物に指定されました。
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クリックすると拡大昭和新山を見つめるように三松正夫の銅像が立っていました。三松正夫(1888年7月9日~1977年12月8日)は、1910年(明治43年)の明治新山(四十三山)が噴火・誕生したした22歳の時に、現地調査に訪れた火山学者・大森房吉の案内役を務めました。それをきっかけに、火山学への造詣を深めることになりました。
三松正夫が55歳の1943年(昭和18年)には有珠山麓の麦畑から突如として活動を開始した昭和新山の定点観測を続けました。その手法は地震の回数を皿に置いた豆で記録、台に顎を乗せ視点を固定し、水平に張った糸で日々の形状の変化を計測するという独創的なハンドトレスの手法で作成されたそうです。 その図か、すでに説明させてもらった世界でも貴重なミマツダイヤグラムとよばれている火山活動記録なのです。 その後、荒廃から守るために1946年(昭和21年)に私財を投じてクリックすると拡大昭和新山を土地ごと購入し天然記念物への申請などの保護に努めたアマチュア火山研究家です。1977年(昭和52年)生涯3度目となる有珠山噴火を目の当たりにしながら89年の生涯を終えた方でもあるのです。右の写真(Wikimediaから拝借)は1993年12月に建てられた三松正夫記念館です。
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道路を挟んで有珠山もそびえています。有珠山にはロープウェイが登っていました。
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洞爺湖の対岸からの写真も紹介します。有珠山や西山火口群との関係が判ってもらえると思います。一枚では全体が撮れなかったので2枚の写真を合成しました。クリックすると大きな写真を表示するので昭和新山や西山火口群がよくわかると思います。2枚を撮影した位置は少し違うので下の草の色は違います。
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噴火活動の推移とミマツダイアグラムを紹介します。
--- 噴火活動の推移 ---
1943年12月28日 午後7時、壮瞥町周辺で最初の有感地震
1944年01月04日 フカバ集落の湧水の温度が20℃から43℃に上昇
1944年01月05日 洞爺湖に巨大な渦巻きが発生 レールの隆起で胆振線が不通
1944年2月~5月 フカバ集落、柳原集落、東九万坪、西九万坪一帯で隆起活動
         柳原では前年比で31mも隆起
1944年06月21日 壮瞥川が、川底の隆起によって氾濫
1944年06月23日 午前8時15分、東九万坪台地より第1次大噴火 第1火口形成
1944年06月27日 午前6時、第2次大噴火 第2火口形成
1944年07月02日 午前0時ころ、第3次大噴火 第3火口形成
1944年07月03日 午前8時30分、第4次大噴火 室蘭、登別方面に降灰
1944年07月11日 午前10時40分、第5次大噴火 強風で噴煙が洞爺湖畔を襲う
1944年07月13日 午後6時10分、第6次大噴火 第4火口形成
1944年07月15日 午後9時、第7次大噴火
1944年07月24日 午前5時、第8次大噴火
1944年07月25日 午前5時10分、第9次大噴火
1944年07月29日 午後2時20分、第10次大噴火 亜硫酸ガス噴出で山林が荒廃
1944年08月01日 午後11時55分、第11次大噴火 室蘭方面に降灰
1944年08月04日 午後10時、第12次大噴火
1944年08月20日 午前6時、中噴火。第5火口形成
1944年08月26日 午後2時20分、第13次大噴火 幼児1名が火山灰で窒息死
1944年09月08日 午後4時15分、第14次大噴火 火山弾で5戸全半焼
1944年09月16日 中爆発。第6火口形成
1944年10月01日 午前0時30分、第15次大噴火 第7火口形成
1944年10月16日 午後7時50分、第16次大噴火
1944年10月30日 午後9時30分、第17次大噴火 降灰を伴う噴火は収束
1944年12月   このころ、溶岩ドームの推上が始まる
1945年01月10日 溶岩ドームの高さ、地表より10~20m
1945年02月11日 溶岩ドームは高さ40~50mに成長
1945年02月26日 溶岩ドーム主塔の脇に、副塔が確認される
1945年05月   主塔の高さ85mに達する
1945年08月15日 太平洋戦争終戦(参考)
1945年09月20日 全活動停止。溶岩ドーム主塔の高さ175m 標高398m



ミマツダイヤグラム(Mimatsu Diagram)をアニメーションGIFで紹介します。1日を0.01秒で表示しています。つまり実際の864万倍速(=3600×24÷0.01)で表示させていることになります。線の間隔が広いところは起伏が大きいことを示しています。


下記の絵のように目線が一定になるように顎を載せる台を固定し,水平にテグス糸(━━)を張って基準としたそうです。詳しい説明はこちらです。→ポチッ
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こちらは噴火活動中の1944年10月の国土交通省の国土画像情報の航空写真です。戦時下ですが航空写真を撮っていたようです。
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噴火活動中および活動停止直後の昭和新山の写真です。高い位置からの写真は有珠山から撮ったものです。断面構造図の中のデイサイトは内部から上がってきた粘性高いマグマ(デイサイト質マグマ)が冷えて固まった火成岩です。デイサイトもいろんな種類がありますが、昭和新山のデイサイトは石英安山岩だそうです。右下の断面構造図はクリックすると拡大します。
     1944年7月11日          1944年9月20日

    1946年(活動停止直後)       昭和新山断面構造図
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昭和新山に来たのは2回目でしたが、こちらは初めて1979年に北海道旅行に行ったときの昭和新山の写真です。初めて昭和新山に来てから38年が経ちました。


周辺地域の地形図で昭和新山の場所を紹介いたします。
  昭和新山
  明治新山(四十三山) 有珠山 有珠新山 西山火口群
  洞爺湖温泉
  The Windsor Hotel 2008年 洞爺湖サミット開催場所
2017年4月11日 閲覧数 6,858 nice 106 CMT 22