朝の散歩で鯉の産卵に遭遇 2017年の写真を追加 [生活風景]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
2017年4月30日は穏やかな4月の最終日となりました。4月30日と言えは以前に近くの小川で鯉の産卵を見かけた日でした。その小川の名前を、その時の記事に追加したくて散策に出かけました。カエルの鳴き声がすごかったです。時々、キジの鳴き声も聞こえました。
上の写真が鯉の産卵を見かけた辺りの2017年4月30日の写真です。
見えているゴルフ練習場はユーカリゴルフプラザです。
この日は小川の近くでも家族総出の田植えが行われている光景にも出会えました。ほほえましい光景でした。いろんな場所で田植えの準備や田植えが行われていました。
鯉の産卵を見ることが出来た小川の名前は上小竹川でした。名前が分かったことから地図などを追加して記事をブラシュアップいたしました。
こちらが以前の4月30日の朝の散歩の時に珍しい光景に出合えた写真です。
小川で大きな水音がしたので覗いてみると鯉の産卵でした。この時期は右の写真のように鯉のぼりが見れる季節です。不思議な偶然です。
下の航空写真の中央を左から右に流れる小川で、この小川は右の方向(東の方向)で印旛沼につながっています。小川の名前は上で紹介した通り上小竹川です。小竹と言えは以前に小竹城や小竹の庚申塔と辻切りや小竹のザンマタを紹介したことがあります。赤色マーク( )は以前に紹介した青菅の「どんどれえ塚」です。他のマークは次の通りです。
佐倉市青菅 どんどれえ塚
佐倉市先崎 庚申塔および先崎城主の墓
八千代市下高野 辻切り(藁の大蛇)
鯉の産卵を撮った場所の上流側の橋の名前は子ノ橋で、下流側の橋の名前は根崎橋でした。川の名前の上小竹川は根崎橋の欄干に書かれていました。この写真は2017年4月30日に撮りました。面白いことに上小竹川は佐倉市内での呼び名で、八千代市内では高野川と呼ばれています。つまり子ノ橋より上流は高野川です。上小竹川は井野川が合流して小竹川となり、その小竹川は手繰川に合流して、手繰川となって西印旛沼に流れ込みます。上小竹川/高野川の源流は佐倉市井野の加賀清水と呼ばれる辺りです。 → 地図
子ノ橋(ねのばし?)は昭和44年2月28日竣功(1969年)で、根崎橋(ねざきはし)は平成元年3月竣工(1989年)でした。
根崎橋から見た上流側の景色です。川が細くなっているところで鯉の産卵に出会えました。この写真も2017年4月30日に撮りました。建物がある辺りに子ノ橋があります。子ノ橋から西印旛沼までの橋を紹介します。橋の名前を確認するために2017年5月1日にも散策いたしました。
子ノ橋 上小竹川 昭和44年02月28日竣功 1969年
根崎橋 上小竹川 平成01年03月竣工 1989年
先崎橋 上小竹川 昭和62年03月施工 1987年
下崎橋 上小竹川 平成03年03月施工 1991年
小崎橋 小竹川 銘板が外れていたため施工日は不明
弁天橋 小竹川 昭和41年08月施工 1966年
新先崎橋 手繰川 昭和62年03月施工 1987年
印旛沼につながる小さな小川で、どうしてこのような場所なのだろうかと驚かされました。そこで鯉の産卵を調べてみると産卵期は春から初夏にかけてで、大きなコイが浅瀬に集まり、バシャバシャと水音を立てながら水草に産卵・放精をおこなうそうです。
一度の産卵数は50万-60万ほどだそうです。卵は付着性で水草などに付着し、数日のうちに孵化するとのことでした。確かに水辺の水草への産卵でしたが、小さな小川に遡り産卵するとは書かれていませんでした。
不思議なのは小さな小川の中でも最も急な流れの場所だったことです。鯉のぼり(鯉幟)の季節と鯉の産卵の季節が一致しているのは偶然なのかどうかは不明です。
鯉のぼりは、江戸時代に武家で始まった日本の風習で、端午の節句に男児の出世を願って家庭の庭先で飾られた紙や布などの幟(のぼり)に鯉の絵柄を描き、吹流しのように風にはらませたのが始まりだそうです。皐幟(さつきのぼり)とも言われたそうです。鯉の絵が描かれたのは中国の正史、二十四史の一つである後漢書による故事で、黄河の急流にある竜門と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうと試みたが鯉のみが登り切り、竜になることができたことにちなんで鯉の滝登りが立身出世の象徴だったからだそうです。
沢山の鯉たちが集まっていました。本当は連写で撮りたかったのですが、まだマニアルをまともに読んでいなかったために設定がわからなかったために単写となってしまいました。
ここが産卵を見ることが出来たあたりです。普段は水が少ない小川なので、ここに鯉が住んでいるとは思えないことか、印旛沼から、この小川に沢山の鯉たちが遡ってきたのだと思います。まさに「鯉の川のぼり」です。
ブラックバスなどの外来種が沢山増えてきた中で、小さな小川での産卵が子孫が残していくためにの選択肢だったのかもしれません。見事に鯉たちは生き残っていることを実感させられる体験となりました。
産卵のあった100m上流の同じ小川です。先ほどの狭いところを同じ水量が流れていると想像してもらうと産卵場所が急流になっていることがわかってもらえると思います。ここは八千代市下高野に入っているので川の名前は高野川です。欄干がある橋が1968年3月31日施功の天神橋です。
鯉の産卵が見られた辺りの上小竹川の動画を紹介します。最後に写ってい橋が子ノ橋です。この動画は2017年5月1日に撮りました。