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加賀清水 小竹川(高野川)の源流 [生活風景]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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千葉県佐倉市井野の成田街道(国道296号)近くに、昔から湧き水が出ている加賀清水(かがしみず)と呼ばれる場所があります。前記事で紹介した鯉の産卵を見ることが出来た上小竹川の源流が加賀清水だったのです。そこで加賀清水に2017年5月1日と5月3日に来てみました。5月1日は加賀清水の場所の確認のために車で来ましたが、5月3日は加賀清水が源流となっている川のルートの写真を撮るのが目的だったので歩いて来てみました。

加賀清水の場所を紹介します。成田街道は、水戸街道の新宿(にいじゅく)から分岐して佐倉藩や成田山新勝寺に向かう街道です。水戸街道・新宿の現在の住所は東京都葛飾区新宿(にいじゅく)です。現在も成田街道の名前が使われていますが、江戸時代の庶民にとっても成田街道の名称が一般的でした。ただし江戸幕府の公式文書では佐倉街道と言われて、房総の諸大名の参勤交代の道でもありました。
  加賀清水 千葉県佐倉市井野1624
  成田街道脇の常夜灯と3基の道標 茶屋・林屋があった場所
  佐倉城 佐倉藩の城 天文年間(室町時代)~明治6年
 ━━ 成田街道 水戸街道・新宿    成田山・新勝寺 約53km
 


参考に成田街道、水戸街道、日光街道、中山道などの概略ルートを紹介します。地図をクリックすると広範囲を表示します。日本橋からは日光街道を通って千住に行き、千住からは水戸街道を通って成田街道の出発地点の新宿(にいじゅく)まで来ます。
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加賀清水の南側150mに成田街道があったことから加賀清水を示す石碑が残されていました。写真の道が成田街道で、国道296号線です。このあたりに林屋という名の茶屋があり、加賀清水で汲まれた清水が客に振舞われたそうです。
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クリックすると拡大中央奥の常夜灯は加賀清水の水で茶を振舞って繁盛していた茶屋の林屋の前に1827年(文政10年)に建てられていたそうです。この常夜灯の場所は昔のままだそうです。他の3基の石碑(道標)は、すぐ西側(左側)約13m離れた道路角(写真の左端)にあったものを移設したそうです。
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左側の道標は歌舞伎の名優であった7代目市川団十郎が1831年(天保2年)に建立したものです。その道標には加賀清水を「天はちち 地はかかさまの清水かな」と詠んだ句と成田山への信心が記されています。中央の道標は1894年(明治27年)に信集講社の岩田長兵衛によって建てられたもので、左の道標は1840年(天保11年)に江戸の豪商であった古帳庵夫妻が建てたものです。
七代目・市川団十郎が建てた右の大きな道標の文字を紹介します。
 (正面)成田山道 是れより北へ半丁 清水原中有
 (右面)天はちち 地はかかさまの 清水可那 七代目団十郎敬白
                      天保二辛卯年九月吉日
 (左面)成田山御参詣の御方様御信心被遊此清水御頂戴被成候
                      御夫人様方御懐胎被成候事
 (背面)無疑私御利益を蒙り候間御信心の御方様へ差上度
                      御子孫長久大願成就
左面には加賀清水の清水を飲めば子のいないご夫人も懐妊するという御利益があることが書かれていることから、ここの清水が大変な人気になったと想像されます。正面に清水までの半丁とあります。1丁(町)は109.09091mのため半丁は約50mということになります。現在は湧水の湧口までの距離は150mなので、今と昔の湧水の場所が少し違う可能性があります。あるいは半丁が単にすぐそばを意味しているのかもしれません。
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常夜灯や3基の道標の詳しい説明も書かれていました。記載内容を枠内に転記いたします。
    成田道道標と常夜燈
これらの石塔群は、成田山新勝寺に参拝する旅人のために建てられたもので、向かって右側の道標は、歌舞伎の名優である七代目市川団十郎が、天保二年(1831年)に建立し、ここから北150メートルに所在する加賀清水を「天はちち、地はかかさまの清水かな」と詠んだ句と成田山への信心が記されています。
中央の道標は、明治二十七年に信集講社の岩田長兵衛が建てたもので、成田街道沿いに五基確認されています。
左の道標は江戸の豪商・古帳庵夫妻が天保十一年(1840年)に大和田原(現・八千代市)の情景を詠んだ自作の句を刻んで建てられました。三基の道標は、当初は現在の場所から西側の道路角にあったものを移設しました。
中央奥の常夜燈は、文政十年(1827年)に加賀清水の水を汲み、茶を振舞って繁盛していた林屋の前に建てられ、今も当時と同じ場所にあります。林屋は『三峰山道中記図絵』(明治四年)にも描かれ、「御贔屓の恵も厚きはやしやと人にたてられ石の燈籠」と詠まれており、当時の賑わいがうかがえます。

平成二十五年十一月 佐倉市教育委員会
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成田街道側から加賀清水方向を見た道の景色です。江戸時代にはその時代の人口密度などから判断して、道路の左右の家はほとんどなかったと思われます。正面に赤い鳥居と祠が見えます。祠は厳島神社で古くからあったそうです。
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こちらが厳島神社です。加賀清水と書かれた石碑などが祀られています。
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ここが一番南側の湧き水の場所です。池から水が流れ出る一番北側から一番奥の湧き水の場所なのでここがまさに源流と言える場所です。
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動画を見ると小さい音ですが水音を聞くことが出来ると思います。


一番奥が上で紹介した湧き水のところです。
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水の道は広くなってきます。
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加賀清水は大きな池になっています。この池の水が源流となり一番奥(北側)から高野川/上小竹川/小竹川へ流れていきます。木の幹の太さからも歴史を感じます。
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北側から見たかが清水の池です。メダカが沢山住んでいました。浅い池ですが鯉も住んでいました。水草も生えていました。この湧水地は加賀殿清水、井野清水、加賀清水と呼称を変えながら現在まで残されてきたそうです。
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厳島神社と書かれた石碑が祀られていますが元は弁天様の石碑が祀られていましたが、1994~1995年ごろに子供のいたずらで弁天様の石碑が池に投げ込まれて、新しい厳島神社の石碑が祀られたそうです。最近弁天様の石碑が見つかって弁天様の石碑も祀られているそうです。
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加賀清水は、今は加賀清水公園になっています。加賀清水の説明版や加賀清水に説明用の掲示板が建てられていました。
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加賀清水に関する説明を枠内に記載します。
この清水は第八代佐倉城主 大久保加賀守忠朝(1676~1686年)が愛飲し、江戸への往来の時に必ず立ち寄ったところから加賀清水、または井野清水と呼ばれるようになったと伝えられる。 その後、成田街道脇の林屋という茶屋がこの清水を客に振舞った。現在、国道二九六号線脇に、加賀清水道路標があり、往来の林屋の繁昌振りが偲ばれる。
昭和五十七年三月 佐倉市


掲示板に貼られた説明を読むと皆さんの努力によって加賀清水が守られてきたかわかりました。この湧き水池の水は周辺地域にしみ込んだ雨水が湧き出たものだそうですが、周辺地域が住宅になって雨水が下水設備の方に流れてしまうとともに、舗装されて雨水の地面にしみ込む量が減ってしまったことから、湧き水が枯渇する日が多くなったそうです。その対策として取られたのが雨水浸透マスの設置だそうです。住宅の雨どいの雨水も地面にしみ込ます努力ともに、雨水浸透マスの設置により湧き水が復活したそうです。また歩道の透水性舗装化を推進するなどの試みも行われているそうです。
              1995年頃  2013年
  雨水浸透マスの設置数   9基  → 340基
  年間枯渇日数       43日  →   0日
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雨水浸透マスの図をネットから転用させていただきました。画像をクリックするとこの図が使われている印旛沼の情報広場を表示します。
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加賀清水の横には関係は分かりませんが稲荷神社がありました。井野新田の鎮守で、五穀豊穣もたらす稲荷神が祀られているそうです。
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この建物の奥に由緒のある古い本殿がありました。
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本殿は屋根で守られていました。
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横には奥州参りに行った参拝記念碑(三山碑)が沢山建てられていました。
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前記事で紹介した鯉の産卵を見ることが出来た上小竹川の源流の加賀清水から印旛沼(西印旛沼)までのルートをGoogle地図に書き込みました。
その川にかかる橋も紹介します。2017年5月1日には天神橋から印旛沼までの橋の名前を確認するために散策をし、5月3日には三号橋梁から加賀清水までを散策しました。5月3日の歩いた歩数は14285歩でした。源流(加賀清水)から印旛沼まで31の橋がありました。その中で名前が分かった橋が10で、21の橋の名前は特定できませんでした。川/水路の長さはGoogle地図で計測したものです。
 ① ━━━━ 加賀清水公園の小川 67m
 ② ━━━━ 地下水路(高野川) 192m
 ③ ━━━━ 高野川 3760m
      不明の橋 高野川  11橋 (源流~四号橋梁)
      四号橋梁 高野川  昭和44年02月28日施功 1969年
      不明の橋 高野川  2橋  (四号橋梁~三号橋梁) 
      三号橋梁 高野川  昭和44年02月28日施功 1969年
      不明の橋 高野川  4橋  (三号橋梁~天神橋)
      天神橋  高野川  昭和43年03月31日施功 1968年
      不明の橋 高野川  4橋  (天神橋~子ノ橋)
 ④ ━━━━ 上小竹川 1330m
      子ノ橋  上小竹川 昭和44年02月28日竣功 1969年
      根崎橋  上小竹川 平成01年03月竣工   1989年
      先崎橋  上小竹川 昭和62年03月施工   1987年
      下崎橋  上小竹川 平成03年03月施工   1991年
 ⑤ ━━━━ 小竹川 734m
      小崎橋  小竹川  銘板が外れていたため不明
      弁天橋  小竹川  昭和41年08月施工   1966年
 ⑥ ━━━━ 手繰川 269m
      新先崎橋 手繰川  昭和62年03月施工   1987年
: 小竹城 井野城 先崎城 下高野城(館)



━━━━ 加賀清水公園の小川 67m → 地図
加賀清水公園から水が流れ出るところです。ここに水量を図る三角堰(三角せき)が取り付けられています。
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その三角堰から水が流れ出る動画です。


水量計測している三角堰(三角せき)を拡大いたしました。
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小さな水路を水が流れてくるわけです。
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八重桜の花びらが流れる動画も趣があります。



━━━━ 地下水路(高野川) 192m → 地図
加賀清水は住宅地にあることから加賀清水の水はここから地下水路に入ります。プレーボタン( )をクリックすると動画で見ることが出来ます。


道路の左側に地下水路があります。
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道路の右側のコンクリート壁のあたりまで地下水路は続きます。コンクリート壁は清水公園にある調整池です。
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下流側から見た写真ですが、この部分で左側に道路を横断します。
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清水公園横の調整池の内部の写真を紹介します。地下水路はコンクリート壁の向こう側の左から流れてきて、コーナー部で90度曲がって右に流れていきます。驚いたことに調整池の名前は加賀清水調整池でした。 → 地図
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━━━━ 高野川(こうやがわ) 3760m → 地図
清水公園にある調整池脇から高野川になります。まだ川とは呼べない水路がこの緑の中にあります。右のコンクリートの壁の中が調整池です。近くには清水台公園や加賀公園があったことから加賀清水のゆかりが感じられました。
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住宅との横に緑地が続いていました。
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緑地の最後の部分です。小さな水路がありますが、これは単なる雨水用の溝のようです。この先で深い川が地面に現れるので緑地の地下に水路があるのではないかと感じました。
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突然に川が現れます。ここからが高野川と呼んでもいいのかもしれません。ここまでの緑地は高野川の痕跡のような存在です。
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突然に地上に高野川が現れる場所には大野調整池がありました。
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高野川は住宅地を進みます。
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水量は明らかに増えているのでいろんな方向から水が集まってきたのだと思われました。
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川の両側が開けてきました。
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同じ場所から上流側(加賀清水方向)を見た景色です。奥の住宅地が佐倉市井野で、空き地の部分は皮を挟んで右側(西側)が八千代市上高野で、左側(東側)が佐倉市井野です。加賀清水から印旛沼までの川が流れる場所は次のように変化します。2つ名前がある場合は上流から見て 左岸/右岸 となります。
下記の「⇒」の部分にA~Jのマーク( )を入れた地図を表示 → ポチッ
 井野 ⇒ 上高野/井野 ⇒ 上高野 ⇒ 上高野/下高野 ⇒ 下高野
  ⇒ 青菅 ⇒ 先崎/青菅 ⇒ 先崎/小竹 ⇒ 小竹 ⇒ 小竹干拓
  ⇒ 小竹干拓/臼井台 ⇒ 小竹干拓/臼井台干拓 
   八千代市: 上高野 下高野
   佐倉市 : 井野 青菅 先崎 小竹 小竹干拓 臼井台 臼井台干拓
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車が頻繁に通る道の下を川がくぐっていました。少し高くなった小さなカードレールの部分が橋です。ここの橋には名前が書かれた銘板があるのではないかと期待していましたがありませんでした。この道は八千代市から井野外山交差点にでる抜け道的な存在のため沢山の車が通ります。
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その道の端から下流側を見た景色です。
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このような景色が続きます。
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加賀清水から始まって最初に名前が書かれた橋がこちらです。ここまで名前が判らない橋が11続きました。
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橋の名前は「四号橋梁」で橋の後ろに「梁」が付いた珍しい橋でした。
橋梁(きょうりょう)の意味を調べると、橋のことで、道路・鉄道・水路などが障害物などの上空を通過するための架空構造物の総称だそうです。
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四号橋梁(よんごうきょうりょう)の上から下流側を見た景色です。両側は田植えの準備をしている田んぼです。
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このあと2つ、欄干も名前のない橋が続いた後に欄干のある橋がありました。
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こちらの橋の名前は三号橋梁(さんごうきょうりょう)でした。
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三号橋梁から見た下流側の景色です。
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こちらが天神橋(てんじんばし)です。こちらも頻繁に車が通ります。
三号橋梁から天神橋の間には4つの欄干のない橋がありました。
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天神橋から子ノ橋の間にも写真のような欄干もなく名前もない橋が4つありました。写真には3つの橋が写っています。
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もう一つの橋の写真です。この写真は下流側(子ノ橋の方)から撮った写真です。
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━━━━ 上小竹川(かみおだけがわ / かみこたけがわ) 1330m → 地図
こちらが子ノ橋(ねのばし?)です。八千代市の上高野地区と下高野地区を流れたきた高野川は子ノ橋で佐倉市に入り上小竹川に名前が変わります。同じ川が市境(しざかい)で名前が変わるのは珍しいのではないでしょうか。ここからの橋は全て欄干があり名前が付いています。
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鯉の産卵が見られた辺りの上小竹川の動画を紹介します。最後に写ってい橋が子ノ橋です。この動画は2017年5月1日に撮りました。


こちらが根崎橋(ねざきはし)です。前記事でkazuさんコメントいただいた内容によると昔は天神橋あたりから根崎橋あたりまでが根崎と呼ばれており、kazuさんの屋号も根崎だそうです。現在の地名は先崎です。
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根崎橋の一つ下流側の橋が先崎橋(まっさきはし)です。
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先崎橋の一つ下流側の橋が下崎橋(しもざきはし)です。上小竹川の呼名は「かみおだけがわ」が使われていますが、公式文書では「かみこたけがわ」が使われる可能性があるため2つの名前をタイトルに入れました。その可能性は次の小竹川で説明している内容と同じです。
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土手を進むと井野川との合流地点に架かっている小崎橋が見えてきました。橋の名前に「崎」が付いている名前が根崎→先崎→下崎→小崎と4つ続きました。
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━━━━ 小竹川(こたけがわ / おだけがわ) 734m → 地図
小崎橋(こさきばし)の上から上流側を見た景色です。
右が上小竹川で左が井野川です。合流して小竹川(こたけがわ / おだけがわ)となります。小崎橋の4枚の銘板は全て外れて無くなっていました。橋の名前だけはネットで検索出来ましたが施工年月は探せませんでした。
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小竹川の土手の道を進みます。佐倉市の小竹川は通称では「おだけがわ」と呼ばれています。地名の佐倉市小竹や小竹小学校や小竹幼稚園や小竹城や城を築城した小竹五郎高胤の小竹は全て「おだけ」と呼ばれているからです。
ところがWikipediaでは「こたけがわ」と書かれています。これは土木行政関係、河川管理関係などでは「こたけがわ」が使われている可能性が高いためだと思われます。
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こちにが昭和41年08月施工された弁天橋(べんてんばし)です。橋の名前が書かれた銘板は外れて無くなっていましたが施工年月が書かれた銘板のみ残っていました。橋名はネットで探し出しました。
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弁天橋の上から下流側を見た景色です。この先で手繰川と合流します。
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━━━━ 手繰川(てぐりがわ / たぐりがわ) 269m → 地図
小竹川と手繰川(てぐりがわ / たぐりがわ)の合流地点です。右が小竹川で左が手繰川で、合流した後は手繰川となって印旛沼に注ぎます。
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これが新先崎橋(しんまっさきばし)で上を自転車道路が通っています。自転車道路の名前は印旛沼サイクリングロードで全長は約27kmあります。花見川サイクリングロードや新川遊歩道も入れると約50kmになります。
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新先崎橋から見た手繰川です。
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新先崎橋の上から見た印旛沼(西印旛沼)です。
こちらが今回の報告の最終地点です。今回の記事に掲載した写真は下記の散策で撮りました。歩いた距離は合計で約23kmです。2017年5月3日が一番歩いた日で約11㎞になります。
 4月30日AM 徒歩 家~子ノ橋~根崎橋~家
 5月01日AM 徒歩 家~根崎橋~新先崎橋(印旛沼)~天神橋~家
 5月01日PM 車  加賀清水
 5月03日AM 徒歩 家~三号橋梁~加賀清水調整池~成田街道~林屋の燈篭
~加賀清水~調整池~高野川沿い~家
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