新幹線の車内誌で自転車特集 [中国]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
前記事で2017年11月9日に徐州東駅から上海虹橋駅まで新幹線に乗ったことを報告させていただきました。中国の新幹線の座席の前には飛行機のように車内誌が置かれています。偶々ですが、上の10月号が残っていました。他の座席を見ても10月号はありませんでした。その10月号の中に昔の自転車の写真が載っていたので、紹介したいと思います。
今回の記事で使わせていただいている自転車の写真は全て車内誌に載っていたものです。雑誌名は旅伴で、意味は「道連れ」のようです。
誌名 旅伴
主管 中国鉄路総公司
主办 中国鉄道出版社
国内 CN 11-4858/G0
国際 ISSN 1671-7805
定价 15元 車内誌として無料
1970年代の広州の大通りの交差点の写真ですが自動車(車)は無くて自転車だけです。大阪で開催された万国博覧会は1970年なので、その頃の中国ということになります。
現在の中国の道路は車で溢れていますが、ひと昔前は自転車が道路に溢れていました。中国と言えは自転車と言われるほどでした。今でも自転車の通行帯と思われる部分が残っていますが、今ではそこも車が通行するほど自転車は車に置き換わりました。東南アジアなどでは自転車からバイクに置き換わり、バイクから車に置き換わったのに対して、中国は自転車から、いきなり車に置き換わりました。それはバイクを規制したことが影響していると思います。その代り免許書のいらない電動スクーター(電動自転車)が流行りました。
珍しい人力車の写真もありました。1918年前後の写真です。
なぜか人力車に自転車が乗せられています。この時代は人力車より自転車の方が高価だったのだと思います。自転車は、後ろで人力車に乗っている紳士の持ち物ではないでしょうか。
おそろいの制服姿での記念写真です。1920年代初めの写真です。
街中では自転車レースも行われたようです。1935年に南京で撮られた写真です。ここまでの3枚は戦前の写真です。
お洒落して記念写真を撮っているのでしょうか。1952年の写真です。ここからの7枚は中国の戦後の写真です。
この写真のころは、自転車は貴重な時代だったようでみんな楽しそうです。1956年の写真です。
最初の広州の写真は、時代順ではこのあたりになります。大衆に自転車が普及し始めたころではないでしようか。
文化大革命(1966年~1976年)の時代の写真です。この写真は1974年に撮られたものです。
1982年の写真です。扇風機に自転車が印象的でした。一般にも自転車が広まってきた時代でしょうか。地域によっては自転車が高価だったのかもしれません。
天安門広場で夕涼みしている光景だと思います。家から自転車で集まったのだと思います。こちらは1983年の写真です。
不思議な写真も掲載されていました。海南省海口市で1992年に撮られた写真です。新港码头(波止場)という文字もありました。私が初めて中国を訪問したのは1994年9月19日なので、その2年前の写真になります。その時のフライト移動は成田(9/19)→南京→広州→香港→成田(9/24)でした。
現代に近くなった写真です。子供のためのサイドカー付き自転車です。右上の方に自転車を改造して荷台に小さな女の子が乗った三輪車も写っています。
その右上の改造三輪車を拡大いたしました。
海外の写真も掲載されていました。初期のころの自転車を紹介した写真だと思います。1863年にフランスで開発された自転車です。
これも初期のころの自転車です。同じ写真が2枚並んでいます。
その初期のころの自転車でレースを行っている写真です。レースに使われているのは1869年にイギリスで作られた自転車のようです。チェーンが発明される前でスピードを出すためにタイヤが大きくなったようです。
チェーンが発明されて自転車は現代に近いものになりました。
右の写真は1895年7月26日と書かれていました。有名な人のようです。
この写真の説明はありませんでしたが、新しいタイプの自電車が開発されたころの写真でと思われます。1880年代ごろではないでしょうか。
着飾った女性たちと自転車の写真です。自転車が貴婦人に乗られていた時代なのだと思います。
現代に近いタイプの自転車での、トラックレースの初期のころの写真です。
珍しいレースも行われていたようです。1932年3月の写真です。昭和7年です。
こちらは1960年代のヨーロッパの写真です。
現代の写真を2枚紹介します。
寒い季節ですが、お洒落に感じます。
参考に車内誌の152ページ(左)と153ページ(右)をそのまま紹介します。このようなページから写真だけを切り取って掲載させていただきました。自転車特集は142ページから161ページまででした。