新年あけましておめでとうございます。2018年 元旦 [新年]
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新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。今年は皆さんにとって良い年となることを祈念いたします。
2009年5月5日に最初の記事を掲載して、今回が9回目の正月となります。 昨年中も沢山のアクセスをしていただき、沢山のnice!を頂き、沢山のコメントを頂き、ありがとうございました。
私にとって昨年の最も大きな出来事は長年一緒に暮らしてきたワンコ(名前:むさし 17歳8ケ月1日)が2017年12月5日に亡くなったことでした。喪中ではありますが、いつも通りに新年のあいさつをすることが、むさしも喜んでくれるものと思っております。
上の写真は年末に山口県に墓参に行ったときに、毎回寄っている錦帯橋です。天気も良かったので新年のあいさつの写真に使えると思い撮りました。クリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
2018年元旦
それでは錦帯橋の写真を紹介したいと思います。すべて錦川の右岸から撮った写真です。つまりすべての写真で川は左から右に水が流れているのです。
時間はあまりなかったので錦帯橋から一番離れて撮ったのがこちらの写真になります。錦帯橋は日本三名橋や日本三大奇橋に数えられる山口県岩国にある木造の5連のアーチ橋です。
初代の5連のアーチ橋は1673年に岩国藩主であった吉川広嘉によって建造されました。それ以前にも岩国城が出来て以来、城と城下町をつなぐ重要な橋であったことから橋が架けられましたが洪水で何度も流されたことから吉川広嘉が洪水に耐えうる橋を目指した結果、明の杭州の6連の橋を参考に橋台を強固な石垣にして洪水に耐えうる現在の形の橋を作ったそうです。翌年の1674年の洪水で流失しましたが橋台を強化して再建した結果、定期的な架け替えを行いながら1950年のキジア台風で被害を受けるまでの276年間は流失することはなかったのは驚異的なことです。1950年のキジア台風ですべて流失したため、現在の橋は1953年に、277年前の当時のままに復元された橋だそうです。2005年にも台風14号により第一橋の橋脚2基が流される被害がありましたがすぐに復旧されたそうです。
橋名 錦帯橋
川名 錦川
完成 1673年(初代落成) 345年前
形式 5径間木造アーチ橋
全長 193.3m
幅 5m
橋の一番中央の山の部分の写真です。
江戸期には中央の3つのアーチ橋(第二、第三、第四橋)は定期的に約20年ごと、両端の桁橋(第一、第五橋)は約40年ごとに架け替えらたそうです。その結果、9回~16回の架け替えが行われ、具体的な現在までの架け替え工事回数は次の通りですが、数値を見ると大切にされてきた橋であることと、長い歴史を感じます。錦帯橋は創建時から現在までの修復記録が、歴代の大工棟梁の人物名も含めて完全に残ってことにも驚かされます。南東(左岸/岩国市岩国)側から北西(右岸/岩国市横山)側に第一橋、第二橋、第三橋、第四橋、第五橋です。北西(右岸/岩国市横山)側が岩国城がある方向です。
架け替え
第一橋 約40年ごと 10回
第二橋 約20年ごと 14回
第三橋 約20年ごと 14回
第四橋 約20年ごと 16回
第五橋 約40年ごと 9回
上の写真を拡大いたしました。クリックするとさらに拡大いたします。
川沿いには桜の古木が沢山植わっており、花が咲くころは見事な景色を見せてくれるそうです。ここの桜は日本さくら名所100選でもあります。
ここまでは川下(かわしも)から撮った錦帯橋ですが、川上(かわかみ)から撮った写真も紹介します。
ここは桜の木が多く植わっていましたが、柳の木も植わっていました。柳の木の由来に関しての説明板が立てられていました。
説明板の内容を紹介します。
巌流ゆかりの柳佐々木巌流小次郎は宮本武蔵との勝負には敗れましたが、小次郎の『つばめ返し』の剣法は天下無双であったということです。
吉川英治氏は小説『宮本武蔵』のなかで、岩国で生まれた小次郎は、母から家伝の長光の刀(一名物干し竿)を授かり、この辺りの柳とつばめを相手に独りで工夫し、努力を重ね、遂に『つばめ返し』の術を編み出したと記しています。
錦帯橋の脇には槍倒し松(やりこかしまつ)と呼ばれる由緒ありそうな松もありました。左の方向の山の上に岩国城があります。
説明によると他藩の大名行列で、槍を立てたまま歩けないように植えられた松だそうです。昭和29年(1954年)の時点で樹齢300年なので、2018年の現在であれば、樹齢364年になることになります。
槍倒し松(やりこかしまつ)この松は、岩国武士の負けず嫌いを表徴する有名な槍倒し松です。昔諸国の大名が他藩の城下を通るときは行列の槍を倒すのが、大藩が小藩の城下を通るときは、儀礼を守らず槍を立てたまま威風堂々と通ったものです。岩国藩が六万石の小藩であるため岩国の武士達はこれを見て憤慨し、そこでかなり成長した横枝のはった松の木をわざと橋の頭に植え、大藩といえどもどうしても槍を倒さなければ通るこのが出来ないようにしたものです。今では昭和十年(1935年)の河川改修工事により道路や人家が堤防の上に移りましたが元は川辺りにあって、ここの石段が坂道になっていましたから大名が槍を倒して坂道を登るのを見て岩国武士達は溜飲を下げていたということです。昭和十九年(1944年)頃、この地方に発生した松喰虫によって、この松も昭和二十七年(1952年)八月残念ながら枯れてしまいました。この松は初代の松の実から自生した直系の松を昭和四十三年(1967年)二月十五日三代目槍倒し松として吉香公園から移したものです。
樹齢 300年 樹の高さ 14.5メートル
幹の周囲 3.7メートル 樹冠の面積 323平方メートル
昭和二十九年一月 岩国保勝会
木材で作られた錦帯橋の橋げたの下側を紹介したいと思います。橋に使われている木材は特性によりアカマツ、ヒノキ、ケヤキ、クリ、カシ、ヒバを使い分けているそうです。平成の架け替えの際は全国から約7年かけて木材が 集められ、全て国産材で造られたそうです。その時は、桁橋の橋杭には本来のマツに代え、腐り にくい青森産のヒバが初めて使われたそうです。
木の柱の一番下の色が違うことに気が付かれると思います。実は一番下は石の柱になっていて木の柱と一体となるように接合されています。
石の柱の部分を拡大いたします。この石は橋杭受石と呼ばれています。
そして橋杭と受石(根継石)を相欠きで継いでいる部分を巻いている金物を橋杭巻金(きょうぐいまきがね)と呼びます。詳しい説明→ポチッ
葛飾北斎が描いた錦帯橋の浮世絵をWikipediaから転用させていただきました。全国の珍しい橋を画題とした全11図の諸国名橋奇覧の中の1枚で、名前は「すいほうの国 きんたいばし」です。諸国名橋奇覧は187年前の天保2年(1831年)に刊行されました。
生誕 宝暦10年09月23日(1760年10月31日)
死没 嘉永02年04月18日(1849年05月10日) 88歳
歌川広重(本名:安藤重右衛門)も錦帯橋を描いていました。ただし右側は二代目歌川広重の作品です。
初代 寛政9年(1797年)~安政5年9月06日(1858年10月12日)
二代目 文政9年(1826年)~明治2年9月17日(1869年10月21日)
ソフトクリームと錦帯橋の写真です。実は錦帯橋と言えばソフトクリームなのです。
こちらがソフトクリームが売られている佐々木小次郎商店です。
沢山の種類のソフトクリームが食べれることで有名になりました。一度、記事にしたことがあります。→ポチッ
いろんな場所から撮った錦帯橋とソフトクリームの写真を紹介します。
帰省ラッシュ前でしたが、新大阪を出発したころには満席に近かったですが、終点駅の広島に着くころには席は空きました。広島からはこだまに乗り換えて新岩国まで行きました。
墓参りも無事に終えることが出来ました。
墓参りの後は恒例の山賊で昼食です。これは山女(やまめ)の塩焼きです。
いつもは叔父さんがすべて運転してもらっていましたが、今回、初めて昼食を食べる山賊までは、私が運転いたしました。山賊から新岩国までは叔父さんが運転してもらえたので、私はビールを飲むことが出来ました。
今回の墓参りは母と一緒に行きました。下の写真は私が丁度1歳になったころの写真です。左に写っている建造物は旧・西宮球場です。
私は結婚するまでは宝塚の実家で両親と一緒に暮らしていましたが、今回の墓参りで初めて知ったことがありました。それは母も含めてその兄弟たちは岩国市内から、この錦帯橋の近くの男子校と女学校に歩いて通っていたことでした。それも叔父さんたちは通学のために毎日錦帯橋を渡ったとのことでした。驚いたことにGoogle地図で調べると毎日通学のために男子校10km(往復)、女学校8km(往復)を歩いていたことになります。
0歳 兵庫県伊丹市に生まれる
1歳 兵庫県西宮市夙川に引越
2歳 広島県広島市平野町に引越
3歳 広島県広島市井口に引越 → 記事
10歳 兵庫県神戸市東灘区岡本に引越
14歳 兵庫県神戸市東灘区本山に引越
16歳 兵庫県宝塚市に引越 (今の実家)
28歳 結婚して大阪府茨木市に引越
29歳 家を買って神戸市須磨区に引越
1988年 転勤で千葉県船橋市に引越
1993年 家を買って千葉県佐倉市に引越
広島の井口に住んでいたころに幼稚園の遠足で錦帯橋に来た時の記念写真です。黄色の〇が私です。クリックすると拡大いたします。
岩国駅から錦帯橋までの徒歩ルート(A→B)を紹介します。ほぼこの距離(A→B)を毎日歩いたそうです。
錦帯橋
新岩国駅
岩国駅
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