SSブログ

高さ6mの上野の「お化け燈籠」 [東京]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
2018年3月31日に桜の花を見るために上野公園(正式:上野恩賜公園)に来て公園内を散策していると人の背丈の2倍以上もある大きな石灯籠(石燈籠)が並んでいました。数えてみると9基でした。本記事内では新字体の灯籠と旧字体の燈籠の両方を使っていますが、原則的に固有名詞の中に組み込まれている場合は燈籠を使い、一般的表現では灯籠を使いたいと思います。異体字である篭を使った燈篭や灯篭の表記もあります。

歩いている男性の横の灯籠の高さを計算で出してみました。ただし、歩いている男性の身長は分からないので165cmと仮定してみました。ちなみに165cmは60歳~69歳の日本人男性の平均身長(165.3cm)です。写真に写っている男性と灯籠の比率か、ら横の灯籠の高さは343cmとなりました。仮に175cmでも363cmなのでタイトルの高さ6m(600cm)のお化け燈籠ではないことは分かります。普通の灯籠が人の身長くらいの165cmとすると、この343cmの灯籠でも普通の灯籠の2.08倍なのです。2.08倍と言うことは体積(重さ)では約9倍ほどあります。600cmの灯籠ならば普通の灯籠の48倍と言うことになります。343cmの灯籠の1.75倍の高さの灯籠を想像してみてください。まさに「お化け燈籠」と呼ばれているのが分かる気がします。
クリックすると拡大

冒頭の写真に目(カメラ)の高さにラインを入れてみました。この写真でも9基の灯篭の大きさが判ってもらえると思います。
クリックすると拡大

これが高さ6mの「お化け燈籠」です。上で紹介の9基の灯籠の近くにありました。安全のためか、燈籠に近寄れないようにフェンスで囲われていました。
正確な高さは606cm(6.06m)です。人が横に立てないので大きさの実感が湧かないと思いますが、下の円柱(竿)の部分の真ん中の横線(節)あたりが人間の身長だと想像してください。
クリックすると拡大

お化け燈籠に関するステンレス製の説明板が設置されていました。
クリックすると拡大

こちらが説明内容です。枠内に転記いたします。写真をクリックすると英文の部分も含めて拡大表示いたします。「お化け燈籠」は「おばけどうろう」と濁音で呼ばれています。Wikipediaでは「お化け灯籠」と新字体の「灯」の文字が使われていますが公式的には旧字体の「燈」が使われていました。
お化け燈籠
台東区上野公園四番
佐久間大膳亮勝之が東照宮に寄進した石造の燈籠で、
  奉寄進佐久間大膳亮平朝臣勝之
  東照大権現御宝前石燈籠
    寛永八年辛末孟冬十七日
と刻印し、寄進者・寄進年月を知ることができる。寛永八年(1631年)当時、東照宮は創建して間もなく、社頭には、現存の大鳥居・銅燈籠・石燈籠などは、まだわずかしか奉納されていなかった。勝之は他にさきがけて、この燈籠を寄進したのである。
勝之は、織田信長の武将佐久間盛次の四男。母は猛将柴田勝家の姉という。信長・北条氏政・豊臣秀吉、のち徳川家康に仕え、信濃国川中島ほかで一万八千石を領した。
燈籠の大きさは、高さ6.06メートル、笠石の周囲3.63メートルと巨大で、その大きさゆえに「お化け燈籠」と呼ぶ。同じ勝之の寄進した京都南禅寺・名古屋熱田神宮の大燈籠とともに、日本三大燈籠に数えられる。
平成八年七月    台東区教育委員会
クリックすると拡大

こちらが周囲3.63mの笠石です。重量感もあり迫力がありました。
クリックすると拡大

右の図(ブリタニカ国際大百科事典)で灯籠の各部の名称を説明します。
クリックすると拡大灯籠は上から、宝珠、笠、火袋、中台(受)、竿(柱)、台座(基礎+基壇)です。
石燈籠の中台と台座の間の円柱部分(竿)に刻まれた文字を読み取ることが出来ます。權ば権の旧字体で、寶は宝の旧字体です。上で紹介の説明板では新字体が使われていましたが、実際に燈籠に刻まれていたのは旧字体でした。孟冬は陰暦(旧暦)の十月のことです。佐久間の後の大膳亮は官位です。その後に平朝臣と書かれているので平家の流れがあるのかもしれません。
   奉寄進 佐久間大膳亮平朝臣
              勝之
   東照大權現 御寶前石燈籠
     寛永八年辛末孟冬十七日

クリックすると拡大

文字が刻まれた方向から見た燈籠の全景です。
燈籠の寄進者の佐久間勝之(さくま かつゆき)に関して記載します。66歳か67歳で亡くなった寛永11年(1634年)に任命された駿府城加番は城外の警備を担当でした。3個所の加番屋敷が城を鼎(かなえ)のように取り囲み配備されていたことから加番役は大名1名と寄合旗本2名の計3名だったそうです。任期中は役扶持が支給されるそうです。3つの加番屋敷で城を取り囲むことから、いずれも広大な屋敷であったそうです。そのことから旗本や小さな大名にとっては要職であったと思われ、勝之の在勤が1年を満たないで亡くなったのは残念だったと思います。加番は幕府の直轄地である大坂城と駿府城のみに置かれていたそうです。幕府より1万石以上の禄を与えられた藩主を大名て言います。
 時代 安土桃山時代~江戸時代前期
 生誕 永禄11年(1568年)
 死没 寛永11年11月12日(1634年12月31日) 駿府城加番役時
 父母 佐久間盛次 柴田勝家の妹
 養父 柴田勝家(養子)、佐々成政(婿養子)
 改名 柴田勝之→佐々勝之→佐久間勝之
 氏族 佐久間氏→柴田氏→佐々氏→佐久間氏
 墓所 静岡県静岡市葵区研屋町の顕光院
 主君 織田信長→柴田勝家→佐々成政→北条氏政→蒲生氏郷→豊臣秀吉
    →豊臣秀頼→徳川家康→徳川秀忠→徳川家光
 藩主 常陸北条藩(1607年~1615年)→信濃長沼藩(1615年~1634年没)
 最終 大名(藩主 1万8千石) & 駿府城加番
 官位 従五位下、大膳亮
クリックすると拡大

日本三大燈籠を並べて紹介します。写真で見て分かるように同じ佐久間勝之が寄進した石燈籠にも関わらず大きさも形(デザイン)も違います。特に上野のお化け燈籠は、写真の2基とは各部の形が大きく違います。さらに上野のお化け燈篭には基壇(最下部基礎)が無いのも他の2つの燈籠と違うところです。熱田神宮の佐久間燈籠の最下部基礎(基壇)の高さは約2mあることから基壇を含めない燈籠本体の高さは3基とも同程度あるいは上野のお化け燈篭が最も大きいのではないかと思います。また造立の月日は旧暦のため西暦表記の場合は数値が変わります。熱田神宮と南禅寺の写真はネットから転用させていただきました。
 場所       通称呼名   高さ   造立 / 寄進
 京都  南禅寺        約600cm 1628年(寛永五年九月十五日)
 名古屋 熱田神宮 佐久間燈籠 約745cm 1630年(寛永七年五月吉日 )
 東京  上野公園 お化け燈籠 約606cm 1631年(寛永八年十月十七日)
名古屋・熱田神宮の佐久間燈籠の作者に関しては次の3名であることが分かっています。さらに石材の産地も分かっています。ただし上野のお化け燈籠の作者や石材に関しては調べ切れていません。
 作者:九右衛門(大阪/石工)、太郎助(大阪/石工)、彦作(大阪/石工)
 石材:香川県小豆島の花崗岩
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

お化け燈籠と冒頭で紹介した高さ3mを越える9基の灯籠があった場所を紹介します。上野東照宮の参道近くです。 日本三大灯籠の位置→ポチッ
 お化け燈籠
  9基の巨大灯籠
 上野東照宮

nice!(111)  コメント(40)