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上仲町の山車の「のの字廻し」 佐原の大祭 2018年7月14日  [佐原 潮来]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2018年7月14日(土曜日)に千葉県香取市で行われている「佐原の大祭(さわらのたいさい)」を見に行ってきました。今回見て来た佐原の大祭で行われている山車の行事は国の重要無形民俗文化財に指定されているだけでなく、2016年12月1日にはユネスコの無形文化財となった日本全国の「山・鉾・屋台行事」の中に含まれているのです。つまり世界遺産の無形文化財でもあるのです。佐原の大祭は夏祭り(7月・本宿祇園祭)と秋祭り(10月・新宿秋祭り)の年2回行われています。それぞれ神社も違い山車(だし)も違いそれを担当する地区も違うのです。佐原(さはら)の中を流れる小野川の東側が夏祭り地区で、西側が秋祭り地区になります。
 夏祭り 八坂神社 山車10台 金曜~日曜日(7月10日以降)
 秋祭り 諏訪神社 山車14台 金曜~日曜日(10月第2土曜日)
今回は夏祭りを見に行ったわけですが、最大のビックイベントが、同じ場所で10台の山車が順番に「のの字廻し」と呼ばれている迫力の曲曳きを行うことです。この「のの字廻し」を見るために1時間15分前の17時15分に場所取りをいたしました。10の山車の「のの字廻し」の全てを見て動画や写真を撮りました。本記事では最初に「のの字廻し」を行った上仲町の山車を紹介いたします。18時30分から始まり10の山車の「のの字廻し」が終わったのは20時だったので平均で9分ごとに行われたことになります。上の動画は入場してきて終わるまですべてを連続で撮った動画です。6分47秒の動画ですが是非とも見てほしいです。一か所で全ての山車が連続で「のの字廻し」を行うのは夏祭りの特徴のようです。

今回の「のの字廻し」香取街道と寺宿通りの交差点(十字路)で行われます。「のの字廻し」が行われる18時30分の1時間半前までに10台が寺宿通りに勢ぞろいするのです。10台の山車が並んだのを見てから場所取りに香取街道と寺宿通りの交差点に行ったので17時15分だったのです。実は我々が最後で2時間から3時間前から場所取りをしている人が大半だったので、上の動画を撮影できたのは非常にラッキーだったのです。クリックすると3日間の祭りのスケジュールを表示します。連続10台の「のの字廻し」は土曜日だけです。土曜日以外も任意で「のの字廻し」が行われているので見ることが出来ます。その時の方が人が少ないので見やすいかもしれません。
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寺宿通りに並んだ山車です。先頭が今回紹介する上仲町の山車です。との人形も高く立っていますが、移動中は電線に当たらないように上下に移動できるような仕掛けがあるのです。先頭から上仲町荒久本川岸八日市場浜宿、寺宿、田宿、仁井宿、船戸、下仲町の山車です。
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こちらが「のの字廻し」が行われる1時間15分前の17時15分の写真です。交差点の中心の円形のすじは前日に行われた「のの字廻し」の跡だと思われます。
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交差点から西方向の香取街道です。この時点では、まだ通行は可能でした。
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千葉テレビの撮影スタッフの人達も集まりました。
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水をまき始めました。少しでも廻しやすいようにしているのだと思いますが、最初の3台目以降は乾いてしまっていました。
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15分前になるとかなりの人になってきました。予定表を見ると、丁度このころに10台の山車の前では通し砂切(とおしさんぎり)が演奏されていたのだと思います。
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10分前の18時19分の香取街道の東方向です。我々が見ていた背中側の景色でもあります。この写真で我々がラッキーだったことが分かってもらえると思います。最前列かそれに近くないと、山車の上の方しか見ることが出来ないのです。ユネスコの無形文化財に登録されて2度目の夏祭りです。


交差点から北方向の状態です。


いよいよ「のの字廻し」が始まる雰囲気になってきました。
佐原の大祭は、江戸の祭礼文化の影響で享保年間(1716年~1736年)には山車と囃子を中心とする祭礼が行われるようになったそうです。当初の飾り物は、それぞれの町内で趣向を凝らして製作していましたが、近世末期に関戸区の山車に大人形が乗せられたのをきっかけに、江戸の人形職人に飾り物の製作を依頼するようになったそうです。
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すぐそばの家の人は間近で見れて羨ましかったです。


上仲町の山車が入場する前に鮮やかなオレンジ色の捩り鉢巻に法被(はっぴ)を着た上仲町の沢山の人達が寺宿通りの方から入ってきて、「の」の字の周囲を囲みました。
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その上仲町の法被集の輪の中に、いよいよ上仲町の山車の入場です。提灯にも火が入り雰囲気も祭となってきました。人形は太田道灌で1921年(大正10年)に更新されました。山車は社寺建築の本枡組造りの様式を取り入れられた重厚なもので1901年(明治34年)に更新されたものですが、木彫りなどの飾りは昔からのものを使っているようです。扁額の文字は徳威(とくい)です。
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街の中の山車の曳き廻しでは先頭に2本のロープを結んで地区の人がみんなで曳く(ひく)のですが、この時はロープもなく曳く人はいませんでした。
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どうやら押して入ってくるようでした。
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前輪の部分に2本の木の丸太が差し込まれています。手前側の丸太つまり進行方向に向いて右側の車輪を中心にして右回転させるのです。位置に着いた時点で山車を押してきた屈強な若い男性が右回転する方向に押し始めるのです。他の山車が位置に着いてから少し時間をおいて「せーの」と声をかけてから廻し始めたのに対して、上仲町の人達は、山車が回転位置に来た途端に掛け声を出して回し始めました。これはすごいことだということは何台か見てから分かりました。
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若連(若衆)と呼ばれている男たちが山車から突き出た丸太を手前に押して右回転させているのです。
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この状態で山車を数回転させるのです。時間にすると3分36秒間回し続けていました。山車の重さは3から4トンで高さは高いもので7mだそうです。後輪の右側の車輪は回らず横滑りさせているので信じられないほどの力がいると思います。仮に4トンとしてその横滑りの車輪の垂直荷重が1トンに対して摩擦係数が1.0だとすると1トンの横荷重が必要になるわけです。テコの原理があったとしても1人当たり50~100kgの力を出し続ける必要があるようです。それを3分36分間も続けるわけですから過酷です。
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力尽きるのではないかと心配になるほどの過酷な曲廻しでした。実際に力尽きて回転が止まりそうになったり止まっりする山車もあったほどでした。上仲町の山車は一気に回し切りました。回転が止まった山車もなんとか回し切りました。全力で3分36分間連続で力を出するは厳しいと思います。
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冒頭の動画をここに入れておきます。初期画面は神輿を担いでいるのではなく山車を若連の人達が力いっぱい回転させているところだったのです。動画自体は上仲町地区の人達が「のの字廻し」の場所に入場してくるところから始まります。全部で5回廻しました。1回転するための所要時間は次の通りです。1回転目はかなり速いスピードですが、やはり3回転目に入った辺りから疲れてくるようです。4回転目は1回転目の約3倍(2.95倍)の時間がかかりました。倍の数値は1回目に対するかかった時間の比率です。着色文字をクリックするとその回転が始まるところからの動画を表示します。
 1回転目 20秒(360°) 1.00として
 2回転目 36秒(360°) 1.80倍
 3回転目 50秒(360°) 2.50倍
 4回転目 59秒(360°) 2.95倍
 5回転目 51秒(330°) 2.78倍 合計216秒(3分36秒) 平均43.9秒/回転


回転中の山車の屋根部分です。お囃子(おはやし)に合わせた「わっしょい! わっしょい!」の掛け声とともに何度も廻っていました。
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やっと「のの字廻し」が終わって西方向に向きをかえて退場していくところです。前日の7月13日の上仲町の山車の「のの字廻し」の動画見つけました。人数が少ないためなのか、苦労されていました。その反省をもとに7月14日のすばらしい「のの字廻し」になったのかもしれません。→ポチッ
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クリックすると拡大若連の方々お疲れさまでした。迫力の「のの字廻し」ありがとうございました。ひきつづき9つの山車の「のの字廻し」すべてを見させていただきました。この後、1時間に1本以下のJR成田線・佐原駅20時41分発の列車で帰宅いたしました。20時41分発の後は22時15分発でした。他の山車に関しても近いうちに紹介したいと思います。
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佐原の大祭は、下記の関東三大祭りの一つとしても有名です。
ちなみに江戸三大祭りは神田祭と山王祭と深川祭です。
 佐原の大祭  千葉県 夏祭り(7月) 秋祭り(10月) 詳細は冒頭に記載
 石岡のお祭り 茨城県 9月15日(例祭)を含む3~4日間 最終日は敬老の日
 川越まつり  埼玉県 10月第3日曜日と前土曜日


佐原駅で配られていた佐原の大祭の山車と人形などの飾りの説明部分です。青枠の部分が今回の山車に関する部分です。クリックすると文字の読める大きさに拡大いたします。
 ① 山車の制作年    :明治34年(1901年)
 ② 飾り物の制作年/作者:大正10年(1921年)/大柴徳次郎
 ③ 額の文字      :徳威(とくい)
 ④ 一口メモ      :山車は社寺建築の「本枡組造り」の様式が取り
              入れられた重厚なもの。
 ⑤ 担当の下座連    :東関戸連中
 ⑥ 地区        :上仲町(かみなかちょう)
 ⑦ 飾り物       :太田道灌(おおたどうかん) 
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